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晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の≪暮らしの古典≫は159話≪狐の大好物「お揚げ」≫です。

前回、拙著『水都大阪の民俗誌』2007年、和泉書院のうち

聞書き調査を引用すると言挙げしました。

はたして如何でしょう?

今年は丙午、午年です。

年賀状には「馬」が描かれ

「ものごとが うま~く はこぶ一年に」とかの願いが添えられたりもしています。

本ブログでは「馬」ならぬ「狐」を取り上げます。

何処で「お揚げ」さんが出るやら?

 

月初めの「午」の干支、「初午」の習俗に踏み込みました。

「初午」となれば稲荷信仰です。

「初午大祭」って何時の季節の行事?

『広辞苑 第七版』2018年、岩波書店の「初午」には次の記述があります。

2月の初の午の日。京都の伏見稲荷大社の神が降りた日がこの日であったといい、

  全国で稲荷社を祭る。この日を蚕や牛馬の祭日とする風習もある。〈[季] 春 〉。

  今昔物語集(28)「きさらぎの―の日は」

 

「2月の初の午の日」であって、「春」の季語です。

拙著≪20 コンピラ・フナダマ・エビス信仰にみえる基層文化≫の「竹屋」を引きます。

◆木津川左岸の竹屋(大正区千島)は、「お稲荷さんを祀っており、

  2月の初午の日には、商売繁盛を祈っている。

  昔は近所の子供達にアンパンを接待した。大正橋のマルキのパン屋で

  1個2銭のアンパンを五ツ袋に詰めて配ったものである」という。

 

竹屋は「2月の初午の日」ですが、なかに「2月11日」というのもあります。

拙著≪29 商人と社寺≫の「うどん屋」を引きます。

◆神社を創始しないまでも特定の神を守護神として崇敬する場合がある。

  丼池筋の老舗のうどん屋(中央区南船場)において祭祀する神は、

  白玉宮(しらたまみや)である。

  祭日は、2月11日である。「白玉」とは「うどん」のことだという。

  初午さんに近いこの日に毎年、

  伏見稲荷大社(京都市伏見区深草藪之内町)にお参りするという。

  昭和10(1935)年以前の初午の時は、

  「正一位稲荷」の幟を立てて太鼓を車に乗せて太鼓を叩いて

「ここの家に福入れ」と振れて廻ったという。

 

「初午さんに近い」2月11日を祭日としているのです。

2月では寒すぎるのか、桜の開花に合わせている神社があります。

三菱グループが祀る土佐稲荷神社を≪29 商人と社寺≫から引きます。

◆この神社は、荘厳を極めるだけではない。

  境内と隣接する公園は、桜の名所として市民に親しまれている。

  4月上旬・桜の開花期には、例祭である春祭(初午祭)が執行される。

  この時期には、大勢の夜桜見物で境内は賑わう。

  タンス屋(西区南堀江)は、この春祭りに献燈をしている。

 

この稲荷神社は「春祭」に「初午祭」を合わせているのです。

会社敷地内で稲荷大祭を営む(大正区三軒家東)というのは廻漕店(大正区三軒家東)で、

「祭祀する神仏は城山大明神で5月8日に初午として稲荷大祭を営む」といいます。

5月8日に大祭を営むのは、

出身地である岡山県倉敷市の城山稲荷の祭りの日だからとのことです。

「初午祭」が初夏に行われているというのです。

 

そのいっぽうで、2月11日を「初午いなりの日」と定めている業界があります。

一般社団法人全日本いなり寿司協会で、そのHPを引きます。

https://www.inarizushi.org/hatsu-uma-inari

◆「初午いなりの日(はつうまいなりのひ)」とは、毎年2月最初の「午の日」のこと。

  全日本いなり寿司協会では、2月11日を「初午いなりの日」として

  日本記念日協会へ正式に記念日登録し、

  関係各位のご協力のもとその普及に努めております。

 

「日本記念日協会へ正式に記念日登録」をしているというのです。

「2月11日を「初午いなりの日」として」とあって理由付けは察する他ありません。

ともかく、いなり寿司協会は、大阪の老舗のうどん屋と「祭日」が一致します。

いなり寿司協会のHPからの引用を更に続けます。

◆2月最初の午の日、稲荷神社では「初午(はつうま)」という大祭が行われます。

  また、初午の日は1年で最も運気が高まる日と言われており、

  その日に合わせて、稲荷神社のお使いである狐の大好物「お揚げ」を、

  いなり寿司として食べることで、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達・

  病気平癒など、様々な幸を願うのが「初午いなり」です。

 

タイトルの「狐の大好物「お揚げ」」が遂に出ました。

「狐の大好物「お揚げ」」なら大阪でも聞きました。

拙著≪8 阪急池田室町住宅の都市民俗≫を引きます。

◆ゴンデン堤というのは、能勢の妙見さん(大阪府豊能郡能勢町野間中)に

  お参りをする人が白装束で団扇太鼓を叩きながら通って行く土手道でもある。

  また、寒施行といって寒に狐に油揚げをやりに行く人がいたともいう。

 

寒施行といって寒に狐に油揚げをやりに行く」とあります。

「初午」でなく「寒施行」、「狐の大好物「お揚げ」を、いなり寿司として」でなく

「狐に油揚げ」です。

キツネの毛色と油揚げの色が相俟ってか?

寒施行が初午祭と混淆し、さらに寒施行の習俗を業界が

「初午いなりの日」として取り込んだと考えます。

写真図 油揚げを食べる可愛いキツネちゃん

寒施行につきましては、マイブログにも取り上げました。

≪万緑の浦江・大仁路報告 浦江篇:2024-06-02 10:37:57≫

  ↓アクセス

https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12854537705.html

◆浦江の八坂さん(素戔嗚神社)の参道は、

  大阪タワーが大淀にあったころはABCテレビの桜の名所でした。

  昭和40(1965)年頃まで一家で

  「寒の時にお腹を空かせている狐や狸をなだめる為に」寒施行に歩きました。

  「センギョーセンギョー ノーセンギョー」(施行施行 野施行)と唱えて、

  赤飯に油揚げを配って歩きました。浦江は、かつては「野」でした。

 

「 」内は会友からの報告の引用です。

大阪では、「いなり寿司」ならぬ「油揚げ」に赤飯を添えて遣りに歩きました。

もちろんボク自身、浦江辺りに野狐がいた記憶はありませんが、

怪異譚としては、天保6(1835)年成立『浪華奇談』「医生野狐を呵る」に舞台が

「浦江村」に近接する「曾根崎村」でありました。

本文および解説は

≪『浪華奇談』怪異之部(3)「医生野狐を呵る」:2017-10-21 12:52:18≫を

ご覧ください。

 ↓アクセス

https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12321486558.htmlグローバル Web アイコン

「医生野狐を呵る」は、つひまぶ vol.25 「キタの伝承話号」からも読めます。

 

究会代表 田野 登

今週の≪暮らしの古典≫158話は「張子の虎」とします。

今回は、年の瀬が迫る中、信貴山のお寺の縁起物です。

拙著『水都大阪の民俗誌』2007年、和泉書院を軸に

「大阪の春」を手探りする中、何処で見つかるやら?

拙著から「春」を検索してみました。

それらを下記のとおり、10項目に分類しました。

〖1 春の気象〗  〖2春の天文〗  〖3 春の風景〗

〖4 春の植物〗  〖5 春の動物〗  〖6 春の生業〗

〖7 春の遊興〗  〖8 春の寺社詣〗 〖9 春の行楽〗

〖10 春の衣服〗  

以下、しばらく上記の10項目を軸に記述します。

 

「春」を『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店に

当りますと、次の記述があります。

①    四季の最初の季節。陰暦では立春から立夏の前日まで、1月・2月・3月、

 気象学的には太陽暦の3月・4月・5月、

 天文学的には春分から夏至の前日までに当たる。〈[季] 春 〉

 

1月を「春」と称すのは「陰暦」であります。

『広辞苑』「春」の続きを載せます。

②    正月。新春。

 

年賀状の賀詞、新年を祝う行事などに使われる「新春」はこれです、

「初春」や如何?

接頭辞「初」に注目します。

③  (接頭辞的に)その人・物事にとってはじめてであること。

 その年・季節にとって最初であること。「―舞台」「―詣で」「―がつお」

 

「その年の最初」の用例として「初詣で」が挙げられています。

大阪における「初」を冠する習俗の一端は、

拙著≪1 近世大阪の都市民俗の展開≫からも窺い知ることができます。

まずは近世の名残から始めます。

◆『大阪府布令集』明治5(18722)年11月付「元日閉戸ノ風習打破」に、

 従来、商家において元日に表口を閉ざし「寂然晏眠するの風習」を改め、

 「相応に儀式を装ひ新年を祝し…(せよ)」との布告があるところからすれば、

 商家の元旦は、家にひき籠もっていたと考えられる。

 林春隆「大阪の初荷」(*『上方』49号)には、

 二日の初荷、四日の初市・初相場を記す。

 

拙著≪5 近代大阪の都市民俗の展開≫からは、

正月早々の触れ声が聞こえてきます。

◆正月について、高原護郎「初荷情景」(『上方』37号)には、

 明治初期まで行われていた一番船の遡行のありさまなどを記している。

 当時の大阪には水都の面影が残っていた。

 船本茂兵衛「正月雑片」(『上方』61号)に、

 かつての物乞い、初詣、地歌の祝儀物、初風呂、ハッタリ屋の賭事が記されている。

 (中略)梅原忠治郎「明治の新年情調」には、

 初詣、郭かたり、初相場、初芝居、松囃子が記されている。

 

芸事の盛んな地にあって相場師の声に紛れて、めでたい台詞が聞こえてきます。

この段に至って「初詣」に注目します。

まずは寺社で頒布される縁起物から初詣の有様を想像してみます。

拙著≪5 近代大阪の都市民俗の展開≫から引きます。

 

◆川崎巨泉「大阪の郷土玩具」(*『上方』創刊号)には、

 昭和6(1931)年当時の十日戎・初天神・初卯参り・初寅・庚申の日に

 神社から頒布などされる縁起物について述べている。

 それには、宝鈴・宝棒・土鈴・小宝・梯子・鳶口・木槌・銭筥、烏帽子

 かづら、つけ髭・小判・箕入福・繭玉・熊手・天神旗・魔除牛・土牛・土馬・

 木製の鷽・住吉踊りの人気傘・土製の猫・張子の虎・土の三猿・赤紙包の猿・七色菓子を    

 挙げている。

 

「初天神・初卯参り・初寅」は初縁日です。

タイトルの「張子の虎」が出ました。

「毘沙門天」は寅の日時に現れて

力を頂けるという信仰があるようです。

「張子の虎」なんぞ縁起物です。

写真図 張子の虎

 

可笑しみがあるものの

タイガースの虎よりも強そうでない?

 

当時の趣味人にとって、初詣は信仰の場というよりむしろ、

縁起物蒐集の格好の時でもあったようです。

この先は、実地調査に基づく聞書き資料を交えて、

「大阪の春」を紹介します。

去年今年(こぞことし)、課題「大阪の春」で橋渡し。

 

究会代表 田野 登

先週、語末の「春」の音読み「しゅん」を予告しましたが、

漢語の資料集を断念しましたので、

予定を変更して語頭に「春(はる)」を冠する語から

さまざまな「春」を探ることにしました。

テキストは『広辞苑 第七版』2018年、岩波書店です。

 

50音順に約100語挙げられている語彙を、次の15項目に分類しました。

〖「春」を冠する時候〗  〖「春」を冠する気象〗

3〖「春」を冠する昼夜〗  4〖「春」を冠する天文〗

5〖「春」を冠する風景〗  6〖「春」を冠する植物〗

7〖「春」を冠する動物〗  8〖「春」を冠する神・人〗

9〖「春」を冠する生業〗  10〖「春」を冠する行事〗

11〖「春」を冠する遊興〗  12〖「春」を冠する衣服〗

13〖「春」を冠する調度品〗 14〖「春」を冠する風情〗

15〖「春」を冠する情〗   

今回は≪1〖「春」を冠する時候〗≫を取り上げます。

 

「時候」といいながら寒暖といった感覚は

≪2〖「春」を冠する気象〗≫を立てていますので、その項に当てます。

はたして「時候」の何処に「春の湊」が出て来るやら?

【春待ち月】が挙げられています。

陰暦12月の異称」とあります。

原文の漢数字を算用数字に書き換えています。

今回、蒐集したデータに「陰暦」表記は、これのみで、

「陽暦」「新暦」「旧暦」も見えません。

断わらない限り「陽暦」「新暦」と考えます。

「異称」は、他に〖「春」を冠する植物〗〖「春」を冠する動物〗≫に見えます。

「陰暦12月」は、未だ暖かい「春」にならず待ち遠しい思いが感じとられます。

 

【春隣】【春の隣】が挙げられています。

後者には、次の記述があります。

◆春に近いことを空間的に隣と表現したもの。

晩冬、春の近づくのにいう。古今雑体「冬ながら―の近ければ」

 

「冬ながら」とあり、これも未だ「春」ではありません。

いったい、何時になれば「春」なのでしょう。

【春立つ】や如何?

◆春になる。立春の日を迎える。〈[季] 春 〉。

古今和歌集(春)「袖ひちてむすびし水のこほれるを―けふの風やとくらむ」

 

暦の上での「春」が来ました。

新暦では2月3日頃が「節分の夜」で4日頃に「立春」を迎えます。

「はる-さーる」とある項には【春さる】があてられいます。

◆ (「さる」は移動する意)春がくる。春になる。

万五 「ーればまづ咲くやどの梅の花

 

この「さる」に「去る」をあてれば大変です。

漸くやって来たのに、また去ってしまいます。

【春ざれ】があり、

「ハルサレとも。「はるさる」の連用形「はるさり」の転」とあり、

「春が来てうららかな景色になること」とあります。

 「うららかな景色」は何時まで続くやら?

【春先】は「春のはじめ。早春」とあって「春先の陽気」の用例が挙げられています。

【春方】や如何?

春方】は、「はる‐べ」にあてられて、次の記述があります。

◆(古くは清音)春の頃。万葉集(1)「―には花かざし持ち

「春の頃」の語義は【春つ方】にも見えます。

 

いずれにも見える「方」はへ【辺・方】の項の④に

「そのころ」とあります。

「春方には花かざし持ち」とあって御安心ください。

タイトルの【春の湊】や如何?

「湊」に冠された「春」とは、何時?

次の記述があります。

◆春の行き止まるところ。船のゆき泊まる港にたとえていう。

春の泊(とまり)。季語;春。

新古今春くれてゆくーはしらねども」

 

問題は「新古今春」の歌です。

*『日本古典文学全集』に当りました。

 *『新古今和歌集』日本古典文学全集26、第四版1976年、小学館

◆五十首歌奉りし時 寂蓮法師

暮れてゆく春のみなとは知らねども霞に落つる宇治の柴舟

 

「くれてゆく」に「暮れてゆく」があてられています。

頭注「春のみなと」には「春という季節の行き着くところ、の意」とあります。

「みなと」「とまり」につきましては1年半前、

真剣に考えました。

  ↓アクセス

https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12850082713.html

≪ミナト「水門」の地形 暮らしの古典75話:2024-04-28 09:24:14≫

「ト」は狭まった場所のようです。

*折口の引用の続きを記します。(下線は原文では傍点)

 *初出1919年1月、文会堂書店『万葉集辞典』の

≪みなーと[水門]≫の項

◆みなは水の形容詞的屈折で、

 水之[ルビ:ミノ]ではあるまい。

   今日の湊といはれてゐるのは、

 すべて海湾の船泊りの事であるが、

   海から川へ入る川口の、波除けに便な地をいふので、

 海から川口へ狭窄した地形をさしていふのである。

 

「湊」を「海湾の船泊り」とし「波除けに便な地」としています。

「湊」はゆっくりお休みになる場所です。

写真図 「湊」イメージ

「暮れてゆく春のみなと」は、「春の暮れ」でしょう。

テキストの【春の暮】には

「春の終わる頃。晩春。暮春」とあります。

【春の限り】には「春の終り。春のはて。〈[季] 春 〉とあります。

今回は〖「春」を冠する時候〗に、「春の湊」を見つけ、

「春」を総浚えして、「歳暮」ならぬ「暮春」にまで行き着きました。

 

究会代表 田野 登

今年も歳末恒例の夕陽を見る会を阪俗研で行います。

昨日、2025年12月20日、午後、

東野利明会友、今村一善会友と三人で、

人工島「舞洲」「夢洲」を経て天保山まで下見をしてきました。

コンセプトは、二つの人工島の来し方行く末を探索することです。

片や「大阪オリンピック」会場誘致に落選し、

いささかの「自然」が見え隠れする「舞洲」。

もう片方は「大阪・関西万博」で賑わい、

今やIR建設が進む「夢洲」です。

 

本日、今村会友が詳細な時程を作成中ですが、

先だって当日の集合日時と場所を載せます。

 集合日時:12月30日(火)12:30 

 集合場所:JR西九条駅改札口

以下の記事は下見報告で、若干、当日変更があることをご容赦ください。

 

まず、大阪シティバスで北港ヨットハーバーに出ます。

写真図1 北港ヨットハーバー

オフシーズンなのか人気はありません。

「北港」から淀川河口の眺めや如何?

ロケーションも良くて洒落ています。

常吉大橋を渡って舞洲へ。

 

ボクの関心は「スポーツアイランド」よりは「人口の磯」です。

写真図2 舞洲の人工磯からの東の眺め

ここで漂着物を観察します。

たくさんの流木に驚きます。

「東太湖の波路の末」は、瀬戸内のターミナル終着地でもあります。

外国産の怪しげなモノはまさか?

舞洲上空は鳥が舞い、海辺には鴨が泳いでいます。

松の木立に沿って、視線を西の方、神戸・須磨・明石に遣りながら歩きます。

程なくジョギング「磯コース」であることに気づきます。

途中、トイレ付近で「地域猫」の世話をしている男性に話しかけたところ、

「この島には狐や狸、それにヌートバーもいますよ」とのこと。

「ヌートバーなら伝法港にも数年前おりましたよ」と返事しておきました。

 

気になるのは「新夕陽丘」の展望台です。

すっかり万博のバックヤードとされていた緑地の先、

立入禁止のフェンス越しに展望台が見え隠れします。

渚の先端まで行ったところから「新夕陽丘」を直登しました。

写真図3 「新夕陽丘」からの西の眺め

陸地の窄まった所が明石海峡で、今日では大橋の鉄塔で分かります。

 

なんやかやと議論した末に「市岡の森」などの冬枯れの木々を眺め、

やっとのことで、南側のシーサイドプロムナードに出ました。

写真図4 シーサイドプロムナードのゲート

正面に見えるのが夢洲です。

万博が行われた「洲」とはいえ、数年前の光景と変わらず造成中です。

彼の地がIR用地とは?

写真図5 シーサイドプロムからの夢舞大橋の眺め

暫く数十台のクレーンが冬空に突き刺さっている光景を右手に見ながら、

夢舞大橋に向かいます。

左手には松の木立が続きます。

会友の何方かさんが「こんなとこ、カップルで歩けば…」とか?

冬らしからぬ陽気とはいえ、お寒い冗句です。

ボクにとっては念願の「渡橋」となる夢舞大橋です。

長らく工事中で「立入禁止」区域でした。

その眺めや如何?

写真図6 夢舞大橋からの舞洲

先ほど歩いて来た舞洲が「緑の島」に見えます。

シーサイドプロムの岸壁には乗用車が並んで見えます。

釣り客のクルマです。

北の磯とは好対照です。

視線を前に遣れば、もう夢洲です。

どちらさんが声を発せられました。

「(バンパクの大屋根)リングが見える!」

たしかに対岸からは見えにくかったリングが夕暮れ時に微かに見えます。

画像では可視不能につき当日、お楽しみに。

しばらく歩いた末に、やっと大阪メトロ「舞洲駅」に。

今回は、バンパクの残骸をめぐるツァーでもありましたが、

下見では日没サスペンデッド。

駅構内の階段はこのとおりです。

写真図7 大阪メトロ「舞洲駅」の階段

毎日のように混雑する様子が発信されていた「舞洲駅」の20251220です。

帰りに大阪港駅で下車して天保山を下見しました。

いつものサンセット広場で三人揃って「乾杯」。

本番より2時間遅れで、疾くに日も暮れていました。

証拠写真として海遊館前の電光装飾をワンショット。

写真図8 海遊館前の電光装飾

会友以外の一般の方の参加を歓迎します。

途中、飲食物の買い物の時間は無さそうです。

途次では、「各自ご安全」をお願いします。

お問い合わせは、tano@folklore-osaka.orgまで。

 

究会代表 田野 登

 

2025年12月6日(土)第23回「福っくらトーク」

「なぜ正月はめでたいのか」の話題提供をしました。

その後、いつものように和やかにトークしました。

 

写真図1 ポスター

    「福っくらトーク」代表・玉尾照雄会友制作

 

大阪市の「福島区コミュニティサロン」も23回になりました。

写真図2 表紙

     回数の「22」はまちがいで「23」が正しい数字です。

参加された「野球小僧」会友からのレポート「古代からの歳末信仰」が届きましたので

紹介します。

 

◆福っくらト~クで、

田野先生による「正月はナゼめでたいか?」を聴かせて頂きました。

民俗学の折口信夫さんの古代人の信仰のお話を交えて、

仁徳天皇の時代から宮廷や貴族社会で行われた信仰では、年の瀬が大事。

「今を春べ』と詠むのは、貴族社会で行われていた歳末の信仰と結び付く。

尊いお方も物忌みをなさる精進潔斎をなされる。

冬から春への短い時期には、人間の魂が不安定になる。

1年間の清めをして、来年はまた別になる。

正月は時間を更新する時。

清めて清々しい気分で新たな年を愛でるべく、

1年間に積もった穢れを払い、

要らない物を空っぽにする時。

大きな寺院ではすす払い、大仏さんはお身拭いをする。

これは迎春の行事の論理にかなっているという

お話を聴かせて頂きました。

 

以下、田野による書き込み。

たしかに、このようなお話をしました。

 

写真図3 コンテンツ

 1 NHKBS「美の壺」ウラ話「睨み鯛」の真相

2 「正月」という言葉

3 初春の「芸人」の記憶

4 正月の門付け芸人の正体

5 「王仁博士難波津歌」の初春の祈り

 

野球小僧会友からの「古代からの歳末信仰」は

結論の≪5 「王仁博士難波津歌」の初春の祈り≫の件に

焦点を絞ったレポートでした。

今日、この国では、歳末の迎春の行事は、

慌ただしさに紛れて見えなくなっていますが、

12月13日の「コトハジメ」など、正月を先取りした行事であり、

何故か、これから冬という時季に春を寿ぐのが、この国の行事です。

≪1 NHKBS「美の壺」ウラ話「睨み鯛」の真相≫では

30分番組の冒頭の6分をご覧に入れました。

昨秋、明石の「魚の棚」(ウオンタナ)の

魚秀という「焼き鯛」の老舗での収録でした。

「ボクの子どもの頃は、にらみ鯛と云って、

三が日は膳に飾り付け、正月元日から三日までの

その日の干支廻りの者が睨みつけて三が日を過ぎるまでは

誰も箸を付けることは許されませんでした。

じっと我慢の子でありました」。

この情景を井原西鶴『日本永代蔵』の「世界の借家大将」に

「掛鯛」の由来にまで話しましたが、カットされた無念を晴らしました。

 

≪2 「正月」という言葉≫の冒頭のコマは次のとおりです。

写真図4 ≪2 「正月」という言葉≫

大伴家持歌

「三月春正月一日於二因幡国庁一賜二饗国郡司等一之宴歌一首」の

三月春正月一日」の宴のあった「正月」は、陰暦「三月春」でした。

「正月」って何時?から始めました。

 

≪3 初春の「芸人」の記憶≫はご近所の「神農商業組合長」の家にやって来た

門付け芸人である獅子舞一行の記憶から、

平成2(1990)年度実施の「大阪市民俗資料調査カード」の「露天商」が

「十二月十三日の事始め」に歳神である神農の祭りを報告しました。

 

写真図5 ≪4 正月の門付け芸人の正体≫の冒頭のコマ

ここからが「折口民俗学」の世界です。

画像は国立国会図書館が公開している

「『人倫訓蒙図彙』寛文6(1666) 年」です。

覆面をした男女は、寿ぎ詞を触れて廻る人たちで、

折口は、彼らを「神人」(下級宗教者)、「芸人」、

更に「乞食者」と称し、「零落した神」と考えていました。

歳末、初春、年越しには、めでたい言葉を触れて廻り

金品を貰う人たちが徘徊していた時代がありました。

 

正月がナゼめでたいのかは、冒頭の野球小僧レポートに纏められています。

なお、表紙にあしらいました浦江八坂神社には、

「難波津に咲くや木の花冬ごもり 今を春ベと 咲くや木の花」の歌を

詠んだと伝わる王仁博士を祀る王仁神社が末社として鎮座します。

以上が、2025年12月6日(土)第23回「福っくらトーク」の報告です。

 

究会代表

新いちょう大学校講師 田野 登