映画『ともしび』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2018年3月22日(木)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、18:25~ 鑑賞。『ひめゆりの塔』16:00~と2本立て上映。


作品データ
製作年 1954年
製作国 日本
制作会社 新世紀プロ
配給 北星
上映時間 97分


貧しい農村で周囲の反感を買いながらも、戦後日本の新しい教育のあり方を進める中学教師とその教え子たちとの交流を描いたヒューマンドラマ。第二次大戦後、子供たちに自身の生活を見つめ、ありのままに作文を書かせる「生活綴り方」運動~子どもたちの生活に根ざした教育実践~は、山形を中心に宮城、福島、新潟、秋田へと広がっていった。この映画は山形のそれを主題にした今井正監督の『山びこ学校』(1952年)の姉妹編とも言える作品である。監督は『悲しき口笛』『雲ながるる果てに』の家城巳代治(1911~76)。栃木県の部屋村(現・ 栃木市)でオール・ロケ(ちなみに、部屋村は足尾鉱毒事件で「渡良瀬遊水地」とされて1906年に廃村に追い込まれた谷中村の隣村)。出演者は『女ひとり大地を行く』の内藤武敏、『おかあさん』の香川京子のほか、『花荻先生と三太』の大橋弘、『ひろしま』の松山梨絵子など多数の子供が出演している。香川京子は弟と二人暮らしの貧しい村娘という役。彼女の生真面目な清潔さが伸び伸びと活かされる。

ストーリー
1950年代初めの、沼に囲まれた貧しい小さな村。その村の中学2年B組の松熊先生(内藤武敏)は、若くて熱心で生徒や親に慕われている。2年B組の学級目標は「みんな(自分)で決めて、みんな(自分)で行動する」。先生は貧困家庭で教科書が買えない子供には、持ってこなくていいぞと言う。大関松三郎の詩を読んであげたり、クラス文集を作ったりする。夜も熱心に家に教えに来てくれる先生のおかげで、クラスは学校で一番成績が伸びもした。
両親のない仙太(平田洪太)や母のない松代(松山梨絵子)を始め、勝(大橋弘)も春夫(池田博)もみんな、松熊先生が大好きだった。ところが、松熊先生の新しい教育のやり方が村の人々に誤解され、村の村長(花沢徳衛)の胸像除幕式で生徒たちが笑った事件をきっかけに、先生は何と“学期途中”で転任させられてしまう。

※村長は戦前に小学校長として教育に尽力したとかいわれる人物。彼の還暦記念で中学校に銅像が建てられる。その除幕式当日、幕がうまく引けず、引いたらヒゲが本物そっくりで何だか妙におかしくて子供たちが笑い出す。自然な笑いなのだが、これが場に臨んでいた村長には一大不祥事であり、夜の懇親会において彼は「この不祥事は“赤い”教師の存在が生んだ」と決めつけ、松熊先生の異動を独断専行してしまう。

松熊先生に代わる新しい先生は、やり方が全く違う。教科書がない者はすぐに買えと言う。仙太の家は貧しい上に、姉きみ(香川京子)も倒れたりして、買う余裕がない。先生は容赦せず、何かにつけて顔をはたくので、仙太はもう学校に行きたくないとまでに思い詰める。
村長は突然「拡声器がいる」と言い出した。だが、村の予算はないとも言う。行事や運動で疲れさせ、生徒をよく考えさせないためには、彼から見て、大声で命令を出せる拡声器が必要だった。その費用は生徒が“よしず(葦簾)”を編んで工面するのがいい、生徒の勤労精神を養う格好な機会でもあるし―と、彼は臆面もなく言ってのける。しかし、生徒からすれば、それは家の貴重な収入源で、せっかく懸命に作ったものを学校に持っていく余裕などはなかった。
松熊先生がいなくなって暗くなってしまった学校で、勝たちはもう一度学校を明るく楽しくしようと生徒大会を開いた。「本を買えない者にも分かるように叩かないで教えて下さい」、「明るく楽しい学校にして下さい」と次々に発言する生徒たちの姿に心ある先生たちは大いに反省させられ、まっとうに正しいことをする勇気を教えられた。松熊先生の残した火種は、こうして子供たちの手によって燃え上がり、勝たちの胸にも心地よい夢と希望か拡がっていった―。

私感
本作は前述の通り、『山びこ学校』(原作:無着成恭編『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録』青銅社、1951年)の姉妹編と目される作品である。私は『山びこ学校』をかつて小学生の時に鑑賞、しかし本作については今回が初見だった。
『ともしび』の松熊先生は、『山びこ学校』の無着先生(演:木村功)と同様に、献身的で明朗な理想家肌の有能教師だ。貧しい生活を強いられて子守や内職に精を出す中学生たちが、勉学(「学問」=学んで問うこと)の楽しさを味わい、“自律・自立・自発”の精神に目覚めるよう、無着先生→松熊先生は骨身を惜しまず努力しつづけた。その教師としてのあるべき矜持の惜しみない示し方に、私は素直に感動する!
しかし、当時の余りにも急な“自由主義的⇒民主主義的”変化に、教師も含めて大人たちは戸惑うばかり。新しい理念を受け止め・受け容れる素地が育ってはいなかったのだ。まるでノウハウがなく、先行きが見えなかった。特に旧支配層・富裕層にとって、下々の者が「自分で決めて自分で行動する」などは以ての外。当然、反動攻勢に出る。お得意のアカというレッテルを貼る。ベタベタと貼り回る。赤とは何か「科学的に」説明する必要は一切なし。“日教組”(日本教職員組合)はアカだというキャッチコピーだけで能事畢(おわ)れり。レッテルが貼られた先生が左遷される、はたまた解雇される。本作の松熊先生の場合がその事態を示す好例である。

戦後73年、この日本社会⇔日本国家に現在、果たして“自由主義的・民主主義的”教育理念は定着したのだろうか―。