こんにちは✨
一昨日に映画『国宝』を観て、その帰りに原作を買いました。
👇映画の乾燥シェアのブログです
面白くて2日で読んじゃったよ!
読んで良かったよ!
なんなら映画より原作が好み。
※以下めっちゃネタバレありでの感想シェアなので、映画や原作未読の方はお気をつけください🙇♀️
原作めっちゃおもろいやん!
一言でいうと、面白かった〜!
人間ドラマ盛り盛り。喜久雄の人間臭さとか、家族とのゴタゴタとか、たくさん!!
田辺聖子や山崎豊子が好きな方なら、原作結構いけるんやないかなぁ。
映画よりおもろい。でもそう思えるのは原作を読みながら映画の映像イメージを補填できるからこそ。私の中で喜久雄はレスリーチャンに脳内変換されてますが😂
歌舞伎知らないから原作での演じるシーンとかは映画のイメージを浮かべつつ読めたの良かった。
映画だと国宝になることがクライマックスみたいになってるけど、原作のラストの方が好みです。
映画には長崎時代からの親友、徳次がいない。重要人物の辻村も出てこない。
「原作と違うからダメ!」みたいなヤボなことは言いませんw
でも全然違いました。
映画はアートな感じであり、美であり、深刻な感じの印象を受けたけど、原作は少しコミカル。軽い。読みやすい。だからといって浅いわけではなく、人物描写が丁寧なので、感情移入しちゃう。
映画だけだと、喜久雄は深刻で孤独で孤高な感じですけど、違うのよ。いや、もちろん芸においてはとんでもない高みにいってしまうから孤高ではある。
けど、原作では人間臭さがすごく魅力的でして、不器用すぎてどんなご贔屓さんにも愛想はできないけど、心を開いた人間には軽口叩くし、ものすごい義理堅い。映画ではわからなかった喜久雄の良さを感じられました。
あと、映画の冒頭しか出てこなかった「徳次」が原作では最後まで出てくる。しかもすごーく喜久雄を支えてる。徳次が中国に旅立つ時だって、喜久雄が「この世界に入ってずっと徳ちゃんだけ味方やったわ」って伝えるんだよ。なんだ、喜久雄は俊介だけじゃなく、徳次という素晴らしい相方がいたんや!ひとりぼっちじゃない!と作り話とは知りつつホッとしたのでした(笑)
公私に渡って心の支えの徳次が映画ではさっぱり出てこないのは、徳次を出しちゃうと、話の軸が変わってきちゃうからかなぁと想像。
徳次が中国で興した社名がまたグッとくる、、。
あとは辻村。この人すごい大事なのに映画に出てこない。喜久雄の父親の仇でありながら、辻村はそのことは伏せて、喜久雄を支えていく立場。
最後に病床の辻村が喜久雄にそのことを告白するシーンとかは映画にしても良かったんじゃぁ、、?とは思ったけどそんな人間ドラマなカタルシスは映画では要らない…のかな?と。というか映画の伝えたい「美」が野暮ったくなっちゃうのかな?と。
なんて色々と思い巡らしておりました。
魅力的な女たち(幸子、春江、彰子、市駒、綾乃、マツ)
映画だと感情的でいけずな幸子(俊介の母)。
予告編でも「喜久雄は野暮やで」と言い放っていたけど、原作にはその台詞はありませんでした😅
それどころか、幸子は「女は度胸」を地でいく感じなのです。👇
とつぜん俊介の出奔のあと、憎もうと思えばいくらでも憎めるはずの喜久雄の出演舞台のために初日には劇場入り口立ち、贔屓筋に挨拶に回ってくれたのも彼女なら、一人暮らしを始めた喜久雄のために、女手がないと困るだろうし、逆に炊事洗濯などして所帯臭さなど出たら、和事(わごと)のぼんぼん役などできるわけないと、女中のお勢を頻繁に通わせてくれたのも彼女でして、その上さらに、市駒のことは全面的に面倒を看ると買って出て、その言葉通り、綾乃が無事に産声を上げ、市駒の産褥期が明けるまで大阪の自宅に同居させて世話までしてくれたのであります。
(『国宝(上)青春編 262項より)
そんなことしてた様子は映画ではさっぱりわからんかったから、幸子がこんな器の大きな人だったとは、、。
もちろん憎まれ口を喜久雄に叩くけど、実際に力になってくれてるわけなので、読んでいても「そりゃ感情はそうやんな」って思うのでした。
喜久雄の育ての母、マツも映画では冒頭のみですけど、喜久雄が大阪に出た後も、経済的に困窮し、女中に戻ってまで喜久雄に仕送りを続けていたり、襲名披露の公演の時はマツも観に来ているのです。
喜久雄の娘、綾乃も映画では最後の重要なシーンに登場して喜久雄と久しぶりに再会していますが、原作では小さな頃からやりとりはあり、綾乃が結婚する時には披露宴に父親として参加してたりします。
何なら、喜久雄の策略で抱かれた彰子だって、すぐに喜久雄から騙していたことを告白され、「騙すなら最後まで騙してよ!」と言い放つところとか、彰子の父親も最初は喜久雄との仲を認めなかったけど、あることがあって喜久雄を認めて「歌舞伎に戻ってこい」って伝えるとか。
など、など!
そういった描写が映画にはないので、ひたすら喜久雄の孤独が感じられてしまうのも、映画が「美」に振り切ってるからなんかな?と思ったりします。
こんな情報量、映画に入らんよね、、。
そこ祈るん?(驚)
あとビックリしたのが、喜久雄が祈るところ!
映画では「◯◯◯と取引成立や」と綾乃に伝えて綾乃が表情を無くしておりましたが、確かに原作でもそのシーンはあります。
けれど!
それ以外の家族のことで喜久雄はめっちゃ祈ってることに驚きました。
初孫誕生と娘婿の横綱昇進を楽屋で同時に受け取りました喜久雄、さすがに我を忘れて楽屋を飛び出しますと、ここ最近朝夕に願掛けしておりました歌舞伎稲荷に向かって乱れた浴衣の胸元を合わせ、「おかげさまで無事に産まれました。ありがとうございます。おかげさまで横綱になりました。ありがとうございます。」と頭を下げたのでございます。
(『国宝(下)239項より)
もちろん◯◯◯と契約のために祈っていたことは、綾乃との関係に暗い影を落としてその後にも影響していくのですが、それでも普通の親のように神仏に祈るシーンが肉付けされていると、喜久雄への見方がまた変わりました。
原作の好きなシーン
という感じで、つらつらと書いちゃいましたが、本読めて良かった〜!映画も観れて良かった〜!
最後に原作の好きなシーンをば。出奔した俊介が春江と実際にどんな暮らしぶりだったのかは映画のシーンにはないので、連続ドラマ化してほしい😆
もちろん徳次と辻村も出してもらって「芸の道✖️父親の仇は誰?」の2本軸で笑
ある晩、いつものように同衾しておりますと、「これ眺めとっても、もう喜久ちゃんの顔、浮かんでこんようになったわ」
俊介がそう言って春江の背中にある刺青を指で撫でます。
「…なぁ、春江、なんでこれ彫ろう思たん?そないに喜久ちゃんのこと好きやったんか?」
喜久雄のことが好きだったのは間違いございません。
ただ、この刺青を入れながら、その一刺し一刺しの痛みに耐えていた十五の自分が胸のうちで呟いていたのは、
「負けるもんか。誰にも負けるもんか」
(『国宝(下)71項より)
momoko
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