【麒麟がくる ゆかりの地】

 

美濃から落ち延び

明智光秀が10年間過ごした場所へ

 

朝倉氏一乗谷遺跡の次は明智神社へ

 

前回の【彼女さんお誕生日おめでとう旅行2020】の反省を踏まえ

極力、彼女さんを炎天下の下で行動させるという愚は犯すことができぬ

自家用車という強みを最大限に生かし

目的地にできるだけ近づき、近接戦闘を試みる所存ッッッ!

(そのために目的地周辺は前回より詳細にリサーチしたのでした。)

 

美濃から逃れ朝倉家に身を寄せた明智光秀

一乗谷の近くに住んでいた場所が明智神社になっています。

一乗谷から明智神社ってけっこう距離ありました。

明智光秀、歩いてお城に行こうと思ったら大変やったやろうな・・・・って

朝倉家は明智光秀を登用せんかったからお城に行くこともなかったんやろうか。

馬なら遠くないかもだけど

浪人風情が馬を飼っていたとは思えんしねぇ・・・・。

 

以下、余談ながら

某高級パン屋さんにふらりと立ち寄ったさるるママン

パンは買えるのかと聞いたら

「予約しないと買えませんよ。(嘲笑)」と鼻であしらわれたらしい。

【金持ちケンカせず】が心情のさるるママンだったはずなのに

【目には目を歯には歯を】な要素もあったらしい。

その時にさるるママンの放った一言が

「このパン屋風情が!」だったらしい。(お里が知れるね?)

それ以来、我が家に高級パンは姿を見せなくなった・・・・。

 

ネットで調べても【福井市東大味】ってしかわからんかったから

パンフレットをダウンロードしておくことをお勧めします。

 

明智光秀というより細川ガラシャがメインみたいな?

 

 

明智光秀が祀られています。

 

柴田勝家が一向一揆を鎮めるためにこの地に兵を送り込もうとしたけど

明智光秀は柴田勝家に申し入れ、住民を守ったと伝わっています。

しかし明智光秀はその後、反逆者として名声は地に落ち

歴代領主から保護されることもなく、歴史上から光秀の評価が抹殺されることになった中で

光秀を祀ることは許されることではなく、世の非難や中傷は絶えなかったのでしょう。

それでも明智光秀に恩義を感じる村の3軒だけが

代々400年も明智光秀の木像を秘かに奉り(驚)、明治19年に祠(ほこら)が建設されました。

年に一度、光秀の命日である6月13日のみ御開帳が行われ

本尊である光秀の木像を見ることができるんやって!

 

たった3軒が400年守ってきた

この木像(明智神社)は近年、町の管理になったそうです!

 

さあ福井市内へ!

 

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