普通人の映画体験―虚心な出会い -30ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2018年4月24日(火)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:30~鑑賞。

作品データ :
原題 THE POST
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 116分




スティーヴン・スピルバーグ監督のもとで、メリル・ストリープとトム・ハンクスという2大オスカー俳優が初共演を果たした社会派実録ドラマ。ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内に反戦の気運が高まっていた1971年、時の政権がひた隠す“都合の悪い真実”を明らかにすべく奔走したジャーナリストたちの命懸けの戦いを描写する。『コンテンダー』のサラ・ポールソン、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』のボブ・オデンカーク、『シェイプ・オブ・ウォーター』のマイケル・スタールバーグ、『デビルズ・ノット』のブルース・グリーンウッドらが出演。

ストーリー :
1966年、ベトナム視察からアメリカへ戻る国防長官ロバート・マクナマラ(ブルース・グリーンウッド)に、泥沼化するベトナム戦争について報告した男の姿があった。しかし、メディアから「アメリカの勝利への展望」について聞かれると、マクナマラは「飛躍的に進展している」と答える。
その後、男=ダニエル・エルズバーグ(マシュー・リース)は、自らがアナリストを務めるランド研究所から文書を持ち出し、コピーをする。タイトルは「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史」。そのすべてに“トップシークレット”の記載…。
1971年、ワシントン。夫が自殺したため、ワシントン・ポストの発行人・社主となって数年のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)。社の株式公開を控え、書類作業に没頭するキャサリンだったが、経験が浅く、会長であるフリッツ・ビーブ(トレイシー・レッツ)が代わりに発言することも多い。それでも、男性優位の社会の中で、礼儀正しさを保ちながらも筋を通すやり方を心がけていた。ポストの編集主幹、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)との朝食会へ出かけたキャサリンは、リチャード・ニクソン大統領の娘の結婚式の取材からポストの記者が拒否されたと告げる。加えて女性の読者が減っていると話すが、指図をするのはやめてくれとベン。ニューズウィーク誌からキャサリン自身が引き抜いたベンは、編集方針に口を出されることを嫌っていた。しかし社主として、一人の人間としてキャサリンを認めていた。
ベンはニューヨーク・タイムズの敏腕記者、ニール・シーハンが姿を見せないことに気づき、近々タイムズにスクープが掲載されるのでは、と危惧する。その予感通り、タイムズの編集局長エイブ・ローゼンタール(マイケル・スタールバーグ)の元へシーハンから極秘の記事が届けられる。
タイムズに掲載されたのは、ベトナム戦争に関する調査報告書の一部。そこには4人の大統領、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンが、ベトナム戦争に関する嘘をつき、マクナマラは1965年にはすでにこの戦争に勝てないことを知っていたことが明かされていた。ニクソン大統領はタイムズが機密保護法に違反していると激怒し、厳罰に処すよう指示を出す。
タイムズに負けじと、ポストの記者たちは文書入手のために動き出す。ポストを一流紙へと押し上げたいベンは、古くからマクナマラと友人付き合いがあるキャサリンに、マクナマラから文書をもらうよう説得するが、彼女はそれは犯罪行為だと拒否する。
しかし、以前ランド研究所に勤めていたポストの記者、ベン・バグディキアン(ボブ・オデンカーク)が元同僚のエルズバーグと接触し、文書のコピー7000ページ以上を受け取ったことで事態は急変する。掲載すれば、タイムズ同様にポストは罪に問われ、株式公開ができなくなる可能性が高い。
会社の存続を第一に考えるフリッツやその他役員たちは掲載に反対するが、ベンは言う、「報道の自由を守るのは報道しかない」。その“報道の自由”は、キャサリンの、社主としての、そしてジャーナリストとしての決断に委ねられていた…。

▼予告編



▼特別映像 ”新たな時代” :



▼特別映像 “The Craft” :



▼特別映像 メリル・ストリープ×トム・ハンクス :


【2大オスカー俳優メリル・ストリープ(Meryl Streep、1949~)×トム・ハンクス(Tom Hanks、1956~)。2018年現在、ストリープはアカデミー賞で俳優としては史上最多となる21回ノミネートされ、その内、『クレイマー、クレイマー』(1979年)で助演女優賞、『ソフィーの選択』(1982年)と『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年)で主演女優賞を受賞。また、ハンクスは同賞で5回ノミネートされ、その内、『フィラデルフィア』(1993年)と『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)で2年連続、主演男優賞を受賞。私はこれまでに、(記憶の糸をたどると)ストリープの出演作については前掲のアカデミー受賞3作を含む少なくとも20作以上を、ハンクスの出演作については前掲のアカデミー受賞2作を含む少なくとも15作以上を鑑賞した。ストリープ、ハンクス二人とも、折り紙付きの優れた演技力の持ち主。本作でも私は二人の登場シーンを、終始ゆったりと安心した面持ちで、ひたと見入ることができた。とりわけキャサリン(ストリープ)が経営(会社存続)か報道の自由かの間で難しい判断を迫られたとき、当たり前のように後者を選択する場面が圧巻だった。夫亡き後、新聞社を引き継ぎ、無能で社交好きな女性オーナーと蔑まれ、差別されて来た彼女が、あっさりと「ペンタゴン・ペーパーズ」掲載を即決する…。それは場面が場面だけに、観る側としては肩透かしを食らうほどに実に軽妙にして味わい深い演技だった。】
2018年4月24日(火)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、15:25~鑑賞。



作品データ :
原題 THE ONLY LIVING BOY IN NEW YORK
【原題はアメリカの人気ポップユニット、サイモン&ガーファンクルの楽曲名「The Only Living Boy in New York」(邦題:「ニューヨークの少年」)[アルバム「Bridge over Troubled Water」(邦題:「明日に架ける橋」、1970年)の収録曲]が使用されている。】
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 ロングライド
上映時間 88分


THE ONLY LIVING BOY IN NEW YORK

『(500)日のサマー』『gifted/ギフテッド』のマーク・ウェブ監督が、サイモン&ガーファンクル、ボブ・ディランらの名曲にのせて贈るNYへのラブレター。ニューヨークの悩める青年の大人への通過儀礼をほろ苦いタッチで描いた青春ストーリー。主人公の青年トーマスを演じるのは、『グリーンルーム』の英国俳優カラム・ターナー。出版社を経営する父役を『007』シリーズのピアース・ブロスナン、母役を『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズのシンシア・ニクソン、主人公に人生のアドバイスを授ける小説家役にオスカー俳優ジェフ・ブリッジス、父の愛人役に『アンダーワールド』シリーズのケイト・ベッキンセールが名を連ねている。

ストーリー :
ニューヨーク、マンハッタン(Manhattan)。大学卒業を機に、アッパー・ウエストサイド(Upper West Side)にある親元を離れ、ロウアー・イーストサイド(Lower East Side)の安アパートで一人暮らしを始めたトーマス・ウェブ(カラム・ターナー)。彼は作家を目指していたが思うに任せず、就職はせず個人教師のアルバイトをしながら、未来の自分がいるべき場所を探している。古書店(The Pale Fire)で働くミミ(カーシー・クレモンズ)に夢中だが、彼女には既にバンドマンの恋人がいた。平凡で何か鬱々とした毎日のトーマスがある日、アパートに帰ると、2階に越してきたというジェラルド(ジェフ・ブリッジス)という風変わりな初老の男と初めて出会う。
トーマスはその知性や謎めいた魅力に惹かれて、ジェラルドに人生の相談をするようになっていく。トーマスの父イーサン・ウェブ(ピアース・ブロスナン)は、出版会社を経営し、安定した生活を送っているが、トーマスが作家になるのを拒んでいるかのようで、父子間に微妙な隙間風が吹いている。
ある日、ミミとナイトクラブ(The Box)に出かけたトーマスは、イーサンがセクシーな女性とデートしている場面を目撃する。躁鬱病を患う母ジュディス・ウェブ(シンシア・ニクソン)を案じたトーマスは、父と愛人ジョハンナ(ケイト・ベッキンセイル)を別れさせようと決意。彼女を尾行するようになるが、程なく彼女に気づかれてしまう。フリーの編集者で、父とは1年半前から付き合っていると告白するジョハンナ。「母から父を盗む気?」と責めるトーマスに、「無意識に人は行動している。あなたも私に対して無意識に求愛している」と彼女は意味深に言ってのける。やがていつの間にか次第に、ジョハンナの底知れぬ魅力に溺れて、深い関係に落ちていくトーマス…。
そんなトーマスの毎日の話を真摯に聞くジェラルド。ある日、トーマスはジェラルドが、12冊も本を出したジュリアン・ステラーズという有名な作家であることを知り、また“The Only Living Boy in New York”という題名で自分のことを本にしていることを知る。
ジョハンナは泥沼化する前にトーマスとの関係を終わらせようとしていた。あるパーティーの日、ジョアンナはトーマスに、イーサンにプロポーズされ了承したことを告げる。逆上したトーマスは翌日、イーサンの出版社に飛び込み、そこに居合わせたジョハンナの制止を振り切り、父に「彼女と寝た」と打ち明ける。憤慨し泣かんばかりのイーサンは、部屋から出て行ってしまう。
事態が混乱する中、ジョハンナは「彼はあなたを本気で愛しているのよ」と言って、イーサンが飾っていた、一枚の新聞記事を挟んだフォトフレームをトーマスに渡す。そこには学生時代のトーマスがテニスの試合で活躍したときの写真があった。イーサンが戸惑いながら、その写真に目をやると、何と後方の観客の中に馴染みのある顔の男=ジェラルドが写っているではないか!?
慌ててトーマスはジェラルドのもとに駆けつけたが、彼は不在だった。机の上に「ブルックリン・イン(The Brooklyn Inn)」と名前の入った灰皿を目ざとく見つけて、トーマスは部屋を飛び出した。ブルックリンにあるそのバーのカウンターに座っていた彼に、トーマスは問題の新聞記事を見せる。
ジェラルドの告白は驚くべきものだった。彼とトーマスの両親は、皆アーティストで仲の良い友達同士。3人で安酒とドラッグをやり、青春を謳歌していた。イーサンは自分の才能に見切りをつけ、やがてジュディスと結婚する。しかし、イーサンは不妊症で、二人とも彼の代わり(代理父)をジェラルドに望んだ。引き受けたものの、ジェラルドはジュディスを愛していることに気がつく…。トーマスは実の父がジェラルドであることを知った。話し終えて涙ぐむジェラルドの肩に、トーマスはそっと腕を回すのだった。
母の所にやってきたトーマスは、ジェラルドに会ったことを告げる。「何を知ったの?」と問う母に「母さんの罪悪感の元だよ」と応えると、母は取り乱し始めた。「僕は許してる!母さんは25年間、公園のベンチに座ってあの人の本を読んでいたんでしょ?」
「内緒にしていたのは私の意志よ。彼に会ったら何もかも崩れてしまう」と呟く母に、「何もしなくても崩れたよ」とトーマスは優しく言う。二人は手を握り合い、静かに微笑み合った。
一年後のこと…。トーマスがメールを開くと、「残念ですが原稿をお返しいたします」と出版社から返信が届いていた。書店を営みながら、彼は再び書き始めていた。そこに発売された、ジェラルドの小説“The Only Living Boy in New York”を求めて、イーサンが訪ねてくる。
二人はセントラルパーク(Central Park)を一緒に歩いた。「本の感想は?」とイーサンは尋ね、「父親の過去に一番驚いた」とトーマスは答える。「どっちの?」「逃げなかったほうの」トーマスがそう答えると、父イーサンは微笑んだ。
“The Only Living Boy in New York”の作者による朗読会がギャラリーで開催されていた。自作を読むジェラルドの姿を一番前の席に座って見つめる母の姿があった。その姿をトーマスが優しく見守っていた―。

▼ Trailer



▼ Simon & Garfunkelの名曲「ニューヨークの少年」が流れる劇中シーン→予告編 :



■私感 :
私は“ニューヨーク映画”~ニューヨーク(New York City)の街が息づく映画~がこよなく好きである。
子供の頃からNYに憧れ、2000年前後にNYマンハッタン(ミッドタウン・ウエスト)の住人だった私にとってニューヨークは、とりわけマンハッタンは、格別な親近を感じる場所にほかならない。単なる「観光地」ニューヨークではなく、「暮らす街」ニューヨークを陰影豊かに描き出す映画は、そのストーリーに難があろうとも、私という一人の映画好きの普通人を、知らず知らず磁石のように惹きつけてきた。
私は数知れないほどたくさんのNY映画を堪能しつづけた。古くは、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『ウエスト・サイド物語』(1961年)、『ゴッドファーザー』(1972年)、『タクシードライバー』(1976年)、『アニー・ホール』(1977年)、『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)、『マンハッタン』(1979年)、『アニー』(1982年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)などなど。最近では、『華麗なるギャツビー』(2013年)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)、『LIFE!/ライフ』(2013年)など…。

※ ニューヨーク映画と言えば、すぐに連想が働くのが監督・俳優として活躍するウディ・アレン(Woody Allen、1935~)の存在だ。アレンは見るからに冴えない、ちんちくりんのオジサンながら、天才肌の名監督。自分が生まれ育った大都会ニューヨークを舞台にした軽妙で洒脱な作品を数多く世に送り出してきた。アレンの数あるニューヨーク映画の中でも、私が今なお忘れがたい傑作を強いて1本に絞れば、それは1979年公開の「大人の恋愛映画の教科書」とも言われる(前掲)『マンハッタン』(原題:Manhattan)である。同作はウディ・アレン監督・共同脚本・主演、ダイアン・キートン、マリエル・ヘミングウェイ、メリル・ストリープら出演で、1970年代のニューヨーク・マンハッタンを舞台に、一人の中年作家と彼を取りまくニューヨーカーたちのビタースイートな恋愛模様やライフスタイルをウィットの効いたセリフで品よくユーモラスに描くロマンティック・コメディ。

また、本ブログに掲載のNY映画に限って言えば、
『はじまりのうた』(2013年)(本ブログ〈March 20, 2015〉)、『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』(2014年)(本ブログ〈February 11, 2016〉)、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(2014年)(本ブログ〈November 21, 2016〉)、『キャロル』(2015年)(本ブログ〈October 05, 2016〉)、『ブルックリン』(2015年)(本ブログ〈October 06, 2016〉)―この5作を通して、私は今更のように、NYの街を舞台に、他の都市では成立しないような独自の青春像や家族像、あるいは人間関係を縁取るニューヨーク映画~色とりどりの、ニューヨークへのラブレター~の妙味を満喫した。

そして今度、本作を鑑賞する機会を得た。
上映時間約1時間半、最初から最後まで見応えを感じさせる映画だった。
このニューヨーク映画に特徴的なのは、単にNYが舞台になっているというだけでなく、NYこそが主役の物語であること。だからこそ、私の本作への好感度が否応なく高まるというものだ。
トーマスの住むロウアー・イーストサイド、ジョハンナの住むソーホー地区、ウェブ夫妻の住むアッパー・ウエストサイド、ジェラルドの行きつけのバーがあるブルックリンのボーレム・ヒル地区…。
その、どこもがかつて私が足の向くままに歩き回った場所だが、こうして映画に見入るとき、芸術・音楽・文芸にどっぷり浸かった、スタイリッシュで魅力的な芳香を放つニューヨークという街のたたずまいにひたすら感じ入る私ではあった。

ストーリー自体~NYの過去=親世代(特に「父親イーサン」)とNYの現在=「息子トーマス」の関係を起点かつ基点とする~も深みがあり、毒あり、驚きありで、大いに魅惑的。クライマックスのある一点で、ああそういうことだったのかと、すべてを氷解させる映画作りは見事!

ただし、私は本作キャストの陣容について素朴な疑問を抱く。
問題点は肝心の主人公が充実した脇役陣に完全に食われてしまったこと。
私の見るところ、ジェフ・ブリッジス(Jeff Bridges、1949~)とピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan、1953~)の大物俳優はもとより、シンシア・ニクソン(Cynthia Nixon、1966~)も、ケイト・ベッキンセイル(Kate Beckinsale、1973~)も、そして若いカーシー・クレモンズ(Kiersey Clemons、1993~)も、それぞれが脇役固有の存在感を膨らませて真に迫った魅力的な演技を披露している。
問題は主役を務めたカラム・ターナー(Callum Turner、1990~)の側にある。彼の演技たるや、映画全般にわたって、何ともメリハリの利かない中途半端な態度に終始したのではないか。

監督のマーク・ウェブ(Marc Webb、1974~)はカラム・ターナーの抜擢について、「…大人と少年の狭間にいる俳優を探す必要がありました。ジョハンナが恋に落ちても不思議ではなく、しかし同時にミミのような女性ともデートしていそうな男性。とても微妙なバランスを求められます。作品を通して観客がトーマスを応援できることがとても重要です。カラムはこの役柄をとてもよく理解していましたし、大人と少年の両面の存在感を持っていて完璧だと思いました」(映画パンフ『The Only Living Boy In New York』〈2018年4月14日発行/編集・発行:松竹株式会社事業部〉29頁)とコメントしている。
なるほど、大人と少年の狭間(はざま)で反抗期を抜けきれないトーマス→見知らぬ隣人ジェラルド(ジェフ・ブリッジス)と父の愛人ジョハンナ(ケイト・ベッキンセイル)との二つの出会いを通して、予想外の“自身と家族の物語”に直面するトーマス、この悩ましい青年像を鮮明に刻むことは容易な業ではない。
とはいえ、主演の主演たるゆえんは、そうした難役をこなしてこそのものだろう。
ウェブ監督により「大人と少年の両面の存在感を持っていて完璧だ」と“上げ底”評価を下されたターナーだが、私自身は映画シーンに登場するトーマス=ターナーの存在自体にしっくりした感情が湧かず、どうかすると彼の言動のもどかしさにイライラが募るばかり…。
私にあっては、主人公トーマス=ターナーが自ら、大人でもない少年でもない、少年→大人への形成史的な“息苦しさ”を一身に引き受ける覚悟のほどが、まるで伝わってこないのだ。
彼トーマス=ターナーに心情的に共感できないとき、ややもすると私の目に飛び込んでくるのは、風采の上がらない背高(せいたか)のっぽの彼であったり、嘴(くちばし)の黄色い青二才の彼であったり、幼稚な情熱に駆られる生意気な若造の彼であったり…。
私はついつい勝手な臆測をたくましくする。生粋の(マンハッタン生まれの)ニューヨーカーを若いイギリス人俳優が演じること自体、どこかに無理があるのだろうか…と(カラム・ターナーは1990年2月15日、イギリス、ロンドン出身。2010年よりモデルの仕事を始め、その後、俳優に転身)。

トーマス・ウェブ役を演じたカラム・ターナーは、『(500)日のサマー』のトム・ハンセン役を演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットの“二代目”であると言われる(cf. 前出の映画パンフ、6-7頁)。
『(500)日のサマー』(原題:(500)Days of Summer、2009年)は、ミュージック・ビデオを多く手掛けてきたマーク・ウェブの長編映画デビュー作で、Downtown Los Angelesを舞台に、運命の恋を信じる男と信じない女が繰り広げる、ビタースイートな500日ラブストーリー!音楽から会話に至るまでセンスのいい演出が際立つ、批評家に絶賛された作品である。
私は2009年10月12日、初めて行った香港の、たまたま入った映画館で同作(字幕は中国語)を鑑賞。全編に清涼の気がみなぎる、すこぶる後味のいい映画だった。今風の若い男女が軽く戯れ、薄く交わる、そのユニークなロマンティック・スタイルが、何とも面白く楽しい!偶然の成り行きとはいえ、犬も歩けば棒に当たる、私は香港くんだり(!?)で予想外の快作に出会って欣喜雀躍!
それより何より、主人公のトムに扮するジョセフ・ゴードン=レヴィット(Joseph Gordon-Levitt、1981~)が実にいいのだ!知性とユーモアがきらめく甘いマスクで、愛する女性との異なる恋愛観に翻弄されるナイーブな20代の青年の生き生きした姿をさわやかに好演している。
彼は同作で第67回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。以降、大ブレイクし、話題作に次々と出演している。
彼の出演作については、私はこれまでに、『インセプション』(2010年)→『50/50 フィフティ・フィフティ』(2011年)→『ダークナイト ライジング』(2012年)→『LOOPER/ルーパー』(2012年)→『リンカーン』(2012年)→『ドン・ジョン』(兼監督・脚本、2013年)→『シン・シティ 復讐の女神』(2014年)→『スノーデン』(2016年)(本ブログ〈March 30, 2017〉)を鑑賞。ジョセフはラブストーリーからシリアスな作品、アクションものからハートフルドラマまで、ジャンルを問わず、様々な映画で今まさに第一線で活躍中の演技派・実力派俳優である。

青春映画の名手、ウェブ監督の出発点となった傑作『(500)日のサマー』。そして、これに続く、より切なくほろ苦い青春物語~人生迷走中のモラトリアム青年の成長物語~が、本作『さよなら、僕のマンハッタン』にほかならない。カラム・ターナーがジョセフ・ゴードン=レヴィット同様の逸材としてその「二代目」襲名が期待されるゆえんである。
カラムは本作をきっかけにして大ブレイクするにいたるか。果たして、カラムの本作におけるは、ジョセフの『(500)日のサマー』におけるがごとし…だろうか?カラムを巡る今後の映画界の動きが注目される。

映画 cf. 『マンハッタン』 オープニング映像 :

(※心を鷲掴みにされるopening scene!アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン〈George Gershwin、1898~1937〉の「ラプソディ・イン・ブルー〈Rhapsody in Blue〉」をバックに、マンハッタンの美しい風景がモノクロで映し出される…。私は昔も思ったし、今も思う。ニューヨーク、特にマンハッタンは、“驚くほど、あらゆるものが雑然と入り乱れながらも、たとえようもなく全体として美しい街”である、と。)

映画 cf. “New York in Cinema” ― 80近い「ニューヨーク映画」から印象的なシーンを選んで再構成したショートフィルム (「ニューヨーク映画大特集!」) :


映画 cf. 『(500)日のサマー』予告編 :

(※トムが惚れるキュートな相手役サマーに扮するのは、『ハプニング』〈2008年〉のズーイー・デシャネル〈Zooey Deschanel、1980~〉。)

音符 cf. “(500)Days of Summer” - You Make My Dreams (a song by the American duo Hall & Oates) :
2018年4月17日(火)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、17:10~鑑賞(再見)。
2018年3月6日、立川シネマシティで初見(本ブログ〈March 18, 2018〉)。



■私感 :
<2017年公開の映画を対象とする>第90回アカデミー賞(オスカー授賞式:2018年3月4日)では、本作『シェイプ・オブ・ウォーター』~【一人の発話障害の中年女性と水陸両棲クリーチャー(フィッシュマン)のロマンスを描いたファンタジー作品】~が、同年最多の全13部門にノミネートされ、作品賞・監督賞・美術賞・作曲賞(アレクサンドル・デスプラ)の4部門を受賞。
一方、本作の対抗馬だった『スリー・ビルボード』~【殺された娘の事件の捜査が一向に進展しないことに憤る母親の姿を苛烈なまでに生々しく描いた作品】~ が、6部門で計7つのノミネートを受け、主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)・助演男優賞(サム・ロックウェル)の2部門を受賞。



両作品は各国の映画賞で鎬(しのぎ)を削ったが、「作品賞」レースとしては、オスカーの前哨戦となる第75回ゴールデングローブ賞(授賞式:2018年1月7日)と第24回「SAG Awards(全米映画俳優組合賞)」(授賞式:2018年1月21日)の両方で、『スリー・ビルボード』が『シェイプ・オブ・ウォーター』に勝利した。(ちなみに、SAG賞では通常の映画賞における「作品賞」が「キャスト賞」と呼ばれ、SAG賞の最高賞として作品に対してではなく、その作品に出演した主要キャストを対象に贈られる。今回「キャスト賞」に輝いたのは『スリー・ビルボード』で、『シェイプ・オブ・ウォーター』はノミネートすらされなかった。)このため、オスカー直前の事前予想では、『スリー・ビルボード』のアカデミー賞「作品賞」受賞が有力視されていた。
しかし結果、大方の予想を覆して、『シェイプ・オブ・ウォーター』が当該作品賞を手中に収めた。誰にも愛され得る美しいストーリーや映像作品としての「芸術性」の高さなどがアカデミー会員(映画業界関係者)の支持を集め、接戦を制したのではないか、と言われている。

私個人は『スリー・ビルボード』と『シェイプ・オブ・ウォーター』、どちらも好きな作品であり、十分見応えのある素晴らしい作品だったと思う(『スリー・ビルボード』は本年2月11日鑑賞-本ブログ〈February 18, 2018〉)。ただし私の場合、我に返って自らを客観視するとき、ややもすると『スリー・ビルボード』の側に軍配を上げがちになることも確かだ。ざっくり言うと、どこか安直に仮想と現実の区別がつかなくなる『シェイプ・オブ・ウォーター』、対して現代社会の究極のリアリティーを背負い続ける『スリー・ビルボード』。後者こそ、さりげない日常生活を営む普通人たる私の内的世界にどこまでも実感として迫り、私自身が実感に即して具体的に思考し、あれこれと想像することを可能にするのだ―。

それはともかく、本作『シェイプ・オブ・ウォーター』自体の魅力は、何であったか。
私の場合、この点ははっきりしている。第一に実力のある俳優が揃ったこと、第二に劇伴(映画音楽)が素敵だったこと。

1 本作では、ヒロインのイライザ役をサリー・ホーキンス(Sally Hawkins、1976~)が、イライザと恋に落ちる“彼” (the amphibian creature)役をダグ・ジョーンズ(Doug Jones、1960~)が、イライザの同僚のゼルダ役をオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer、1970~)が、イライザの隣人のジャイルズ役をリチャード・ジェンキンス(Richard Jenkins、1947~)が、未知の生命体である“彼”を研究するホフステトラー博士役をマイケル・スタールバーグ(Michael Stuhlbarg、1968~)が、イライザと“彼”を執拗かつ残忍に追い詰める軍人・ストリックランド役をマイケル・シャノン(Michael Shannon、1974~)が、それぞれ演じている。

主演女優のホーキンスは、発話障害で言葉を発し得ないキャラクターを言葉以上に心情を伝える表情や熱の入った手話での表現、さらに体当たり演技でくっきりと造形している。
いわゆる「スーツアクター」(着ぐるみ俳優)の第一人者であるジョーンズは、物語のカギとなる、水陸両棲クリーチャーである“彼”の生身を190cm余の高身長を活かして、特殊メイク下の生々しい動き一つひとつで官能的に表現している。
そして本作全般にわたって、ホーキンスとジョーンズ以上に、私が惹かれて積極的な関心を向けたのがオクタヴィア・スペンサー、リチャード・ジェンキンス、マイケル・シャノン、マイケル・スタールバーグの脇役4人。

今、ハリウッドで最も人気を集める演技派女優のスペンサーは、「面倒見の良いおばさん役」という彼女の持ち味を生かして、今作でもイライザの職場仲間としてイライザのことをいつも気にかけているゼルダを生き生きと~大きな目をクリクリさせて~好演している。

1970年代半ばからテレビ・映画で名脇役として幅広く活躍してきたジェンキンスは、今作でイライザのよき理解者で、心優しいゲイの老画家であるジャイルズを絶妙に熱演している。映画の冒頭とラストに流れるジャイルズ=ジェンキンスのナレーションは、物語に形を与える芸術的な言葉の数々であり、その響きの深い気品ある声調は実に私の耳に心地よい。
[ちなみに、いぶし銀俳優として人気を博するジェンキンスは、私好みのタイプの俳優の一人である。私がこれまでに観た彼の多数の出演作中、何よりも忘れがたいのが、初主演作『扉をたたく人』(原題:The Visitor、トム・マッカーシー監督、2007年)。「9・11テロ」以降、移民希望者や不法滞在者に対して厳しい措置を取るようになったニューヨークを舞台に、孤独な初老の大学教授(リチャード・ジェンキンス)と移民(シリア出身)青年の心の交流を描く。この感動作でジェンキンスは第81回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。]

2009年のコーエン兄弟のコメディ映画『シリアスマン』(原題:A Serious Man)で初主演を果たして以降、一躍有名俳優へと躍り出たスタールバーグは、今作でホフステトラー博士という端倪(たんげい)すべからざる、複雑な事情が絡んだキャラクター~【実は、一方でソ連のスパイとしてアメリカに送り込まれた、東西冷戦下の時代状況をもろに背負った人物、他方でイライザと意思の交流が可能な“彼”を何とか救おうと奔走する良心的な研究者】~を落ち着いた物腰で丁寧に演じている…。
[ちなみに、2017年にスタールバーグが出演した『君の名前で僕を呼んで』(原題:Call Me By Your Name、ルカ・グァダニーノ監督)→『シェイプ・オブ・ウォーター』→『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(原題:The Post、スティーヴン・スピルバーグ監督)の3作すべてが、第90回アカデミー賞の作品賞にノミネートされた。]

2008年の『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(原題:Revolutionary Road、サム・メンデス監督)での脇役演技が高評価を得て(第81回アカデミー賞助演男優賞にノミネート)以降、個性的な役柄に定評のある俳優として活躍の幅を広げてきたシャノンは、今作でアマゾンの奥地で実験動物として捕獲された“彼”と共に政府の極秘研究所に派遣された軍人で、邪悪であると同時に神経質な、自分と異なる者の存在を決して認めないレイシストの役柄をきっちりと怪演している…。
それにしても、193cmと大柄な体躯とゴツイ顔が印象深いシャノンが、典型的なヒール役に徹したときのその全身的な迫力たるや、まさに鬼気迫るものがある[この点に関して私がつい連想するのは~彼の出演作中の私の鑑賞分に照らして言えば~、『THE ICEMAN 氷の処刑人』(原題:The Iceman、アリエル・ヴロメン監督、2012年)のリチャード・ククリンスキー役であり、また『マン・オブ・スティール』(原題:Man of Steel、ザック・スナイダー監督、2013年)のゾッド将軍役である]。その現実感のある~空虚感・屈辱感・狂気が漂う~悪党ぶりは、主役を食うほどにインパクトが強く、圧倒的な存在感を印象づけてやまない。本作が単なる「娯楽」映画(ラブストーリー+ダークファンタジー+スリラー)を超えて社会的・政治的メッセージ性の高い引き締まった「芸術」映画に仕上がっているのも、このシャノンの際立った“怪演・巧演”力があればこそと言っても、あながち過言ではない。

宝石ブルー 監督&キャストが明かす『シェイプ・オブ・ウォーター』の現代性 :


宝石紫 Richard Jenkins インタビュー :


クリップ cf. ジェンキンスの初主演作品『扉をたたく人』予告編(私の好きな映画である。滋味掬(きく)すべき名作である。) :


2 本作は、心に響く“美しい”物語である。
この美しい物語にふさわしい“美しい”音楽を手がけたのが、『グランド・ブダペスト・ホテル』(原題:The Grand Budapest Hotel、ウェス・アンダーソン監督、2014年)でアカデミー賞作曲賞を初受賞したアレクサンドル・デスプラ(Alexandre Desplat、1961~)(cf. 「アレクサンドル・デスプラ INTERVIEW」- 音楽レヴューサイト“Mikiki”2018.05.02)。ギレルモ・デル・トロ監督は2018年1月下旬のプロモーション来日時のインタビューで、作曲家のデスプラを起用した理由について、こう述べている。

≪――歌のような映画をつくりたい、とおっしゃいましたが、『シェイプ・オブ・ウォーター』の音楽は物語の雰囲気に合っており、素晴らしいと感じました。作曲家アレクサンドル・デスプラ氏の音楽を起用した理由をお聞かせいただけますか?
ギレルモ・デル・トロ監督:デスプラ氏とは以前に2回、映画『Rise of the Guardians』(2012)とテレビシリーズ『Trollhunters』(2016~)で一緒に仕事をしたことがあります。彼はとにかく素晴らしい音楽を書くんです。(名作『突然炎のごとく』や『プラトーン』などの音楽を担当し、“映画界のモーツァルト”と呼ばれた)フランスの作曲家ジョルジュ・ドルリュー(1925~1992)を彷彿とさせる作風で、『シェイプ・オブ・ウォーター』のイメージどおりの音をつくってくれると感じました。/本作は、カメラが動いていないシーンがひとつもないんです。静かで、何も起こっていないように感じられるシーンでも、ほんの少しずつ動いている。まるで水の中にいるかのように、カメラは絶えず動いているんです。デスプラ氏は、その様子にぴったり合った楽曲をつくってくれました。/また、本作は感情に焦点を当てた映画なので、感情豊かな人と製作することが大切でしたね。私自身、メキシコ人ということもあって感情が豊かですし、デスプラ氏もフランス出身だからか、豊かな感受性を持っています。そこも彼を起用した理由でしたね。≫(シネマズby松竹-2018.03.01)

珠玉のファンタジー・ロマンスである『シェイプ・オブ・ウォーター』。そのドラマの多くは、言葉に頼らず、映像で語られる。1962年のアメリカと言いつつ、ディストピアからファンタジーの世界へと導かれるような不思議でレトロな雰囲気が常にスクリーンに漂っている。
そして、そこにデスプラの音楽が感情を温かく踊らせる。「デスプラは音楽がイライザと“彼”の声になるように、常にラヴストーリーであることを念頭に置きながら心に響く曲作りに徹した。また、“感情を無理に入れない作曲家だから”と、ニーノ・ロータ(フェデリコ・フェリーニの作品で有名)やジョルジュ・ドリュー(フランソワ・トリュフォーの作品で有名)のアプローチを採用し、感傷的にならない、穏やかで温かみのある音楽を心がけたそうだ。」(madameFIGARO・jp-March 7, 2018)

デスプラはクラシカルでありつつも現代に合った楽器編成に挑戦する~ex.ヨーデル唱法やグレゴリオ聖歌にツィンバロムやバラライカを使用する~、新鮮な感性の持ち主だ。イライザと“彼”の声になるようにスコアが作曲された本作は、全体として甘美で古典的な美しさに満ちた音楽⇒観客の記憶にいつまでも深く刻印される、表現力の高いメロディーに彩られている。

音符 オープニング・テーマ “The Shape Of Water” :

【アレクサンドル・デスプラの言葉:「観客に向けて映画の扉を開くシーンなので、他の曲よりも気を使いましたね。また、スコア全体の核となるものにしました。暖かい水の中にいる感覚、そして叶わぬ恋に身を焦がす情熱を同時に表現したのです。音階やアルペジオが何度も上下することで波形を描き、愛する人に想いが届かない苦しみを音に込めました」(前出“Mikiki”)】

全編を彩る心地いいムード音楽の使い方と言えば、何よりも私を魅了するのが、既存の楽曲の選曲である、ソプラノ歌手~当代随一のソプラノと評される、世界的なオペラ・スター~ルネ・フレミング(Renée Fleming、1959~)が歌うスタンダード・ナンバー“You’ll Never Know”である。この点に関して、デル・トロ監督は2018年1月30日の来日記者会見の席上、次のように説明している。

≪──(記者)映画への愛という言葉がでましたが、あなたの映画にはアリス・フェイの「You’ll Never Know」という曲が何度か出てきましたが、この曲に込めた想いがあれば教えてください。
デル・トロ:今作では映画に対する愛を表現したかったのですが、それは偉大な巨匠の名作だけではないんです。例えば映画館で映画と観るというのは「市民ケーン」を見たり、「雨に唄えば」や他の重要な映画を観るだけではなく、私にとってその映画とはメキシコで「日曜シネマ」と言われるものです。/私は今までの人生の中で何度も何度も落ち込んだ時に、一般的には重要視されていないコメディやメロドラマ、ミュージカルが救ってくれました。私は、そういうタイプの映画に対しての愛を持っています。なぜならそういう映画が唯一意図しているのは観客とつながることだからです。なのでそういう映画にはエモーショナルさがあるんです。/そして、あの歌(You’ll Never Know)は泣ける歌なんです。映画の中で、彼女はどれだけ彼を愛しているのかを伝えたくて泣きます。でも彼女は話せないので言葉がでない。メキシコ人としては、愛を伝える最もよい方法は、歌うことです。メキシコではセレナーデというものがあり、バルコニーに向けて歌いますが、彼女は彼女の頭の中で、彼のことをどれだけ愛しているのかを歌い伝えることが出来るんです。/映画の中でも言葉は嘘をつくことができることを示しています。言葉を使える人たちはみんな嘘で混乱してしまいますが、言葉を発せない二人はつながることができるんです。唯一言葉で嘘がつけないのは、歌う時なんだと思うんです。≫(uDiscoverMusicJPー2018年1月31日)

本作では、「You’ll Never Know(ユール・ネヴァー・ノウ)」が3回流れる。最初はイライザの隣人・親友であるジャイルズが聴いている。2回目は、イライザが空想の中で歌う。そして、3回目はエンドクレジットに流れる。
そもそも「You’ll Never Know」は、1943年の日本では未公開のミュージカル映画『Hello, Frisco, Hello』の主題歌(作曲:ハリー・ウォーレン、作詞:マック・ゴードン)としてアリス・フェイ(Alice Faye、1915~98)が歌唱し、第16回アカデミー賞歌曲賞を受賞したことでも知られる名曲。ジャイルズが愛聴するのも、アリス・フェイのバージョンである。

音譜 cf. Alice Faye - “You'll Never Know” :


同曲が2度目に流れる空想シーンは、モノクロのミュージカルとして演出されている。フルオーケストラをバックに踊るのは、イライザと彼女の恋の相手である“彼”(Amphibian Man)。このダンスシーンで、劇中では言葉を発しないイライザ役のサリー・ホーキンスが「You’ll Never Know」を歌っているのだが、これは口パク。今作のためにアレクサンドル・デスプラが編曲し、ルネ・フレミングが歌唱した音源が使われている。

ルンルン Dancing Scene :


音譜 ルネ・フレミングが歌う“You'll Never Know” ミュージック・ビデオ :


音符 “You'll Never Know”(Lyrics) :


フレミングが歌う「You’ll Never Know」は、主題歌ながら2バージョンあり、特にラストからエンドロールに向けて満たされるように流れていくゴージャスなジャズ・コンボのアレンジには、デスプラならではのウィットが効いている。

音譜 “You'll Never Know” Alternative Version :
2018年4月17日(火)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、17:10~鑑賞。



作品データ :
原題 PACIFIC RIM:UPRISING
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 111分

米国公開 2018年3月23日
日本公開 2018年4月13日

鬼才ギレルモ・デル・トロ監督が“KAIJU”(巨大怪獣)と“イェーガー”(人型巨大ロボット)との戦いを描き世界的に大ヒットしたSFアクション『パシフィック・リム』(2013年)の続編。前作から10年後を舞台に、再び出現した「KAIJU」に立ち向かうべく新世代の「イェーガー」を操縦する若きパイロットたちの戦いを描く。ギレルモ・デル・トロは製作に回り、TVシリーズ『Marvel デアデビル』などで知られるスティーブン・S・デナイトが長編映画初監督を務めた。主演は『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のジョン・ボイエガ、共演にスコット・イーストウッド、ケイリー・スピーニー、ジン・ティエン、前作から続投のチャーリー・デイ、菊地凛子ら。日本からは菊地のほか、新田真剣佑がパイロット訓練生の一人として登場する。

ストーリー :
人類と「KAIJU」の死闘から10年が経ち、地球には平穏が戻っていた。しかし、さらなる進化を遂げたKAIJUが再び現われ、世界を絶望の淵へと突き落とす。若きパイロットたちは、よりスタイリッシュに洗練され、パワーアップを果たした新世代の人型巨大兵器「イェーガー」に乗り込み、KAIJUに戦いを挑む…。


【“東京”で繰り広げられる、「KAIJU」と「イェーガー(Jaeger)」の壮絶な死闘!この“日本オリジナル・ポスター”に映し出されるのは、朝焼けに染まる東京のど真ん中~東京タワーの眼前~で、深手を負わされ跪(ひざまず)くも、右腕のチェーンソードや胸元のタービン、そして鋭い眼光が光り続ける~KAIJUの脅威に屈することなく今まさに再び立ち上がらんとする~、主役イェーガー「ジプシー・アベンジャー(GIPSY AVENGER)」の姿。】

▼予告編



▼ 特別映像


2018年4月10日(火)「ココロヲ・動かす・映画館○」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分)で、18:10~鑑賞。



作品データ :
原題 GAUGUIN - VOYAGE DE TAHITI
製作年 2017年
製作国 フランス
配給 プレシディオ
上映時間 102分


フランスのポスト印象派を代表する人気画家ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin、1848/06/07~1903/05/08)。40代の頃、制作の場としてフランス領タヒチ島を訪れたゴーギャンと、そこで出会った女性との愛と苦悩の日々を綴る伝記ドラマ。
ゴーギャンを演じたのは、『ブラック・スワン』『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』のヴァンサン・カッセル。ゴーギャンその人に似せて、近代文明を捨てた野蛮さを身に纏った芸術家の才気を見せつけている。 そして、ゴーギャンのタヒチ時代の数々の傑作に登場する、奔放な美と神秘に満ちた野生の娘たちを一つに凝縮した存在が、原住民の娘テフラであり、彼女を演じる17歳のツイー・アダムスを現地で“発見”したことも本作を成功に導いていると言える。
監督はテレビシリーズや短編などを手掛けてきた、本作が長編2作目となるエドワール・ドゥリュック(Edouard Deluc)。映画のベースとなったのは、ゴーギャンが自ら書いた紀行エッセイ“Noa Noa”※。ドゥリュック監督はこの本に惹かれ、壮絶なまでに野性の美を尊び、純粋な芸術を追求してタヒチの森の奥へ、内部へと突き進む男の姿を映し出した。

※自伝的随想“Noa Noa”は、1893~94年に執筆され、1901年に出版された。ゴーギャンは実は、生涯に2度、南洋の島タヒチに移住している。1891年、43歳の時にタヒチに移住(同年4月1日にフランスのマルセイユを出港し、ニューカレドニアのヌメアを経て、同年6月9日にタヒチのパペーテに入港)、1893年8月に一度フランス本土のパリに戻るが、1895年9月には再びタヒチに移住、そして1901年9月にマルキーズ諸島のヒバ・オア島に移住し、1903年5月8日に同地で54歳で死去した。“Noa Noa”は、最初のタヒチ滞在での日々を執筆したものであり、パリでの1901年の初版出版時には、ゴーギャンはタヒチではなく、マルキーズ諸島にいたことになる。タイトルの「Noa Noa」とは、タヒチ語で「かぐわしい香り」を意味する形容詞「noanoa」という語である。邦訳本は、岩波文庫版『ノア・ノア-タヒチ紀行』(前川堅市訳、1960年)、ちくま学芸文庫版『ノアノア』(岩切正一郎訳、1999年)。

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh、1853~90)、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne、1839~1906)らと並び、“ポスト印象派(Post-Impressionism)”と総称され、19世紀最大の芸術家の一人として知られる天才画家ゴーギャン。彼は芸術華やかなりし19世紀フランスに誕生した画家たちの中でも、ひときわ野生を切望し、作品のモチーフにも異国情緒と神秘を持ち込んだ。1876年にはパリのサロンへの入選を果たすものの、次第に彼の関心はどこか遠い未開の地へと移っていく。そして、パナマやマルティニーク島への旅を経て、ついに見つけた「地上の楽園」、それがタヒチだった。
第一期タヒチ時代を描いた本作では、この時代の作品として後年世界に衝撃を持って迎えられることになる名画誕生の瞬間を、ポリネシアの奔放な大自然のなかで大胆に見せていく。黒髪の“原始のイヴ”をモデルとして、数々の作品を生み出していく“熱帯のアトリエ”における芸術家のデモーニッシュな内面の力が明かされていく―。

ストーリー :
1891年パリ。画家として名をなしながらも、作品が売れず行き場を失っていたゴーギャン(ヴァンサン・カッセル)は、絵画制作の場をフランス領タヒチに求め、わずかな資金を手に一人旅立つ。彼が島の奥地の森へと分け入ったとき、運命的な出会いを果たす。それは野性的な輝きを放つ美少女テフラ(ツイー・アダムス)との出会いだった。彼女の“自然の美”に新たなインスピレーションを得たゴーギャンは、後年傑作の評価を得ることとなる作品を次々に生み出していくのだが…。

▼予告編



◆ エドワール・ドゥリュック監督 インタビュー(CinemaCafe.net- 2018.2.15) :
Q:いまでこそ芸術史に名を遺すポール・ゴーギャンですが、家族や社会から理解されず、拒絶を味わっていますね。どうしようもない内なる衝動にかられて創作活動を行うゴーギャンの姿に、芸術家の本質を垣間見たようで、とても胸を打たれました。創作のためには、倫理も、家族をも犠牲にしてしまうゴーギャンの衝動を、監督ご自身はどのようにとらえていますか?
「『ノア・ノア』の中からも実際に感じられるのは、絵画史上で自分の立ち位置を確立したかったということです。彼は、自分は正しいと思っていたし、自分が求めていることも、行くべき道もわかっていたわけです。当時は自分が正しいということを証明できなかったかもしれませんが、現在は歴史的に重要な画家として認められており、各地で話題となる人物となった。振り返ってみれば、彼は正しかったということになりますね」

Q:他者からは理解されにくいけれど、己を貫くことで独自性の強い傑作を残し、彼の名を後世に残すことにもなりました。ゴーギャンの場合は、最終的に高い評価を得ることになりましたが、自分が納得いく作品を生み出したとしても、誰しもが高く 評価されるとは限りません。芸術家にとっての“報酬”とは何だと思われますか? また、監督であるご自身にとっての一番の“報酬”とは?
「自分も含めて、いかなるアーティストもそうだと思うけれど、自分を理解してもらえるというのが一番大きな報いだと思う。作品を観てもらえるのが最も嬉しいことですが、さらに自分のアプローチを理解してもらえることが一番の報いだと思っていると思います。でも、必ずしもそれが起きるとは限らない。ゴーギャンの場合は、とても過激な部分があって、自分は貧しさには怯えない、芸術のために生きて死ねるという強い信念があり、実際にそうなってしまった。彼は、家族をはじめいろいろな犠牲を払い、孤独の中に生き、困難を経験しました。彼にとって貧しくて唯一困ることは、創作活動ができないことだったんです」

Q:映画では、2度あるタヒチへの移住のうち最初の旅を描いています。タヒチでの野性的な暮らしに心を残しながらも、強制的に文明=フランスへと戻らざるを得なくなる。そんなゴーギャンの“敗北”に焦点を当てた理由は何だったのでしょう。
「『ノア・ノア』の紀行文の最後に描かれていますが、彼はみすぼらしいアーティストとしてフランスに強制送還されたわけです。彼は野性的な人間になりたいと思っていましたが実際は、なかなかそうはいきませんでした。ただ、そんな終わりを迎えつつも、芸術的視点からすれば、タヒチでの日々は光り輝くような色彩が生まれたときであり、作品が芸術として昇華する時期でもありました。人間としては貧しくてお金が無くてみすぼらしくても、画家としては自分が求めている絵画に出会い進化するという時期。当時の彼を見るとたしかに敗北を喫したかもしれませんが、いまある栄光をつかんだ時期だとすれば、それは“成功”といえるかもしれない。とても興味深い時期なのです」

Q:同じ創作に関わる者として、 監督がゴーギャンに共感する部分、うらやましく感じる部分などはあるのでしょうか?
「彼をうらやましく思うことは一切ないですね。大きな犠牲を払い、過酷な人生を送りましたからね(笑)。家族や子どもを失うなど、私が絶対に経験したくないことばかり。だた、過激なまでに自分の道を追い求めたことには敬意を表します。彼は家族や友人と一切関係を切っていった。そして、常に怒りを抱えつつ、世の中を考察しながらその動きに目を配り、行く末を心配したり他者に気を配ったりしている。そこはとてもリスペクトしているし、インスピレーションの源になりますね」

◆ エドワール・ドゥリュック監督に直撃! (LEE-「愛した楽園と黒髪の女たちとの知られざる悲劇」(2018/01/23)) :
Q:本作では、ヴァンサン・カッセルがゴーギャンを演じていますね。
「ヴァンサンには早い段階で企画に入ってもらいました。今回の作品におけるゴーギャン像は、ゴーギャン本人が(紀行エッセイの中で)語っていたゴーギャン像、ヴァンサン・カッセルが演じるゴーギャン像、そして僕の考えるゴーギャン像と、色んなものが交じり合い、色んな人の力が加わって出来上がっています。映画のコアはゴーギャンとタヒチの出会い、それが彼の生き方にどんな影響を与え、反映されているか、同時に彼の芸術や作品にどのように反映されるようになったか、ということです。本作を作ることにより、僕はタヒチについてもかなり詳しく知るようになりました」

Q:詳しく知ることにより、ゴーギャンの絵画に対する見方そのものも変わりましたか?
「僕は、単にゴーギャンがどう生きたか、彼の才能がどのように開花していったか、ということだけではなく、タヒチのマオリ文化(ニュージーランドの先住民を起源とするポリネシアの文化)の終焉というものも同時に描きたかったのです。というのも彼がタヒチに到着したのは、まさにマオリの王が亡くなるという象徴的な出来事が起きた週でした。つまりゴーギャンは、2500年も続いたマオリ文化が終焉を迎える、その大きな転換期に居合わせ、どんどん変わりゆく歴史を、絵画に描き込んでいった、ドキュメンタリー的な要素もあるからです。それは、単なるメランコリー以上の悲劇的なものでした。僕は彼の絵の中に、そうした要素をも強く感じるようになりました」

Q: 絵が生まれる瞬間を目撃できるのも、とてもスリリングな体験でした。そういう場面を撮る際には、どのような点にこだわりましたか?
「彼が最初にタヒチに滞在した1891年から数年の作品をもとに、想像を膨らませました。絵をそのまま映し出すような教育的なことではなく、その瞬間の真実を描きたいと思いました。つまりゴーギャンとテフラの関係性――彼女の表情や互いに交わし合う視線がどう絵画に反映されているか。同時に、テフラの表情はタヒチの歴史そのものを反映してもいる。一方で、ゴーギャン自身も自分について理解を深め、人類について色々考えさせられるようになっていた。加えて原始的な文化が終焉し、人々がいかに文明化に向かっていくか、そういうすべての瞬間が絵画に描き込まれているので、映画でも、とにかくその“瞬間の真実”を描こうと心を砕きました」

Q:無知な私には、有名な絵画の何点かしか「あ!」と分かるものはなかったのですが、実際に監督は何作品くらいの“絵画”を本作の中に入れ込んだのですか?
「一度目のタヒチ滞在で、ゴーギャンはトータル66作品くらい、平均すると月に4、5作品描きました。その66作品を見れば、彼がいつどこでどういう人々に出逢い、どういう場所や環境に暮らしたかということが分かってくるので、映画でも、ほぼ66点の絵画を感じさせる要素や瞬間を入れ込みました。どの瞬間から爆発的に色が鮮やかになったか、あるいはモデルとなった女性たちとの出会いにより、どのように絵が進化していったか、なども分かりますよ」

Q:ゴーギャンがテフラと陥る三角関係はフィクションだそうですが、映画の見どころでもあると思います。監督は、そうしたロマンスを通して、何を照射したかったのですか?
「実際にゴーギャンの隣にはヨテファという若者が住んでいて、一緒に森へ木を拾いに行ってヨテファに彫刻を教えたり、2人には強い関係性がありました。実際に何があったかはわかりませんが、ヨテファはとてもハンサムで、当時13歳だったテフラとも同い年。そんな若者が隣に住んでいたら、テフラと何も起こらないなんてあり得ない、不自然だと僕は想像しました(笑)。だって、ゴーギャンは年老いた、貧乏で病気持ちの白人ですから」
「そして、彼らの関係は非常に象徴的でもあるんです。というのもゴーギャンは、ヨーロッパの絵画界の色んな決まり事や型にはまることを打破し、文明を否定して野生の自分として野蛮になり、それを認めて欲しいという一心でした。でも結局、テフラがヨテファになびいてしまうのは、ゴーギャンがどんなに頑張っても、結局はよそ者でしかなく、彼がなりたいと思うワイルドな人間にはなれない。受け入れてもらえず、いつまでたっても異質な存在でしかなかったのです」
「また、ゴーギャンがテフラを家に閉じ込めてしまうのは、野蛮だけれども決して文明化されずに汚れなきピュアさを保ち続けて欲しい、という気持ちを表した象徴的な行動でした。ところがゴーギャンが何を望もうと、パペエテ(タヒチの玄関口)に着くとテフラも文明化されてしまうし、自分も結局は入植者にしか過ぎないわけです。つまり現地の人にとっては毒みたいなものであり、決して相いれないものである、ということを彼らの愛の形を通して描きたかったのです」

下三角 cf. ゴーギャンの油彩画(寸法:69 x 91.5cm)「砂浜のタヒチの女たち」(1891年〈タヒチ第一期〉) :


下三角 cf. ゴーギャンの油彩画(73 x 92cm)「死霊が見ている」(1892年〈タヒチ第一期〉) :


下三角 cf. ゴーギャンの油彩画(101.5 x 77.5cm)「いつ結婚するの?」(1892年〈タヒチ第一期〉) :

2015年2月、「いつ結婚するの?」(タヒチ語:Nafea faa ipoipo〈ナフェア・ファア・イポイポ〉?)は、プライベートセールに掛けられて~スイス人コレクターのルドルフ・シュテヘリンからカタール王室(匿名扱い)へ~(当時)絵画史上最高額となる3億ドル(日本円で約360億円)で落札された―。

下三角 cf. ゴーギャンの油彩画(139×375cm)「我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?」(1897~1898年〈タヒチ第二期〉) :

ゴーギャン畢生の(4メートル近くの幅がある)大作である。画面の左手上にはフランス語で「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」と題名が書かれている。この謎めいたタイトルを持つ作品は、ゴーギャンの2度目のタヒチ滞在中に描かれた。ゴーギャンは当時、絶望的な状況に追い詰められていた。遠く離れたヨーロッパでの愛娘アリーヌの死、悪化する病の苦しみ、そして借金いや増す経済的な困窮…。親友の画家ダニエル・ド・モンフレエに宛てた書簡(1898年2月)によれば、「私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした」(ポール・ゴーギャン著/ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳『ゴーギャン オヴィリ~一野蛮人の記録~』みすず書房、1980年)。
ゴーギャンがこの世に残す遺書代わりに自らの画業の集大成として描き上げたのが、「ドゥ・ヴェノ・ヌ ケ・サム・ヌ ウ・アロ・ヌ」(英語:Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?)にほかならなかった。彼は同作の完成後、砒素を服し自殺を図るが、自殺は未遂に終わる…。ゴーギャン自身の人生観‐死生観‐世界観の物語性を具現した、この深遠な哲学的・芸術的作品は、やがて観る者の心をとらえて離さず、後世の記憶に残ることとなった。
この油絵の横長の画面上には、右から左へ、人間の生の様々な局面~人間の生から死への経過~が、一連の物語のように表現されている。ゴーギャン自らがその構図を、(前掲書の引用文に続いて)次のように明らかにしている。
「右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。」
この大作の発する具体的なメッセージは何か。ゴーギャン自身は生前、その全容を詳(つまび)らかにしていない。しかし、混迷する現代社会に生きる私たち「観客」は知っている。その、ゴーギャンの制作した最大の作品にして最高傑作が、私たち一人ひとりの内的世界に各様の物語を誘発してやまず、不断に各人の“生きざま⇔死にざま”を重く問いかけてくることを―。

宝石紫 cf. Paul Gauguin(1848~1903) ― brief biography and artwork :


宝石赤 cf. Paul Gauguin ― my favorite French artist :


■私感 :
ゴーギャンと言うと、私がすぐに連想することがある。
それは、私の中学生時代に出会った、「図工」(美術)担当の小沼先生のこと。彼は実に温厚篤実な人柄で、生徒たちの人望を集める年配の紳士。また、かつて「日展」にも入選したことのある、郷里では歴(れっき)とした画家だった。私自身、「君は画才がある」と言われながら、じかに一定期間彼から絵画の手ほどきを受けたものだ。
ある日~中学1年時だったと思う~の、「ファン・ゴッホの絵画」をテーマ化した授業時だった。小沼先生は「ひまわり」を始め、ファン・ゴッホの名作(複製)数点を提示しつつ、噛んで含めるように面白おかしく解説する。そして、話が一段落して後、彼は今度はファン・ゴッホとゴーギャンとの共同生活について切り出し、この二人の天才の関係が次第に悪化して、ファン・ゴッホの「耳切り事件」が発生したことにまで言い及んだ―。
私は一瞬、自分の耳を疑った。初めて知った事件だったのだ。1888年12月23日、ファン・ゴッホは自らの左耳を切り落とす!ゴーギャンとの9週間にわたる共同生活に行き詰まって―。そもゴーギャンとは何者ぞ!当時の私の場合、ファン・ゴッホについてはいくらか知識があったが、ゴーギャンについてはその名前すら知らなかった。
当の授業時、さらに小沼先生はタヒチ時代のゴーギャンの絵画(複製)を何点か~個々の絵の題名が何だったか、今は全く記憶になし!~示して簡単な説明を加える―。すべて瞠目すべき作品だった。何という野性味たっぷりの、ダイナミックな絵づくり!私は地球の反対側にまで赴き、冒険的な波乱に富む生涯を送ったゴーギャンその人に新鮮この上ない好奇心を煽(あお)り立てられたのだった―。
2018年4月6日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:20~鑑賞。



作品データ :
原題 RED SPARROW
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 20世紀フォックス映画
上映時間 140分


オスカー女優のジェニファー・ローレンスが、『ハンガー・ゲーム』シリーズのフランシス・ローレンス監督と再タッグを組んだスパイ・サスペンス。原作は元CIAエージェントという異色の経歴をもつジェイソン・マシューズ(Jason Matthews、1951~)のベストセラー小説“Red Sparrow”(2013)(山中朝晶訳『レッド・スパロー』ハヤカワ文庫、2013年)。やむを得ぬ事情でロシアのスパイとなったヒロインが、自らの美貌と心理操作術を駆使したハニートラップでターゲットのCIAエージェントへと迫る中で繰り広げられる緊迫の駆け引きを、過激なエロティック描写を織り交ぜリアルかつ緊張感溢れる筆致で描き出す。共演はジョエル・エドガートン、マティアス・スーナールツ、シャーロット・ランプリング、ジェレミー・アイアンズ。

ストーリー :
ステージでの大ケガによって、ボリショイ・バレエ団での地位を失ったドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)。そんな彼女に手を差し伸べたのは、ロシア情報庁の幹部である叔父のワーニャ(マティアス・スーナールツ)だった。病気の母親の治療費を工面するため、ドミニカは自分の意に反して、ロシア政府が極秘裏に組織した諜報機関の一員になることを決意する。「スパロー」と呼ばれるスパイの養成学校で、自らの肉体を使った誘惑や心理操作などを駆使して情報を盗み出す女スパイになるための訓練を受けるドミニカ。やがて、持ち前の美貌と明晰な頭脳で頭角を現わしたドミニカは、ロシアの機密事項を探るCIA工作員ナッシュ(ジョエル・エドガートン)に近づきミッションを実行。二人のスパイは互いに惹かれ合いながらも、それぞれのキャリアや忠誠心、国家の安全を賭けて騙し合いの連鎖へと陥っていく…。

▼予告編



▼ ジェニファー・ローレンス(Jennifer Lawrence、1990~)が盟友フランシス・ローレンス監督(Francis Lawrence、1971~)と本音で語り合う! :



▼ B-Roll & Behind the Scenes :

2018年4月4日(金)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、17:35~鑑賞。『女神の見えざる手』15:05~と2本立て上映。



作品データ :
原題 THE CIRCLE
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 110分


デイヴ・エガーズ(Dave Eggers、1970~)のベストセラー“The Circle”(2013)(吉田恭子訳『ザ・サークル』早川書房、2014年)をエマ・ワトソン主演で映画化したサスペンス。憧れの巨大SNS企業“サークル”に就職したヒロインが、すべての情報が共有されていく社会の闇に直面する恐怖を描く。SNS企業のカリスマ経営者をトム・ハンクスが演じる。監督は『人生はローリングストーン』のジェームズ・ポンソルト。

ストーリー :
世界No.1のシェアを誇る超巨大SNS企業“サークル”。 創始者でカリスマ経営者のイーモン・ベイリー(トム・ハンクス)が掲げる理想は、全人類が隠し事をせず、あらゆる個人情報をオープンにする社会だ。大きな輪を意味する「サークル」では、誰もがいつでも繋(つな)がり合い、互いの体験をシェアしあい、最高に刺激的な毎日を送ることができる―。
憧れの最先端企業「サークル」社に採用された24歳の新人、メイ・ホランド(エマ・ワトソン)は、ある事件をきっかけにベイリーの目に留まり、新サービス“シーチェンジ(SeeChange)”のモデルケースに大抜擢される。それは、サークルが開発した超小型カメラを使って、日常生活を全て記録し、リアルタイムで世界中に配信するというものだった。自らの24時間をカメラに晒したメイは、瞬く間に1000万人を超えるフォロワーを集め、アイドル的な人気を博していく。
「全人類を透明化する」というベイリーの理想・信念を素直に全肯定するメイは、更なる新サービス「ソウルサーチ(soul search)」の公開実験に臨む。これは、世界中に仕掛けてある超小型監視カメラを利用して、どんな人物でも約20分以内に見つけることができる…というもの。だが、そこには思わぬ悲劇が待ち受けていた。あまりにも膨大な善意の渦~透明性への異常なまでの情熱~に隠された「サークル」の重大な欠陥に次第に気づき始めるメイだったが…。

▼予告編

2018年4月4日(金)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、15:05~鑑賞(再見)。『ザ・サークル』 17:35~と2本立て上映。

本作は同年1月28日、「ココロヲ・動かす・映画館○」で初見(本ブログ〈January 28, 2018〉)。



◆ ジョン・マッデン監督(John Madden、1949~)オフィシャル・インタビュー(CinemaTribune-2017年10月19日) :
Q:ジェシカ・チャステインについて
エリザベス・スローン役はジェシカ・チャステインにぴったりだ。以前『ペイド・バック』(2010・日本未公開)という作品で彼女と一緒にしたことがある。当時『ツリー・オブ・ライフ』の撮影は終わっていたが、まだ公開はされていなかったから、彼女は有名人じゃなかった。その頃のジェシカは僕にとって埋もれたダイヤだった。当時から彼女の実力には驚いていた。今回の主役も彼女しかいないと思ったよ。脚本を読み、すぐに決めた。そして初めて本作の打ち合わせをした日にジェシカ側から連絡があった。僕はあるイベントでニューヨークにいたんだが、「脚本が気に入ったから出演したい」と電話が来たんだ。

Q:脚本のどこが気に入っているか
実によくできた脚本だ。台詞がごく自然な会話になっている。アイロニーや間接的な表現が多く、ウィットに富んでいて非常におもしろい。だが、一番の売りは「驚き」だろう。すべてが策略によって進められる業界だからね。ロビー活動のポイントはいかに他人を感化し、賛同得るかということなんだ。そのためにはあらゆる手を尽くす。最近ではすっかり評判の悪い仕事だ。

Q:エリザベス・スローンを動かすものについて
エリザベス・スローンは監督にとって最高のキャラクターだ。彼女はすっかり仕事に取りつかれている。彼女の言動の動機は、どうしても議論に勝ちたいという意地と法案を勝ち取ることだ。お気づきのとおり、彼女は目的のためなら、なりふり構わず行動する。まったく手段を選ばないから法廷で批判を受けることもある。彼女は、とてつもないエネルギーの持ち主であり、そのすべてを仕事に注ぐ。ほとんど休むことなく猛進していくんだ。

Q:脚本の特徴について
本作の脚本が持つ最強の武器は、ネタバレになってしまうが、「驚き」に満ちていることだ。予想できるような方向には決して進まず、思いもよらない展開が続いていく。だからこそ本作には他とは違う魅力がある。そして、2番目の特徴として挙げたいのは、キャスティング中に気づいたんだが、複数の物語が同時進行し、魅力的な人物が大勢登場することだ。

Q:ジェシカ・チャステインの演技について
ジェシカは驚くほど才能のある役者だ。内面の感情の動きが手に取るように分かる。動作でいちいち表現しなくても気持ちが伝わる。特別な才能だと思う。感情をどこで表現すべきか的確に見極め、自在に調整できる。僕らは以前にも一緒に仕事をしたから、お互いへの理解がある。とにかく彼女はあふれる才能の持ち主だ。この役には重要なことだ。

Q:物語の魅力について
僕にとって今回の脚本の魅力は業界をのぞき見るようなストーリーだ。ドアの鍵穴から見ているような感じだね。ロビイストの仕事を知る人は少ないと思う。普通の人には全く分からない世界で、説明も難しい。だが本作を観ることによって業界の実態も分かるだろう。良くも悪くも、これはアメリカの政治の一部であり、彼らは絶対に欠かせない存在だ。それだけでも興味深いが、本作にはさらに別の見どころがある。主人公が業界の裏の面までも徹底的に利用する点だ。僕たちはそんな姿にどこか魅了されてしまう。そしてこれも本作の重要な要素の一つだが、物議をかもすような題材が扱われている。結局のところ、本作が描いているのは、主人公の人となりだと思う。ある人物の驚くべき生き方を追っていく物語だよ。

Q:本作の見どころについて
映画が小説より優れているところは、総合的なメディアだから、登場人物の心の中に入りやすい点だ。彼らの視点を体験できる。本作の主人公エリザベスは少し変わったキャラクターだ。特殊な職業に就き、普通ではない働き方をする。ある意味、古典的なアメリカ映画だと言えるね。主人公は業界のアウトサイダーで、ルールに従うことを拒絶している。どこまでも世の中の流れに逆らって進む人間だ。そう聞いて、普通、頭に浮かぶのは男性だろう。だが、本作の場合は男性ではなく女性だ。そしてこれも特筆すべきことだが、この女性キャラクターが中心となって物語が展開する。普通なら男性が演じるような役だよ。

■私感 :
今回も、約2時間10分、冒頭からラストまで、目一杯、本作を堪能した。

政治もマスコミも世論さえも動かす「ロビイスト」の驚くべき戦略と活動!
「銃規制法案」をめぐる権謀術数が二転三転して予測不能な着地点へ向かう、何とも堪(こた)えられない劇的な展開~通常の映画に比べてセリフ量も情報量も多い、小気味よいスピーディな流れ~!
そして何よりも私を魅了してやまないのが、辣腕で聞こえた女性ロビイスト、ミス・スローンにおける、“仕事人”としての矜持~戦う強さ~と、人間臭さ~戦い続ける苦しさ~の両面(双極性)を見事に体現したジェシカ・チャステイン(Jessica Chastain)の快演(怪演)ぶりだ。彼女はさすがに天才肌の女優だけあって、スーパーウーマンでありつづけながら自らの“脆(もろ)さ” を垣間見せる場面で、水際立った演技を見せている。

エンドロールが終わり、幕が閉じた後、私はしばし腕を組んで瞑目、そして深々と満足の溜め息を漏らした。〈たっぷり見応えのある映画だった!!〉

▼ cf. Jessica Chastain wins Best Actress - Golden Globe Awards(2013) :
【ゴールデングローブ賞(アメリカ合衆国における映画とテレビドラマに与えられる賞)の「第70回」(2012年の映画とテレビ番組を対象とする)授賞式が、2013年1月13日にカリフォルニア州ビバリーヒルズのビバリーヒルトン・ホテルで行なわれた。
同賞〈映画部門〉主演女優賞(ドラマ部門)では、『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty)(本ブログ〈January 28, 2018〉参照)のジェシカ・チャステイン、『君と歩く世界』(Rust and Bone)のマリオン・コティヤール(Marion Cotillard)、『ヒッチコック』(Hitchcock)のヘレン・ミレン(Helen Mirren)、『インポッシブル』(The Impossible)のナオミ・ワッツ(Naomi Watts)、『愛情は深い海の如く』(The Deep Blue Sea)のレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)の5人がノミネートされ、ジェシカ・チャステインが受賞。】




右上矢印 cf. 『ゼロ・ダーク・サーティ』予告編 :


右上矢印 cf. 『ゼロ・ダーク・サーティ』特別映像 :
2018年3月30日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:25~鑑賞。



作品データ :
原題 TOMB RAIDER
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 118分


2013年に発売の人気コンピュータゲーム<トゥームレイダー>※の映画化作品。美しきトレジャー・ハンター“ララ・クロフト”誕生の物語を、スリリングな謎解きとアクション満載に描き出す。主演は『エクス・マキナ』『リリーのすべて』のアリシア・ヴィキャンデル。共演はドミニク・ウェスト、ウォルトン・ゴギンズ、ダニエル・ウー。監督はノルウェー出身で本作が記念すべきハリウッド・デビューとなる『THE WAVE/ザ・ウェイブ』のローアル・ユートハウグ(Roar Uthaug、1973~)。

※<トゥームレイダー>は1996年から続く「アクション・アドベンチャーゲーム」シリーズである《トゥームレイダー》のリブート作品。その《トゥームレイダー》の映画化作品としては、アンジェリーナ・ジョリー主演による『トゥームレイダー』(Lara Croft:Tomb Raider)(サイモン・ウェスト監督、2001年)→『トゥームレイダー2』(Lara Croft Tomb Raider:The Cradle of Life)(ヤン・デ・ボン監督、2003年)の2作がある。

ストーリー :
資産家の令嬢だが、ロンドンでごく普通の女子大生として暮らしていたララ・クロフト(アリシア・ヴィキャンデル)。冒険家の父親が遺したビデオメッセージを発見し、その遺志を継いでトレジャー・ハンターとなり最初のミッションに挑むことを決意する。それは、日本のどこかにあるという神話上の絶海の孤島に隠された“幻の秘宝”を封印するというもの。その秘宝には世界を滅ぼす邪悪な力が秘められていて、危険な秘密組織“トリニティ”がその悪用を企んでいるというのだった。世界を救うため、一人旅立ったララは、香港でルー・レン(ダニエル・ウー)という男を見つけ出すと、彼を相棒に“幻の秘宝”を探して過酷な大冒険へと繰り出すのだったが…。

▼予告編



▼メイキング映像 :

2018年3月27日(火)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、レイトショー|20:45~ 鑑賞。



作品データ :
原題 Die unendliche Geschichte
英題 The NeverEnding Story
製作年 1984年
製作国 西ドイツ アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 95分

日本公開 1985年3月16日

ミヒャエル・エンデ(Michael Ende、1929~95)の有名な児童小説“Die unendliche Geschichte”(1979)(上田真而子・佐藤真理子訳『はてしない物語』岩波書店、1982年)を、『U ・ボート』のウォルフガング・ペーターゼン監督がイマジネーション豊かに映画化したファンタジー大作。人間の子供が夢や希望を失ってしまったために、崩壊しかけている“ファンタージェン(Phantasien)”という国を救おうとする少年の物語。「幻想の国」が“無(The Nothing)”に襲われ危機に瀕するというファンタジーと、その物語に読み耽る少年を並行して描く。3人の子役【バレット・オリバー(Barret Oliver、1973~)、ノア・ハサウェイ(Noah Hathaway、1971~)、タミー・ストロナッハ(Tami Stronach、1972~)】が、主役【〈読書好きのいじめられっ子〉バスチアン、〈ファンタージェンの勇士〉アトレーユ、〈ファンタージェンの女王〉幼ごころの君(The Childlike Empress)】を、それぞれ務めている。
撮影はヨスト・ヴァカーノ、音楽はクラウス・ドルディンガー、ジョルジオ・モロダー、ロバート・ハザウェイ、特殊効果(SFX)はブライアン・ジョンソンが担当。主題歌をリマールが歌っている。
もともと西ドイツ公開版には主題歌がなかった。北米・日本公開版で、ワーナー・ブラザースの意向によりクラウス・ドルディンガーからジョルジオ・モロダーの楽曲へ変更され、イギリスのロックバンド、カジャグーグー(Kajagoogoo)の元ボーカリスト、リマールの歌う主題歌「The NeverEnding Story」(邦題:「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」)が追加された。

ストーリー :
バスチアン(バレット・オリバー)はいじめられっ子で、母を亡くしてからは父親と二人だけの寂しい生活を送っていた。ある日、悪ガキ3人に追いかけられて逃げこんだ古本屋で、彼は『ネバーエンディング・ストーリー』という不思議な本を見つけるが、店主のコレアンダー(トーマス・ヒル)は意地悪く売ってくれそうもない。コレアンダーが電話に出ている隙(すき)に、バスチアンは本をつかむと店を出て、学校の屋根裏部屋へ行き、本を読み始め、次第にネバーエンディング・ストーリーの世界に浸っていく。…夜の闇に包まれたハウレの森には、とんがり鼻の夜魔(ティロ・プラックナー)と赤いシルク・ハットに赤い服のティーニー・ウィーニー(ディープ・ロイ)がいた。あとから岩を食う巨人(Rockbiter)もやって来た。壮大な“ファンタージェン”という名のこの国で、誰の目にも見えぬ何者かが嵐とともに襲来し、すべてを“無”に変えていた。彼らはこの異変を女王に報告しに行く途中だった。この国を治める女王(タミー・ストロナッハ)は、もう何千万年も生きているのに今でも可憐な少女の姿のまま、象牙の塔に住んでいた。女王は原因不明の病に冒されており、その病を治せるのは、草原の勇者アトレーユ(ノア・ハサウェイ)だけだという。召されてきたアトレーユは、幼い少年であった。女王の命を救うため、アトレーユは危険な旅に出て巨大な亀のモーラから「女王が今でも子供の姿のままなのは、新しい名前を次々ともらっていたからだ。次に新しい名前をつけてくれる者を知りたければ、南のお告げ所ウユララに行き尋ねてみろ」と教えられた。空飛ぶ竜のファルコンに助けられて、アトレーユは南のお告げ所へ行く。お告げは人間の子供だけが新しい名前を授けられるというものだった。強大な“無”はすさまじい勢いで広がり、ファルコンに乗ったアトレーユは荒海へ落下した。気がつくと彼は海辺にいた。ここも“無”に侵触されており、廃墟と化した町の一角で、アトレーユは“無”の手先である人狼のグモルクと対決し、何とかグモルクを倒す。人間は見つからなかったと項垂(うなだ)れて報告するアトレーユに、女王は「あなたは連れて来たのですよ、もうそこまで来てます」と答える。…女王が言っているのは自分のことだと、はたと気がつくバスチアン!…女王は「バスチアン、新しい名前をつけてちょうだい」「お願いよ!助けて!」と懇願する。バスチアンは「僕は地上にいたい」と尻込みするが、泣いている女王を見て、決然と窓の外に向かって新しい名前「ムーンチャイルド!」を叫ぶ。次の瞬間、“ファンタージェン”は爆発し、バスチアンは女王と暗闇の中にいた。女王はファンタージェンの最後の1粒をバスチアンに握らせ、好きなだけ願い事をするよう促し、願い事が多ければ多いほど、新しい素敵な「ファンタージェン」が生まれると話す。やがてバスチアンはファルコンに乗って、生まれ変わった「ファンタージェン」を飛び回る。ファルコンはあの悪ガキ3人組を追いかけてくれる。巨大なドラゴンに追われ、いじめっ子たちはゴミ箱の中に逃げ込む。バスチアンは自信を取り戻し、それから数々の冒険を楽しみ次々と望みを叶えて人間の普通の世界に戻る。それでも、バスチアンに夢や希望がある限り、この果てしない物語は続いていくのだ―。

▼予告編




▼ Movie CLIP ― “Call My Name” :



▼ Last Scene :



▼ Full Movie :



▼ 主題歌 “The NeverEnding Story” :
【歌唱:リマール(Limahl)、作詞:キース・フォーシー(Keith Forsey、1948~)、作曲:ジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder、1940~)】



*映画も大ヒットしたが、リマールことクリストファー・ハミル(Christopher Hamill、1958~)の歌うテーマ曲も多くの国で大ヒットした(ちなみに、「リマール(Limahl)」は「ハミル (Hamill)」のアナグラム)。ノリがよくてキャッチーで綺麗なメロディー!リマールは滑らかな発声の持ち主で、歌が抜群に上手い。女性とのデュエット場面でのマッチングも完璧!映画のタイトル通り、この曲には明確な始まりも終わりもない。冒頭でフェードインし、最後でフェードアウトすることにより、「終わりがない」ことを演出している(なお、ライブで歌唱する場合は、演奏の都合上フェードイン・フェードアウトとならずカットイン・カットアウトの形式となる場合や、女性のデュエット参加がない場合もある)。

■私感 :
33年ぶりの再見である。
1985年の初見時は、女房と息子が一緒だった。親子が揃って楽しめた作品の一つとして懐かしく忘れがたい。
そもそも本作が限りなく魅力的なのは、バスチアン少年の読書を通して現実世界と小説世界がシンクロする(【現実世界/主人公バスチアン⇔ファンタジー世界)/主人公アトレーユ】)という世界観的な構えの取り方にある。そして、CGだけに頼った映像表現とは質感の違う、素朴なSFX技術の結晶たる、清々しいファンタジー・ワールドもまた、格別に味わい深い。
私は今回も1時間30分余り、無理なく素直に楽しめた。
今更のように、大亀モーラ、岩男ロックバイター、犬の顔をした竜ファルコン…斬新なキャラクターに知らず知らず惹きつけられるとともに、本作と実によくマッチしたリマールの主題曲~“物語の中に迷い込み、空想の世界を飛翔する”映画のイメージを端的に象徴する名曲!~に、身を乗り出すようにして聞き入った。
年齢を重ねたとはいえ、「お伽の国」へ緩やかに飛翔する私の想像力はいまだ健在なり、と一安心した次第である!?