2018年5月27日(日)立川シネマシティ
(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、アクセス:JR立川駅北口から徒歩5分) で、20:55~鑑賞。
作品データ :
原題 I, TONYA 製作年 2017年 製作国 アメリカ 配給 ショウゲート 上映時間 120分 『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クイン役で一躍世界的にブレイクしたマーゴット・ロビーが自ら製作・主演を務め、世界中に衝撃を与えた“
ナンシー・ケリガン襲撃事件 ”の中心人物
トーニャ・ハーディング (Tonya Harding、1970~)の壮絶な半生を映画化した伝記ドラマ。
フィギュアスケート史上最大のスキャンダルの知られざる真相を、トーニャと母親の歪んだ愛憎関係を軸に、ユーモアを織り交ぜつつ赤裸々かつ軽妙なタッチで描き出す 。共演はセバスチャン・スタン、ジュリアンヌ・ニコルソン。またアリソン・ジャネイがトーニャの強烈な母親を怪演して第90回アカデミー賞助演女優賞に輝いた。監督は『ラースと、その彼女』『ザ・ブリザード』のクレイグ・ギレスピー。
ストーリー :
貧しい白人家庭に育った少女トーニャ・ハーディング(
マーゴット・ロビー )。母親のラヴォナ(
アリソン・ジャネイ )は、娘のスケートの才能に気づくと、彼女を一流の選手にして貧困から脱しようと本格的にフィギュアスケートを習わせる。しかし、娘に愛情を示すことはなく、トーニャは罵倒と暴力が日常の少女時代を過ごしていく。やがて天賦の才と日々の努力により、トーニャは1991年の全米フィギュアスケート選手権でアメリカ人の女子選手として史上初めてトリプルアクセルに成功。1992年の
アルベールヴィル・オリンピック 代表選手に選出された。1994年1月6日、
リレハンメル・オリンピック 選考会となる全米選手権を前に、トーニャのライバルである、練習を終えたナンシー・ケリガン(
ケイトリン・カーヴァー )が何者かに襲撃される事件が発生。膝を殴打され負傷したナンシーは、全米選手権欠場を余儀なくされる。まもなくトーニャの元夫ジェフ・ギルーリー(
セバスチャン・スタン )の指示による犯行が判明し、トーニャ自身にも疑惑の目が向けられた。一度は栄光を掴み、アメリカ中から大きな期待を寄せられた彼女のスケート人生は、この衝撃的な事件を境に一変し、転落していく…。
≪WHO IS TONYA HARDING? ≫ ・1970年11月12日、オレゴン州ポートランドに生まれる。母ラヴォナ(LaVona)と父アルバート(Albert)(=ラヴォナの5番目の夫)は、
ホワイト・トラッシュ (White Trash)/レッドネック(Redneck)/プア・ホワイト(poor white)と呼ばれる、アメリカの白人貧困層の出。3歳のクリスマス・プレゼントに中古のスケート靴をもらい、スケートを始める。4歳でスケートの才能が開花、12歳でトリプルルッツに成功。
・1987年、両親(ラヴォナとアルバート)が離婚する。
・1989年-1990年シーズン(1989/07/01~1990/06/31)では、1989年10月の
スケートアメリカ(Skate America) で初優勝(2位ジル・トレナリー/3位シモーネ・ラング)、1990年1月の
全米選手権(US Figure Skating Championships) で7位となる(1位ジル・トレナリー/2位クリスティー・ヤマグチ/3位ホリー・クック/4位
ナンシー・ケリガン )。
・1990年、19歳でジェフ・ギルーリー(Jeff Gillooly)と結婚する。
1990年-1991年シーズン(1990/07/01~1991/06/31)では、1991年1月の全米選手権でトリプルアクセルを成功させ初優勝を果たし(2位クリスティー・ヤマグチ/3位
ナンシー・ケリガン )、世界選手権への切符を手に入れる。
当時女子選手でトリプルアクセルの成功者は、日本の伊藤みどり(1969~)に次ぎ史上2人目の快挙だった 。
初出場となった1991年3月の
世界選手権(World Figure Skating Championships) で、クリスティー・ヤマグチ(Kristi Yamaguchi、1971~)に次ぐ2位となり、3位には
ナンシー・ケリガン (Nancy Kerrigan、1969~)が入りアメリカ女子が表彰台を独占した。
1991年-1992年シーズン(1991/07/01~1992/06/31)では、1991年10月のスケートアメリカで、ショートプログラムとフリースケーティング双方のトリプルアクセルを成功させ優勝を果たす(2位クリスティー・ヤマグチ/3位スルヤ・ボナリー)。
1992年1月の全米選手権で、かかとの怪我もあったが3位となりアルベールヴィル・オリンピックの切符を手に入れた(1位クリスティー・ヤマグチ/2位
ナンシー・ケリガン )。
1992年2月の
アルベールヴィル・オリンピック (XVI Olympic Winter Games)で、前年まで成功していたトリプルアクセルが、オリジナルプログラム・フリー演技共に着氷に失敗。結局ミスが響いて総合4位入賞に留まり、オリンピックのメダル獲得はならなかった(1位クリスティー・ヤマグチ/2位伊藤みどり/3位
ナンシー・ケリガン )。
1992年3月の世界選手権で6位(1位クリスティー・ヤマグチ/2位
ナンシー・ケリガン /3位陳露)に終わる。
1992年-1993年シーズン(1992/07/01~1993/06/31)では、不調に陥る。1993年1月の全米選手権で4位となり、世界選手権の切符を手に入れることができなかった(1位
ナンシー・ケリガン 〈初優勝〉/2位リサ・アーバイン/3位トニア・クワイトコウスキ)。
・1993年、ジェフと離婚する。
・1993年-1994年シーズン(1993/07/01~1994/06/31)では、1993年10月のスケートアメリカで3位となる(1位オクサナ・バイウル/2位スルヤ・ボナリー)。
1994年1月6日、1か月後のリレハンメル・オリンピックの代表選考を兼ねた全米選手権の会場で、練習を終えた
ナンシー・ケリガン が何者かに襲われる事件が発生した。俗に言う~「スポーツ界最大のスキャンダル」(ニューヨーク・タイムズ紙)~「
ナンシー・ケリガン襲撃事件 」である。(1992年アルベールヴィル・オリンピックで優勝したクリスティ・ヤマグチが1991-1992年シーズン終了後に引退し、次のリレハンメル・オリンピック代表を競う全米選手権での優勝候補の筆頭とされていたのは、ケリガンだった。)ケリガンは膝を殴打され怪我を負い全米選手権を欠場、ケリガンの有力なライバルだったトーニャがこの大会で優勝を果たした(2位ミシェル・クワン/3位ニコール・ボベック)。
事件発生から2週間後、元夫であるジェフ・ギルーリーらが逮捕される。トーニャにも疑惑の目が向けられ始めた2月1日、元夫がトーニャに不利な証拠と共に司法取引を受け入れた。全米フィギュアスケート協会(USFSA)とアメリカオリンピック委員会(USOC)はトーニャをオリンピック代表チームから追放しようとしたが、彼女は法的措置をほのめかして強引に代表の座に留まった。(オリンピックへのアメリカ代表には、トーニャとともに、全米選手権2位のミシェル・クワンが一時選ばれたが、特例でケリガンにオリンピック出場が認められてクワンは補欠に回った。
「悪役」トーニャVS「悲劇のヒロイン」ケリガン !)
1994年2月の
リレハンメル・オリンピック (XVII Olympic Winter Games)本番でのトーニャは、テクニカルプログラムでのコンビネーションジャンプで、トリプルルッツが両足着氷となるミスを犯し10位と出遅れる。その2日後のフリーでは、演技直前の6分間練習の後に靴紐の問題が発生した。自身の出番になり名前をコールされてもリンクに現われず、バックステージで靴紐を調整している姿が放送される。失格寸前の1分50秒過ぎにようやく登場した(名前を呼ばれてから2分以内にリンクへ現われないと当時のルールでは失格となる)。
しかし、トーニャはフリー演技が始まってから最初のトリプルルッツが1回転となる失敗の直後、突然泣き出して演技を中断してしまう。ジャッジに対してリンクの縁に右足スケート靴を載せながら、靴紐の不具合を訴えた。ジャッジはトーニャのフリー演技のやり直しを認め、トーニャはリンクサイドでコーチや関係者と靴紐の調整を試みるがすぐに解決することはできずバックステージに戻っていった。次の出番であるカナダの選手ジョゼ・シュイナールは、予定外の事態にすぐリンクに登場して、演技を開始した(シュイナールは9位に終わる)。
トーニャはそのグループの最後で再びリンクに登場し、演技を最初から行なう。1回目に登場した時にミスしたトリプルルッツが成功し、合計5種類の3回転も成功させ演技終了時に笑みを見せたが、トリプルアクセルについてはシングルアクセル(1回転半)のジャンプに終わり、最終順位は8位入賞に留まった(1位オクサナ・バイウル/2位
ナンシー・ケリガン /3位陳露)。
ケリガンが襲撃されて以降、事件への関与を強く否定し続けたトーニャだったが、リレハンメル・オリンピックが終了後の1994年3月16日、元夫らの襲撃事件を直後に知りながら通報しなかった捜査妨害の罪を認めることで、懲役刑を免れ3年間の執行猶予、500時間の社会奉仕活動、罰金16万ドルを受け入れた。
その後、トーニャは全米フィギュアスケート協会から永久除名処分を受ける。1994年全米選手権での優勝と公式大会出場権やコーチになるための権利が剥奪された。プロのイベントには制限を受けなかったが、彼女を起用しようとするプロモーターは現われなかった。
・1995年、2番目の夫となるマイケル・スミス(Michael Smith)と結婚→翌年に離婚。
・長野オリンピック開催直前の1998年、アメリカのテレビ番組で久々にケリガンと対面して直接謝罪、マスコミはこぞって「和解成立」と報じられた。
・1999年、プロスケート選手権に招待され2位の成績を残しプロスケーターとして再出発するかに思えたが、翌2000年にボーイフレンドへの暴行容疑で逮捕され、完全にプロスケーターとしての道が閉ざされた。
・2003年から、プロボクシングに挑戦するも6ファイトで引退、2008年には「Rumble in the Cage」という大会で総合格闘家としてもデビュー、しかし程なく持病の喘息を理由にリングを退く。
・2010年、39歳で3番目の夫となるジョセフ・プライス(Joseph Price)と結婚し、翌年に長男を出産→母親業が中心となって、現在に至る(彼女の名前は、トーニャ・ハーディングならぬトーニャ・プライス)。
▼予告編
VIDEO ▼ cf.
scene comparisons :
(Comparisons between scenes from
the movie I, TONYA and
the real events from the life of Tonya Harding.)
VIDEO ▼ cf.
Tonya Harding & Margot Robbie :
VIDEO ▼ cf.
Tonya Harding - 1991 US Figure Skating Championships , Ladies' Free Skating :
VIDEO ▼ cf.
Tonya Harding - 1991 Skate America , Ladies' Free Skating :
VIDEO ▼ cf.
Raw footage from the Nancy Kerrigan attack - January 6, 1994 :
VIDEO ▼ cf.
Tonya Harding - 1994 Lillehammer Olympic , Ladies' Free Skating,
1st Attempt :
VIDEO ▼ cf.
Tonya Harding - 1994 Lillehammer , Ladies' Free Skating,
1st Attempt, 2nd Attempt :
VIDEO ▼ cf.
Nancy Kerrigan - 1994 Lillehammer Olympic , Ladies' Free Skating :
VIDEO ■
私感 :
波乱万丈な半生の物語!年歯わずかに23歳で世界のヒール役に転じた伝説の元フィギュアスケーター!
氷上のプリンセスから犯罪者へ、人生の頂点からどん底へと突き落とされたトーニャ・ハーディングの想像を絶する人生は、悲しくもどこか愉快で、実にワイルドでクレイジー!
ある映画ライターは喝破する。本作は「
われわれバカどものための、バカ界のチャンピオンの生き様を描いた大傑作! 」である、と。私が心情的に共感する、その映画評論の全文は、以下のごとし(
村山章「われわれバカどものための、バカ界のチャンピオンの生き様を描いた大傑作!」 )。
《あなたはバカですか?それとも賢いですか?気分を害するかも知れないが、大抵の人はバカの範疇に入るだろう。学歴とかどれだけ成功しているかはまったく関係がない。
人間は取り返しのつかない愚かなことをしでかす生き物 であり、だからこそ「偉い人の立派な話」が珍重されるのかも知れないが、ここでハッキリと言っておきたい。「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」は、われわれバカどものための、バカ界のチャンピオンの生き様を描いた大傑作だと!
バカ界のチャンピオンとは、実在の元フィギュアスケーター、トーニャ・ハーディング。スポーツ界のみならず世界でもトップレベルの“ロクでもない女”として悪名を馳せた嫌われ者だ。というのも、1994年にハーディングのライバルだったナンシー・ケリガン選手が何者かに襲撃され、事件の黒幕としてハーディングの名前が浮かび上がったのだ。それでもハーディングはリレハンメル五輪行きを勝ち取ったが、今度は演技中にジャンプに失敗。泣きながら靴紐のせいだと強弁して審査員にやり直しを認めさせたのである。
世界中が思った。ライバルの選手生命を断とうとしたこのビッチは、いけしゃあしゃあと五輪に出場して、試合中のぶざまな失敗をナシにしてもらおうとワガママを言っているのだと。本作はそんな恥ずべき事件の真相を当事者であるハーディングに語ってもらい、それをもとに作られた伝記映画だ。
「ラースと、その彼女」のクレイグ・ギレスピー監督と脚本のスティーヴン・ロジャースは冒頭ではっきりと宣言する。この映画はハーディング(と、他の関係者)の証言をもとに作りました、本当かウソかはともかく、彼らはこう言っているのです、と。つまりこの物語で描かれる真実はすべて主観であり、
典型的な「羅生門」スタイル と言える。登場人物の数だけ真実がある―というアレだ。
ただし、それぞれの言い分がぶつかりあって、矛盾や真相が浮かび上がる心理ミステリーには決してならない。なぜなら(これまた劇中の台詞にあるのだが)本作には本当に「バカしか出てこない」。
誰もがその場限りの杜撰なことしか考えておらず、どこにも深みのある真実なんて宿らない のだ。
しかし深みがないからこそ、
バカな人々の限界や愚かさ、そしてそれでも生き抜かなくてはならない人生の切実さ が浮かび上がってくるのだ。非常に優れたブラックコメディでありながら、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」や「レイジング・ブル」をも想起させる、
泥水をすするがごときピカレスクロマン に心から感動した。》
トーニャは
ホワイト・トラッシュ の家庭に生まれ育った。父親は職を転々とし、基本的に無職で、母親は安月給のウェートレス。彼女は親と一緒に道端の空き缶やペットボトルを拾い集めて食事代を稼いでいた。そして、モンスターマザーから精神的・肉体的な虐待を受け続け、やがて逃げるようにして結婚した夫からも暴力を振るわれ続ける。幼少から暴力の中で育った彼女は、旦那のDVはすべて自分のせいだと思いこみ、謝罪されるとすぐに縒
(よ) りを戻すということを繰り返していた。
貧困と虐待の、恵まれない環境に翻弄される、そんなトーニャに課せられた至上命題こそ、ホワイト・トラッシュから脱出すべく、スケートに主体を賭けることだった。
トーニャはフィギュアスケーターとして超一級品だった。当時の「優雅にしゃなりしゃなりと踊っていればいい」女子シングルに※、スピード感のある切れのいい高難度ジャンプを持ち込んで新風を吹き込んだことは特筆大書すべき点である(彼女が跳ぶトリプルアクセルの高さと距離、力強さは格別!)。その凛々たる勇気と果敢なチャレンジ精神は賞賛に値する。
※
フィギュアスケート(figure skating)は起源からいってヨーロッパのものであり、女子の場合、ブロンドの美女が気品に満ちた氷上の芸術を見せるもの、といった歴史的な考え方が根強い。 スケーターとしてのキャリアの絶頂期を迎えたのも束の間、バカ丸出しのトーニャは腐れ縁でつながる元夫(DV気質のあるダメ男)とそのやくざな仲間たちがやらかす「ナンシー・ケリガン襲撃事件」で、“世界一悪名高きスケーター”としてフィギュアスケート史に名を残すこととなってしまった。選手生命を絶たれた後も、“世紀の嫌われ者”のイメージが払拭されることはなく、姿を現わすその先々でブーイングを浴びるなどの冷遇を受け続けてきた。
しかし、彼女は決してめげず・へこたれず!一期
(いちご) の浮沈にかかわる一大不祥事でどんなに心が折れようとも、その痛手から立ち上がるバイタリティーは強靭そのもの!
本作では、「バカしか出てこない」物語が見事に展開する。
その“バカ”のバカたるゆえんは、様々な形をとった、私たち凡俗の輩
(やから) の分身(⇒ただの一人の人間)であること。だからこそ、このバカ物語~与えられた宿命の中でジタバタ生きる人間模様~の構成的な妙を、私は思う存分賞味できた。
それにしても、私がトーニャ・ハーディング(⇒マーゴット・ロビー)の不思議な魅力に幻惑されたことも事実。
人々~マスコミ関係者をはじめとする、お調子者の大衆/民衆/庶民~に一瞬愛され、そして嫌われ、最後は笑い者にされたトーニャ。それでも断じて人生を諦めず、自身が輝ける場所を求めて闘い続けたトーニャ。何という、不撓不屈のファイティング・スピリット!人生をサバイバルしていく雑草のようなたくましさ!
私は本作に見入りながら、トーニャの生の相を突きつめ、そこに自らの逃れがたい“苦悩”としての現実を一身に背負い続けることで駆動する“情熱”のダイナミズムを確認できたとき、トーニャという一個の存在者を根源から共感的に理解できたように思うのだった―。