皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



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文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
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~ 道 ~

 
平成十四年九月号
 
    実体の なき世に生きて
     あるものと 思い苦しむ
          愚かなる我     弘
 
 
心を開く
 
☆ 神とは
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。
・大宇宙、大自然、天体のいっさいは愛なる神の中にあって、完全なる調和の中に運行される。(神の直属)。
神の子人間は、完全なる自由意志を与えられ、人類の真の我こそ神我であり、神我は大自然の法自身であり、法は永遠に正しく完全な調和と宇宙渾然一体であり、神の愛といっさいの力である。
人間自らが調和から外れた分だけ、自らが補うものである(原因結果の輪廻)(因果応報)(煩悩の火)。
・無限生命意識からの流れが大生命意識となり、神全能者意識から神または絶対者即ち大生命、全能なる神ご自身となり給う。
 いわゆる無限生命神ご自身の表現である。大生命、全能の神が、神ご自身の中に、神ご自身を意識的に神の分霊として表現され給うたのである。神の分霊が、ありとしあらゆる形態を通して、生けるそのすべてを創造し給うた父なる神である。
底知れぬ海の底も、雲の上の峰も神の御手によりて成る。神の御手によらぬものは何一つない。神の分霊成る父なる神がありとしあらゆる魂に個別的に機能する生命意識としての顕現が普遍的神我である。
 
                                「心行」の解説上より
 
 
☆ 泥棒の幸せを祈る
 
 先日、丹後のほうに招かれて行ってきました。その時寄せていただいたお宅では、ご主人が信仰を持っておられて、こういう話はあまり好きではなかったのですが、4回目になるその時、初めてご主人も聞いて下さったのですね。
話が終わりまして夜「先生、本当にいいお話を聞かせていただいて、私はもう涙が止まりませんでした」と感激していただきました。
その話といいますのは、実は丹後に行きました前夜のこと、私の家に泥棒さんが入ってくれました。ウイスキーの大瓶三つほどに「私達よりもまだ不幸で恵まれない方のために」と、皆さんから十円、百円と気持ちだけ入れてもらっては、一杯になれば寄付させてもらっていたのです。
その大瓶は、一杯詰めますと、二十万円くらい入ります。それを三つとも持って行かれました。それと、私の所の道場は三十畳くらいあるのですが、毎月第四日曜日のお話会に百二、三十人来られると一杯になるのです。
もう、一膝前に詰めて下さい。もう一膝といって座ると、足を崩す場所もないくらいになり、それでは狭いので、裏にある空き地に二十畳ほど出させていただいたのです。それを建てるお金として、大工さんに支払う二百万円をおいておきましたら、そのお金も、そのまま持って行かれました。
 正法、正しい教えを実践しており、自分が正しい生活をしているから泥棒は入らない。今まで私は、家に泥棒は入りませんと言ってきたのです。もう、十五、六年、戸締まり一つしたことがなく、お金も治療室においたままでした。正しい生活をしておりましても、やはり表を開けっぱなしにしておりましたら、泥棒は入ります。
だから、どんなに正しい生活をしておりましても、すべき事をしないと、例えば、正しい生活をしたら病気にはしないか、苦しみは来ないかと言いますと、やはりその面で欠けた所に苦しみは現れます。
ちょうど宮津のほうで皆さんが待ってくれていますので、泥棒が入ったからと言ってかまっている暇もなくて、私が出かけてから警察へ盗難届を出すようにお願いをして、家を放ったらかしにして行ったのですね。
 
道中、私は祈りながら行ったのです。目に見ることはできませんが、私達を生きさせてくれている大自然がありますね。この自然の力こそが、本当の神様の力です。
お祀りした神様、形のある神様とはまったく次元の違う真の神様、万生万物を生かしていただいている自然の力、その神様に対して、道中、
「どうぞ私の罪をお許し下さい。私がきちんと戸締まりをしていなかった為に、盗む人に罪を犯させました。家においてあったお金、瓶の中にあった皆さんの尊い愛の塊を持っていった人には、必ず良いことは起きません。
 多くの方の愛の塊、又道場を建てるための資金、これも私の懐から出すものであっても、皆さんのために使わせていただく尊いお金であり、それを無断で持って行けば、その人には必ず良いことは起こりません。ですから、どうぞあの泥棒に罰を当てないようにして下さい。罪を軽くしてやって下さい」
と祈りながらこの丹後にやってきた……と話させてもらったのです。
 それについてご主人が「自分のものを盗んだ泥棒に対して、罰を当てないように祈られる先生の気持ちが、有難くて涙が止まりません」と言われるのです。「先生、もしその泥棒が捕まったらどうされますか」と言われるので「警察に行ったら、どうぞ罪を軽くしてやって下さいとお願いします」と話したのです。
泥棒が入りますと、家中を荒らして、箪笥から戸棚まで全部開けて行き、お仏壇の引き出しまであけています。まあ、プロの仕業ですね。このことに対して、「泥棒に入られた、また入られるのではないだろうか」とか「憎い、こんな大金を盗んで……」と、思いをその方に向けますと、自分自身が苦しくなります。
泥棒への恐怖、怒り、返ってこないものへの執着、それらによって自分自身の心がひどく苦しくなります。しかし「相手の罪を軽くしてやって下さい。罰を当てないようにして下さい」と祈らせてもらったら苦しみはありません。もし捕まった時には警察にお願いに行くような気持ちでおります。
 なるほど、お金は確かに被害を受けましたが、心には何ら被害は受けておりません。今後の生活で戸締まりはきちんとしなさい。日頃の生活に細心の注意を払っていきなさいと、教えていただいたという感謝に変わります。
 これはついこの間、泥棒さんを通じて学ばせてもらったことです。何かにつけ、自分にとって憎い人、都合の悪い人の幸せを祈らせてもらうです。その時自分の心は非常に楽になります。
 
 
☆ 地獄の時間は長く天上界ほど短い
 
 質問 地獄に落ちた場合は、もう世界を替わることはできないのでしょうか。
 先ほども話しましたように、八百年も地獄におられる場合もあります。地獄に落ちた場合、地獄では時間が非常に長いのです。ピラミッドのように底が広がっていますので、下の世界は時間が長いのですが、天上界にあがって行くにつれて時間が非常に短くなってきます。
光の大天使がおられる場所などは、一瞬という短さです。時間そのものは、つまり時計がコチコチと動く長さとしては同じ事ですが、この時間は心で変わるのです。
 例えば、若い時に好きな方があって、その方と会っている場合は「もうこんな時間か、早く経ったな」と吃驚するほど、時間が経っていたという経験がおありでしょう。家に帰って叱られて、今まで何をしていたと言われても、何も話していないのに時間が過ぎてしまったなあということがあります。
 逆に、憎らしくて、嫌いな人とここに一時間になさいと言われたら、それはもうたまりません。
 十分間でも何十時間にも感じられます。又熱い夏にストーブをたいて、その中に十分間いなさいと言われた場合も、その十分間は大変長い時間に感じられて「早く経たないかな」と思われます。そのように時間は、意識によって、長くも短くもなります。
辛い中では時間はものすごく長く感じられますし、喜びの世界にいたら、あっという間に時間は経ってしまいます。だから地獄の世界に落ちたら、無限に長い時間に感じてしまうのですね。
 この地上界の八百年というのは、地獄界の何万年、何千万年にも相当します。幸いこういうご縁をいただきましたら、地獄に落ちている人でも上に上がっていただけますけれど、なかなかこういうご縁はいただけないですね。私にご縁のありました皆さんは、ご先祖様に語りかける言葉をお仏壇の前で唱えて下さい。
 
 
☆ ご先祖様に語りかける言葉
  ご先祖供養は、まず自分自身が救われて、自分の幸せな姿を見てもらうこと、幸せな姿をご先祖様にお供えするのです。「本当に幸せに暮らさせていただいております。お金たくさんありませんけど、貧乏はしておりません。身体もおかげさまで健康でございます。いつも感謝に満たされております」
と言うようにご先祖様の前で言ってご覧なさい。ああ安心だと喜んで下さいます。その上で、ご先祖様にお話しさせてもらうのですね。
 
 「もし、このお仏壇の中に、又お墓の中に思いを残しておられ、まだ暗い悲しい苦しい世界におられるご先祖様がおられましたら、私の話をお聞きになって下さい。おかげさまで私はこんなに幸せです。しかし暗い世界に何故おられるのでしょう。あの世においても、この世においてと同様、暗い世界におられるには、結果となる原因が必ずあると言うことです。
原因を作ったら必ず結果が現れるのがこの世の定めですですから、もし暗い世界におられましたら、その原因があったはずでございます。その原因はこの世に生活された時に、真の神の子としての道を果たされなかったからです。心の底から人々に慈悲や愛をお与えになりましたか、又自分にとって都合が悪い時、人を恨んだり、腹を立てたり、愚痴を言ったり、板ない取り越し苦労をしたり、
余計な心配やら、不安、恐怖、貪欲に悩むなどなさいましたでしょう。それらは皆、暗い世界の原因になっております。
 しかし本当の神仏は、私達に対して『いとしきわが子よ、いとしきわが子よ、そなた達は幸せに生きよ、健やかに生きよ、自分自身を苦しめることなかれ、己を大切にして、己を大切にするが如く他を大切にせよ。汝の苦しみは我が苦しみなり、汝らに喜びは我が喜びなり、自らの心に目覚め、心の曇りをはらして私の胸の中に入りなさい。私の意識の中に帰りなさい』と仰せられます。
 
 自分の心を苦しめることは、本当の神様の御心に背くことです。神様の御心に背いては何者も救われることはできません。この過ちに気づけば、今、心を素直にして、この地球上の生活をよく振り返り、自分で作ってしまった心の過ちを本当の神様にお詫びして下さい。このとき皆様の心は必ず安らいで参ります。そして、あの光の世界に昇ることができます。
また、この地上界への一切の思いを捨てて下さい。思いを残すと、その思いの場所に自らが縛られます。どうぞ自分の人生を振り返り、反省し、自分で作った過ちを神仏にお詫びしてみて下さい」と、お伝えするのですね。
 ついでに、もう一つご先祖様に気づいていただくことは「私のように幸せでございましたか」と尋ねてみると、成仏しておられないご先祖様は、「しまった、私は幸せではなかった」と気づいて下さいます。幸せでないから、成仏できないのです。
 
                                     長尾弘先生著「愚か者の独り言(1)」より
 
                          
引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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