※三浦春馬くん関連の記事です
春馬くんファンの皆さんが少しでも元気になってもらえるような記事をアップしていきたい、と思っております。ご縁ある方の目に留まりましたら嬉しいです。


春友の皆さん、こんにちは♡

今年もオーダーしました!
わたしの春活フォトブック「みうら・・・はる、うま?」Vol.2爆笑気づき






タイトル。笑

こんなヘンテコリンなタイトルをつけた理由は、以前にもちょこっと書いていますが、わたしが春馬くんと初めて出会ったのが子役時代なのですね。

いくつか観ていますが、一番感動したのは「監察医 室生亜季子」で、きっと彼は将来スターになるぞ!と確信したのですキラキラ
(と言っても、ファンになって活動を追い掛けていた訳ではありません)

で、そのエンドロールだったと思うのですが、彼の名前が出たとき、苗字は読めましたが「春馬」は人生で初めて見た名前だったので、本当にタイトルのまま
「みうら・・・はる、うま?」
と読んだのです笑い泣き

すぐに「いや、ハルマだろうな」と思いましたよ!笑
で、「何で春に馬なのかな?午年の春生まれなのかな?お母さんがつけたのかな?」など色々思いました。

しかも、そのとき「春馬くんと家が近所だったらな」「同じ学校だったら良かったのに」と一緒に遊んでるイメージもしたんです爆笑
図々しい?身の程知らず?ですよね~
まぁわたしも純粋な子どもでしたから。笑


それで去年、春活フォトブック作るとき、ちょっとユニークなタイトルにしたいと思って、このエピソードを採用しました。

我ながらそこそこ気に入っていますグッド!



チラ見せ~








どれも大切な思い出ラブラブ

Vol.3、4、5・・・と毎年春の季節にオーダーしていきたいなおねがい




そうそう!先日こんな可愛いデザインのコーヒーと出会ってしまいました。



コーヒーには珍しいティーバッグタイプで、美味しかったです!
また見掛けたら買おうコーヒー



※三浦春馬くん関連の記事です
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春友の皆さん、こんにちは♡

新潟のミニシアター、シネウインドが販売されているマガジン「月刊ウインド」を購入しましたニコニコ






こちらに井上経久支配人による「なるほど、なるほど春馬くん」と言うコラムが連載されていると知り、さっそくオンラインショップでポチらせて頂きました。
ポチッた10分後に発送通知が届いてビックリ!お仕事が早過ぎる🤩✨


これまでたくさんの映画を観て、たくさんの監督や俳優たちと接してきたであろう方のコラムなので、ファンとはまた違った視点で見た俳優三浦春馬の魅力や可能性や情報が知れるかなーって思ったんです。

春馬くん作品をたくさん上映されてたり、シネマスコーレとコラボされてたり、ぜひ行ってみたい映画館の1つです映画






去年シネマスコーレで「奈緒子」が表紙の号を購入していますが、読み応えあり合格の素敵な1冊でしたニコニコ



そして、昨日よりシネマスコーレで「キャプテンハーロック」上映中!
母親が観たくて堪らないそうで、お休みが取れたら一緒に観に行く予定です照れ

そしてそして、来月は「コンフィデンスマンJP ロマンス編」上映飛び出すハート
1月も2月もシネスコ行けなかったので、久しぶりにスクリーンで春馬くんを観たいなー!






某駅のホームに馬馬馬馬



皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生シリーズ「道」の転載、終わりましたキラキラ

浄心庵ホームページが閉鎖されてから17年ほど経って、また多くの人たちに読んで頂くことが出来て良かったです。
また、各記事に貼り付けたお写真や「お別れ会の記録」もホームページに公開されていたものです。

ホームページにアクセス出来たときは、まるで「古代の遺跡調査をしていたら貴重な品物が発掘されたぞー!」みたいな感じでワクワクしましたサーチ






さて、長尾先生なりの考えや言葉、皆さんはどう受け取られましたでしょうかニコニコ

心が安らぎましたか?感動しましたか?苦しくなりましたか?
では、その感情はどの言葉に反応したのか、何故このような反応したのか、ぜひ自分の心に問いかけてみてくださいね。
自分自身(本質)を知れて、心がどんどん成長出来ますよ。

わたしも生き方がガラッと変わり、とても豊かになりました。
自分を愛すること、自分を大切にすること、人生の喜びを見付けること、わたしたちは自由であること・・・これらを理解して行動出来るようになりましたおねがい

もちろん自分に合わないのならば距離を置いてくださいね。真理にご縁があれば、また向かい合うタイミングを頂くと思います。そのときはそのときの自分に判断を任せてあげればオッケーです✨



~まとめ~



何度でも繰り返しお読み頂き、人生にお役立てくださいねクローバー



長尾先生が風化されず、この先もずーっと必要な人たちの元に届くと良いなぁと思っています。
今の子どもたちが大人になったとき、やはり悩み苦しむことがあるでしょう。
そんなときに長尾先生の分かりやすくて楽しい講演や資料から幸せになって頂けたら、わたしも嬉しいです音譜

改めて長尾弘先生と有志の皆さまに感謝いたします。



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



こちらは、浄心庵ホームページに掲載されていた「長尾先生のお別れ会」の記録です。

必要な方へ届きますよう願い、転載させて頂きます。

長尾先生と有志の皆さまに感謝いたします。








はじめに
2007年11月18日 長尾弘先生お別れ会が執り行われました。
準備段階から関わり、会の終了に至るまで労力を惜しまず協力して下さいました皆様、そしてなにより全国からご参加下さいました皆様に、心より感謝いたします。
おかげさまで、先生がいつもおっしゃっていた、講演会場をいっぱいにしたいという夢がかないました。 先生もきっと、お喜び下さっていると思います。
ここに、お別れ会のレポートを残しておきたいと思います。
先生の思い、願い、愛や光がつまった言葉の数々。
先生は、本当にたくさんのものを私たちに残して下さいました。

お別れ会で皆様にお聞きいただいた先生のお言葉やお手紙等を、ここに記します。
ひとりでも多くの方に、先生の心が届くことを心より祈念しております。




心の友の皆様
(最後の講演会の前に、先生が皆様に宛てて書いて下さったお手紙。
会場でお配りさせて頂いたお手紙の署名は、先生が最後の講演会前日に書いて下さった最後の文字です)

朝から降り続く雨の音を聞きながら日曜日の講演会に心をはせております。
長く話すことは許されませんが、僅かな時間でも皆様とお会い出来ることに感謝と幸せを感じさせて頂いております。
体調をくずしてしまい今さらの様に
『元気に働かせて頂いた事』
『思うままにいくらでも話せた事』
の有り難さをひしひしと感じ、一回の呼吸、一回の動作をさせて頂くごとに、神様のお力を感じさせて頂き感謝があふれ出て喜びの中に日々を送らせて頂いております。
今回、生と死の間をさまよいながら神様との有り難い対話をさせて頂き尊い学びを頂きました。そして又神様に一歩近づかせて頂きました。
心は魂の歓びに打ち震え、歓びは全身にみなぎっております。この喜びは何物にも例えることは出来ません。この例えようもない大きな大きな喜びを皆様にお伝えさせて頂くのが私の神様から頂いた使命だと悟らせて頂きました。
もし許される事なら、必ずこの救われる道を皆様にお伝えさせて頂きたいと思います。浄心庵での癒しは、お休みさせて頂いておりますが、浄心庵に居て皆様の健康と幸せを日々お祈りする心は今までと何ら変わることはございません。
今、体を休めさせて頂いて居る分、今まで以上に心を自由に動かせるようになりました。
体の方は暫くお休みさせて頂きますが心は二十四時間年中無休でございます。
何時でも何処でも遠慮なく私を呼んでください。
すぐに皆様の元に飛んで行って救わせて頂きます。
私は今、神様と皆様の愛を頂いて休養させて頂いております。お陰様で、ゆっくりと家族と語らう時間も頂きました。心も体も十分に充電させて頂いて、より一層大きく羽ばたく準備をさせて頂こうと思っております。
そして体が回復した時には
『神様のお心を皆様にお伝えするパイプ』
を今以上に広げて頂けることになっております。そうなれば、
『更に沢山の方が救われて下さる事、間違い無し』
でございます。
私がお休みを頂いて居る間、皆様にお願いしたい事があります。毎日一粒幸せの種を蒔いておいて欲しいのです。
方法は簡単です。
『一日一善』
一日に一回だけ良い行いをして下さい。
勿論二回三回多いほど結構ですが、無理をしては続けることが出来ません。
少しずつでも止めないことが大切です。
人様からして頂いたら嬉しいと思うことを人様にさせて頂いて下さい。
たいそうに考えないで身近な事から始めて下さい。
道路のゴミを拾って頂いても結構ですし、 体を動かせなくても笑顔で感謝を伝えるだけでも良いのです。 心からの笑顔は人の心を暖かくします。そしてその暖かさは笑顔となって人から人へと伝わって広がって行きます。そこに幸せがやって来ないはずが有りません。 そんな笑顔の発信地になって下さい。少しずつでも止めなければ徳はどんどん貯まり大きな喜びとなって必ず皆様の元に返って来ます。 皆様に蒔いて頂いた幸せの種が芽を出して大きな木へと育ち法の実がたわわに実ってくれることを楽しみにしています。
そして大きく育った法の木のもとで皆様と共に神様の御心を学ばせて頂き、行わせて頂き、幸せへの道を歩ませて頂きたいと思います。
一日も早くその日が来るように私は精一杯頑張ります。
皆様もその日までは自習の時間でございます。
沢山の徳を頂かれて魂のワット数を上げておいて下さい。
そして皆様の光で明るく照らされた講演会場でお話をさせて頂ける日を楽しみにしております。
その日まで健康で有って下さい。
幸せで有って下さい 
と祈り続けております。

長尾弘





命と向き合って
(先生が亡くなられるまでのご様子)

平成15年冬、長引く風邪の末病魔が長尾先生のお体に影を落としました。それからの先生は、人生の歩みを速められました。
16年早春、肺がんとの診断を受けられた帰り道、病院の敷地内に咲く梅の花を見つけられて

「春雪と色をきそえり梅の花」

と幼少のころ詠まれたお歌を口にされ、以後医療とのご縁を切られました。
お体を神様に委ねられた先生は「お釣りの人生や」と、事あるごとに今この世に命のあることを喜ばれました。一人でも多くの方を救わせていただきたい、この思いが日々ますます強くなっていき、ますますお体を休められる時間が減りました。お誕生会、書展では、先生の強い思いが体中から噴き出しているのを同席された皆様には肌で感じていただけたと思います。咳に苦しみ、肩で息をされながらも、願われるのは皆様の幸せのことばかりでございました。
平成19年度9月の大阪講演会を、不本意にも一部のみで終えられた先生は、以後医師の進めもあってお仕事を休まれ静養に入られました。話すことさえ辛いであろうお体になられても体力の続く限り浄心庵を訪れるかたがたに会って笑顔をくださいました。そして、話せなくなるといけないからと、10月のお話会に向けて皆様への思いを文字に託されました。
10月20日、講演会の前日にお手紙の原稿をいただきに浄心庵に参りました。庵には大勢のお客様がいらっしゃいましたが、先生は母屋のベッドの上に一人座っておられました。静かな朝でした。変わることのない笑顔から、さざなみひとつたつことのない鏡のような湖面を思わせる先生のお心が伝わってきました。部屋の中には清らかな空気が流れ一呼吸ごとに心が洗われて行きました。
 自ら筆を取って、皆様に宛てたお手紙の表に長尾弘の文字を書いてくださいました。一画々々、確かめるようにゆっくりゆっくり筆を進めていかれました。久しぶりに見る筆をもたれた先生のお姿にお習字でお世話になった日々が一気に蘇って来ました。書きあがったお名前の上には先生の溢れる思いを伝えるように、墨が黒々と盛り上がって光っておりました。
 10月21日、先生は全ての力を振り絞って皆様の幸福を願い講演会の壇上に立たれ心の友の皆様に宛てたお手紙と、喜びと感謝のお言葉を下さいました。正に命をかけてのご講演でした。
会場には先生の祈りの心が満ちて降りました。





   祈り
 
私の体は 神のもの  私の体は人々のもの
私の心は 神のもの  私の心は人々のもの
私の時間は 神のもの 私の時間は人々のもの





翌日、ご自身のホームページで、壇上に立って笑っている姿をご覧になり「普段と変わりなく見える」と、たいそう喜ばれたそうです。
それからのちの日々は、ご家族や浄心庵の方々と穏やかに過ごされました。
 
10月25日、お習字のお稽古日でした。午後8時30分頃、先日のホームページに載せたお写真をフレームに入れてお届けさせていただきますと、「普段と変われへんな、普段と一緒やな」と、笑顔を見せて喜んでくださいました。
暫く眠れない夜を過ごされていた先生でしたが、この日は、お世話くださっている皆様と和やかに話しをされ、楽しいひと時を過ごされた後、静かに眠りにつかれました。
日付の変わる少し前、10月25日午後11時50分、眠りにつかれたまま安らかに光の世界へ旅立たれました。講演会から4日後のことでした。 



 翌朝になり、昼を過ぎてもお体は温かく、朝、微笑を浮かべておられたお顔が昼ごろには満面の笑みをたたえておられました。
生前、よくお話されていたとおり、髪の毛は黒く変わっていき、お体はいつまでも柔らかで、お顔には金粉が浮かび、口元できらきら光っていました。
時とともに皺も消え、すっきり整われたお顔は、若いころの先生のお顔でした。

 葬儀の際の御遺影は、お亡くなりになる4日前に行われた講演会で写されたホームページに掲載されているお顔でございます。
ご遺族の方々は、先生が一番喜ばれた写真、家の外で写した最後の写真ということで、数多く残された晴れやかな笑顔の写真よりも先生の思い入れの最も深い、魂の笑顔を選ばれました。

10月28日、晴れ渡る秋の日に大勢の方々に見送られ、長尾先生は76年にわたる魂の修行を終えられて、天上界へ帰られました。

夕方ご自宅に戻られた先生のお位牌からは、金が浮き出て祭壇の周囲に落ちていたそうです。

「泉州の堺にい出し天使かな 法を広めて突如消えゆく」

長尾弘先生。長い間、たくさんの愛をありがとうございました。
光り輝く世界で、どうかごゆっくりお休みください。

感謝 合掌





最後の言葉
(先生から皆様への最後の言葉。話されたままの言葉を書き留めたものです。)

 泣いたらあかん。泣いたらあかんやで、そう。
 嬉しかった。嬉しい人生やった。
 もの言える間にな、ご挨拶しておきたかった。言えなくなったらご挨拶できへんもんな。
 私は、もう神さんにゆだねてあるから。まぁ、神さまにゆだねてな。
 もし、命つないでもろたら、死ぬまでもう、一切無料奉仕でそんなんさせてもらうの、夢やったの。
 そうなったら有難いけどな。
 人生な、人それぞれに、いろんな人生あるけども…………万華鏡。
 幸せもんやったなぁ……。私の人生は、ほんとうに、もったいないけどキラキラの人生。
 今日まで、大勢の人、救われてくれたもんな。
 自分の魂がな……ごっつい……喜びと感謝とでいっぱい。
 おかげさまで、痛いことも、苦しいこともないしな。……不思議。
 正法に生きさせてもらったな。
 千の風。お墓の前で泣かないで下さい。私はそんなところにいません。世界中を飛び回ります。
 今よりも忙しいな(笑)
 すべてを神様にゆだねて、執着はなしてな、もう今の間にお礼申すの。
 最後に、こうしてお礼いえたらな。ちょっと早いけど用意いいの。
 いつも、いうように、もしものことあったら、お会いできなかったみなさんによろしく伝えて下さい。
 喜んでたよーって。
 精一杯頑張りますよ。
 ありがとう。良くしてくれて、ありがとう。ありがとう。
 皆さんに、感謝してます。ありがとう。  






引用元 http://jyoushin.com/(閉鎖されています)



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長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



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書道家でもありました

 

~ 道 ~


 
平成十六年六月号
 
 
 
    天
心を開く
 
 
☆ 「諸々の諸霊 みなここに集まれり」
 諸々の諸霊、つまり霊格の高い方も低い方も中程の方も、すべての霊はこの現象界の地球に集まって魂の修行をしております。お釈迦様は法をお説きになっていますが、そのお釈迦様がまた「私は法を説いたのではない。私の生まれる生まれないに関係なく、法というものはこの世に存在するものである。私の生まれる何万年も前から法は厳然として存在しているものである」とおっしやっておられます。  正法の時代、像法の時代、末法の時代について、お釈迦様は次のようにお説きになりました。正法の時代は光り輝いた金の玉のようなものです。しっかり輝いた黄金の玉は、いつまで経っても錆びることなく光り輝いています。しかし長い間、何百年何千年と放っておきましたら、人の心のゴミが溜まってきて、金の玉かゴミの玉かどちらか分からないようになってしまいます。これが像法の時代です。末法の時代になりますと、もう煩悩の埃がいっぱい溜まって金が分からなくなってしまいますが、しかし金は中で光っています。
その埃によって金は埋まってしまったのです。
 この末法の時代になると、人はいったい何をしたらいいのか、どのようにして生きたらいいのか、その道が分からなくなってしまうのです。親が子を殺したり、子が親を殺したり、生徒が学校の先生を殴りつけて怪我をさせたり、学校の先生が生徒を殺したり、いろいろととんでもない不可思議なことが起きてきます。これは、人がどのように生きるべきかについて、せっかくお釈迦様がお説き下さった正しい教え、黄金の玉が、ゴミにまみれてしまうからです。「ゴミ」とは何かといいますと、人間の持っている欲望、五官から受ける煩悩です。それによって黄金の正法の玉をだんだん曇らせていくのです。
 全く光が分からなくなった時に、人類は滅亡します。欲の塊となって、我さえ良ければいい、親みたいなものは殺しても構うものか、学校の先生なんかどつき回してやれ、男と女は勝手に乱交パーティーをしたらいいのだといって、今の世はまさに末法そのものです。
こういう時代になりますと、何とか人を救わなくては地球が滅亡しますから、天から偉大な光の大指導霊が送られてくるのです。それがお釈迦様であり、イエス様であり、或いは高橋信次先生ですね。これらの方々がお出ましになって、ゴミを払って下さるのです。ゴミを払えばまた中の金が光り出しますから、「このように生きなくてはならない」「そのようにしてはいけない」ということが誰の心にも目覚めてくるようになります。正法の玉、黄金の玉ですね。この輝く黄金の玉を、人の欲望と煩悩と我欲というゴミを溜めて隠すのです。私は、このように人の心のゴミによって、像法となり末法となっていくのだなあということを、高橋信次先生のご存命中に分からせてもらいました。
 私は「生きている限り、この黄金の玉にゴミを溜めないようにしよう、少しでもゴミが溜まったら、払って綺麗に光らせておかなくてはいけない」と思い、これが私の使命だということが分かりました。小さくてもいい、たとえ五人、十人でも構わない、お互いに協力して、この法にかかるゴミを少しでも払っておかなくてはいけないと思って、ゴミ払いをさせていただいております。
 信次先生のお側近くにおられた先生と呼ばれる方々の中には、ゴミを払うどころか、ゴミを溜めておられる方もあります。先生の身近にあったがゆえにゴミを溜めていかれます。私は遠くにあったがゆえに、このゴミを溜めてはならない、ゴミがかからないように、黄金の玉を守ってゆこうと決心した次第です。
 
 正法とはそのようなもので、欲望と煩悩の心をもって黄金の玉を曇らせたら、像法の時代になり、また末法の世になっていきます。その法を守るには、私たち一人ひとりが守らなくてはならないのです。
 皆さんの心に「どうか黄金の玉にゴミを溜めないようにしましょう」といってお願いして歩いているのが、私の存在です。ですから、私は立派な人間ではありませんが、皆さんと共に正法の玉を曇らせないように、いつまでも黄金の玉でおいておきたいと願っている者です。
 これはまた、私たち縁ある皆さんの使命でもあります。法とは、このように考えていただいたらいいかと思います。その黄金の玉とは、「人はかく生きるべき、このようにしてはならない、人にはこのように接しなさい、常に己を低くして自らをよく振り返り、他を称えて生きなくてはいけない」という、この人の生きるべき道こそ正法です。ましてや行じる者は、正法の名を使いました以上、自ら行じなくてはいけません。
 そこのところが、法を失った先生方の間違いだったと思います。魂の次元の高い方も低い方も、この地球へ肉体を頂いて生まれてきます。そして、光の玉にゴミが溜まりますと、地球の存在は危なくなります。これは、はっきり言いまして、現在、ソ連とアメリカが持っております原子爆弾、水素爆弾などの核爆弾の危険にあてはまります。(注 現時点では、東西冷戦構造は終わり、核の削減に向かいつつある)
 この恐ろしい爆弾を爆発させますと、地球を何十個もつぶすだけの威力があ るそうです。しかもボタン一つ押したら、もう地球がつぶれて人間の住めない星になってしまうという、そんな危機一髪の危ない時であり、末法といわれる今の世はそんなふうになっているのです。何とかして、私たちは地球を破滅から守らなくてはいけない。これは一人ひとりが正しい教えに目覚めて、自らを低くし相手を高めていけば、喧嘩など起こるわけがないのです。戦争などは起こりません。自分が上にあがって、自分が偉いと思うから、相手をくさし、相手を非難し、あるいは相手のものを奪おうとするのです。
 
 昨日も九州から来て下さったおばあちゃんが、「なぜか不思議です。ある先生がお話会をされるのに、集まるのはせいぜい二、三十人、長尾先生が地方へ来て下さると、初めての場所でも百人二百人、三百人五百人と寄って下さいます」と話されました。組織を作り、会員をふやせふやせと至上命令を出されても、そのいちばん偉い先生が行って二、三十人しか集まらない。私は組織も何も持っておりませんし、また会員制もしていませんし、「来て下さい」と私から一言もお願いしたこともありません。みな自分から行こうと思って集まって下さる方ばかりです。先日の東京のお話会で司会をして下さった方も、その中でおっしゃって下さいました。「この会は不思議な集まりでございまして、組織はございません。会員制もなく、自然と集まっていただいて、これだけ集まった会です」と。まさにその通りです。高橋信次先生がちゃんとその謎を解いて下さっていました。
 それは、「夏に蜂蜜を一滴落としてみなさい。蟻は呼ばなくても寄ってきます。蜂蜜は甘くて栄養があって、自分のためになるから蟻は群がるのです。栄養のないもの、価値のないものに蟻は寄ってきません」ということですね。
われわれの教えの中にも同じことが言えます。お寺の説法に偉いお坊さんが十人も寄ってお説教をされた時に、檀家さんは十人ぐらいしか集まらず、お坊さんの数の方が多いのです。
 なぜお寺に信者さんが集まらないかというと、お説法の中に甘味がない、滋養がない、価値がないから、人は集まらないのです。また、蜂蜜の蟻とは正反対に、盲信、狂信して頭を洗脳されてしまって、「これをしたら自分にご利益があり、うまくいくのだ」といって、お題目を何万回唱えるとか、何人折伏したらご利益かあるとか、お金が儲かり家がうまくいくとか、そういうご利益信仰は、欲望のために翻弄されます。信仰集団を組む場合がありますが、このようにご利益を求め、我欲を求めますと、必ず苦しむことになります。
教えとは心の安らぎであり、幸せになる法です。
 お金が儲かる、病気が治る、やれ商売繁盛するというのは、これはみな貪欲です。「貪欲」は人の苦しみですから、本当の教えは貪欲をできるだけ少なくし、貪欲を抑えなさいというもので、これがお釈迦様の教えです。今ある宗教はみな貪欲を教えますから、救われません。救われたと思ってもまた苦しみが生じます。私たちはこのように魂の修行をさせてもらっているのですが、魂の世界といいますのは、あの天上の世界から見ますと、ほんとうに危ない場所です。断崖絶壁、まるで大峰山の覗きのようなもので、うっかり紐をはずしてしまうとドーンと下に落ちなくてはいけません。蟻のようにしがみ付いて上に登っていかないと、またうっかり足を踏みはずしますと、千仞の谷底に落ちます。
 
 またこの世というところは、綺麗な花が咲いていて、まさか危険はないだろうと思うのに、花に近寄るとズブズブとはまってしまう虫喰う花のようなものであり、この世を霊的に見ますと全く危険なところです。底なし沼もあり、断崖絶壁で、一歩踏みはずすと深い谷底へ落ちて、這い上がることもできないような恐ろしい世界がこの世です。
 それを私たちは楽な世界だと錯覚をおこしております。全く平坦で泥沼も絶望もないのがこの世と思い、自分の好き勝手に生きていましたら、思いもかけず断崖の谷底に転落してしまったり、泥沼の中にはまったり、虫喰う花のように自分の足が溶けてしまったりするのがこの世です。
 そういうことにならないようにお説き下さったのが光の大天使です。その教えの通りに生きてゆけば、人間はこの世の危険から逃れて、無事に旅することができるのですね。(次月へつづく)
               長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より




引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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※当記事のみ一部編集あり
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 ~ 道 ~

 
平成十六年五月号
 
 
 
    天
心を開く
 
 
☆ 講演五より
 「法は実践の中に生命が宿る」というこの言葉は、どの先生も言われますが、聞いた時に「ああそうか」と思うだけでは、心の中に入ってこないですね。
なぜ入らないかというと、話す本人が実践されていないからです。私が同じ言葉を口にしました時は、心の中にずっと入ったと言われます。それは実践している者が語れば、人の心の中に入るのです。同じ言葉でも実践がなかったら、相手の心の中には入りません。
 もう五、六年前のことですが、あるところのお話会にいきますと、その中のある方が「ああ、正法が歩いてきた」と、おっしやったことがありました。
 「正法」とは理論、理屈とは違うのですね。自らが行ない、自らがお手本になってこそ正法の実践と言えます。皆様もどうぞ行ないのお手本、法のお手本になっていただきますように、共に学んでまいりたいと思います。前回、前々回とお話してきましたが、この大宇宙の大きさは本当に計り知れないもので、何千億光年といわれています。光の速さで飛んでも一秒間に三十万キロ、地球を七回半回るだけのスピードで、十秒間ではもう地球七十五周です。百秒つまり二分足らずになると物凄いものになりますが、その光が何千億年かかってもまだ先に着けないような、計り知れない大きさがあるのです。その大宇宙が一糸乱れず自然の法則に従って動かされているという事実には驚くばかりです。
 
私たちの住まわせていただくこの地球も、また銀河系も太陽系も、すべて見えない力によって動かされています。太陽を中心にして、地球を含めて九つの惑星と、三万いくつかの小惑星をもって太陽系ができておりますが、距離は物凄く離れております。しかしすべてがお互いの引力の働きにより、自分が回ることによって他を回し、他が回ることによって自分が回されて、この存在が許されています。
 以前、ある先生と呼ばれている人が、「何年か先には、この地球は風船玉がしぼんだようにしぼんで、土星の外に飛んで出る」と、もっともらしいお話をなさいました。しかし、もしも地球が今の位置を変えて他の惑星のところに飛んでいきますと、これはもうバランスが崩れるのです。時計の歯車の一個が飛び出したことと同じで、時計が動かなくなります。しかし時計が動かなくなり、太陽系が動かなくなるだけで済めばいいのですが、これは大宇宙にまで関わってきます。太陽系のような星雲が何個もかたまって一つの運動をしているわけで、こういう広大無辺な星雲のどの星一個も、自然の法則を離れては存在し得ないのです。ということは、大宇宙もまた、偉大な、目に見ることのできない、ほんとうの神様のエネルギーによって動かされているということです。
 太平洋から汲み上げた一滴の水は太平洋の水そのものです。そして太平洋が大宇宙であるとすれば、一滴の水は小宇宙です。大宇宙そのものが神のエネルギーによって存在を許されているものであれば、この小さい地球もまたその中の一部です。大神体か、一つの神体かというだけで、これは人間にもそのまま当てはめることができます。「人間は宇宙なり」と、説かれた方もあります。神様と人間との関係も、大いなる神、大宇宙の神と地球のような小さい私だちとが全く同じ生命によって生存が許されているということです。
 「大神殿は 万生 魂の修行所なり」
 この現象界の地球は生きとし生けるものすべての魂の修行所です。すべてのものは魂の修行をしております。殊に私たち人間は自分の魂を進化させ、霊格を高めさせてもらうためにこの世に生まれてきております。
霊格とは何か。私たちは一人ひとりのお顔を見せていただいても「おおこの人は霊格が高いな」とか、「この人は低いな」とかいうことは普通は分かりません。では、何をもってその人の魂の高さを知る物差しとしたらいいのか、目で見ることのできない魂を見る方法は何かというと、それは、その方の行なうこと、語ること、思うことが魂の高低を表わしていますから、言、動、想によって、その人の霊格を知ることができます。よき行ないを多く積んでおられる方は魂が高い方です。また、魂の低い人はその反対のことをします。
人から恩を受けても恩を忘れ、また恩を受けても仇で返し、他人のためには絶対に何もしない、貰うのは好きだけれど、出すのは嫌いというような方は、魂の次元が低い方です。
 それに対して、常に自らを犠牲にしてでも他を生かす実践をしておられる方は、霊格が高いのです。 霊視をして人の魂の段階を見分けなくても、その方の行ないを見せていただいたら、この方は高いお方だ、この方は低いお方だということが分かります。口で立派なことを言う人はあります。口で言うだけなら「私がこの宇宙をこしらえたのだ」ということもできますが、それで終わりですね。口では大阪の城も建つといって「あの大阪城はわしが建てたのだ」と、口で言うことぐらいやさしいことです。しかし大阪城を建てるには、石を一個持ってくるにしても海を渡って大変なことです。大阪城の門の正面には、一個四十何畳敷の石がありますが、あれは淡路島か四国から運んできたそうです。あんな巨大な石を、今から四百年も昔の方がどんな方法で持ってこられたのかと思いますが、聞くところによりますと、そこに住んでいる女性の方の黒髪を切って、それを縄に編んでロープを作って運んだそうです。
 人間の髪の毛はとても強いもので、海の塩にも負けないとかいいます。その髪で巨大なロープを作って、船の底にぶら下げて大阪城まで運んだのだそうです。これほどの大事業でも、「私がやったのだ」と言えばそれでしまいです。ですから、言うことと行なうことは大違いですし、しかも言うことよりも行なうことのほうがいかに大事かということです。行ないの無い者はいかに立派なことを言っても、これは通じませんね。
 
 参考までに、喜びの手紙をちょっと読ませていただきます。
 「謹啓 先日はご多忙中にも拘らず,特に時間を作って下さり、貴重なお話をお聞かせ下さいまして有難うございました。高橋信次先生があの世にお帰りになられてから、いろんな先生のお話をお間きして、『行じなければ結果は出ないのだ』とか、『正法は実践しなければ意味がない』ということを何度となく聞かされてきました。当然すぎるほどのことでありながら、心にしみ込むものがありませんでした。
 今回、多くの方々からのお勧めにより、長尾先生のお話を聞かせていただいて、同じ言葉が強く心に響き、反省させられたのでした。なぜ長尾先生からお聞きしたら心に響き、他の先生方からお聞きしたら言葉が素通りしていくのかと考えましたら、簡単な答えが出てきました。それは話される方が日常行じていられるかどうかの違いだったのです。(長尾先生といって、こんなことを書いていただいたものを自分で読むのは嫌ですが、読ませていただきます)
 長尾先生は高橋信次先生がお帰りになられてから、さらに深く反省され、八正道を実践なさいました。他の諸先生は、信次先生ご存命中の実績により日々の反省もなく、八正道の実践もありませんでした。ある先生は、『私は反省しなければならないことはないので、自分のことについて反省したことは一度もない』と、ある方に公言されているのです。
その心の奥底に、愛の心があったかどうかです。八月四日の、長尾先生のお話をテープでお聞きしたのですが、言葉は違うかも知れませんが、『両親が悲しむことをしてはいけない、両親が喜ぶことを考えてその通りを実行しよう』とお話になっており、その通りを実践された先生は、すでに十六歳で家を出られた頃から、もちろん信次先生を知られる以前から、正法を実践されていたわけですから、長尾先生の天性のようになっておられたのですね。そして信次先生に師事され、その教えを追及され、行じられたのですね。
 私は恥ずかしくてたまりません。昨年、長尾先生から頂いた『正法に目覚めて下さい』というメッセージの意味がほんとうによく分かりました。有難うございました。心からお礼申し上げます。信次先生亡きあと、やっと心の師に巡り合えて嬉しく思っております。先日、個人指導の途中でご面談いただき、また会場のほうに行かれる際に、まだまだお話がしたいので待っていて下さいとお言葉を頂きましたが、この際いろいろ先生からお話をお聞きしたいと思っておられる方も多く、また先生はそれでなくてもご多忙なので、私たちのような突然の闖入者が先生のお時間を独占することは申し訳なく、不躾ながら失礼申し上げた次第でした。
 
 私は部屋の外でお話をお聞きすることができて感謝しております。これからも先生のお話を聞かせていただく機会が多くあることと思いますが、先生の前に座っても恥ずかしくない自分になれるかどうか、帰ってから信次先生のご著書を読み返し努力してみます。われわれ低次元の努力しかしていなかった者には、長尾先生のような生きている正法、日常生活の中に生かされている正法の具現者こそ、良きお手本と思います。
 お話よりも先生のお姿に正法の心を見ている思いです。有難うございます。
 人を救い導くためにはお釈迦様のように長生きすることも必要かと思います。どうか長尾先生、急速に燃え尽きることのないよう、長く燃え続けてください。
                               合掌 
この様なお手紙を頂いております。
 正法をいくら口で言っても駄目です。口でばかり言いますと、人様から反発を買います。「何や、知ったかぶりして、偉そうにして」といって反発されますから、それよりも自分が行なうことです。
「法とはこのように行なうものだ」と、自分の身体をもって示し現すことですね。これが法の学びです。そして神の御心に従うことです。人様のことを悪く言いたくはありません。しかし真実を伝えていきたいと思います。「正法」という言葉を使っていただいておりますが、かつて政界で、政治家の人たちが選挙になりますと、必ず公明正大という言葉を使っておられました。ところが、宗教組織をバックにもった○党という政党ができましてからは、公明正大といえば○党の宣伝をしているようになって、他の党の政治家は公明という言葉を使わなくなってしまいました。それと同じことで「正法会」という名前を持つ組織の会長があまりにも法から離れた場合、「正法」という名称を使うのが恥ずかしくなります。
 この大神殿は私たちの魂の修行の場所であり、修行とは自らの霊格を上げることです。理屈では魂は向上しません。良き行ないの実践によって霊格は上がっていきます。
               長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より
 
 
 

引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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~ 道 ~


 
平成十六年四月号
 
 
 
心を開く
 
 
☆ 「大宇宙は大神体なるがゆえに この現象界の地球も神体なり 神体なるがゆえに大神殿なるべし」
 この地球上のどこへ行きましても、南極へいきましても、北極へ行きましても、すべてに神の慈愛が満ちていることを知った時、どこへ行きましても安心です。大安心です。そして神の御心の中に住まわせていただき、神の大いなる愛の腕の中に生きさせてもらっていることを、はっきりと自覚することです。神様と私たちとは全く同質同根、私たち一人ひとりに付けられている五官は、親指は親指の使命を果たしており、人差指は人差指の、小指は小指の使命を果たしています。すべてのものは与えられたその場所において使命を果たしています。目は目、鼻は鼻、口は口の使命です。これと同じように私たちも神様のある一部分を果たさせてもらっているということです。
 「私はこういうことはできませんから、神様に申し訳ない」とおっしやる方があるのですが、例えば私は目の役目をしているとします。ある方は耳の役をしているとします。その方が「私はよく聞こえるのだけど、見ることができません。私は申し訳ない」と言って自分を責めましたら、何にもなりません。
その代わり、目の役をしている人は、耳で聞くことはできません。それと同じように、私たちは神様のご意志の何か一つのご用をさせてもらっているのです。その目的は何かというと、見る、聞く、嗅ぐ、それぞれ使命は違いましても、そのなすべきことは「愛」です。
 人様への「ご奉仕」、喜んでいただく愛の行為がこの指一本一本違いましても、その目的は全部つながっております。この肉体を運営するために、すべてが協力してくれているのと同じことです。神様と私だちとは、何ら変わらない全く同質同根であるということを知った時に、「私たちは何をしなくてはいけないか」また「何をした時に神様と同じようになれるか」ということが分かってきます。まず神の心を知らなくてはなりません。神の心を知るために、高橋信次先生は「神を知りたければあの太陽を見なさい」とおっしやいました。これは余りにも有名な言葉でしたね。
 「太陽は自分を燃え上がらせ、燃焼させ、自分を犠牲にして、その結果として現われる熱と光、この熱と光こそ神の慈悲と愛である。この熱と光を他に与え給う」と説かれました。私たちは自分の肉体を燃焼させ、命を燃え上がらせて、自分を犠牲にして、その結果として現われる慈悲と愛を他に与えることです。これが神の心を地上に示し現わすことです。そして太陽の熱、光は万生万物いっさいのものに差別をなさいません。
人間の尊い、卑しい、病気、健康、金持、貧乏などにはいっさい関係ありません。人間だけではありません。動物にも植物にも生きとし生けるもの、ありとしあるすべてのものいっさいを差別なさいません。これが神の御心であるならば、私たちもせめてその真似でもさせてもらわなくてはなりません。さらに太陽は罰をお当てになりません。
 太陽は私たちがどれはどの罪を犯しても、どれはどの過ちを犯しても、なお燦々と許しの光を与え給います。これが神の御心であれば、私たちもすべての方を許さなくてはいけません。しかし口で言うのはやさしいです。憎い人を許すというのは大事業です。都合の悪い人を許す時、憎しみの大きい人を許す時ほど難しい大事業です。しかし、許させてもらった時、これはあくまでも相手を許すのではなく、許させていただくのです。その時、自分のその人に対する怒りとか、憎しみとか、恨みとか、誇りとか、それら自分の苦しみから、自分が許されるということです。心から許させていただいた時、自らが許されます。
 「神は絶対なる許しである」ということを知った時に、私たちもできるだけ許させていただくように努力していかなくてはいけないと思います。
 その時に私たちは自分自身がその苦しみから許されることを知って下さい。難しいことです。憎しみを持ち、許せないでいる人を許させてもらった時ほど、自分の心の喜びは大きくなります。「許すこと」「すべてに平等であること」「罰を当てないこと」これにさらにもう一つ「無報酬」、つまり求めないで与えさせていただくことです。お日様はこれだけの熱と光を与えて下さっても「お前たちに熱と光を与えてやった」と、おっしやったことはありません。
 もしも請求書を持ってこられたとしたら、地球の財産は一目でなくなってしまいます。いくらユダヤの財産家であっても間に合いません。それほどのものを太陽からただで頂いております。そうであれば、私たちも人様に少しでも頂いてもらうことです。
「貰うの大好き、出すのは大嫌い」という方がありますが、これは最も損な生き方です。出すから入るのです。ケチケチしたらこの肉体も生きていることはできません。目に見ることはできませんが、私たちがよき行ないをさせてもらうことによって、上からまた喜びが入ってきます。これは出せば入る自然界の法則です。出さなかったら、やがて糞詰まりになります。人間にはその方その方の器がございます。出すことによって器が広がります。貰うことによって器が小さくなります。そういう方はだんだんと器が小さくなり、心まで小さくなっていきます。やがて死んだらカチカチの一次元に入ります。
 「自分さえ良ければいい、人はどうなっても構わない」と言う人は、苦しまなくてはなりませんね。「人のことに構っておられるか、自分さえ良ければいい」という生き方は、幸せになるような錯覚を起こしますが、これは不幸への誘惑、悪魔のささやきなのです。どんなに人の良いお方であっても、大きな財産が入ったために、「兄弟にやりたくない、この金は自分だけのものだ」と言って頑張って、己を小さくしている例はたくさんあります。これも自然の摂理、法則だということを知った時、私たちは自分に許される限り、人様のために出させてもらうことです。仏教では布施行といいますが、これは自分の心が豊かになります。
 
 さて、「心行」に戻りまして、「この現象界の地球も神体なり」地球は大神殿であり、御神体です。この御神体の中に、私たちが生きる条件のすべてが与えられています。空気であり、水であり、植物であり、動物であり、すべてが神の御胸にあることを自覚した時に、いろいろの迷信や間違った宗教が分かります。このことを私は自覚させてもらっています。その時、すばらしい安心と、自分を通して大いなる神の御業を見せていただくことができ、自分がほんとうの神の御使いであったということが自覚できます。自分という肉体を通して他に現わしていただく数々の奇跡は、人間のなしうることではありません。
 神の分け御霊であり、そして神の子としての己自身を知ることによって、はっきりと自覚できます。これは自ら神を体験することですね。自分が神様と同じことをさせてもらうのだということが分かります。神は自然治癒能力を私たちにお与え下さっています。ですから「治りなさい」と言えば、身体の悪いところが治ります。行なわない者には結果は出ません。させていただくから、その結果が出るのです。「もうしんどいから止めておく」と言えば、いくら神様が治してやろうと思って下さってもできません。
 もし力を与えられておりましても、私がしんどいからと言って何もしなければ、神様は与えて下さいません。行なうから神様が働いて下さるのです。自分がいろいろなことを、肉体を通して体験させてもらうことによって、神の働きを体験できるのです。座っていくら拝んでいても体得することはできません。私は瞑想して天上界に上がり、神とコンタクトしてくるのだといっても、座っていては何にもなりません。行なった時,はじめて体得できます。イエス様のお弟子の方が言われました。
 「私は私の行ないをもって信仰の証を立てます」と。これは座って拝んで証を立てるのではなく、行ないをもって信仰の証を立てましょうと言っているのです。私もその通りです。私の信仰は行動、行ないです。行なうことによって信仰の証ができます。私のような至らない者、何も求めない者に、なぜ目本国中にファンの方々がいて下さるかということです。潜在する私のファンは何万人か数が知れないとおっしやっています。
 これは皆さんが私の話を聞いて下さって、「このテープをあの人にあげよう」と言って、あちこちの方にお話のテープをあげていただくのですね。そうしますと、間いてくれた方がまた、他の方に同じようにして下さって、まるでねずみ講のように、一銭も儲からないねずみ講のようにして、現在、日本国中に広がっております。私のような者の話を皆さんがどうして聞いて下さるのかと、私は不思議で仕方ありません。
 しかし、そのテープを聞いて、いろいろと信じられないような奇跡が起こっています。テープを聞いていただいて病気が治ったり、ずれていた骨がポキポキ音を立てて正常に戻ったり、或いはノイローゼの方が治って下さったり、いろいろ喜びのお便りを頂いております。私は著作権侵害などとはいっさい言いませんから、また皆様も家でダビングをして、求める方に差し上げて下さい。そのことによって、また救われる方が出ると思います。どうも長い時間有難うございました。(先月のつづき)
               長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より
 
 


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平成十六年三月号
 
心を開く
 
 
☆ 「大宇宙体は大神体なるがゆえに この現象界の地球も神体なり 神体なるがゆえに大神殿なるべし」
 この地球そのものが御神体であり、また神の住み給う大いなる宮であれば、この地球上のどこへ行っても、西へ行こうが東へ行こうが、すべて神の御神体の中です。ですから、神の御神体の中に嫌な場所があるわけがありません。
また神の大神殿の中に不浄の場所、危ない場所、行ってはいけない場所、そういうものもないはずです。この見方からしますと、方位学でいうように、今日はどの方角に向いていってはいけないとか、印相学でいうように、大きい印鑑を作ると運勢が良くなるとか、印鑑の大きさをどのくらいにしたら良いとか、そんなことは全く意味がありません。印鑑の大きいほうがいいのでしたら、長さ三メートルぐらいのものを作りまして「これはゲンがいいのだ」と言って担いで歩けばいいのですね。太いものがいいのでしたら、臼のような大きいものを作って担いで歩けばいいのです。こんなことで良くなるはずがありません。
うまいことを言われて欺されてしまうのです。
 印相学をする人が「お宅の印鑑をただで見てあげましょう」と言いますが、見てもらったら絶対にいいことは言いません。「これは悪いですなあ、これでは出世しませんよ」とか、「こんなものを持っていたら不幸になります」とか、「これでは先祖が浮かばれない」とか言って欺されて、三十万も五十万も取られてしまいます。悪質な宗教では、まず印鑑を無料で見てあげますといって近づきます。そして印鑑を作らせその会話の中で、その人がどれほどの財産や預金があるかを調べるのです。「へえ、三十万、ではお願いします。作って下さい」と言えば、「この人は大分持っているなあ、今度は壷を売ってやろうか」と、壷を百万とか百三十万とか言うのです。それは、うまいこと言うのですよ。
 見てもらえば見てもらうほどうまいこと言います。「お宅の先祖はたくさんの方が迷うておられます。この壷を買って祀ったら、先祖さんが喜ぶと言っておられます」そう言われますと、私たちはご先祖様が救われてほしいから「へえ、えらいけど先祖様のためだったら」と思って、たくさんのお金を出すのです。ところが出しますと、今度は「これはまだお金を持っているなあ」と、見るわけで、その出しっぷりで分かりますから、これはまだいけると思いますと、次は多宝塔を売ります。これにひっかかりますと、五百万です。今日お見えになっていると思いますが、そのお方は一千万円から使ったと言っておられますね。そうしなくてはいけないように、言葉をもってうまいこと欺してくるのです。しかし、そのようなものでご先祖様が牧われるわけがありません。
 なぜ救われないのかと言いますと、自分が過ちを犯し、罪をつくり、自分が神の御心に背いて、己の心を苦しめたために、死んで苦しい世界へ行っているだけですから、他の人が壷を買い、塔を買って祀ったとしても救われるはずがないのです。これはご先祖様ご自身の問題です。このようなものに一銭も使わなくても、ご先祖様になぜ迷うのかを分かってもらい、反省することによって救われていただけます。
  
 「どうぞこの地上界におられました時のご自身の生活を振り返ってみて下さい。私たちは自分の心を苦しめますと、神様が凄く苦しまれます。神は罰をお当てになりませんが、この世は私たちが神の御心から1メートル離れたら、1メートル分の苦しみを自ら裁くようになっております。中道から百メートル離れたら、百メートル分の苦しみを自ら裁くように作られているのです。それは私たちの『良心』によって自分を裁くように心が作られているからです。自分の心を苦しめることが多くなればなるほど、神様から遠く離れます。
そして離れた分だけ自分が苦しむのです。自分が作った苦しみを振り返って見て下さい」とお話して、反省された時に、ご先祖様は救われて下さいます。
ご先祖様は自分の犯した罪によって地獄に行っているのですから、それに対していくら壷を買って祀ったとしても駄目ですね。
 
今日こうしてご縁のあります皆様は、どうかそういう被害を受けないように、うまい言葉に乗らないように頑張って下さい。もう七、八年も前のことですが、大阪の方で、うまく欺されて壷を買い、次に塔を買って五百万円を払われたのです。銀行で五百万円借りれば、その利子だけでも大きいものです。しかも四か月経たないと品物が入ってこないのだそうです。向こうで祈祷しますからと言って四か月待たされていた時、ちょうど私と縁がありまして、私はその方に言ったのです。
「ああ、それは駄目です。五百万円はただ取られただけです。そんなお金を銀行で借りてどうしますか。すぐに消費者センターに電話して、向こうに掛け合ってもらいなさい。個人では絶対に聞いてもらえませんから、公共の機関から交渉してもらいなさい」。そうしますと、お金は払っていましたが、まだ品物は受け取っていませんでしたので、五百万円まるまる返してもらえたのです。「うまく行きました」と言っただけで、私には一銭もくれませんでした。((笑))ちょっとした言葉で五百万円儲けますし、ちょっとしたことでご縁がなかったら五百万円損をするところでした。神様とは、決して壷とか塔のようなそんなものではありません。先祖供養という信仰はいっぱいありますが、いまお話したような信仰によっては先祖供養はできないということです。
 なぜかというと、供養の究極の目的は何かということを考えてみて下さい。お経を上げて、よい戒名をつけて、偉いお坊さんに来てもらって拝むのが、
先祖供養とは違うのです。これは手段であって究極の目的ではありません。
供養の目的は、ご先祖様が極楽に成仏して下さることです。私たちは祀ったり、供えたり、拝んだり、何百万円という戒名をつけてもらったりするのですが、そんな手段によってでは極楽へは行けません。その手段でも、亡くなった方は一時の自己満足を得ることができるのです。「私を祀ってくれた、私に供えてくれた。私にお経を上げてくれている」という自己満足ですね。しかし自己満足を与えることと成仏とは全く意味が違います。
 仏壇の中にお祀りをしまして、最高のお供えをし、お経を上げますと、かえって「ああここにいたら安心だなあ」という思いを与えて、極楽と仏壇とを間違えてしまい、錯覚を起こして、いつまでも居座ってしまいます。そうしますと仏壇が暗くなって真っ黒けになってしまいます。ですから、「ここにおられてはなりません。ここは極楽とは違うのです。極楽とは素晴らしい世界です。そこへ帰らなくては成仏はできません」といって、お教えしたらいいのです。そして上ヘー上といってもこれは難しいのですが、本来天上界の極楽とは自分の心の中にあるもので、その心の中の極楽へ帰っていくのです。
 六月の東京公演で、質問の時間に、ある方から「極楽とはどこにあるのですか、地獄とはどこにあるのですか」という質問がありました。天上の世界といいまして、遥か西方浄土の雲の上にあると思われますと、それは間違いです。極楽は私たちの心の中にあります。
「ああ結構だなあ、有難いなあ」というこの思いこそ極楽です。怒り、妬み、誇り、憎しみ、呪い、こういう心を持っておりますと、私たちの心の世界は即地獄です。その地獄は自分が作っているのですと説明させてもらって、「地獄も極楽も余所にあるのではありません。自分の心の中にあります」と、お答えさせてもらったのです。ご自分の心が作ったご自身の地獄界から、ご自身の喜びの世界へお送りすれば、それで成仏されるのです。その時、お仏壇はたちまちにして光り輝いてきます。いま向こうに、たまたまお仏壇を撮った写真が二つ、三つありますが、あとで見て下さい。
 光明燦然と輝いております。真っ黒だったお仏壇ですが、指一本触れておりません。ただお仏壇の前に座らせてもらって、その中におられる迷える緒霊の方に、正しい法をお伝えさせてもらって、自分の心の極楽に帰ってもらえばお仏壇は光ってくるのです。極楽といいますと、上のほうにあると思っておられますが、その人の心を極楽にしまして、「あなたの帰る世界をお見せしましょう。はい、見なさい」と言いますと、パアーッと極楽が見えるのです。
「結構なところでございますね」と皆言われます。はっきりと見えます。
「あの世界へ上がるのですよ。では私の声の響きに乗っていきなさい」と言って経文を唱えますと、上がっていかれます。
 この地球のどこへ行きましても、南極へ行きましても、北極へ行きましても、すべてに神の慈愛が満ちていることを知った時、どこへ行きましても安心です。大安心です。そして神の御心の中に住まわせていただき、神の大いなる愛の腕の中に生きさせてもらっていることを、はっきりと自覚することです。 
                                つづく
              長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より
 



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~ 道 ~


 
平成十六年一月号
 
心を開く
 
☆神我の声
我が身 雲上にあり 心雲下を眺(のぞ)む 悠久の山河 連々とつらなり 
 その変化を知らず 愚かなる人智 山を崩し 川を堰き止め 森林を伐採す
 川の流れを変え 自然を破壊す 主なる神 父なる神の ご神体を傷つけて
 止むことを知らず 愛し子たちよ 大自然の力を甘く見ることなかれ
 
 大自然の恐れ 大自然の反動を心して受け取るべし 大自然の姿を見よ
広大なる山河の中に 人の住めるその場所の小さきことを 山々の谷間に
川のほとりに 海辺に開けし小さき扇状形の平野に群がり 人家密集す
法灯消え去り 人その歩む道を知らず 故に苦悩の中に泣き叫ぶ人々その数の 多きを知らず
 我 雲上より天下り 泣き叫び 苦悩せる愛し子のもとに馳せ参じ
法灯を点ぜん 倖への道を開かん
  愛し子よ 幸いあれ 自らを苦しむることなかれ 
 
 我が命 この身を父なる神に捧ぐ かくて神 我を知れり
 我が命 我が身をもって 父の御心をこの地上に具現せり 
 その時 その場に 金箔舞い降り 金粉 湧き出でたり いたち来たりて我が膝に遊ぶ
 小鳥無数来たり集いて唄歌い 花開き 花閉ざせり 生きとし生けるもの我が言葉に従う
この時あらゆる病癒さるる めしい目を開き もの言えぬ者は語り 足立たぬ者
立ち上がれり また死せる人生き還れり 死を迎えし多くの人の姿を見よ
癌を病みながら一切の苦しみを知らず 感謝の中にこの世去りゆく これらの人々
死して天上界を約束されたり これすべて父の御技なり 我が神我を通し働き給う
父なる神の御技なりけり 盲亀浮木のたとえの如く 世のすべての人々この御技を知らず 愚かなり 世は新の神を知らず  偽りの神々を信ず 外の神を求むる人々 その数を知らず されど外に神を求めて神に巡り会うこと難し 神を信ずる人多く 神より信ぜらるる人少なし 我はその内なる世界に神を求めて神の愛を知れり
 世に偽りの神々を信ずる人 あまりにも多し されど真の神を信ずる人 あまりにも 少なし 父は信し得らるる我が子を求め給う 我内なる世界より来り 現世(うつしよ)にこの身の行いをもって 神の御心を述べ伝えん
                    長尾 弘先生著「心行の解説」講演集下より 
 


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~ 道 ~
 


平成十五年十一月号
 
心を開く
 
高橋信次先生のご縁にふれて、昭和50年秋に、初めて皆さんの前でお話させてもらいましてから、はや13年過ぎてしまいました。ずっと心の安らぎを求め、自分の心が日々の中でいかに安らかな生活ができるかを追い求めています。日々の生活の中で、まだまだ完成されるところまではいけません。完成された方はもうこの地上に生まれる必要はないそうです。すべてが過ちを犯し、罪を作り、過ちを犯すことによって、過ちを犯していない方はどんなに楽だろうなあ、罪のない方はどんなに幸せだろうなあと言うことを学んでいきます。罪は本来はないものです。それは悔い改めた時、みな消えていきます。イエスは「悔い改めよ、汝の罪は許されたり」と言われます。
 こうして学ばせていただくのですが、この世に生きさせてもらいますと、いろいろな方との出会いがあり、そこに出来事が始まります。この世において、親子の仲がすばらしく、
「ああ、この子はいい子だ。もう一度自分の子になって欲しい。この子は良くしてくれたから、また次の世でもいっしょに学びたい」というお互いの思いがありますと、親子の縁を再び頂くことができます。夫婦の場合も同じことです。
 今、心の勉強会をしていますが、何も難しいものではありません。日々の生活でどれだけ自分の心を苦しめないか、いろいろな出来事に出会って心を苦しめる時に、どのようにして心の切り替えをしていくか、いかにして苦しみを喜びに変えていくか、ということにかかわる「心」の学びをしております。見方、思い方をうまく切り替えてしまって、一時も速くその苦しみを心から遠く離してしまうことです。うまくいけば喜びに変えてしまうことです。これが苦しみから逃れる方法です。生きている限り、人生とは人との出会いであり、出会いがあれば必ず出来事が起こりますから、その出来事をいかにうまく処理するかにかかってきます。私たちはこの世の出来事から避けることはできません。いかに心の中で処理するかということが、学びの中でいちばん大事なことだと思います。
 前回お話しましたように、大自然においても、また原子の世界においても、すべて同じエネルギーが働き、同じ法則に従って動いております。その偉大なる力を神様と申し上げております。
 まことの神様の呼び名はいろいろあります。「天上の父よ」といっているところもあります。「天にまします我らの父よ」といっているところもあります。また「エホバ」と呼び「ヤーベ」と呼んでいます。神道では「天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)」と呼ばれています。呼び方は違いますが、すべてが生命の根源である父なる神を指しているのです。
 まず神を知ること、そしてこの神様は全宇宙の、見ることのできない小さな小さな一粒子の中に至るまで、その意識が浸透していて下さることを知ることです。その証拠に原子はすべて循環の法則に従っています。これが神の愛ですね。このように見ていきますと、万物はすべて生命です。植物も動物も、水や石などに鉱石も、ありとしあるものすべてに神の御心が示されているということです。
 
 私たちはこの世に一人一人肉体は別々に生まれております。海辺の島にたとえますと  ボコボコと水面から出た部分が、個性を持った私たちそれぞれの人間ですが、水面下ではどの島も皆繋がっています。この部分は私達の潜在意識に相当します。さらに海底では陸地でもって全部繋がっています。これが超潜在意識です。私達は一人一人みな別だと思っていますが、心の奥底の超潜在の世界へ入りますと、全部繋がっています。ちょうど、この指は掌を広げますと、親指有り人差し指有り、中指、薬指、小指がありまして、名称はそれぞれ違いますが、掌では全部繋がっているのと同じ事で、しかも超潜在意識の世界は神の世界です。私達は神様によって心の底では全部繋がっているのです。ですから、高橋信次先生が相手の方のことが全部おわかりになって、「あなたは何年何月にこのようなことがありました」「あなたにはこの様なことがありました」と言って、皆話されましたが これは潜在の意識へ自分の意識が入ると、全部分かるのです。他人同士と思っておりますが、心の中ではすべての人間は繋がっているのです。
                  


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