皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

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~ 道 ~
 
 
平成十四年十月号
 
    内奥の 神の御心 罪深き
     この身を通し 示し現す   弘
 
                  
 
心を開く
 
☆神とは               
   神とは無限の生命意識、唯一無二,無限者、愛、宇宙大創造主である。
悟りとは、人間の感官の迷いの外なる心であり、小我、偽我の心から本来の自己である真の我、大我であり普遍者である全一体の神我を知ることである。神の子神我は天上地上の全権能いっさいの力である。神我は大自然の法であり、全てを支配するいっさいの力であり、神の創造意識であり、神の力が流れる媒体である。
 また神の創造原理の力が機能する経路でもある。神と神我は同一であり一体である。
 神我の力に到達することが、本来人類の目的である。有限必滅の地上界において、久遠不滅の真我、神我、大我である久遠の生命に至ることが人類の本願である。
 悟りとは全一体の自己の実相を悟ることである。解脱とは現象界における心のあらゆる制約より心を解放することである。神我は神全体と一体であり、神の最奥意識で純粋であり、精妙そのものである。
 神の分霊の中に分霊意識の顕現が神我であり、全ての生命意識である。人類が肉の世の地上物質化現象世界に生きる意義と目的とは、人類自身の存在に至った本源と実相を悟り、認識し理解し受け入れることである。
 自他分離と時空感覚、自己保存、自我我欲を消滅させて解脱し、自由自在になることである。
 このことが神のご意志が成就し給うご意志である。
 自他分離の隔てこそ我欲自我でありカルマでもある。五官の示唆を鵜呑みにして心の中に壁を創り出し、分離感覚、時空感覚を信じる想念の隔壁である。心の内奥は普遍意識の偏在の大我である。
  「心行」の解説上より
 
 
☆ 誤った信仰の恐ろしさ
 
 或る時、大阪でやはり正法の神理を伝えている方があるのを知りました。
この方は、過去世の言葉をペラペラと喋り、そのグループの方も過去世の言葉を喋ります。 「高橋信次先生が亡くなられた後、また、こういう方が現れて下さって有難いことだなあ」と思って、一度お話を聞きにいったのです。
初めてお会いしますと、私のことはよく知っておられて、「よくきてくれました」と合掌して迎えてくれ、「まあどうぞ前に座ってください」と言って、私のことを褒めてくれるのです。「私は神に祈ります。私は何の力もありません。しかし、祈ることによって神はその御業を現して下さいます」というお話をさせてもらったのです。
すると、その先生が、「長尾先生は祈るという言葉をよく使われますな、生年月日はいつですか」と聞かれるので、それを言いますと、「アガシャけいですなあ、アガシャ系の方が祈るというのはおかしいですなあ」とおしゃるのです。「先生はどうされるのですか」と聞きますと、「私は神と一体です」と言われるから、「こりゃ偉い人だなあ」と思ってびっくりしました。その後、二回目にお会いいたしました時に、ある方に光を入れておられたのです。「大宇宙、大神霊、仏よ、当体の骨髄を通し、当体の意識に光をお与え下さい。天上界の諸如来諸菩薩、光の天使よ、どうぞ光をお与え下さい」と、一生懸命祈っておられるのです。
「一つも祈らないと言われたのに、私よりもたくさん祈っていられるなあ」と思ったのです。
私は「神よ、光をお与え下さい。どうぞ神のご意志を、調和と安らぎをお示し下さい」とお祈りするだけですのに、その先生はそれを三回も五回も祈られるのです。それでも、病気はちっとも治らないのですね。それで、そうゆうところから疑問を抱き、「これはおかしいのではないか」と思ったわけです。
 おん自ら、イエスを名乗っておられました。その他にも、いろいろ面白いエピソードがあるのです。
 
 ある方が「長尾先生の光の近くに寄せてほしい」と言って、家を売り払ってこの忠岡に引っ越してこられたのです。私は「来たらいけません。光は近くの者にも遠くの者にも関係ないのです。心さえこちらに向けてもらったら、それでいいのです。来るのは止めなさい」と言っているのに、とうとう引っ越してこられました。
 それで私も放っておけないので、どんなに忙しくても一週間に一度は必ずお訪ねしていました。というのは、その方のお母さんはリューウマチで娘さんがお世話なさっているのです。こちらに移ってくると聞きました時、私は周囲の者に、「あの方はこちらに来ても、」どれだけ私が尽くしても、必ず私の悪口をそこらじゅう言って歩くから見てなさい」と言っておいたのです。それが私には分かるから、その方の為にできるだけのことをさせてもらって尽くしました。
 
 一週間に一度は必ず行って光を入れたり、治療をさせてもらったりして、その方の為に尽くさせてもらっていたのです。こちらに越してきてしばらくしてから、その方は先ほどお話しした大阪の自称イエス・キリスト様に縁ができたのです。そして、私の所からそちらへ替わって行きました。そうしますと、私の悪口をいっぱい言ってくれるのですね。前もって私が予測していた通りにしてくれます。
ある時、そこの研修会だと言って、動けないリュウマチのお母さんを一人放って、娘さんと息子さんが三泊四日の研修会に行ったのですが、私には何とも言ってくれないので私が訪ねると、お母さんは一人で食事もできないでいますから、私は朝、昼とお弁当を買いに行って食事を運んだのです。私は無精で自分のご飯だったら、一度や二度は食べないのですが、人の食事でしたらそうゆうわけにもいかないから、お弁当を買ってきて運んでいました。
 そうしているうちに、その方は完全に私の所から離れました。というのは、その方は、夢の話をよくされるのです。高橋信次先生が夢の中に出てくれて、こうこうおっしゃいましたとか、弘法大師さんが出てこられてこうおっいましたとか、いろいろ言われるのです。 私は、「また夢のことを言っているのですか。人間は目覚めて活動する日々の生活の中で魂の修行をしているのであって、夢の中で修行はできません。ちゃんと目覚め、この五官をもって魂の修行をしているのですから、夢に囚われるよりも、起きている時にしっかり法を行じなさい」と、そういう指導しかしませんでした。
 
 ところが、そちらの先生の所に行って、「夢の中に高橋信次先生が出てくれました」と言うと、その先生が、「ちょっと待っていなさい。それはいつのことですか」と聞かれるので「何月何日」と答えると、「ちょっと天上界へ行ってしらべてきましょう」と言って、その先生が天上界へ行ってこられたそうです。そして、ポッと戻ってきて言うことに、 「あなたのその夢はほんとうですよ。その日は天上界で高橋信次先生は留守でした(大笑い)。
だから、あなたの所に来ていただいたのはほんとうです」。すると、まあその方が喜んでしまったのです。そこで、私が「それでは弘法大師さんが来て下さったのはどういうことですか」と尋ねましたら、その方の腰巾着のようについて歩いていたkさんという方があって、もう五、六年前からその方は離れているのですが「k先生はお大師様の生まれ変わりです。だから、なたをここに導く為にk先生の霊が導きにいっていたのです」と言われたというのです。
 私の指導は、「夢に囚われてはいけません。現実に生きなさい」と言いますから、頼りなかったのですね。その方は、「高橋先生の夢も、弘法大師さんの夢も、私の謎を全部解いて下さいました。こんなに偉い先生はいない」と言って、そちらえ行きますと、「あんな長尾先生はしょうもない」ということになって、いっぱい悪口を言うのです。又、その先生は「あなたの光は長尾先生など足下にも寄りつけない光です」と指導しますから、その人は今まで先生、先生と言っていたのが、急に長尾さんと呼んでくれます。私たちが禅定させてもらっているいることについても、「あんなことをしても駄目、あれは正座と静座の間違いを犯している。せい座というのは正しく座ることとは違う、静かに座ることが静座だ」と言われます。
 私の所では、一時間座って反省しますが、私は正座の方が楽だから、正座して座ります。皆さん、座るのは自由です。しかし、この場所を見ずに、ただ非難中傷をされて、それをまたいちいち私に報告してくれるのです。
そういうことをしていますと、だんだんとお母さんの調子が悪くなってきて、十月頃になって弱りきってしまったのです。その先生にお伺いを立てますと、「来年二月十五日までの命です」とのこと。偉い先生と信じている方の予言だから、もうみんなで信じて、お母さんの枕元で、あと四ヶ月先の葬式の相談をする始末、お母さんも落ち着いて生きていられません。あと何日と数えて暮らして、ちょうど後二週間と言うときに、その娘さんが、「お母さんが死ぬまでに、もう一回先生の顔を見たいと言っています」と言って私を呼びに来たのです。
 
 そして私に、「その先生は偉いのです。私の夢の謎を全部解いてくれました」と言いますから「そんなに偉い先生だったら、その先生に救うてもらいなさい。あなたは向こうで駄目だと言っている私の所なんかに頼みに来るのはやめなさい」と言ったにです。「いや、あの先生は心は治してくれるけど、肉体は治してくれないのです」と言いますから、そこで私は「もう行く気はありません。行けば、またあなたは私の悪口を言うて歩くでしょう。行きたくないのです」と言って断りました。
それでも、死ぬ二週間前になっているから、なんとか来てほしいと言われるので「では行きましょう。でも私は行ったとは思いません。一陣の風が吹くように、スッと行ってスッと帰りましょう。あなたもまた来てもらったと意識してはなりません。来てもらったと思えば、またなんとかかんとか言わなければいけないから」と言って訪ねたのです。
 するともう骸骨に布を張ったようで、完全な死相を現した死人同様です。身動きもできない有様です。
「私は、あなた達親子さんに対して、どれほど忙しくても週に一回は必ずお訪ねしたはずです。そして、私のできる限りのことをさせてもらいました。しかし、私は何を求めましたか。一切の求める心はなかったはずです。びた一文出せと言いましたか。また助平根性を出しましたか。たださせていただく神の御心を私が現しただけです。この身を持って神の御心を具現していたのです。その思いを仇で返すことをしてはいけません。私は何とも思っていません。しかし神はそれをご存じです。だから今、神の神様に対して、「「私たちの犯した罪をお許し下さい」」と行って祈りなさい」といいました。そして、「神よこの者達の罪をお許し下さい。神の慈悲と愛をお示し下さい」と祈りましたら、お母さんはいっぺんに生き返られました。
 今まで身動きできなかった方が、そばにあるティッシュを引っ張り出して「もう、あきません。このティッシュ一枚ちぎる力がないんです」と言って、ティッシュをいっぱいちぎっているのです。こんなにちぎってあんな嘘を・・・・・(大笑い)。そして生き返りまして、神の許しを頂きました。それから四、五年経ちますが、まだ生きていられます(一同笑い)。
 その先生が、また講演の中でおっしゃっているそうです。「あの人は二月十五日に死ぬという命を、私が神に交渉して延ばしてあげました」と。誠に口は便利なものです。「口では大阪城も建つ」です。ところが、本当の神の許しを頂いたら、その場で生き返りました。それを今度は、「私が命を延ばしてやった」と言います。間違った指導者の教えを信じてしまうと、とんでもない不幸になります。悪くいけば、命さえ失います。
 誤った信仰を盲信、狂信すると、その言葉の力をより強く受けます。その恐ろしさを体験させてもらいました。これと同じようなことが、いろんな宗教でおきます。
 偉い人だと信ずれば信ずるほど、その人の言葉は力を現します。ほんとうの正しい教えならば、人の命などを予言はしません。神のみがお知りになることであって、私たち人間が「人の命」を予言することは、人の道にはずれていることですね。或るいは自分に縁のある方を取られまい、離すまいとして、私から離れた者は罰が当たるとか、私から離れた者は抹殺するということを、口に出したりします。それは自分から逃げられたら困るからです。
 
長尾 弘先生著「愚か者の独り言(三)」より



引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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