普通人の映画体験―虚心な出会い -31ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2018年3月27日(火)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、18:15~ 鑑賞。『東京物語』15:35~と2本立て上映。



作品データ :
製作年 1955年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 125分


長与善郎の小説『青銅の基督』(改造社、1923年)を『現代人』(1952年)の渋谷実監督が映画化した、江戸時代の長崎を舞台としたキリシタン殉教悲劇。幕府のキリシタン弾圧が激しさを増すなか、踏絵代わりのキリスト像を作らされる若い鋳物師とキリシタンの娘との恋や、幕府の政策に協力する転びバテレンの姿を中心に描く。出演者は『また逢う日まで』(1950年)の岡田英次、『黒い潮』(1954年)の滝沢修、『山椒大夫』(1954年)の香川京子、『女ひとり大地を行く』(1953年)の山田五十鈴、『伊豆の踊子』(1954年)の石浜朗、『うず潮』(1952年)の野添ひとみ。

ストーリー :
徳川幕府がキリシタン(カトリック教信徒)の根絶に躍起となっていた頃、長崎の奉行所で南蛮バテレンのキリシトファ・フェレラ(滝沢修)は、拷問の苦しみに堪えかね、幕府の政策に協力することを誓った。若い南蛮鋳物師・萩原裕佐(岡田英次)は、キリシタンの娘モニカ(香川京子)を愛しているが、モニカの父・多門(藤田多門)は、裕佐がキリシタンでないので、結婚を許さなかった。フェレラの密告で多門が捕らえられ、悲惨な最期を遂げる。
ある日、フェレラは下役人・岩吉(三井弘次)からキリシタン根絶に妙案はないかと訊かれ、踏絵の代わりに鋳物のキリスト像を用いることを進言する。奉行所の手先となった絵師・孫四郎(信欣三)が、商家の若旦那に頼まれたと偽って、裕佐にこの仕事を引き受けさせた。裕佐はモニカへの愛のため、見事な青銅のキリスト像を仕上げたが、フェレラの提案で踏絵代わりに使われると知って激怒し、モニカの弟・吉三郎(石浜朗)にフェレラこそ憎むべき裏切り者だと告げる。裏切り者を殺そうといきり立つ吉三郎を押し止めたモニカは、和蘭屋敷にフェレラを訪ね、彼の良心に訴えて翻心させようとするが、フェレラは聞かなかった。フェレラが何者かに狙撃されたのは、それから間もなくのことである。
聖夜、儀右衛門(伊達信)の家に集まった信徒たちは、まだ傷の癒えぬフェレラの案内で乗り込んだ役人に捕らえられる。処刑の日、彼らは裕佐の精魂こめて作ったキリストの前に跪いて礼拝した。それを見た奉行は、最後まで信徒でないと言い張る裕佐を、背後から突き刺した。十字架にかけられた信徒たちの口から讃美歌が唱えられる。その下に這い寄った瀕死の裕佐は、初めてモニカの愛の言葉を聞いた。地獄絵さながらの光景を前に「いつの世にもユダはいる」と呟くように言ったのはフェレラであった―。

■私感 :
初めて観たこの映画、予想外に私の興味と関心を引きつける印象深い映画だった。
本作は同じ「キリシタン殉教」問題を扱ったマーティン・スコセッシ監督作『沈黙ーサイレンスー』 本ブログ〈April 19, 2017〉 を連想させる。宗教的な含蓄はともかく、物語自体としては本作の方が『沈黙』より面白い。
一途なキリスト教信仰に殉じるモニカ(香川京子)、屈折した恋に殉じる遊女・君香(山田五十鈴)、現世の瞬時の幸福をひたむきに追い求める鋳物師・裕佐(岡田英次)、転びバテレンとして役人と通じる中途半端なエセ神父フェレラ(滝沢修)。それぞれに時代の傷を背負う個性的な人物たちによる人間的な絡み合いが、興趣に富む一編の悲劇的な物語を紡ぎ出す。
そもそも本作の原作-白樺派の作家・長與善郎(1888~1961)の小説『青銅の基督』(1923年)と、同上『沈黙』の原作-カトリック教作家の遠藤周作(1923~96)の代表作『沈黙』(1966年)では、思想的な構えの取り方~どこに問題の焦点を絞り、何をテーマに据えているか~が、どう根本的に違うのだろうか。
少なくとも世間一般の「俗人」たる私の場合、 “神と信仰”の意義を正面切ってテーマ化した遠藤周作の思想的姿勢よりも、“年若い鋳物師が役人の要請で踏絵用に余りに気高い青銅製のキリスト像を造るが、その遊里に親しむような若者にそれほどの傑作を生ませたものは何か”を問題化した長與善郎の思想的姿勢に、一層新鮮な知的好奇心が駆り立てられる―。

ガーン 本作ラストの公開処刑シーン :

聖夜、キリシタンたちはフェレラの密通により役人に捕らえられる。しかし、信仰の堅固な信者たちは、踏み絵を拒み、青銅のキリスト像に額ずいて磔(はりつけ)に処せられる。その公開処刑シーンは、瀬戸市の粘土採掘場である陣屋鉱山で市民エキストラを得て撮影された。…私はこのラストのクライマックス・シーンの、寥々と広がる荒野を思わせるスケール感に圧倒された!
2018年3月27日(火)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、15:35~ 鑑賞。『青銅の基督』18:15~と2本立て上映。



作品データ :
製作年 1953年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 135分

公開日 1953年11月3日




日本映画を代表する傑作の1本。小津安二郎監督(1903~63)の名を国際的にした最も有名な作品。尾道に暮らす老夫婦が東京に住む子供たちを訪ねる物語で、家族の絆/夫婦と子供/老いと死/人間の一生を丹念に見つめた深遠なドラマ。“ロー・ポジション”※を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気のもとに、臆することなく描写している。出演者は『君の名は』の笠智衆(1904~93)、『破れ太鼓』の東山千栄子(1890~1980)、『わが青春に悔なし』の原節子(1920~2015)、『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』の香川京子(1931~)、『蟹工船』の山村聡(1910~2000)、『うず潮」の三宅邦子(1916~92)、『めし』の杉村春子(1906~97)、『きんぴら先生とお嬢さん』の大坂志郎(1920~89)、『暴力の街』の安部徹(1917~93)、『にごりえ』の中村伸郎(1908~91)、『雁』の東野英治郎(1907~94)、『サラリーマンの歌』の十朱久雄(1908~85)。今では失われつつある思いやりや慎ましさといった“日本のこころ”とでもいうべきものを、「不滅のスター」原節子が孤高に体現している。家でひとり侘びしく佇む笠智衆を捉えたショットは、日本映画史上に残る名ラスト・シーンの一つ。

※カメラにおける「ポジション」と「アングル」について :
「アングル(Angle)」とは、直訳すると角度のこと。【カメラの位置に関係なく】カメラを上方に傾けて~カメラの仰角を上げ、煽(あお)り気味に見上げて~撮影することを「ロー・アングル」、下方に傾けて撮影することを「ハイ・アングル」、水平にして撮影することを「水平アングル」と呼ぶ。注意すべきは、「ロー・アングル≠低い位置からの撮影」であり、また「ハイ・アングル≠高い位置からの撮影」であること。一方、「ポジション(Position)」はカメラと被写体の位置関係を示す用語。カメラが被写体よりも高い位置にある場合は「ハイ・ポジション」、低い位置にある場合は「ロー・ポジション」と言う。(ちなみに、アイレベルは撮影者の目線の高さで撮ることを示す。)なお、一般的に「ロー・アングルで撮影」/「ハイ・アングルで撮影」と言う場合は、それぞれ、ほとんどが「ロー・ポジション、ロー・アングル」/「ハイ・ポジション、ハイ・アングル」のことを指している。
小津映画は基本的に「ロー・ポジション」を作風の特徴としている。そこでは、基本的にカメラを大人の膝位置より低く固定し、角度をわずかに上にあげた50ミリの標準レンズで、撮影が行なわれた。低い位置から取られた映像は、日本間・畳の日本式家屋での座り芝居を見せることに好都合で、同じ構図のショットを繰り返すことが、観る者に心地よい安定感を与えることになった。


ストーリー :
平山周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦は、住みなれた尾道から20年ぶりに東京にやって来た。途中、大阪では三男の敬三(大坂志郎)に会えたし、東京では長男幸一(山村聡)の一家も長女志げ(杉村春子)の夫婦も歓待してくれて、熱海へまでやってもらいながら、何か親身な温かさに欠けているのがやっぱり物足りなかった。と言うのも、医学博士の肩書きまである幸一も志げの美容院も、思っていたほど楽ではなく、それぞれの生活を守ることで精一杯にならざるをえなかったからだ。周吉は同郷の旧友~沼田三平(東野英治郎)、服部修(十朱久雄)~との再会にわずかに慰められ、とみは戦死した次男昌二の未亡人紀子(原節子)の今も昔も変わらざる心遣いが何よりも嬉しかった。紀子はわざわざ仕事を休んで、周吉夫妻を東京名所の観光に連れて行った。ハハキトク――尾道に居る末娘京子(香川京子)からの電報が東京のみんなを驚かしたのは、老夫婦が帰国してまもなくのこと。脳溢血である。とみは幸一に看取られて静かにその一生を終えた。駆けつけたみんなは悲嘆にくれたが、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。若い京子には兄姉たちの非人情がたまらなかった。紀子は京子に大人の生活の厳しさを言い聞かせながらも、自分自身いつまで今の独り身で生きていけるか不安を感じないではいられなかった。東京へ帰る日、紀子は心境の一切を周吉に打ち明ける。周吉は紀子の素直な心情に今更のごとく打たれて、亡妻の形見の懐中時計を彼女に贈った。翌日、紀子の乗った上り列車を京子は小学校の丘の上から見送った。周吉はひとり家で身ひとつの侘びしさをしみじみ感じるのだった…。

▼予告編


▼予告編(ニューデジタルリマスター) 


▼ Full Movie


■私感 :
自分史上、本作の映画館での鑑賞は、今回で8回を数える。
初見は郷里北海道の映画館で中学生の時。たしか原節子ファンである大学生の姉と一緒の鑑賞だったはずだ。再見は東京の映画館~池袋の人生座or文芸坐?~で大学生の時(cf. 本ブログ〈July 27, 2016〉、 本ブログ〈July 28, 2016〉)。そして東京の映画館で、2000年代に3、4、5、6回目(都合4回)、2014年に7回目の鑑賞となった。
少年時代の私にとって、本作はアクション的な快感ゼロの、俳優のセリフも動きものんびりした、淡々たる静物画のような映画だった。ただし、笠智衆の燻(いぶ)し銀を思わせる演技が私の心をつかんだこと、また目鼻立ちがくっきりした二人の美人女優、香川京子と原節子の魅力~香川の初々しい美しさと原の落ち着いた美しさ~が映画少年の私の心に刻みつけられたこと、これは紛れもない事実だ。
私が2000年代(2000~2009年)に~21世紀に入って~、約30年ぶりに本作を再々見するにいたった大事なきっかけは、2000年2月にニューヨークで溝口健二(1898~1956)の監督作4本を観たことである。

2000年2月14日~3月6日、コロンビア大学のミラー・シアター(Miller Theatre at Columbia University)で、「溝口健二映画特集」(英語字幕付き)が組まれた。
2月14日―パネル・ディスカッション「溝口健二の人生と作品」の後、『山椒大夫』(1954年)を上映
2月21日―『雨月物語』(1953年)、『祇園囃子』(1953年)を上映
2月28日―『歌麿をめぐる五人の女』(1946年)、『わが恋は燃えぬ』(1949年)を上映
3月6日―『西鶴一代女』(1952年)を上映

私は前掲の6作中、『西鶴一代女』を除く5作を鑑賞、NYのマンハッタンで久しぶりに日本映画の醍醐味を味わった。すでに小学生の時に『雨月物語』と『山椒大夫』の2作は観ていた私だが、この時点で事新しく、少年時代には見逃していた溝口映画の中身の濃さを知った。
さらに私が意にとめたのは、2月24日当日の映画上映に先立つパネル討論で、パネラー~ロチェスター大学のProf. Joanne Bernardi、コロンビア大学のProf. Paul Anderer、映画評論家のAndrew Sarris~の一人(3人中の誰だったかは私の記憶にない)の発言内容だ。「溝口は小津、黒澤と並び称される日本映画界の名匠だが、私個人としては全体的に、溝口の作品が一番好きだし、小津、黒澤をしのぐ力量の持ち主だと思う」、「In the years since his death in 1956, his reputation as one of the master directors of world cinema has continued to grow.」。
私はニューヨークに長期滞在中に自ら思い定めた。帰国したら、長らく無沙汰した日本映画を、溝口健二、小津安二郎、黒澤明(1910~98)3人の作品を中心に(映画館or DVDで)見直すことにしよう!また、溝口映画、小津映画、黒澤映画の三者に対する今後の接し方は、「小中高大」時代の鑑賞機会が少なかった映画ほどより優先的に~つまり、黒澤映画よりも溝口映画に、溝口映画よりも小津映画に~特別な関心を払いながら、日本映画の価値と意味付けを「再・新」発見することにしたい!

※私は児童・生徒・学生だった当時、小津作品については、本作のほか『秋日和』(1960年)、『秋刀魚の味』(1962年)を鑑賞、
溝口映画については『武蔵野夫人』(1951年)、『雨月物語』(1953年)、『山椒大夫』(1954年)、『近松物語』(1954年)、『新・平家物語』(1955年)、『赤線地帯』(1956年)の6作鑑賞、
黒澤映画については『姿三四郎』(1943年、1952年再公開)、『羅生門』(1950年)、『七人の侍』(1954年)、『蜘蛛巣城』(1957年)、『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)、『天国と地獄』(1963年)、『赤ひげ』(1965年)の11作鑑賞(ちなみに、鑑賞時は映画公開時に必ずしも符合しない。例えば、黒澤の『羅生門』の鑑賞時は公開時から数年後だったと思う)。


2000年9月に日本に帰国して以降、私の小津映画-溝口映画-黒澤映画への関心の向け方は、年月を経るにつれ、小津映画に比重が一層増大していった。2000年代を通して、私は時に映画館で時にDVDで、前出の3作を再鑑賞するとともに、『晩春』(1949年)、『宗方姉妹』(1950年)、『麦秋』(1951年)、『お茶漬の味』(1952年)、『早春』(1956年)、『東京暮色』(1957年)、『彼岸花』(1958年)、『浮草』(1959年)、『小早川家の秋』(1961年)の9作を初鑑賞。そして2010年代に入って、この小津映画計12作を飽かず何度も繰り返し鑑賞しつづけ、現在にいたっている。

私の場合、本作~小津作品の集大成で代表作といわれる『東京物語』~の鑑賞回数は、映画館でのそれが今回込みで8回、DVDでのそれがこれまでに数回(3、4回?)、結局10回を超えた。
そして今、つくづく思う。年を重ねるごとに、時の流れの無常~“無常の風は時を嫌わず”~を詠む小津ワールドが、実感となって私の胸に迫ってくる…と。
そこには、ドラマチックなストーリー展開がないものの、平凡な日常の生の具体の中に起こる、家族の時間と喪失⇒生・死・出会い・別れといった(容易に再現されることのない)“一回性”を洞察する人間存在の“普遍的な”テーマが厳存する。
個々の人間の猥雑で混沌に満ちた生の具体に寄り添いながら、日常生活のささやかな出来事の中のさりげない会話~言葉と行間~の中に、説明的な名台詞を一切使わず、喜び・悲しみ・怒り・恥じらい・戸惑い・遠慮…の万感の思いを如実に物語る、その“物語力”において、小津安二郎に秀抜なものがあること、これは言を俟(ま)たない。
2018年3月22日(木)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、18:25~ 鑑賞。『ひめゆりの塔』16:00~と2本立て上映。


作品データ :
製作年 1954年
製作国 日本
制作会社 新世紀プロ
配給 北星
上映時間 97分


貧しい農村で周囲の反感を買いながらも、戦後日本の新しい教育のあり方を進める中学教師とその教え子たちとの交流を描いたヒューマンドラマ。第二次大戦後、子供たちに自身の生活を見つめ、ありのままに作文を書かせる「生活綴り方」運動~子どもたちの生活に根ざした教育実践~は、山形を中心に宮城、福島、新潟、秋田へと広がっていった。この映画は山形のそれを主題にした今井正監督の『山びこ学校』(1952年)の姉妹編とも言える作品である。監督は『悲しき口笛』『雲ながるる果てに』の家城巳代治(1911~76)。栃木県の部屋村(現・ 栃木市)でオール・ロケ(ちなみに、部屋村は足尾鉱毒事件で「渡良瀬遊水地」とされて1906年に廃村に追い込まれた谷中村の隣村)。出演者は『女ひとり大地を行く』の内藤武敏、『おかあさん』の香川京子のほか、『花荻先生と三太』の大橋弘、『ひろしま』の松山梨絵子など多数の子供が出演している。香川京子は弟と二人暮らしの貧しい村娘という役。彼女の生真面目な清潔さが伸び伸びと活かされる。

ストーリー :
1950年代初めの、沼に囲まれた貧しい小さな村。その村の中学2年B組の松熊先生(内藤武敏)は、若くて熱心で生徒や親に慕われている。2年B組の学級目標は「みんな(自分)で決めて、みんな(自分)で行動する」。先生は貧困家庭で教科書が買えない子供には、持ってこなくていいぞと言う。大関松三郎の詩を読んであげたり、クラス文集を作ったりする。夜も熱心に家に教えに来てくれる先生のおかげで、クラスは学校で一番成績が伸びもした。
両親のない仙太(平田洪太)や母のない松代(松山梨絵子)を始め、勝(大橋弘)も春夫(池田博)もみんな、松熊先生が大好きだった。ところが、松熊先生の新しい教育のやり方が村の人々に誤解され、村の村長(花沢徳衛)の胸像除幕式で生徒たちが笑った事件をきっかけに、先生は何と“学期途中”で転任させられてしまう。

※村長は戦前に小学校長として教育に尽力したとかいわれる人物。彼の還暦記念で中学校に銅像が建てられる。その除幕式当日、幕がうまく引けず、引いたらヒゲが本物そっくりで何だか妙におかしくて子供たちが笑い出す。自然な笑いなのだが、これが場に臨んでいた村長には一大不祥事であり、夜の懇親会において彼は「この不祥事は“赤い”教師の存在が生んだ」と決めつけ、松熊先生の異動を独断専行してしまう。

松熊先生に代わる新しい先生は、やり方が全く違う。教科書がない者はすぐに買えと言う。仙太の家は貧しい上に、姉きみ(香川京子)も倒れたりして、買う余裕がない。先生は容赦せず、何かにつけて顔をはたくので、仙太はもう学校に行きたくないとまでに思い詰める。
村長は突然「拡声器がいる」と言い出した。だが、村の予算はないとも言う。行事や運動で疲れさせ、生徒をよく考えさせないためには、彼から見て、大声で命令を出せる拡声器が必要だった。その費用は生徒が“よしず(葦簾)”を編んで工面するのがいい、生徒の勤労精神を養う格好な機会でもあるし―と、彼は臆面もなく言ってのける。しかし、生徒からすれば、それは家の貴重な収入源で、せっかく懸命に作ったものを学校に持っていく余裕などはなかった。
松熊先生がいなくなって暗くなってしまった学校で、勝たちはもう一度学校を明るく楽しくしようと生徒大会を開いた。「本を買えない者にも分かるように叩かないで教えて下さい」、「明るく楽しい学校にして下さい」と次々に発言する生徒たちの姿に心ある先生たちは大いに反省させられ、まっとうに正しいことをする勇気を教えられた。松熊先生の残した火種は、こうして子供たちの手によって燃え上がり、勝たちの胸にも心地よい夢と希望か拡がっていった―。

■私感 :
本作は前述の通り、『山びこ学校』(原作:無着成恭編『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録』青銅社、1951年)の姉妹編と目される作品である。私は『山びこ学校』をかつて小学生の時に鑑賞、しかし本作については今回が初見だった。
『ともしび』の松熊先生は、『山びこ学校』の無着先生(演:木村功)と同様に、献身的で明朗な理想家肌の有能教師だ。貧しい生活を強いられて子守や内職に精を出す中学生たちが、勉学(「学問」=学んで問うこと)の楽しさを味わい、“自律・自立・自発”の精神に目覚めるよう、無着先生→松熊先生は骨身を惜しまず努力しつづけた。その教師としてのあるべき矜持の惜しみない示し方に、私は素直に感動する!
しかし、当時の余りにも急な“自由主義的⇒民主主義的”変化に、教師も含めて大人たちは戸惑うばかり。新しい理念を受け止め・受け容れる素地が育ってはいなかったのだ。まるでノウハウがなく、先行きが見えなかった。特に旧支配層・富裕層にとって、下々の者が「自分で決めて自分で行動する」などは以ての外。当然、反動攻勢に出る。お得意のアカというレッテルを貼る。ベタベタと貼り回る。赤とは何か「科学的に」説明する必要は一切なし。“日教組”(日本教職員組合)はアカだというキャッチコピーだけで能事畢(おわ)れり。レッテルが貼られた先生が左遷される、はたまた解雇される。本作の松熊先生の場合がその事態を示す好例である。

戦後73年、この日本社会⇔日本国家に現在、果たして“自由主義的・民主主義的”教育理念は定着したのだろうか―。
2018年3月22日(木)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、16:00~ 鑑賞。『ともしび』18:25~と2本立て上映。



作品データ :
製作年 1953年
製作国 日本
配給 東映
上映時間 130分

公開日 1953年1月9日




石野径一郎(1909~90)の代表作『ひめゆりの塔』(山雅房、1950年)を、『おかあさん』の水木洋子(1910~2003)の脚本で、『山びこ学校』の今井正(1912~91)がメガホンを取る。太平洋戦争末期の沖縄戦で、「看護」要員として前線に立った女学生たち「ひめゆり学徒隊」の悲劇をセミ・ドキュメンタリータッチで描く。沖縄は米軍に占領されていたため沖縄ロケは出来ず、撮影所の野外セットと千葉県銚子市の海岸でのロケで撮影された。悲惨な状況を客観的な視点で捉えた克明な演出スタイルが、反戦平和の主張を痛烈に訴え、内容の重さにかかわらず、公開当時600万人を越す観客を集める大ヒットとなった。撮影は中尾駿一郎(1918~81)。出演は津島恵子(1926~2012)、岡田英次(1920~95)、藤田進(1912~90)、信欣三(1910~88)、原 泉(1905~89)、殿山泰司(1915~89)、原保美(1915~97)、小田切みき(1930~2006)、利根はる恵(1924~2005)、香川京子(1931~)。(本作の前出の関係者は、香川京子を除いて、すべて鬼籍の人となった。時はまたたく間に流れる。淋しいかぎりだ…)

本作は“サンフランシスコ講和条約”発効の約8か月後に公開された作品である。「日本国との平和条約〈Treaty of Peace with Japan〉」の<1951年9月8日>締結→<1952年4月28日>発効により、GHQの占領は終了し、日本は独立国として再出発する(ただし、沖縄や小笠原諸島、奄美群島は本土復帰までの間、米国の施政下に残った)。占領時代には映画作品の検閲も占領軍が行なっており、封建主義的・軍国主義的な主題、また暴力的表現も制限されていた。当然、戦争関係の映画も厳しい検閲を受け、敗戦5年目、戦没学生の手記から『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(関川秀雄監督、公開:1950年6月15日)を東横映画が製作公開した後、徐々に「反戦的」主題の戦争映画も製作されだした。本作は単なる暴露的な内容を旨とする、それまでの反戦映画とは一線を画す、全体的にリアリティあふれるモノクロ映像表現で大きな社会的反響を巻き起こした。冒頭に使用される米軍の記録フィルム以外は、ほとんど特撮等に頼らず、ロケやセットを中心とした群像ドラマになっており、印象的なキャラクターの多さや爆発描写の迫力もあって、その戦争映画としての緊迫感は比類がない。日本の戦争映画の中でも出色の出来で、まさしく屈指の名作である。

ストーリー :
1945(昭和20)年3月、アメリカ軍の上陸直前の沖縄は、海上からの艦撃と、空からの爆撃と機銃掃射を浴びて、死の様相を見せていた。敗戦への最後の足掻きとして、軍は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女学生たちまでも、「勤労奉仕」の名の下、「臨時」看護婦として最前線へ送り込んだのだった。胸に白百合と桜の徽章をつけたうら若き乙女たちは、明日の生命も危ぶまれるときに、父母姉妹の肉親たちと別れ、南風原の丘へと行進していった。そこでは日本軍が、血と泥とに塗れて最後の防戦に奮闘していた。乙女たちは日の丸の鉢巻きをしめて、弾丸運びに、水汲みに、死体運びに、負傷者の手当てに、日夜、かぼそい神経を鞭打って黙々と立ち働いた。彼女たちの晴れの卒業式も壕の内部で行なわれる。いよいよ激しい敵軍の攻撃に、軍隊はいち早く退却するが、彼女たちには何の保護も与えられず、敵軍の弾丸や機銃にさらされながら大勢の犠牲者を出してからくも丸腰で逃げ続けるしかなかった。しかし、狭い沖縄の島はどこへ行っても今や安全な地点はなく、島から脱出するにしては、最早時期を逸していた。敵軍に包囲された島の限界的な状況下、難民は右往左往するばかりで、逆上した軍人は、降伏を勧める敵軍の放送に思わず駆け出す娘を、容赦もなく射ち殺す。行き場を失い手榴弾で自ら爆死する者…。かくて、「ひめゆり部隊」と呼ばれたうら若い乙女の一隊とその教師たちは、次々と無惨な死を遂げていった―。

おとめ座 “ひめゆり”とは、植物のヒメユリのことではない :
1916年1月に「沖縄県女子師範学校」(1915年4月設置/当初は沖縄県師範学校〈1880年設立の会話伝習所が前身〉に併置/略称「女師」)が真和志村安里の「沖縄県立高等女学校」(1900年設立の私立沖縄高等女学校が前身)校地に移転し、両校が併置される。沖縄県立高等女学校と沖縄県女子師範学校には、それぞれ校友会誌があり、前者は「乙姫」、後者は「白百合」と名づけられていた。1927年に両校の校友会誌も一つになり、両方の名前の一部(「乙姫」の姫と、「白百合」の百合)を組み合わせて「姫百合」となった。ひらがなで「ひめゆり」と記載されるようになったのは、戦後のことである。
なお、沖縄県立高等女学校は1928年3月に「沖縄県立第一高等女学校」(略称「一高女」)と改称され、また1943年4月に師範教育令の改正に伴って沖縄県師範学校と沖縄県女子師範学校を統合し、官立「沖縄師範学校」が設置された際、前者が沖縄師範学校「男子部」、後者が沖縄師範学校「女子部」(略称「女師」)に、それぞれ改組された。
そして戦後、1948年4月に<女師+一高女>の同窓生たちは「ひめゆり同窓会」を結成し→1960年4月にひめゆり同窓会は「財団法人 沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会」として認可され→1989(平成元)年6月23日に同法人は沖縄県糸満市に建つ慰霊碑「ひめゆりの塔」に隣接して、「ひめゆり平和祈念資料館」を建設・開館し→2011年6月に同(一般)財団法人は「公益財団法人 沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団」に移行する。

▼ preview



▼ cf. 「ひめゆり平和祈念資料館」「ひめゆりの塔」紹介ムービー :



■私感 :
私が本作を初めて享受したのは、小学生の時だった。ただし、それが1953年1月の公開直後の鑑賞だったかどうか、また当時の担任教師に引率された学校教育の一環としての鑑賞だったかどうか、この点に関する記憶は定かでない。
はっきりしているのは、小学時代(小3~小6?)の私が郷里北海道・岩見沢の映画館で本作を1度だけ鑑賞したこと。そして今なお忘れがたいのは、映画少年の私がその切迫した映像をむさぼるように見入りながら、子供心にも「こんな残酷な戦争を引き起こした悪(わる)は、絶対に許せない!」と内心いたく憤り続けるとともに、「宮城先生」を演じた津島恵子と女生徒の「上原文(うえはら・ふみ)」を演じた香川京子という二人の女優の冴え冴えとした美しさに目を奪われ続けたことだった(cf. 本ブログ〈April 10, 2016〉)。
その後、私は中学時代に北海道・札幌の映画館で1度、また1960~80年代に東京の映画館で3度、本作に接する機会を得た。
そして今回、池袋の新文芸坐~<女優人生70年企画「香川京子映画祭」(2018年3月18日~3月30日)>開催中~に足を運び、自分史上、三十数年ぶりの、6回目の鑑賞となった。

上映時間2時間10分、これまでの鑑賞時と同様に今回も、私は片時も目を離さず画面を観つづけた。そして、切なさで胸が硬直し、悲しさで鼻の奥が熱くなり、時折うっすらと目に涙がにじむのであった。齢(よわい)を重ねたせいだろうか、何か胸の底から不意に涙が込み上げてくる感じが今回はこれまで以上に強まったようにも思う…。
「ひめゆり」学徒隊の追い詰められた破局を思いやり…、沖縄の戦時から今日にいたるまでの悲劇を思い巡らし…、<共同幻想⇒国家幻想>に絡む“集団自決”の問題~殉国の美談~に思い当たり…、私の心は千々に乱れた。

※太平洋戦争下の「集団自決」と言えば、私はこの数十年間、沖縄はおろか、満州や樺太や、サイパンをはじめ太平洋の多くの島々での当該事件を総合的に思い合わせてきた。少年時代の私は、満州や南樺太の引揚者から、また「サイパンの戦い」の関係者から直接、何度か日本人による「集団自決」の悲劇の話を聞かされたものである。
そして、太平洋戦争下の「共同幻想→国家幻想」と言えば、歴史上の日本文化に即して【604年に「聖徳太子」によって定められたといわれる】『十七条憲法』~「一に曰く、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ…」~にまで遡る必要があるが、ここでは直截に【1941年1月8日に陸軍大臣・東條英機が示達した訓令】『戦陣訓』~「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ…」~が問題視されている。


本作【1953年版】以降、「ひめゆり」に関する映画は、今まで3本製作されている。
・【1968年版】-舛田利雄監督『あゝひめゆりの塔 』(原作:石野径一郎『ひめゆりの塔』、脚本:若井基成・石森史郎・八木保太郎、1968年9月21日公開)
・【1982年版】-今井正監督『ひめゆりの塔』(原作:石野径一郎『ひめゆりの塔』、脚本:水木洋子、1982年6月12日公開。【1953年版】と同じ脚本・監督によるリメイク版で、前作では果たせなかった沖縄現地ロケを実施)
・【1995年版】-神山征二郎監督『ひめゆりの塔』(原作:仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』〈角川書店、1980年〉、脚本:加藤伸代、1995年5月27日公開)

私はこの3作品をそれぞれ公開直後に鑑賞するやいなや思ったものだ。3作はいずれも【1953年版】より出来栄えが劣っている、と(【1982年版】は【1953年版】のままの再現とはいえ、配役が変わって映画全体の力と魅力が減殺された)。各作品を比較対照するとき、【1953年版】がいかに傑出しているかが瞭然とし、本作に贈られた、当時の次のような賛辞にもいちいち納得が行く。
「期待に背かぬ力作が出来上がった。戦後公開されたイタリア映画の迫力よりも勝れ、しかもその底に今井正演出は全編にわたって詩情をみなぎらせている。二時間を越える長さをいささかもタルミなく引っぱっていく。日本映画も黒沢明やこの今井正などによって、たしかに世界的レベルに達していることを見る人々は改めて確認するであろう」(「注目すべき力作 全編にみなぎる詩情」『朝日新聞〈夕刊〉』昭和28年1月10日「娯楽」)。

ただし、私としては【1953年版】を手放しで賞賛するつもりはない。
前掲4作はともに「ひめゆり」学徒隊が逃げまどい、傷つき、死んでいく姿をリアルに~程度の差こそあれ~綴っている。ところが問題は、ある重大局面での一女学生の扱い方が【1953年版】と【1995年版】とでは大きく異なっていることだ(【1968年版】は【1953年版】と大同小異)。この点に関して、私が大いに啓発された、仲程昌徳の論文「〈ひめゆり〉の読まれ方―映画〈ひめゆりの塔〉四本をめぐって」(『日本東洋文化論集』 No.9〈2003/3〉)の優れた問題提起を、以下に参照することにしたい。

ダウン 米軍の攻撃で南部への撤退を余儀なくされた「ひめゆり」学徒隊。引率教師をはじめとする面々は、砲煙弾雨の戦場で、病院壕から重傷を負った仲間の「ひめゆり」を運び出そうとするも結局は壕に置き去ってしまうという暗澹たる事態に陥る。

宝石赤 【1953年版】の水木洋子作『シナリオ ひめゆりの塔』(映画タイムス社)では、ある女学生(安富良子〈演:渡辺美佐子〉)が病院壕に残される場面は次のようになっている(ト書きは省略、以下同)。

棚田「本部前集合!直ちに移動開始!」
平良(引率教師で演者は信欣三)「安富、しっかりするんだぞ」
安富「豊子さん」
島袋「私につかまって……さ!」
安富「あ-ツ」
安富「あ-ツ」
島袋「良子ちゃん、しっかりして……」
平良「おぶされ!安富」
安富「ダメ……もう……このままにして行って下さい……みんな……」
平良「安富ツ 元気をだせ!」「おいツ!医療器具どうした!運掛係り!」
仲栄間「運掛係り……」
平良「安富!行くんだ!一緒に……さ!」
島袋「良子ちゃん……」
岸本「つかまって……私に……良子ちゃん……」
平良「元気を出してくれ!もう一度……
安富「あ-ツ……目がくらむ……目が……」
仲栄間「我慢しろ!」
安富「覚悟しています……どうぞ……さよなら……」

宝石紫 そして、【1995年版】の加藤伸代のシナリオ(『戦後五十年記念作品 ひめゆりの塔』決定稿、東宝映画、1994年)でも、問題の女子学生(渡久地泰子〈演:後藤久美子〉)が【1953年版】とほぼ同様な形で置き去りにされてしまう描写となっている。

野里「もう出発だそうです」
仲宗根(引率教師で演者は永島敏行)「防衛隊がいまだ到着しない。とにかく炊事場まで渡久地を運ぼう。医療器具は置いて行け」
野里・知念・垣花「はい!」
垣花「先生、担架が使えません」
仲宗根「たぶん、患者が杖代わりに持って行ったんだろう」
知念「背負いましょう」
仲宗根「渡久地、行こう。がんばるんだぞ」
渡久地「はい」
知念「さぁ」
渡久地「ごめんね。とても無理だわ……わたしはこのままで……」
野里「何を言ってるの、渡久地さん!」
渡久地「わたし一人のために、みんなが遅れては」
仲宗根「今帰仁へ帰るんだろう、さぁ!」
渡久地「先生、どうか行って下さい。行って!」
仲宗根「渡久地、許してくれ!」

ダウン 問題は爾後の展開にある。

宝石赤 【1953年版】では、病院壕に遺棄された女学生が最終的に、配られた「薬」(【1968年版】では「ミルク」)で、米軍の捕虜にならずに潔く自決することになっている。

平良先生が再度、安富良子のところに行き、食糧と自決用の薬を渡す場面 :
「きっと、迎えに来るから……それまで待ってくれ……食糧はかんめんぽうと缶詰が一個ずつ、ここにあるからね、若し、万一、敵がここへ来たら……君も沖縄の女学生らしく……覚悟をして……この薬を……」 

宝石紫 対して、【1995年版】では、全滅する「ひめゆり」よりも、壕に遺棄されてなお生き延びた「ひめゆり」に強い光が当てられている。
壕内でいつ来るやも知れぬ死の恐怖と戦う渡久地泰子。傷病兵たちは衛生兵が配って歩く青酸カリ入りの牛乳を飲んで自決するも、彼女は這ってでも生き抜くのだとその牛乳を飲まず何とか壕から抜け出し木の根をかじりながら生きていく…。一方、重傷の渡久地泰子を壕に置き去ったことで、深い悔恨に苦しむ仲宗根先生。彼もまた、命からがら生き長らえて8月15日を迎える。そして、渡久地泰子が生き残り、米軍の病院に収容されていたことを知り、取るものも取り合えず病院へ駆けつけるのだった。

看護婦「あそこです。長くは困りますよ」
仲宗根「はい、ありがとう」
仲宗根「渡久地……」
渡久地「せんせい……」
仲宗根「……すまなかった」
渡久地「アメリカ―に拾われました」
仲宗根「すまなかった―」
渡久地「先生……先生に会えてうれしい。ありがとうございました」

本 前掲論文「〈ひめゆり〉の読まれ方―映画〈ひめゆりの塔〉四本をめぐって」の要諦 :
≪「ひめゆり」は、言うまでもなく、沖縄戦がいかに無残な戦いであったかを照らし出したものであった。それはまた「女学生たちの悲劇が軍閥の横暴と独断によってひき起こされたことを深く訴える」のをもっていたが、その戦いの無残さや、「軍閥の横暴と独断」による悲劇を表すものとして、壕置き去りは格好の素材となったであろうことは、「ひめゆり」四作(【1953年版】【1968年版】【1982年版】【1995年版】―引用者)ともに、それが見られることではっきりしていよう。壕置き去りは「ひめゆり」の定番であったといっていいわけだが、しかし前三作(【1953年版】【1968年版】【1982年版】―引用者)と加藤作(加藤伸代のシナリオ【1995年版】―引用者)とでは、その取り扱われ方が大きく異なっていた。
 前三作における壕置き去りは、「ひめゆり」の悲劇が雪崩を打っていく前兆としての一シーンとでもいえるものでしかなかった。それが、加藤作では、「ひめゆり」の悲劇はまさにそこにあったといっていいようなものとなっていたのである。なぜ、そうなったのか。
 加藤作は、水木「ひめゆり」に多くを学んだといっていい。沖縄の戦闘をどう撮るかの基本的なかたちをそこで学んだことは間違いないが、その上で、加藤は、より深く「ひめゆり」の生徒たちの手記を集めて刊行された仲宗根政善の『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』に寄り添おうとした。
 「ひめゆり」は、一九四九年九月『令女界』に連載がはじまり、翌五○年山雅房から刊行された石野径一郎の「ひめゆりの塔」によって、より広く知られるようになったといっていい。それは、当初「ひめゆり」の映画化が、石野との交渉で始まったことからでも明らかであるが、石野のそれは、極めて戦後的な視点によって書かれた小説であった。「心の底からの自由主義者である友人荻堂雅子とともに、死の戦場をはいずりまわる」カナを主人公にした作品は、「全編至るところに戦争で人間が殺しあうことに納得しない魂の絶叫がしみわたっている」と評された。それは、「ひめゆり」の悲劇を伝えたいとする思いがとらせた一つの方法であった。それに対して仲宗根の「ひめゆり」は、その書名からもわかるとおり「ひめゆり」の生徒たちの戦場記録を集め刊行した実録である。そこで仲宗根は「二十余万の生霊の血をもって山河を染め、沖縄は“血の島”として世界に知られた。この“血の島”でも、とくに悲惨をきわめたのはひめゆりの学徒隊の最期であった。わずか十六歳から二十歳までのうら若い乙女らが、あれほどに激しかった戦争に参加して、かくも多数戦死した例は人類の歴史にかつてなかった」といい、「この悲劇が戦後、あるいは詩歌によまれ、あるいは小説につづられ、映画、演劇、舞踊になって人々の涙をそそっている。ところがこの事実は、しだいに誤り伝えられ伝説化しようとしている」といい、「乙女らが書き残そうとした厳粛な事実を私は誤りなく伝えなければならない義務を負わされている。洞窟に残した重傷の生徒たちのことを思うと、この記録は私にとっては懺悔録でもある」と書いていた。
 「事実」を伝えるとともに「懺悔録」でもある記録、それが生徒を引率して辛うじて生き延びた仲宗根があらわそうとした「ひめゆり」であった。そこで仲宗根が伝えたいと願った「厳粛な事実」とは、どの生徒も「生きたい」という思いをもっていたということ、しかしながらそれを教師たちが実現させてやることが出来なかったという悔いであったといえよう。その典型的な出来事が、渡嘉敷良子をめぐるいきさつであった。重傷患者たちとともに壕に残して立ち去ったことで、もはや生きてはいないであろうと思った生徒が生き残り、米軍の病院に収容されていた。そのことを知った仲宗根はとるものもとりあえず病院にかけつけ、声にならない声で渡嘉敷に「すまなかった」とわびる。彼女は、かすかな声で「先生ありがとうございました」と答える。そして仲宗根は、病院から帰る道々こう思ったと書く。「敵として恨んだ米兵が、かえって教えを説いた先生よりも親切であった。渡嘉敷からしてみれば、壕にほうり捨てて去った先生や学友よりは、救ってくれた米兵のほうがありがたかったにちがいない。現実の結果としては、これが厳然たる事実である」と。
 「ひめゆり」の「厳粛な事実」あるいは「厳然たる事実」は、ここに歴然としている。どの「ひめゆり」の映画もこの場面だけは落としてないのは、「ひめゆり」の悲劇が一つここにあったことを見逃してないからであった。しかし前三作は、先に見たように、生徒を壕に残していくその懊悩を描くに止まっていた。それだけでは、仲宗根の伝えたいと願った「事実」を充分に伝えたとはいえないのではないかということに気づいたのが加藤らの第四作であったといえよう。仲宗根「ひめゆり」をもっともよく生かしたものとして加藤作は評価することができるはずである。≫

全滅する「ひめゆり」のすぐ近くには、「殉国」という美談に転化してしまいかねない危うさが控えている!その陥穽をいかに回避するか。思想的に構えるべきは、どこまでも生きることの尊さを訴えることであり、一個の赤裸々な“個”の必死に生き抜こうとして奔騰する生のエネルギーの相を突きつめることである。
石原吉郎(1915~77、シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人)は、言っている。「死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。」(石原『望郷と海』筑摩書房、1972年)
2018年3月18日(日)「ココロヲ・動かす・映画館○」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分)で、19:05~鑑賞。

↓ ポスターの真ん中に堂々と大写しになっているのは、本作の中で登場する7匹の猫のうちの1匹、きりりとした表情が印象的な紳士猫の“デュマン”。
  

作品データ :
原題 KEDI
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 アンプラグド
上映時間 79分




ヨーロッパとアジアの文化が交錯するトルコのイスタンブールで、自由気ままに暮らす個性的な7匹の野良猫たちと彼らに深い愛情で優しく寄り添う街の人々との心温まる触れ合いを見つめたドキュメンタリー。監督はイスタンブール生まれアメリカ育ちで、本作が長編デビューとなるチェイダ・トルン(Ceyda Torun)。アメリカで2017年2月に劇場わずか1館のスタートから130館まで拡大公開した、外国語ドキュメンタリー映画としては歴代3位の大ヒット作。cf. The Cast of Cats

映画 チェイダ・トルン監督が語る本作を製作した理由:「わたしは子ども時代にイスタンブールで野良猫たちと暮らすというラッキーな体験をしていました。それからアメリカ、ロンドンと移り住んだのですが、そこにはイスタンブールでのような野良猫がほとんどいなくて、さみしい思いをしていました。だから映画にして見せようと思って。いわばイスタンブールの猫たちへのラブレターです」(2017年10月18日、本作の先行試写会〈会場:アキバシアター、場所:東京都千代田区神田練塀町〉イベントでのトーク「世界中が猫ブーム!全米大ヒットの猫ドキュメンタリー監督が感じた熱」)

ストーリー :
古くから猫の街として知られる地中海の古都イスタンブール。たくさんの野良猫たちが街を歩く姿は、すでにイスタンブールの景観の一部にもなっている。人間たちの生活に自然に溶け込む猫たちは、狭い路地や塀の上、人々が行き交う歩道でも悠々と散歩をし、気が向くままに食事をしたり、毛繕いをしたり、時には喧嘩をしたりして過ごしている。そんな彼らのうち、生まれも育ちも全く違う個性あふれる“7匹”を、地上10センチメートルにカメラを構えた“猫の目線”で、まるで一匹一匹と会話をしているように優しく見つめていく。
生まれたばかりの子猫たちにエサをあげるために市場の食べ物を狙う虎猫の「サリ(Sari)」、なでられるのが大好きな甘えん坊の「ベンギュ(Bengu)」、レストラン近くに住みネズミ退治を仕事にしている義理堅い性格の「アスラン・パーチャシ(Aslan Parcasi )」、旦那を尻にしき、相手が闘犬でも立ち向かう気性の激しいメス猫の「サイコパス(Psikopat)」、下町の市場に住み、そこで働く商売人や客たちと触れ合う看板猫の「デニス(Deniz)」、遊び人風で周囲の大人たちの心を虜にする「ガムシズ(Gamsiz)」、高級なデリカテッセンにいつも美味しいエサ(ローストビーフや七面鳥)をもらっている礼儀正しい「デュマン(Duman)」。
猫たちを通して見えてくるのは、東西文化の要として数千年に渡って繁栄してきたイスタンブールに生きる人々の多様性と寛容な心だ。彼らは「猫は人間を神ではないと分かっていて、人への感謝も忘れない」、「動物を愛せない人は人間も愛せない」などの深い名言を肝に銘じながら、自分とは違う他者の存在を認め合い、互いを尊重することの大切さに徹している。
悩みや苦しみを抱えながら日々を懸命に生きる市井の人々は、今日もまた、愛猫との喜ばしい出会いに魂を癒やされるとともに、彼/彼女への温かな愛情を一層育んでいく…。

▼予告編



▼チェイダ・トルン監督インタビュー映像 :
(本作を応援する、ペット保険のアニコム損保社員のジェームス・ライトが、独占インタビューを行なう。)

2018年3月9日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、17:50~鑑賞。



作品データ :
原題 妖猫传  
英題 Legend of the Demon Cat
製作年 2018年
製作国 中国 日本
配給 東宝 KADOKAWA
上映時間 131分




夢枕獏の伝奇小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(徳間書店、2004年)を『さらば、わが愛/覇王別姫』『始皇帝暗殺』のチェン・カイコー(陳凱歌)監督が映画化した日中合作の歴史ファンタジー・ミステリー。遣唐使として長安で密教の教えを学ぶ空海が、詩人の白楽天とともに王朝を揺るがす怪事件の謎に迫っていく。空海を海外作品初挑戦となる染谷将太、白楽天を中国の人気俳優ホアン・シュアン(黄軒)が演じる。共演に「楊貴妃」役のチャン・ロンロン(張榕容)、「阿倍仲麻呂」役の阿部寛。

ストーリー :
1200年以上前、若き天才僧侶・空海(染谷将太)は、日本から遣唐使として中国・唐へ渡る。空海はあるきっかけで、のちに白居易と名乗る詩人・白楽天(ホアン・シュアン)との交流を深めていく。その頃、世界最大の都・長安の街では、権力者が次々と奇妙な死を遂げるという、王朝を震撼させる怪事件が起こっていた。空海は白楽天とともに一連の事件を探るうち、約90年前に同じく唐に渡り、30年余り前には存命していたもう一人の日本人・阿倍仲麻呂(阿部寛)の存在を知る。仲麻呂が玄宗皇帝(チャン・ルーイー)に仕えた時代には、皇帝の寵愛を一身に受け、国中を狂わせた絶世の美女・楊貴妃(チャン・ロンロン)がいた。極楽の宴、妖猫の呪い、楊貴妃の真実…歴史を揺るがす巨大な謎!楊貴妃の命を案じた阿倍仲麻呂は何を知っていたのか…?空海と白楽天は、やがて歴史に隠された哀しき運命と対峙する…。

▼予告編

2018年3月7日(水)「ココロヲ・動かす・映画館○」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分)で、16:55~鑑賞。

作品データ :
原題 Score:A Film Music Documentary
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 アンプラグド
上映時間 93分




数々のハリウッド映画を彩ってきた映画音楽が誕生して観客に届くまでの知られざる制作過程について、豊富な作品群を題材に描いた貴重な音楽ドキュメンタリー。監督はTVを中心に活躍し、本作が長編映画デビューとなるマット・シュレイダー。監督の熱い情熱により完成した本作は、素晴らしい映画音楽に感動したかつての興奮を鮮やかに蘇らせてくれる。

ストーリー :
無声映画の時代から映像と切っても切れない関係にある映画音楽。1933年『キング・コング」では映画音楽に初めてオーケストラを起用。1960年代には独特なオーケストラ音楽に変容していき、現代では独創性が求められオーケストラと電子音が組み合わされてきた。本作では、ハンス・ジマー、ダニー・エルフマン、ジョン・デブニー、レイチェル・ポートマン、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ダナら約40人の映画音楽作曲家がインタビュイーとして登場したほか、ジョン・ウィリアムズなどが資料映像(メイキング映像や、取り上げた作品のワンシーン)で登場し、また脚本家・映画監督のジェームズ・キャメロンや映画音楽の収録に関わる技師や映画音楽の効果を研究する心理学者など、作曲家以外の映画関係者も出演し、映画の中で音楽が果たす役割を多角的に考察する。時代に合わせ進化を遂げ、名作映画を支えてきた映画音楽の創作秘話が、いま明かされる!

▼予告編



▼『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の音楽はこうして生まれた!(『すばらしき映画音楽たち』本編映像) :
【アクション映画史上の逸品『マッドマックス 怒りのデスロード』( cf. 本ブログ〈July 05, 2015〉 / 本ブログ〈December 31, 2015〉)で音楽を担当したのは、オランダ人ミュージシャンのジャンキーXL(Junkie XL)ことトム・ホルケンボルフ(Tom Holkenborg、1967~)。彼は衝撃の映像とかつてないスピード感を振動とともに五感で体感する、荒々しく壮大な音世界を創造した―。】

2018年3月6日(火)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、アクセス:JR立川駅北口から徒歩5分)で、20:30~鑑賞。


作品データ :
原題 THE SHAPE OF WATER
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 20世紀フォックス映画
上映時間 124分




『パンズ・ラビリンス』『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロが監督・脚本・製作を手がけ、数々の映画賞に輝いた~ex.第74回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第90回アカデミー賞で作品賞など4部門を受賞~ファンタジー・ラブストーリー。1960年代、米ソ冷戦下のアメリカを舞台に、政府に捕らえられた半魚人と、掃除婦として働く口の利けない孤独なヒロインの切なくもピュアな愛の物語が綴られる。『ブルージャスミン』のサリー・ホーキンスが主演し、『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』のオクタヴィア・スペンサー、『扉をたたく人』のリチャード・ジェンキンス、『テイク・シェルター』のマイケル・シャノンらが共演。

ストーリー :
1962年、ソビエトとの冷戦時代のアメリカ。子供の頃のトラウマで発話障害のあるイライザ(サリー・ホーキンス)は、政府の極秘研究所で清掃員として働いていた。ある日、彼女は研究所の水槽に閉じ込められていた不思議な生きもの(ダグ・ジョーンズ)~「半魚人」と言うべき異形の存在!~と出会う。アマゾンの奥地で原住民に神のように崇められていたという“彼”の奇妙だが、どこか魅惑的な姿に心奪われ、周囲の目を盗んで“彼”のもとへと通うようになる。好物のゆで卵を一緒に食べたり、レコードで好きな曲を聴いたり、手話を教えたり、彼の前でダンスを披露したり…。二人は少しずつ心を通い合わせ、秘かに愛を育んでいく。そんな中、イライザは“彼”が間もなく国家の威信をかけた実験の犠牲になることを知る。研究を主導する冷血で高圧的なエリート軍人ストリックランド(マイケル・シャノン)は、“彼”の生体解剖を実行に移そうとする。イライザは無謀にも研究所より“彼”を救出し、雨で増水した日に“彼”を運河から水中に返す計画を立てるのだが…。

▼予告編



▼プロモーション映像 :



▼ Behind the Scenes :



▼ VFX(Visual Effects)メイキング :



[※追記(2018/04/23):2018年4月17日(火)、本作を吉祥寺オデヲンで、17:10~再見]
2018年3月6日(火)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、アクセス:JR立川駅北口から徒歩5分)で、16:30~鑑賞。

作品データ :
原題 DOWNSIZING
製作年2017年
製作国 アメリカ
配給 東和ピクチャーズ
上映時間 135分




『ファミリー・ツリー』『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』など人間ドラマに定評のあるアレクサンダー・ペイン監督がマット・デイモンを主演に迎えて贈るヒューマン・コメディ。増え続ける人口問題解決の切り札として、人間を14分の1に縮小する画期的な技術が開発されたことから巻き起こる悲喜こもごもの人間模様をユーモアと社会風刺を織り交ぜ描き出す。共演はクリストフ・ヴァルツ、クリステン・ウィグ、ホン・チャウ。

ストーリー :
人口が増え続けることで環境問題や食糧問題が深刻化し、住みづらくなってしまった地球。科学の進化に伴い、ノルウェーの科学者が何と人間の身体のサイズを1/14に縮小する技術を発明した。身長180センチなら13センチにまで小さくなることが可能となる。地球規模に問題化した人口過多を一気に解決するべく、「人類縮小200年計画」が立ち上がり、一度小さくなれば二度と戻ることはできないが、それでも各国で小さくなること(ダウンサイズ)を選ぶ人々が徐々に増えていく。
ネブラスカ州オマハに住む、いたって平凡な夫婦、ポール(マット・デイモン)と妻オードリー(クリステン・ウィグ)。低収入でストレスの多い日々を送る二人は、少しの蓄えでも裕福になれ、大豪邸に住めるダウンサイズされた世界に希望を抱き、13cmの身体に改造することを決意する。しかし、土壇場で妻のオードリーが逃げ出してしまう。彼女は縮小工程の段階で怖気づいてしまい、ポールを置いて一人縮小化を中断してしまったのだ。ポールはミニチュア化した人間たちの世界で、寂しい一人暮らしを余儀なくされ、冴えない日々を送ることに…。そんな中、セルビア人の富豪ドゥシャン(クリストフ・ヴァルツ)やベトナム人の女性活動家ノク・ラン・トラン(ホン・チャウ)と出会って、ポールの生活が一変。彼は元の身体の大きさの頃には想像もできなかったような運命を導き、生きがいのある生を生き始める…。

▼予告編



▼ How “Downsizing” made its actors look tiny :

2018年3月6日(火)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、アクセス:JR立川駅北口から徒歩5分)で、14:20~鑑賞。



作品データ :
原題 THE 15:17 TO PARIS
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 94分


『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』のクリント・イーストウッド監督が、2015年にフランスの高速鉄道で発生した銃乱射テロ事件の実話を映画化。高速列車内で銃を発砲したイスラム過激派の男から必死に乗客を守ろうとした3人のアメリカ人青年の物語が展開される。本作では、主演が“当事者本人”という極めて大胆なスタイルが採用された。実在の事件に立ち向かった勇敢な3人がそれぞれ自らを演じている。さらに当時列車に偶然乗り合わせた乗客も数多く本人役で出演し、撮影も事件が現に起きた場所で敢行された。

ストーリー :
2015年8月21日。オランダのアムステルダムからフランスのパリに向けて高速列車タリス(Thalys)が発車。列車は順調に走行を続け、やがてフランス国内へ。ところが、そこで事件(「タリス銃乱射事件」 cf. Wikipedia-「タリス」/ 「タリス銃乱射事件」、 BBC-“France train shooting: Hollande thanks 'heroes' who foiled gunman”)が発生する。乗客に紛れ込んでいた、銃(自動小銃AK-47)で武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。突然の事態に怯え、混乱をきたす500名以上の乗客たち。その時、犯人に立ち向かったのは、その列車にたまたま乗り合わせたアメリカ人の心優しき若者3人組だった。米空軍兵のスペンサー・ストーン(Spencer Stone)とオレゴン州兵のアレク・スカラトス(Alek Skarlatos)、そして2人の友人である大学生アンソニー・サドラー(Anthony Sadler)が男を取り押さえ、未曾有の惨事を防ぐことに成功する。スペンサー・ストーンは、その際にカッターナイフで切りつけられ、頭や首などに多数の傷を負い、また親指は切断寸前という重傷を負った。
映画は、幼なじみで親友同士のスペンサー、アレク、アンソニーの3人が出会った少年時代や、事件に遭遇することになるヨーロッパ旅行の過程を描きながら、いつか人の役に立ちたいと願っていたごく普通の若者たちが、極限の恐怖と緊張感の中、いかにして武装テロリストに敢然と立ち向かうことができたのかを明らかにする―。

▼予告編



▼クリント・イーストウッド監督(Clint Eastwood、1930~) インタビュー映像 :



▼ cf. TRAIN TERROR FOILED ― HOW U.S. HEROES STOPPED GUNMAN (CNN) :