作品データ : 原題 THE ONLY LIVING BOY IN NEW YORK 【原題はアメリカの人気ポップユニット、サイモン&ガーファンクルの楽曲名「The Only Living Boy in New York」(邦題:「ニューヨークの少年」)[アルバム「Bridge over Troubled Water」(邦題:「明日に架ける橋」、1970年)の収録曲]が使用されている。】 製作年 2017年 製作国 アメリカ 配給 ロングライド 上映時間 88分
ストーリー : ニューヨーク、マンハッタン(Manhattan)。大学卒業を機に、アッパー・ウエストサイド(Upper West Side)にある親元を離れ、ロウアー・イーストサイド(Lower East Side)の安アパートで一人暮らしを始めたトーマス・ウェブ(カラム・ターナー)。彼は作家を目指していたが思うに任せず、就職はせず個人教師のアルバイトをしながら、未来の自分がいるべき場所を探している。古書店(The Pale Fire)で働くミミ(カーシー・クレモンズ)に夢中だが、彼女には既にバンドマンの恋人がいた。平凡で何か鬱々とした毎日のトーマスがある日、アパートに帰ると、2階に越してきたというジェラルド(ジェフ・ブリッジス)という風変わりな初老の男と初めて出会う。 トーマスはその知性や謎めいた魅力に惹かれて、ジェラルドに人生の相談をするようになっていく。トーマスの父イーサン・ウェブ(ピアース・ブロスナン)は、出版会社を経営し、安定した生活を送っているが、トーマスが作家になるのを拒んでいるかのようで、父子間に微妙な隙間風が吹いている。 ある日、ミミとナイトクラブ(The Box)に出かけたトーマスは、イーサンがセクシーな女性とデートしている場面を目撃する。躁鬱病を患う母ジュディス・ウェブ(シンシア・ニクソン)を案じたトーマスは、父と愛人ジョハンナ(ケイト・ベッキンセイル)を別れさせようと決意。彼女を尾行するようになるが、程なく彼女に気づかれてしまう。フリーの編集者で、父とは1年半前から付き合っていると告白するジョハンナ。「母から父を盗む気?」と責めるトーマスに、「無意識に人は行動している。あなたも私に対して無意識に求愛している」と彼女は意味深に言ってのける。やがていつの間にか次第に、ジョハンナの底知れぬ魅力に溺れて、深い関係に落ちていくトーマス…。 そんなトーマスの毎日の話を真摯に聞くジェラルド。ある日、トーマスはジェラルドが、12冊も本を出したジュリアン・ステラーズという有名な作家であることを知り、また“The Only Living Boy in New York”という題名で自分のことを本にしていることを知る。 ジョハンナは泥沼化する前にトーマスとの関係を終わらせようとしていた。あるパーティーの日、ジョアンナはトーマスに、イーサンにプロポーズされ了承したことを告げる。逆上したトーマスは翌日、イーサンの出版社に飛び込み、そこに居合わせたジョハンナの制止を振り切り、父に「彼女と寝た」と打ち明ける。憤慨し泣かんばかりのイーサンは、部屋から出て行ってしまう。 事態が混乱する中、ジョハンナは「彼はあなたを本気で愛しているのよ」と言って、イーサンが飾っていた、一枚の新聞記事を挟んだフォトフレームをトーマスに渡す。そこには学生時代のトーマスがテニスの試合で活躍したときの写真があった。イーサンが戸惑いながら、その写真に目をやると、何と後方の観客の中に馴染みのある顔の男=ジェラルドが写っているではないか!? 慌ててトーマスはジェラルドのもとに駆けつけたが、彼は不在だった。机の上に「ブルックリン・イン(The Brooklyn Inn)」と名前の入った灰皿を目ざとく見つけて、トーマスは部屋を飛び出した。ブルックリンにあるそのバーのカウンターに座っていた彼に、トーマスは問題の新聞記事を見せる。 ジェラルドの告白は驚くべきものだった。彼とトーマスの両親は、皆アーティストで仲の良い友達同士。3人で安酒とドラッグをやり、青春を謳歌していた。イーサンは自分の才能に見切りをつけ、やがてジュディスと結婚する。しかし、イーサンは不妊症で、二人とも彼の代わり(代理父)をジェラルドに望んだ。引き受けたものの、ジェラルドはジュディスを愛していることに気がつく…。トーマスは実の父がジェラルドであることを知った。話し終えて涙ぐむジェラルドの肩に、トーマスはそっと腕を回すのだった。 母の所にやってきたトーマスは、ジェラルドに会ったことを告げる。「何を知ったの?」と問う母に「母さんの罪悪感の元だよ」と応えると、母は取り乱し始めた。「僕は許してる!母さんは25年間、公園のベンチに座ってあの人の本を読んでいたんでしょ?」 「内緒にしていたのは私の意志よ。彼に会ったら何もかも崩れてしまう」と呟く母に、「何もしなくても崩れたよ」とトーマスは優しく言う。二人は手を握り合い、静かに微笑み合った。 一年後のこと…。トーマスがメールを開くと、「残念ですが原稿をお返しいたします」と出版社から返信が届いていた。書店を営みながら、彼は再び書き始めていた。そこに発売された、ジェラルドの小説“The Only Living Boy in New York”を求めて、イーサンが訪ねてくる。 二人はセントラルパーク(Central Park)を一緒に歩いた。「本の感想は?」とイーサンは尋ね、「父親の過去に一番驚いた」とトーマスは答える。「どっちの?」「逃げなかったほうの」トーマスがそう答えると、父イーサンは微笑んだ。 “The Only Living Boy in New York”の作者による朗読会がギャラリーで開催されていた。自作を読むジェラルドの姿を一番前の席に座って見つめる母の姿があった。その姿をトーマスが優しく見守っていた―。
▼ Trailer
▼ Simon & Garfunkelの名曲「ニューヨークの少年」が流れる劇中シーン→予告編 :
■私感 : 私は“ニューヨーク映画”~ニューヨーク(New York City)の街が息づく映画~がこよなく好きである。 子供の頃からNYに憧れ、2000年前後にNYマンハッタン(ミッドタウン・ウエスト)の住人だった私にとってニューヨークは、とりわけマンハッタンは、格別な親近を感じる場所にほかならない。単なる「観光地」ニューヨークではなく、「暮らす街」ニューヨークを陰影豊かに描き出す映画は、そのストーリーに難があろうとも、私という一人の映画好きの普通人を、知らず知らず磁石のように惹きつけてきた。 私は数知れないほどたくさんのNY映画を堪能しつづけた。古くは、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『ウエスト・サイド物語』(1961年)、『ゴッドファーザー』(1972年)、『タクシードライバー』(1976年)、『アニー・ホール』(1977年)、『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)、『マンハッタン』(1979年)、『アニー』(1982年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)などなど。最近では、『華麗なるギャツビー』(2013年)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)、『LIFE!/ライフ』(2013年)など…。
監督のマーク・ウェブ(Marc Webb、1974~)はカラム・ターナーの抜擢について、「…大人と少年の狭間にいる俳優を探す必要がありました。ジョハンナが恋に落ちても不思議ではなく、しかし同時にミミのような女性ともデートしていそうな男性。とても微妙なバランスを求められます。作品を通して観客がトーマスを応援できることがとても重要です。カラムはこの役柄をとてもよく理解していましたし、大人と少年の両面の存在感を持っていて完璧だと思いました」(映画パンフ『The Only Living Boy In New York』〈2018年4月14日発行/編集・発行:松竹株式会社事業部〉29頁)とコメントしている。 なるほど、大人と少年の狭間(はざま)で反抗期を抜けきれないトーマス→見知らぬ隣人ジェラルド(ジェフ・ブリッジス)と父の愛人ジョハンナ(ケイト・ベッキンセイル)との二つの出会いを通して、予想外の“自身と家族の物語”に直面するトーマス、この悩ましい青年像を鮮明に刻むことは容易な業ではない。 とはいえ、主演の主演たるゆえんは、そうした難役をこなしてこそのものだろう。 ウェブ監督により「大人と少年の両面の存在感を持っていて完璧だ」と“上げ底”評価を下されたターナーだが、私自身は映画シーンに登場するトーマス=ターナーの存在自体にしっくりした感情が湧かず、どうかすると彼の言動のもどかしさにイライラが募るばかり…。 私にあっては、主人公トーマス=ターナーが自ら、大人でもない少年でもない、少年→大人への形成史的な“息苦しさ”を一身に引き受ける覚悟のほどが、まるで伝わってこないのだ。 彼トーマス=ターナーに心情的に共感できないとき、ややもすると私の目に飛び込んでくるのは、風采の上がらない背高(せいたか)のっぽの彼であったり、嘴(くちばし)の黄色い青二才の彼であったり、幼稚な情熱に駆られる生意気な若造の彼であったり…。 私はついつい勝手な臆測をたくましくする。生粋の(マンハッタン生まれの)ニューヨーカーを若いイギリス人俳優が演じること自体、どこかに無理があるのだろうか…と(カラム・ターナーは1990年2月15日、イギリス、ロンドン出身。2010年よりモデルの仕事を始め、その後、俳優に転身)。
トーマス・ウェブ役を演じたカラム・ターナーは、『(500)日のサマー』のトム・ハンセン役を演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットの“二代目”であると言われる(cf. 前出の映画パンフ、6-7頁)。 『(500)日のサマー』(原題:(500)Days of Summer、2009年)は、ミュージック・ビデオを多く手掛けてきたマーク・ウェブの長編映画デビュー作で、Downtown Los Angelesを舞台に、運命の恋を信じる男と信じない女が繰り広げる、ビタースイートな500日ラブストーリー!音楽から会話に至るまでセンスのいい演出が際立つ、批評家に絶賛された作品である。 私は2009年10月12日、初めて行った香港の、たまたま入った映画館で同作(字幕は中国語)を鑑賞。全編に清涼の気がみなぎる、すこぶる後味のいい映画だった。今風の若い男女が軽く戯れ、薄く交わる、そのユニークなロマンティック・スタイルが、何とも面白く楽しい!偶然の成り行きとはいえ、犬も歩けば棒に当たる、私は香港くんだり(!?)で予想外の快作に出会って欣喜雀躍! それより何より、主人公のトムに扮するジョセフ・ゴードン=レヴィット(Joseph Gordon-Levitt、1981~)が実にいいのだ!知性とユーモアがきらめく甘いマスクで、愛する女性との異なる恋愛観に翻弄されるナイーブな20代の青年の生き生きした姿をさわやかに好演している。 彼は同作で第67回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。以降、大ブレイクし、話題作に次々と出演している。 彼の出演作については、私はこれまでに、『インセプション』(2010年)→『50/50 フィフティ・フィフティ』(2011年)→『ダークナイト ライジング』(2012年)→『LOOPER/ルーパー』(2012年)→『リンカーン』(2012年)→『ドン・ジョン』(兼監督・脚本、2013年)→『シン・シティ 復讐の女神』(2014年)→『スノーデン』(2016年)(本ブログ〈March 30, 2017〉)を鑑賞。ジョセフはラブストーリーからシリアスな作品、アクションものからハートフルドラマまで、ジャンルを問わず、様々な映画で今まさに第一線で活躍中の演技派・実力派俳優である。
(※心を鷲掴みにされるopening scene!アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン〈George Gershwin、1898~1937〉の「ラプソディ・イン・ブルー〈Rhapsody in Blue〉」をバックに、マンハッタンの美しい風景がモノクロで映し出される…。私は昔も思ったし、今も思う。ニューヨーク、特にマンハッタンは、“驚くほど、あらゆるものが雑然と入り乱れながらも、たとえようもなく全体として美しい街”である、と。)
cf. “New York in Cinema” ― 80近い「ニューヨーク映画」から印象的なシーンを選んで再構成したショートフィルム (「ニューヨーク映画大特集!」) :
2009年のコーエン兄弟のコメディ映画『シリアスマン』(原題:A Serious Man)で初主演を果たして以降、一躍有名俳優へと躍り出たスタールバーグは、今作でホフステトラー博士という端倪(たんげい)すべからざる、複雑な事情が絡んだキャラクター~【実は、一方でソ連のスパイとしてアメリカに送り込まれた、東西冷戦下の時代状況をもろに背負った人物、他方でイライザと意思の交流が可能な“彼”を何とか救おうと奔走する良心的な研究者】~を落ち着いた物腰で丁寧に演じている…。 [ちなみに、2017年にスタールバーグが出演した『君の名前で僕を呼んで』(原題:Call Me By Your Name、ルカ・グァダニーノ監督)→『シェイプ・オブ・ウォーター』→『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(原題:The Post、スティーヴン・スピルバーグ監督)の3作すべてが、第90回アカデミー賞の作品賞にノミネートされた。]
2008年の『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(原題:Revolutionary Road、サム・メンデス監督)での脇役演技が高評価を得て(第81回アカデミー賞助演男優賞にノミネート)以降、個性的な役柄に定評のある俳優として活躍の幅を広げてきたシャノンは、今作でアマゾンの奥地で実験動物として捕獲された“彼”と共に政府の極秘研究所に派遣された軍人で、邪悪であると同時に神経質な、自分と異なる者の存在を決して認めないレイシストの役柄をきっちりと怪演している…。 それにしても、193cmと大柄な体躯とゴツイ顔が印象深いシャノンが、典型的なヒール役に徹したときのその全身的な迫力たるや、まさに鬼気迫るものがある[この点に関して私がつい連想するのは~彼の出演作中の私の鑑賞分に照らして言えば~、『THE ICEMAN 氷の処刑人』(原題:The Iceman、アリエル・ヴロメン監督、2012年)のリチャード・ククリンスキー役であり、また『マン・オブ・スティール』(原題:Man of Steel、ザック・スナイダー監督、2013年)のゾッド将軍役である]。その現実感のある~空虚感・屈辱感・狂気が漂う~悪党ぶりは、主役を食うほどにインパクトが強く、圧倒的な存在感を印象づけてやまない。本作が単なる「娯楽」映画(ラブストーリー+ダークファンタジー+スリラー)を超えて社会的・政治的メッセージ性の高い引き締まった「芸術」映画に仕上がっているのも、このシャノンの際立った“怪演・巧演”力があればこそと言っても、あながち過言ではない。
本作は、心に響く“美しい”物語である。 この美しい物語にふさわしい“美しい”音楽を手がけたのが、『グランド・ブダペスト・ホテル』(原題:The Grand Budapest Hotel、ウェス・アンダーソン監督、2014年)でアカデミー賞作曲賞を初受賞したアレクサンドル・デスプラ(Alexandre Desplat、1961~)(cf. 「アレクサンドル・デスプラ INTERVIEW」- 音楽レヴューサイト“Mikiki”2018.05.02)。ギレルモ・デル・トロ監督は2018年1月下旬のプロモーション来日時のインタビューで、作曲家のデスプラを起用した理由について、こう述べている。
≪――歌のような映画をつくりたい、とおっしゃいましたが、『シェイプ・オブ・ウォーター』の音楽は物語の雰囲気に合っており、素晴らしいと感じました。作曲家アレクサンドル・デスプラ氏の音楽を起用した理由をお聞かせいただけますか? ギレルモ・デル・トロ監督:デスプラ氏とは以前に2回、映画『Rise of the Guardians』(2012)とテレビシリーズ『Trollhunters』(2016~)で一緒に仕事をしたことがあります。彼はとにかく素晴らしい音楽を書くんです。(名作『突然炎のごとく』や『プラトーン』などの音楽を担当し、“映画界のモーツァルト”と呼ばれた)フランスの作曲家ジョルジュ・ドルリュー(1925~1992)を彷彿とさせる作風で、『シェイプ・オブ・ウォーター』のイメージどおりの音をつくってくれると感じました。/本作は、カメラが動いていないシーンがひとつもないんです。静かで、何も起こっていないように感じられるシーンでも、ほんの少しずつ動いている。まるで水の中にいるかのように、カメラは絶えず動いているんです。デスプラ氏は、その様子にぴったり合った楽曲をつくってくれました。/また、本作は感情に焦点を当てた映画なので、感情豊かな人と製作することが大切でしたね。私自身、メキシコ人ということもあって感情が豊かですし、デスプラ氏もフランス出身だからか、豊かな感受性を持っています。そこも彼を起用した理由でしたね。≫(シネマズby松竹-2018.03.01)
全編を彩る心地いいムード音楽の使い方と言えば、何よりも私を魅了するのが、既存の楽曲の選曲である、ソプラノ歌手~当代随一のソプラノと評される、世界的なオペラ・スター~ルネ・フレミング(Renée Fleming、1959~)が歌うスタンダード・ナンバー“You’ll Never Know”である。この点に関して、デル・トロ監督は2018年1月30日の来日記者会見の席上、次のように説明している。
≪──(記者)映画への愛という言葉がでましたが、あなたの映画にはアリス・フェイの「You’ll Never Know」という曲が何度か出てきましたが、この曲に込めた想いがあれば教えてください。 デル・トロ:今作では映画に対する愛を表現したかったのですが、それは偉大な巨匠の名作だけではないんです。例えば映画館で映画と観るというのは「市民ケーン」を見たり、「雨に唄えば」や他の重要な映画を観るだけではなく、私にとってその映画とはメキシコで「日曜シネマ」と言われるものです。/私は今までの人生の中で何度も何度も落ち込んだ時に、一般的には重要視されていないコメディやメロドラマ、ミュージカルが救ってくれました。私は、そういうタイプの映画に対しての愛を持っています。なぜならそういう映画が唯一意図しているのは観客とつながることだからです。なのでそういう映画にはエモーショナルさがあるんです。/そして、あの歌(You’ll Never Know)は泣ける歌なんです。映画の中で、彼女はどれだけ彼を愛しているのかを伝えたくて泣きます。でも彼女は話せないので言葉がでない。メキシコ人としては、愛を伝える最もよい方法は、歌うことです。メキシコではセレナーデというものがあり、バルコニーに向けて歌いますが、彼女は彼女の頭の中で、彼のことをどれだけ愛しているのかを歌い伝えることが出来るんです。/映画の中でも言葉は嘘をつくことができることを示しています。言葉を使える人たちはみんな嘘で混乱してしまいますが、言葉を発せない二人はつながることができるんです。唯一言葉で嘘がつけないのは、歌う時なんだと思うんです。≫(uDiscoverMusicJPー2018年1月31日)
本作では、「You’ll Never Know(ユール・ネヴァー・ノウ)」が3回流れる。最初はイライザの隣人・親友であるジャイルズが聴いている。2回目は、イライザが空想の中で歌う。そして、3回目はエンドクレジットに流れる。 そもそも「You’ll Never Know」は、1943年の日本では未公開のミュージカル映画『Hello, Frisco, Hello』の主題歌(作曲:ハリー・ウォーレン、作詞:マック・ゴードン)としてアリス・フェイ(Alice Faye、1915~98)が歌唱し、第16回アカデミー賞歌曲賞を受賞したことでも知られる名曲。ジャイルズが愛聴するのも、アリス・フェイのバージョンである。
cf. Alice Faye - “You'll Never Know” :
同曲が2度目に流れる空想シーンは、モノクロのミュージカルとして演出されている。フルオーケストラをバックに踊るのは、イライザと彼女の恋の相手である“彼”(Amphibian Man)。このダンスシーンで、劇中では言葉を発しないイライザ役のサリー・ホーキンスが「You’ll Never Know」を歌っているのだが、これは口パク。今作のためにアレクサンドル・デスプラが編曲し、ルネ・フレミングが歌唱した音源が使われている。
Dancing Scene :
ルネ・フレミングが歌う“You'll Never Know” ミュージック・ビデオ :
“You'll Never Know”(Lyrics) :
フレミングが歌う「You’ll Never Know」は、主題歌ながら2バージョンあり、特にラストからエンドロールに向けて満たされるように流れていくゴージャスなジャズ・コンボのアレンジには、デスプラならではのウィットが効いている。
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh、1853~90)、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne、1839~1906)らと並び、“ポスト印象派(Post-Impressionism)”と総称され、19世紀最大の芸術家の一人として知られる天才画家ゴーギャン。彼は芸術華やかなりし19世紀フランスに誕生した画家たちの中でも、ひときわ野生を切望し、作品のモチーフにも異国情緒と神秘を持ち込んだ。1876年にはパリのサロンへの入選を果たすものの、次第に彼の関心はどこか遠い未開の地へと移っていく。そして、パナマやマルティニーク島への旅を経て、ついに見つけた「地上の楽園」、それがタヒチだった。 第一期タヒチ時代を描いた本作では、この時代の作品として後年世界に衝撃を持って迎えられることになる名画誕生の瞬間を、ポリネシアの奔放な大自然のなかで大胆に見せていく。黒髪の“原始のイヴ”をモデルとして、数々の作品を生み出していく“熱帯のアトリエ”における芸術家のデモーニッシュな内面の力が明かされていく―。
cf. ゴーギャンの油彩画(寸法:69 x 91.5cm)「砂浜のタヒチの女たち」(1891年〈タヒチ第一期〉) :
cf. ゴーギャンの油彩画(73 x 92cm)「死霊が見ている」(1892年〈タヒチ第一期〉) :
cf. ゴーギャンの油彩画(101.5 x 77.5cm)「いつ結婚するの?」(1892年〈タヒチ第一期〉) : 2015年2月、「いつ結婚するの?」(タヒチ語:Nafea faa ipoipo〈ナフェア・ファア・イポイポ〉?)は、プライベートセールに掛けられて~スイス人コレクターのルドルフ・シュテヘリンからカタール王室(匿名扱い)へ~(当時)絵画史上最高額となる3億ドル(日本円で約360億円)で落札された―。
cf. ゴーギャンの油彩画(139×375cm)「我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?」(1897~1898年〈タヒチ第二期〉) : ゴーギャン畢生の(4メートル近くの幅がある)大作である。画面の左手上にはフランス語で「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」と題名が書かれている。この謎めいたタイトルを持つ作品は、ゴーギャンの2度目のタヒチ滞在中に描かれた。ゴーギャンは当時、絶望的な状況に追い詰められていた。遠く離れたヨーロッパでの愛娘アリーヌの死、悪化する病の苦しみ、そして借金いや増す経済的な困窮…。親友の画家ダニエル・ド・モンフレエに宛てた書簡(1898年2月)によれば、「私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした」(ポール・ゴーギャン著/ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳『ゴーギャン オヴィリ~一野蛮人の記録~』みすず書房、1980年)。 ゴーギャンがこの世に残す遺書代わりに自らの画業の集大成として描き上げたのが、「ドゥ・ヴェノ・ヌ ケ・サム・ヌ ウ・アロ・ヌ」(英語:Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?)にほかならなかった。彼は同作の完成後、砒素を服し自殺を図るが、自殺は未遂に終わる…。ゴーギャン自身の人生観‐死生観‐世界観の物語性を具現した、この深遠な哲学的・芸術的作品は、やがて観る者の心をとらえて離さず、後世の記憶に残ることとなった。 この油絵の横長の画面上には、右から左へ、人間の生の様々な局面~人間の生から死への経過~が、一連の物語のように表現されている。ゴーギャン自らがその構図を、(前掲書の引用文に続いて)次のように明らかにしている。 「右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。」 この大作の発する具体的なメッセージは何か。ゴーギャン自身は生前、その全容を詳(つまび)らかにしていない。しかし、混迷する現代社会に生きる私たち「観客」は知っている。その、ゴーギャンの制作した最大の作品にして最高傑作が、私たち一人ひとりの内的世界に各様の物語を誘発してやまず、不断に各人の“生きざま⇔死にざま”を重く問いかけてくることを―。
cf. Paul Gauguin(1848~1903) ― brief biography and artwork :
▼ cf. Jessica Chastain wins Best Actress - Golden Globe Awards(2013) : 【ゴールデングローブ賞(アメリカ合衆国における映画とテレビドラマに与えられる賞)の「第70回」(2012年の映画とテレビ番組を対象とする)授賞式が、2013年1月13日にカリフォルニア州ビバリーヒルズのビバリーヒルトン・ホテルで行なわれた。 同賞〈映画部門〉主演女優賞(ドラマ部門)では、『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty)(本ブログ〈January 28, 2018〉参照)のジェシカ・チャステイン、『君と歩く世界』(Rust and Bone)のマリオン・コティヤール(Marion Cotillard)、『ヒッチコック』(Hitchcock)のヘレン・ミレン(Helen Mirren)、『インポッシブル』(The Impossible)のナオミ・ワッツ(Naomi Watts)、『愛情は深い海の如く』(The Deep Blue Sea)のレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)の5人がノミネートされ、ジェシカ・チャステインが受賞。】