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出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

こんな演奏会があった。




おそらく、私がリンクしていただいているコアなクラシックファンの方々は、見向きもしないプログラムであろう。


このプログラムは、私が身を入れてクラシックを聴くようになる以前、小学生の低中学年時分に、百科事典のオマケについていたレコードで聴いていた内容に近い。


このうち、今は人気がなくなって演奏機会のほとんどない、軽騎兵序曲の生演奏を私は初めて聴いた。


こういう曲はコバケンの独擅場である。


それに加えて、演奏会場への興味があった。


人見記念講堂は、サントリーホール、東京芸術劇場、オーチャードホール鼎立時代以前の、代表的なクラシックの会場だった。私は30年以上前に、ヘンリク・シェリングのリサイタルをここで聴くはずだったが、シェリングの突然の死により払い戻しとなった。


ホールはそれから改修、大リニューアルを経ているそうだが、ともかくも初めて座る席であった。












音はいいと思った。



84歳となったコバケンの音楽は、まだまだ躍動感に溢れた素晴らしいものだが、どうかするとスッペもベートーヴェンも同じような内容に終始するところが問題のようだ。

マチネであったから、開演前に三軒茶屋の街をさっと歩いた。



10年前に閉館となった映画館。









3年前から臨時休業を続ける銭湯。







横丁風景。

なかなか魅力的ではないか(笑)





まずは信心の話である。

赤坂の豊川稲荷の境内にある摂社・融通稲荷に詣でるようになったいきさつは、以前、ブログにまとめたので、それを再掲しておく。



赤坂見附側の入口から、まっすぐに奥の茶店のようなところに行って、餅で作ったお供えを買う。



ここは店の中には入ったことがない。意外にビビりなんで(笑)。



ガラスケースの左端に、舟形の経木が見えるだろう。私が供えたものだ。

黄色いポチ袋みたいなものに入った銭を拝借し、去年借りた銭を返す。
失業しかけたときに縋って助かった(と思っている)。



芸能人もお縋り申す(笑)



こちらが本堂の狐。本殿ではないのだ。ここはお寺さんなのである。神仏習合ですな。

さて、先ほどの茶店の横にも出入口があって、こちらから出ると、青山通りをはさんだ向かいに現代建築が見える。



和菓子の虎屋赤坂店だ。



なかなかいい感じ。



木が目立つがクマさんじゃないよ。
虎屋なんです(笑)。



設計は、とらやの支店をいくつか手掛けた内藤廣。海の博物館、牧野富太郎記念館、ちひろ美術館など。



店内に飾られた、正体不明の虎。



さて、とらやの右隣にこんなものがある。駐車場の上に乗っかったお社だ。



美喜井稲荷。

猫のお稲荷さんだ。狐は豊川さんに全部出払って、虎の子分が狭いせまいこの場所に祀られている。







なかなか美形なのである。







新宿駅の再開発が活発である。


南口はバスタの開業で一息ついたと思ったが、甲州街道をはさんで対面する小田急ミロードの解体が決まったようだ。


これは現在、西口で進行中の小田急百貨店の超高層化に連動するもので、坂倉準三の名プロジェクトがこれによって失われた。


残るは東口側だが、こちらもアルタの閉鎖も含めて、巨大な再開発の波に呑み込まれることだろう。


その新宿駅周辺が、再開発前の形をととのえたのは、やはり前のオリンピックの前後で、地下道メトロポリタンプロムナードの開通が1959年。


東口改札からこの地下道に接続するスロープに、モザイク壁画が設置されたのは、まさにオリンピックの年である1964年だった。




緩い曲面は技術的に難しそうだがどうだろう。



私がこれを初めて見たのは1979年だったと思うが、当時よりきれいになったように見える。



上の黒いのが昔からある掲示板だろう。わかりやすさでは優るかもしれないが、下のはつまらないなあ。



作者は佐治正(賢使)。
後に文化勲章受章にまで登り詰める漆芸家だ。



漆芸には象嵌という、モザイクに似た技法が用いられる。



ただし、本作での佐治の関与は下絵まで。



制作はガラスモザイカ販売という集団によるものとされる。





作品名は不詳だが、いくつかのサイトが「鳥と魚のプロムナード」というタイトルで、本作を取り上げている。



佐治のサイン。



3年前の佐治の回顧展。




たぶん協賛と思われる企業の銘板。



あるブログに、この先にバラエティショップの走り、王様のアイディアの出店があったと書いてあった。私も記憶にある。



こんな感じだった。