皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



昨日のブログに書いた通り、長尾弘先生が配布されていた「道」(ホームページに公開されていた文章)をシェアさせて頂きます。




内容は、講演会の文字起こし、喜びのお手紙がメインです。
その中でも霊的なお話が目立ちますが、恐怖を与えるためのものではありません。
霊とは、わたしたちの本質であって、正しく理解することが目的です。
霊的な悩み(霊障)がある方は、真理を学ぶと改善することがあるようです。
もちろん苦手であれば、無理する必要はありません。
ご自分のペースで楽しく穏やかに学んでいきましょうキラキラ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていたままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






~ 道 ~


平成十四年六月号
 
四六時中 休むことなし 我が行は
      父との誓い あればこそなり   弘
 
 
 
心を開く
 
☆神とは
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。
 大宇宙には、唯一無二の生命意識があるのみである。生命は、始めなく終わりなく永遠無限である。
無限の大宇宙は、無限に存在し給う生命意識、無限に偏在する神の最奥意識体である。 唯一無二の生命体である宇宙には死の部分は皆無である。ただ生命エネルギーの移り変わりがあるのみである。
 人類の外なる心、外なる意識のみが神の純粋なる意識から遠く引き離している。
 外なるものは肉であり、肉にまつわる五感の感官であり、この五官こそ悪魔の心を秘めている。
・自他、善悪、分別、分離の心は五官に支配された人間の心である。
・宇宙唯一無二の無限者である神は御霊にして、御霊は意識であり、意識こそ生命であり、この生命が唯一無二の神ご自身であられる。
 神は慈しみと愛そのものであられ、慈悲が神の全存在である。
 
 
                            「心行」の解説 上より
 
 
☆仏壇には感謝の心を供える
 
 お仏壇についても同じことが言えますね。仏壇にお供えをした後お下がりをいただきますが、ご先祖様の好物であっても、 それが自分の嫌いなものであれば、お供えはしないものです。自分の好きなものを買ってきてお供えします。
本当のお供えというものは、たとえ自分の嫌いなものでも、ご先祖様の好まれるものを差し上げることでしょう。
もしご先祖様が召し上がったらかなわないし、また文句を言うかもしれませんね。
供えるというのは、ご先祖様へ自分の感謝の心を供えるのです。
「ご先祖様、今日もこうしてご飯を炊かせて頂きました。これもご先祖様のおかげです」
と言ってお供えする、その心ですね。またお茶を沸かしたときに、日に一度お供えして感謝するのです。
 
 先祖供養について、供養の最終目的というのは、亡くなられたご先祖様が極楽に救われてくださることです。仏壇の中にいてもらうのが最終目的とは違います。
或る宗教ではお位牌を作って、これをなんとご先祖様の止まり木だと言っていますが、こんな位牌に止まられたらかないません。小鳥みたいなものです。
では極楽に成仏して頂くためにはまず喜んでいただかなくてはなりません。安心していただかなくてはなりません。
たとえば親の立場として、孫を授かれば祖父母の立場になりますが、もし自分の子供が苦しい思い、悲しい思いをしておれば、親としては本当に辛いのです。
代われるものなら代わってやりたい、何とか幸せになって欲しいと思うのは親心ですね。
おじいちゃん、おばあちゃんもそれ以上の思いです。
またひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんは余計にいとおしいのです。
私たちに対してね。
 
 仏壇の亡き人の前で、日頃よく過ちを犯している人がいます。腰が痛いのでなおしてくださいとか、夫婦仲が悪いから仲良くなるようにしてくださいとか、 また夫の根性が悪いからなおしてください、といって拝んでいる場合があります。お嫁さんがお仏壇の前で主人の悪口を言っては行けません。 そこのご先祖様が怒られます。
何を言っているのか、家に嫁にきて、うちのかわいい孫に対してなんということを言うのか、というわけで、お嫁さんはもう失格ですよ。
私たち子供らが、亡くなったお父さんお母さんに、私たちはおかげでこんなに幸せに暮らしています。夫婦仲良くしております。 或いは、子供はこんなに健やかですといって、娘や息子が挨拶してくれたら、本当に嬉しいです。 ああ、有難いなあ、もう何も思い残すことはないと喜びます。
反対に、私達辛くてたまりません、何とかして欲しいと子供達が言ってきたとしたら、難儀だなあと思いますね。
 近くの人で息子さんが半身不随なのですが、その大きな邸宅に招かれて座敷に通されますと、隣の仏間でその家のおばあちゃんがお祈りをしておられるのですね。 このおばあちゃんは健康だけど足が痛いのです。
「ご先祖様、私は足が痛くて難儀しております。どうか私の足の痛いのをなおしてくださいな。息子はこんな不自由な身体ですのでどうぞ守ってください。孫の誰々は何々ですからどうか守ってください」
と言って、なんと一時間も拝んでおられます。
もう八十近いおばあちゃんですから、そんな風に拝んではいけませんよと言ったのですが、ここのご先祖様はさぞや苦しくて悲しまれることでしょう。
 宗教の中には「ご先祖様は子孫のことを思っているのだから、精一杯無理を言えばいい」と教えているのがあります。 しかしご先祖様に対しては絶対に頼み事を言ってはいけません。
貧乏でお金がないから、サラ金で借りたなどと言ってご覧なさい。親もどうしたらいいかと悲しみます。 姿があればまだ何とかしてやることもできますが、死んでしまったら、もうどうすることもできませんね。
 仏様の前でお願い事をしたら絶対にだめです。不幸です。親不孝であり、先祖不幸です。
 
 
☆経文の意味がわかってこそ有難い
 
 私の家の檀那寺の院主様が私の父の法事に来て下さいまして、たまたま一緒に食事をいただきました。
その院主様は大変偉い方で本山の館長をされ、八十歳を過ぎた方です。私達の幼い頃は道で会いますと、気をつけをして最敬礼しました。 すると、おおえらいのうと頭をさすって下さったものです。
緋の衣を着てたいへん位の高い院主様です。その院主様に「今、あげて下さったお経は何というものですか」と尋ねますと、「あれは三部経というものだ」 「三部経というのは有難いお経ですか」「ああ、有難いぞ」
 かねて私は三部経というのは有難いと聞いていましたので、「先ほどから三部経を聞いていて、どこか有難いところはないかと一生懸命拝聴しておりました。しかしどこ一つ有難いところはありません」といったのです。
 すると「それはそうや、お経というものはな、わかるように言ったら一つも有難いことはない。わからんように読んで有難いように唱えるのが坊主の腕や」と言われます。
「では院主様のご存じない他国の言葉で××寺の院主は阿呆、××寺の院主はドアホウと有難そうに唱えたら、有難いですか」といいましたら、 「こら!そんなことを言ったら許さん」と叱られたのです。
 それと同じ事でして、言葉の意味がわからなければ何を言っているのかわかりませんから、いくら有難そうに唱えて下さってもいっこうに有難いことはありません。 ただ、有難そうだなあ、と思うだけです。
「般若心経」も有難いと言いますけど、あのお経の意味をちょっと説明させてもらったのです。
「摩訶般若波羅蜜多心経」は「マーハー パニャーパラミターストラ」と言い、その意味は「心の奥底に内在されている偉大な知恵に到達する心の教え」ということです。
 摩訶はマーハー、偉大、般若とはパニャ、知恵です。波羅蜜多は「腹を見た」というのではなく、パラミター、到達するという意味、心経は心の教えです。
「観自在菩薩」とは過去・現在・未来を見通す能力を持たれた仏を目指して修行をなされるお方のこと、 そのお方が正しい生活を日々行じられたとき「行深般若波羅蜜多」なのです。
「照見五藍皆空度」の照見とは照らし見ること、ブッダは人間を観察し、人間を五つの部分に分けられました。
色(肉体)、受(感覚)、想(表象)、行(意志)識(判断・理性)色は人間の肉体、つまり物質的要素で、受想行識は精神的要素、心の作用でそれらはみな、空なり、つまり実体がない、と説かれております。
 
 その話をちょっとしますと、院主様は突然ハッと正座されまして、「先生は一体何年修行されたのですか」と今までとはうってかわって急に先生と言われたのです。
「いえいえ、私は何も修行はしておりません」と言いますと、
「恥ずかしいことだが、私は坊主をして八十年になるけれど、先生が今説いて下さったことは知らなかった」とおっしゃるのです。
寺門のプロのお坊さんがそれを知らないで素人の私が知っていると言うことは、これは不思議ですね。
日々の暮らしを正しく行じますと、こういう事は習わなくても勝手にわかってくるのです。
 
 
☆内在された知恵
 
 今日のようなお話会も、本当にあちこち招いていただきますが、今日はこの場所でこういう話をさせていただこうとかは一切私は思って来ません。
まったく何も考えないで来ます。そして長いときは、朝八時からお昼までと、会場は変わりますが、午後一時から夕方五時までと、その後夜七時から十一時までというように、日に三回お話をさせていただきます。 (今現在は、そのようなことはしておりません)
 この会場から次の会場へ行かせてもらう道中は、皆さんと楽しい話をしながら行きます。
何も話すことについては考えません。皆さんの心の段階に応じた話が自然と出てきます。
 これは内在された知恵ですね。そういうことが自然にわかってくるのです。
 
                            長尾弘 著「愚か者の独り言(一)」より





資料にもしてみました



引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

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