パーキンソン氏の気怠い日々

パーキンソン氏の気怠い日々

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

その後、難病パーキンソン病の確定診断が付きました。やれやれの老後です。




前回、孫文や周恩来が通った中国料理店が、いまも営業していると書いたが、この漢陽楼という店がそれだ。

古い写真を見ると、いまとは別の場所にあったようだ。



中央のマカラズヤというカバン店の左がそれ。ついでに言うと、マカラズヤも健在だ。



マカラズヤの書体が変わっていないのに感動する(笑)。

閑話休題(あだしごとはさておき)



このビルに話はもどる。



ふと見上げて、目をこすった。こりゃ、赤瀬川原平がデザインした美学校のロゴじゃないの?



どうやら間違いないようだ。



美学校というのは、芸術ジャンルを包括的にあつかう私塾で、1969年、新左翼系の出版社・現代思潮社の社主、石井恭ニの発案によって生まれた。

石井は澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』の版元でもあり、澁澤ともども猥褻の罪で有罪判決を受けて名をあげた。



有罪判決を受けての会見。パイプの澁澤の右が石井。

ここで美学校で講師を務めたアーティストをざっと挙げれば次のごとし。

赤瀬川原平、山川惣治、加納光於、笠井叡、大和屋竺、木村威夫、あがた森魚、鈴木清順、大谷能生、高山博、澁澤龍彦、埴谷雄高などなど。

私は美学校の活動は、もう終わっていたのかと思っていたが、どっこい継続中。

Webに公開されている内部の様子をお借りした。















おしまい。










神保町の交差点を専大通りに向かって歩いてゆくと、右手にすぐ見えてくるのが、愛全地蔵通りと記されたプレートだ。


 
ただ2〜3年前にはこんなものは立っていなかったから、よく知っているつもりだったこの道の名前さえ私は知らなかったことになる。

それどころか、今度、ひさびさにこの道を歩いてみて、おのれの迂闊ぶりにつくづく呆れてしまった次第。



プレートの道路向かいに小さな公園があるが…記憶にない(笑)。



中に入るとこんな碑が。黒人さんたちが気になるけれど、まずは碑をご覧なさい(笑)。



東亜高等予備学校跡

なんと日本留学中の周恩来が籍を置いた学校だという。


碑には福田康夫の揮毫とある。たしか親父の赳夫が中国と条約を結んだんじゃなかったっけ。

ただこの公園、何度も改修していて、当初とはだいぶ様子が違っているようだ。

古い写真を見るとこんな感じ。


このほうが私は好きかな。

当時、周恩来は19歳。



近くには周や孫文が通った中国料理店も健在だ。



こちらは白山神社の孫文碑。

さて通りに戻ろう。



さっきの美しい黒人さんたちは、この現場から休憩に来ていたのか。

それはそうと、奥に見えているでしょう(笑)



これが、通りの名称の由来と思われる愛全地蔵尊。





立派な御姿だ。



そして、この斜向かいにはこんなビルが。



60〜70年代風の懐かしいビルだが、それはまぁよろしい。

次回は、このビルのテナントについておしゃべりしたい。






もう一人と言っては失礼なのかもしれないなぁ。

しかし、私がリンクさせていただいている中に、同姓同名、かつ同年生まれの仏文学者・鈴木信太郎を熱烈に愛する方が幾人かおられて、ついこう呼びたくなってしまうのだ。

仏文学者・信太郎については、少し前に記念館を訪れたので、その時の記事を下にリブログしておく。

今回の信太郎は画家。仏文学者も画家もともに芸術院会員だった。

画家はこんな童画風の絵を描いた。



私は案外、こういうものも好き(笑)。

こういう絵だから一般受けするのだろう。洋菓子店の包装紙をいくつか手がけている。





学芸大学のマッターホーン。





長崎のクルス。



これも長崎・福砂屋。二九三八(笑)。画家の書き文字か?




こちらは、西荻窪の名店・こけし屋。



こけし屋の旧店舗には、壁画もあったようだ。

ところで、洋菓子はわかるが、こんなものもある。神田志乃多寿司。黄色の包装紙は鈴木信太郎だが、中の折箱の蓋は、なんと週刊新潮の谷内六郎だ! どうしたらこういうことになるのか(笑)





しかも信太郎バージョンもあるらしい(笑)







そして、これは谷内六郎単独の横須賀・大津坂倉のかすていら。

探せばまだあるだろう。