作品データ :
原題 LUCKY
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 アップリンク
上映時間 88分

『パリ、テキサス』(1984年)で知られる個性派俳優で、2017年9月15日に91歳で逝去したハリー・ディーン・スタントン(Harry Dean Stanton、1926~2017)の最後の主演作となる人生ドラマ。スタントン自身を思わせる一匹狼の偏屈老人が、風変わりな町の人々ととりとめのない日々を過ごしながらも、静かに死と向き合っていく姿をユーモアを織り交ぜしみじみとしたタッチで綴る。『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』などで俳優として活躍してきたジョン・キャロル・リンチが初メガホンを取る。スタントンの友人である映画監督のデヴィッド・リンチが主人公の友人役で出演するほか、ロン・リヴィングストン、エド・ベグリー・Jr.、トム・スケリットらが出演している。
ストーリー :
神など信じずに生きてきた90歳のラッキー(ハリー・ディーン・スタントン)は、今日もひとりで住む家で目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。ヨガを5ポーズ、21回こなしたあと、テンガロンハットをかぶり、行きつけのダイナーに出かけることを日課としている。店主のジョー(バリー・シャバカ・ヘンリー)と無駄話をかわし、ウェイトレスのロレッタ(イヴォンヌ・ハフ・リー)が注いでくれたミルクと砂糖多めのコーヒーを飲みながら新聞のクロスワード・パズルを解くのがラッキーのお決まりだ。そして帰り道、理由は分からないが、植物が咲き乱れる場所の前を通る際に決まって「クソ女め」とつぶやくことも忘れない。
ある日、居間でクイズ番組を観ながらクロスワードの続きをしていると、「現実主義」という名詞の意味に突き当たる。現実主義を地で行くラッキーは、「現実主義は物なのか」と深く納得する。その夜、通い慣れているバー「エレイン(ベス・グラント)の店」でブラッディ・マリアを飲み、馴染み客たちに「現実主義」の意味について説いていると、友人のハワード(デヴィッド・リンチ)が浮かない顔でやってくる。大切にしていた100歳のリクガメのルーズベルトが逃げてしまったという。大統領の名前(ルーズベルト)をつけたリクガメを親友として慕っていたハワードをラッキーは慰める。
ある朝、突然気を失ったラッキーは、街の病院で検査を受ける。しかし、どこにも異常は見つからず、ニードラー医師(エド・ベグリー・Jr.)から「年齢の割にすこぶる健康だ。むしろ害になりそうだから禁煙は勧めない」と告げられる。ラッキーが倒れたことを知ったウェイトレスのロレッタが、心配して家までやってきた。無邪気に彼の海軍時代のエピソードや結婚について質問してくるロレッタ。そんな彼女に対し、人生の終わりが近づいていることを思い知らされたラッキーは、「怖いんだ」と弱音を吐く。
いつも牛乳とタバコを買うドラッグストアでメキシコ系の店番ビビ(バーティラ・ダマス)から「土曜日に息子の誕生日パーティーがあるから来て」と誘われる。気のない素振りを見せるラッキーだが、家に帰ると、ふとした拍子に子供時代に撃ってしまったマネシツグミのことを思い出し、胸が張り裂けるような気持ちを覚える。
「エレインの店」に行くと、ハワードが弁護士のボビー(ロン・リヴィングストン)とともにやってくる。親友を失ったショックから「財産はすべてルーズベルトに遺したい」と言うハワードを「人はみな生まれる時も死ぬ時も1人だ。“独り”(アローン)の語源は“みんな1人”(オール・ワン)なんだ」と励まし、ボビーを「カメに遺産相続をさせる詐欺」と罵る。数日後、ダイナーでラッキーに出くわしたボビーは、自分が交通事故に遭いそうになったことをきっかけに「予測できない将来のためにこの仕事をやっている」と話し、ラッキーに遺言を書くよう勧める。
ある時、ラッキーはダイナーで退役海兵隊員のフレッド(トム・スケリット)と出会う。海軍の戦車揚陸艦に乗っていたことをラッキーが明かすと、フレッドは沖縄での壮絶な闘いの模様を語り始める。戦禍で微笑んだ日本人の少女のことを、フレッドは「彼女の勇気こそ叙勲に値する」と賞賛する。
結局、ビビの家のパーティーに出かけることにしたラッキーは、子供たちを前に、大好きなマリアッチを披露し、拍手喝采を浴びる。「エレインの店」に行くと、ハワードが吹っ切れた表情をしている。「ルーズベルトを捜すのはやめた」と言うハワードを讃え乾杯し、タバコを吸おうとするラッキー。しかし、エレインがかつてラッキーが禁煙のルールを破り出入り禁止になったバー「イヴの園」のことを持ち出し、ラッキーは激昂する。「真実は自分が何者で、何をするかであり、それに向き合い受け入れること。管理者などいない。そこにあるのは無だけだ」とここ数日で頭の中に浮かんでいた思いを吐露するラッキー。そして、「無ならどうする?」と問われ、「微笑むのさ」とつぶやき微笑むと、禁じられたタバコにおもむろに火をつけ、店を出ていった―。
▼予告編
◆ジョン・キャロル・リンチ監督(John Carroll Lynch、1963~) インタビュー(TSUTAYA/映画 - 2018年2月27日 ) :
──ハリー・ディーンはシナリオの段階から参加したのですか?
脚本のローガン・スパークスとドラゴ・スモーニャは、ハリーの出演作と私生活をベースに、ハリーに当て書きをした。ハリーのドキュメンタリーで『Harry Dean Stanton:Partly Fiction』(ソフィ・ヒューバー監督/2012)という作品があって、それはまさに彼の半生を物語る作品だった。ハリーは実際に第二次大戦に派兵され、戦車揚陸艦に搭乗し、マネシツグミを撃ち落とした。
僕はこの映画を、老いや、人生の終盤を生きることをテーマにした映画にはしたくなかった。過去を振り返ってかつての恋人に詫びたり、過ちを正したりするようなね。一人の男が自分をどう見つめ、神や天国という“第二幕”といった安心材料なしで生きる姿を描きたかったんだ。ハリーの人生はまさにそうだった。
──ハリー・ディーン・スタントンとの撮影はどうでしたか?
ハリーは驚くほど繊細でありながら、粘り強さも持ち合わせた男だ。そういう意味で、彼はラッキーだった。ほかのすべての人間にとってそうであるように、彼の寿命が近づいてきているときに、あれだけのバイタリティーがあり、「まだ死なないぞ」と生に食らいつく気持ちは、彼の人間性を表していた。
──俳優としてデヴィッド・リンチを起用したのはなぜですか?
制作陣でハワードを誰に演じてもらうかについて話していて、いろんなアイデアが出たが、最終的にデヴィッドに参加してもらいたいということになった。彼はちょうど、『ツイン・ピークス The Return』のポスプロ中だったので、無理を承知で頼んだが、運よくデヴィッドのアシスタントと脚本のローガン・スパークスが、長年の友人同士だった。デヴィッドは脚本を気に入ってくれたし、ハリーがデヴィッドと仕事をしたいだけではなく、デヴィッドしかありえないぐらいのハマリ役であることを理解してくれた。出演を快諾してくれたのは、ハリーへの敬意からだと思う。デヴィッドはハリーが大好きだったから。彼は俳優に求められる要素をすべて、いやそれ以上のものを持っていた。フレームラインも、カット代わりも、ピントも、すべてを直感的に把握していた。
──監督デビュー作として、ご自身の俳優としての経験が役立ちましたか?
これまでの俳優人生で、監督が俳優にアプローチする姿を見てきて、どうすれば成功し、どうすれば失敗するのかも見てきた。俳優は、作品に合わせることを要求される。それは俳優の仕事の一部であり、俳優が望むことでもある。そ して監督はそれをする必要がない。けれど、ハリーと仕事をして、俳優としてどうあるべきかではなく、監督である自 分が合わせる必要が大いにあることが分かった。ハリー・ディーンは役そのものになるので、演じているという事実を受け入れないからだ。
ハリーの俳優としての一番の信条は、“演じない”ということだった。演じない役者をどうすれば、自分の思うように演出できるのか?結果的に私たちは、そこに到達することができた。また、この作品はハリーの私生活そのものをさらけ出すものだったので、ハリー自身の弱みやプライベートに触れたりするものでもあった。ハリーがとても感情的になったり、やりにくいと感じたときが何度もあり、彼はその度に抵抗した。映画がどんなにフィクションであっても、彼にも人としての感情があるし、実際の経験を役に生かしていたから。
──『ラッキー』を制作する上で、インスピレーションを得た映画やスタイルは?
『暴走機関車』、『ラスト・ショー』、そして明らかに『パリ、テキサス』。ジム・ジャームッシュの『ミステリー・ トレイン』もだ。この映画にもそうしたヴィヴィッドな色彩はたくさん用いた。そしていくつかのショットで、長回し で撮った。それから、ジョン・フォード映画も参考にした。ジョン・フォードが1人の人物に焦点を当てた映画を作っ たらどうなるかってね。そしてフォードが得意な、フレームに余白をもたせるようなカットを撮った。砂漠もキャラ クターのひとつになるんだ。編集を経て分かったことがある。いい映画というのは、カメラが邪魔していない。そして、編集をやらないほど、映画はいいものになるとね。それは、観客をストーリーとキャラクターの世界に引き込む、ということでもある。










