【麒麟がくる ゆかりの地】
本能寺の変から
どんどん追い詰められる明智光秀
山崎合戦における明智光日の本陣跡
恵解山(いげのやま)古墳にやってきました。
古墳ですが公園なので子供たちが遊んでいました。
明智光秀的な解説はナシ
でも明智光秀が本陣を張ったのは確定ではないらしい。
もしここが本陣だったとして
山崎古戦場の跡(京都府:長岡京市【山崎の戦い(古戦場跡)】)から
車で5分ぐらいの場所にあったんやね
だいたいネットで調べたり書籍には明智光秀は
男山ってところで陣を張ったらしいけど?
ちなみに明智光秀が最後に立ち寄った城、勝竜寺城まで車で5分ぐらい
けっこう戦場は狭かったんやなー。
たしか関ケ原も実際に行ってみたらけっこう狭いフィールドだった。
いや広かったけど想像していたより遥かに狭かった。
岐阜県:不破郡関ケ原町【徳川家康の最初の陣跡と山内一豊の陣跡】
岐阜県:不破郡関ケ原町【本多忠勝と京極高知と藤堂高虎の陣跡】
岐阜県:不破郡関ケ原町【田中吉政の本陣跡と徳川家康最後の本陣跡】
そして明智光秀が最後に立ち寄った
【勝竜寺城】
松永久秀の城だった時期もあるそうです。
山崎の戦いで敗走した光秀は、勝龍寺城にいったん帰還しますが
秀吉軍の追撃を受け城を放棄、勝龍寺城の北門から脱出し
本来の拠点である近江国坂本城へ逃走する途中で竹槍に刺されて死去。
その翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城しました。
ということは軍師である黒田官兵衛も
この城に来ていた、と考える方が自然だと思います!
【軍師官兵衛ゆかりの地】
そして細川ガラシャが嫁いだ城でもあります。
ガラシャはここで結婚式をあげ
子供を2人産んで丹後に移封される3年間を
この勝竜寺城で過ごしました。
お嫁ちゃんと
戦国時代の仲良し夫婦の城に訪れる
感慨深いぜー!!!!
お嫁ちゃんとはこれまでも
細川ガラシャの人生を辿っていきました。
今度はお輿入れの地へ!
■細川ガラシャの生まれた場所■
■明智光秀の娘、隠遁す!■
■明智光秀の娘(細川ガラシャ)のお墓■
市民に開放されている公園になってます。
やなぎ幽霊♪(って、たけし軍団にいたよね♪)
これ、明日から使える豆知識なんやけど
たけし軍団の【やなぎユーレイ】って芸人より俳優として活躍してるんよね
Wikipediaで調べたら『元・お笑い芸人』って表記になってたわ。
FRIDAY事件でもしっかり逮捕されている模様。
余談でした。
とても仲の良い夫婦だったそうですが
細川忠興は異常に嫉妬深い男だったそうです・・・・が!
ガラシャと言葉を交わした庭師をその場で斬殺
庭師の返り血を浴びたガラシャは何日もその着物を着て
忠興が「めっちゃヘビみたいなに怖い女やん!」って言うたらガラシャは
「おまえにお似合いやろ!」って言ったとか!?
でもこれって史実なんやろうか?仲良し夫婦ってイメージあるけど・・・・。
ガラシャがキリシタンに改宗するのを反対したり(改宗する前の名前は『玉(たま)』)
キリスト教の教えに反する側室をたくさん作ったり
最後の方はガラシャは離婚したかったみたいだけどこれまた
キリシタンの教義に反してしまう。
ん?
仲良し夫婦と違うんちゃうん?
アニメ声のガラシャが躍ってた。
その他、マニアックな武将たちもいました。
こうやって休みの日は活動しているんやね
ええなぁ・・・・。
やりたいことが痛くなくて、怖くなくて・・・・。
さるるも空手じゃなくって
やりたいことがコッチ方面んだったら・・・・いやそりゃ大変だと思うよ
どっちが良い悪いの問題じゃなくってさ
こんなにやりたいことが怖いなんてね~JAZZとかが趣味ならな~!(痴愚)
【ガラシャおもかげの水】
ガラシャになんのゆかりもないそうです。(笑)
100%水道水だそうです。
散歩するにはちょうどいい広さでした。
石垣に詳しくなったお嫁ちゃん
お玉ちゃん文庫で真剣に読み込む
(ちなみに資料館のトイレ、うんちが流された無かった・・・・。)
勝龍寺城から徒歩数分にあるよ
神足神社の神足って『こうたり』って読むんよ
土塁の高さを体感できるらしい!
画像じゃわかりづらいけど
けっこうな高低差(高さ6m)があります。
人が入ってこないから
鳩さんは安心してくつろいでいました。
よく考えられているよねー。
でもこんな坂があったら
段ボールをお尻に敷いて滑っちゃうよね
立ち入り禁止やけど。
でも横に公園?テニスコート?があってボールが飛んでくる。
中学生ぐらいが普通に
鉄柵を超えてボールを取りに入ってた♪
昔、ドリフでこんなんあったよね!って盛り上がった。
これね
秀吉の天下後の勝竜寺城はというと
西国街道と鳥羽街道が交差する交通上の要衝であり
(幕末、鳥羽街道で鳥羽伏見の戦いが勃発)
京都では重要な防衛拠点であった勝竜寺城はあまり重要視されず
石材が淀古城の修築に使用されるなどして一旦荒廃。
江戸時代に補強されるも結局、完全に廃城となったそうです。
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