皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
※当記事のみ一部編集あり
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

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 ~ 道 ~

 
平成十六年五月号
 
 
 
    天
心を開く
 
 
☆ 講演五より
 「法は実践の中に生命が宿る」というこの言葉は、どの先生も言われますが、聞いた時に「ああそうか」と思うだけでは、心の中に入ってこないですね。
なぜ入らないかというと、話す本人が実践されていないからです。私が同じ言葉を口にしました時は、心の中にずっと入ったと言われます。それは実践している者が語れば、人の心の中に入るのです。同じ言葉でも実践がなかったら、相手の心の中には入りません。
 もう五、六年前のことですが、あるところのお話会にいきますと、その中のある方が「ああ、正法が歩いてきた」と、おっしやったことがありました。
 「正法」とは理論、理屈とは違うのですね。自らが行ない、自らがお手本になってこそ正法の実践と言えます。皆様もどうぞ行ないのお手本、法のお手本になっていただきますように、共に学んでまいりたいと思います。前回、前々回とお話してきましたが、この大宇宙の大きさは本当に計り知れないもので、何千億光年といわれています。光の速さで飛んでも一秒間に三十万キロ、地球を七回半回るだけのスピードで、十秒間ではもう地球七十五周です。百秒つまり二分足らずになると物凄いものになりますが、その光が何千億年かかってもまだ先に着けないような、計り知れない大きさがあるのです。その大宇宙が一糸乱れず自然の法則に従って動かされているという事実には驚くばかりです。
 
私たちの住まわせていただくこの地球も、また銀河系も太陽系も、すべて見えない力によって動かされています。太陽を中心にして、地球を含めて九つの惑星と、三万いくつかの小惑星をもって太陽系ができておりますが、距離は物凄く離れております。しかしすべてがお互いの引力の働きにより、自分が回ることによって他を回し、他が回ることによって自分が回されて、この存在が許されています。
 以前、ある先生と呼ばれている人が、「何年か先には、この地球は風船玉がしぼんだようにしぼんで、土星の外に飛んで出る」と、もっともらしいお話をなさいました。しかし、もしも地球が今の位置を変えて他の惑星のところに飛んでいきますと、これはもうバランスが崩れるのです。時計の歯車の一個が飛び出したことと同じで、時計が動かなくなります。しかし時計が動かなくなり、太陽系が動かなくなるだけで済めばいいのですが、これは大宇宙にまで関わってきます。太陽系のような星雲が何個もかたまって一つの運動をしているわけで、こういう広大無辺な星雲のどの星一個も、自然の法則を離れては存在し得ないのです。ということは、大宇宙もまた、偉大な、目に見ることのできない、ほんとうの神様のエネルギーによって動かされているということです。
 太平洋から汲み上げた一滴の水は太平洋の水そのものです。そして太平洋が大宇宙であるとすれば、一滴の水は小宇宙です。大宇宙そのものが神のエネルギーによって存在を許されているものであれば、この小さい地球もまたその中の一部です。大神体か、一つの神体かというだけで、これは人間にもそのまま当てはめることができます。「人間は宇宙なり」と、説かれた方もあります。神様と人間との関係も、大いなる神、大宇宙の神と地球のような小さい私だちとが全く同じ生命によって生存が許されているということです。
 「大神殿は 万生 魂の修行所なり」
 この現象界の地球は生きとし生けるものすべての魂の修行所です。すべてのものは魂の修行をしております。殊に私たち人間は自分の魂を進化させ、霊格を高めさせてもらうためにこの世に生まれてきております。
霊格とは何か。私たちは一人ひとりのお顔を見せていただいても「おおこの人は霊格が高いな」とか、「この人は低いな」とかいうことは普通は分かりません。では、何をもってその人の魂の高さを知る物差しとしたらいいのか、目で見ることのできない魂を見る方法は何かというと、それは、その方の行なうこと、語ること、思うことが魂の高低を表わしていますから、言、動、想によって、その人の霊格を知ることができます。よき行ないを多く積んでおられる方は魂が高い方です。また、魂の低い人はその反対のことをします。
人から恩を受けても恩を忘れ、また恩を受けても仇で返し、他人のためには絶対に何もしない、貰うのは好きだけれど、出すのは嫌いというような方は、魂の次元が低い方です。
 それに対して、常に自らを犠牲にしてでも他を生かす実践をしておられる方は、霊格が高いのです。 霊視をして人の魂の段階を見分けなくても、その方の行ないを見せていただいたら、この方は高いお方だ、この方は低いお方だということが分かります。口で立派なことを言う人はあります。口で言うだけなら「私がこの宇宙をこしらえたのだ」ということもできますが、それで終わりですね。口では大阪の城も建つといって「あの大阪城はわしが建てたのだ」と、口で言うことぐらいやさしいことです。しかし大阪城を建てるには、石を一個持ってくるにしても海を渡って大変なことです。大阪城の門の正面には、一個四十何畳敷の石がありますが、あれは淡路島か四国から運んできたそうです。あんな巨大な石を、今から四百年も昔の方がどんな方法で持ってこられたのかと思いますが、聞くところによりますと、そこに住んでいる女性の方の黒髪を切って、それを縄に編んでロープを作って運んだそうです。
 人間の髪の毛はとても強いもので、海の塩にも負けないとかいいます。その髪で巨大なロープを作って、船の底にぶら下げて大阪城まで運んだのだそうです。これほどの大事業でも、「私がやったのだ」と言えばそれでしまいです。ですから、言うことと行なうことは大違いですし、しかも言うことよりも行なうことのほうがいかに大事かということです。行ないの無い者はいかに立派なことを言っても、これは通じませんね。
 
 参考までに、喜びの手紙をちょっと読ませていただきます。
 「謹啓 先日はご多忙中にも拘らず,特に時間を作って下さり、貴重なお話をお聞かせ下さいまして有難うございました。高橋信次先生があの世にお帰りになられてから、いろんな先生のお話をお間きして、『行じなければ結果は出ないのだ』とか、『正法は実践しなければ意味がない』ということを何度となく聞かされてきました。当然すぎるほどのことでありながら、心にしみ込むものがありませんでした。
 今回、多くの方々からのお勧めにより、長尾先生のお話を聞かせていただいて、同じ言葉が強く心に響き、反省させられたのでした。なぜ長尾先生からお聞きしたら心に響き、他の先生方からお聞きしたら言葉が素通りしていくのかと考えましたら、簡単な答えが出てきました。それは話される方が日常行じていられるかどうかの違いだったのです。(長尾先生といって、こんなことを書いていただいたものを自分で読むのは嫌ですが、読ませていただきます)
 長尾先生は高橋信次先生がお帰りになられてから、さらに深く反省され、八正道を実践なさいました。他の諸先生は、信次先生ご存命中の実績により日々の反省もなく、八正道の実践もありませんでした。ある先生は、『私は反省しなければならないことはないので、自分のことについて反省したことは一度もない』と、ある方に公言されているのです。
その心の奥底に、愛の心があったかどうかです。八月四日の、長尾先生のお話をテープでお聞きしたのですが、言葉は違うかも知れませんが、『両親が悲しむことをしてはいけない、両親が喜ぶことを考えてその通りを実行しよう』とお話になっており、その通りを実践された先生は、すでに十六歳で家を出られた頃から、もちろん信次先生を知られる以前から、正法を実践されていたわけですから、長尾先生の天性のようになっておられたのですね。そして信次先生に師事され、その教えを追及され、行じられたのですね。
 私は恥ずかしくてたまりません。昨年、長尾先生から頂いた『正法に目覚めて下さい』というメッセージの意味がほんとうによく分かりました。有難うございました。心からお礼申し上げます。信次先生亡きあと、やっと心の師に巡り合えて嬉しく思っております。先日、個人指導の途中でご面談いただき、また会場のほうに行かれる際に、まだまだお話がしたいので待っていて下さいとお言葉を頂きましたが、この際いろいろ先生からお話をお聞きしたいと思っておられる方も多く、また先生はそれでなくてもご多忙なので、私たちのような突然の闖入者が先生のお時間を独占することは申し訳なく、不躾ながら失礼申し上げた次第でした。
 
 私は部屋の外でお話をお聞きすることができて感謝しております。これからも先生のお話を聞かせていただく機会が多くあることと思いますが、先生の前に座っても恥ずかしくない自分になれるかどうか、帰ってから信次先生のご著書を読み返し努力してみます。われわれ低次元の努力しかしていなかった者には、長尾先生のような生きている正法、日常生活の中に生かされている正法の具現者こそ、良きお手本と思います。
 お話よりも先生のお姿に正法の心を見ている思いです。有難うございます。
 人を救い導くためにはお釈迦様のように長生きすることも必要かと思います。どうか長尾先生、急速に燃え尽きることのないよう、長く燃え続けてください。
                               合掌 
この様なお手紙を頂いております。
 正法をいくら口で言っても駄目です。口でばかり言いますと、人様から反発を買います。「何や、知ったかぶりして、偉そうにして」といって反発されますから、それよりも自分が行なうことです。
「法とはこのように行なうものだ」と、自分の身体をもって示し現すことですね。これが法の学びです。そして神の御心に従うことです。人様のことを悪く言いたくはありません。しかし真実を伝えていきたいと思います。「正法」という言葉を使っていただいておりますが、かつて政界で、政治家の人たちが選挙になりますと、必ず公明正大という言葉を使っておられました。ところが、宗教組織をバックにもった○党という政党ができましてからは、公明正大といえば○党の宣伝をしているようになって、他の党の政治家は公明という言葉を使わなくなってしまいました。それと同じことで「正法会」という名前を持つ組織の会長があまりにも法から離れた場合、「正法」という名称を使うのが恥ずかしくなります。
 この大神殿は私たちの魂の修行の場所であり、修行とは自らの霊格を上げることです。理屈では魂は向上しません。良き行ないの実践によって霊格は上がっていきます。
               長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より
 
 
 

引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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