舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。

少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。

とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。

よろしくお願い致します。



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父は舌癌でした を最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。

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2011.5.10
朝から検査があり、そこで先生から
「体重がもうこれ以上落ちると危険です。鼻から胃に直接栄養を入れるチューブをいれます。」 
と、嫌がっていたチューブを入れられてしまった。 

実は、これまで何度か経鼻経管栄養を入れられていたけど、父は主治医に頼み込んで短期間で外してもらっていました。

主治医は「残りの人生を有意義に過ごして下さい」と、誤嚥の危険性があったとしても患者が望めばなるべくその通りにしてくださる方でした。

外していた間は、1時間かけてエンシュアリキッドを朝昼晩1缶ずつ飲み、あとは点滴で水分を摂っていました。

入院時、88kgあった父の体重はこの頃半分にまで落ちていました。(身長170cm)

「副作用が治まるであろう1ヶ月先までは絶対に外せません。 そして外したとしても、飲み込む力が衰えて今までどおりの食事は出来ないでしょう。」と。

ただでさえ舌の手術をしてからまともに食べられていないのに。。。 

1月に入院していた時、今の父と同じ状況の方と1ヶ月同室で過ごしていました。 
その方は結局食べられるようにはならないまま、鼻のチューブから自分で栄養を入れられるよう練習して退院したと。 
父はそれを覚えていたので、ずっと長期間の経鼻経管栄養を拒んでいました。 

でも、私は少しほっとしました。 
別人の様に痩せてしまっている父を見ているのが辛かった。 

「飲み込む力が衰えないように、痛み止めが効いてる時に頑張って飲む練習をしてくださいって看護師さん言ってたし・・・頑張ろうね。父さん。」と言うと、ため息で返されました。






2011.5.20
3クール目の抗がん剤と、放射線後半戦の副作用がピークに。

舌や顔がパンパンに腫れていて、術後すぐの時と同じ顔に。

それでも身体はどんどん痩せていきました。
経鼻経管栄養にしたけれど、それで太れるわけではなく。
着替えを手伝ったら、誰?これ。というくらい細くなってしまった。

父の気力もどんどんなくなっていき、もうどれくらい笑顔を見ていないだろう。

やはり口から物が食べられないという事は、命を縮めてしまう事なんだと感じた。

経鼻経管栄養と点滴だけでは骨と皮になってしまう。

再び口から物を食べ、体重が増えることがあるのだろうか。

こんなに辛い副作用を耐えながら命を削って余命まで苦しまなくてはならないものなのか。

父もわたしも結論なんて出ないまま、主治医に言われるがままの治療をするしかありませんでした。






2011.5.23
顔と首がぱんぱんに腫れて、触ると大きなしこりがいくつもあって痛いと訴えていました。 

副作用で頬と首と口内のただれはどんどん酷くなっていくのに、抗がん剤は効かなかったのか。
放射線は効いてないのか。

3クールの抗がん剤治療は終わったけれど、放射線が終わらないと検査はしないので、どこまで進行してしまっているのかわからない状況に不安は募るばかり。

けれど、検査をしてどんどん転移していると分かったとしても、36回の放射線が終わればもう放射線治療は出来ない。

抗がん剤も3クールやってしまったから、すぐには出来ないといわれてしまった。

また術後みたいにどんどん進行してしまうのか。

癌ってなんなんだろう。治療ってなんなんだろう。 今なら怪しい宗教に縋ってしまいそう。 



睡眠薬をもらって寝つけても、すぐに痰がつまって苦しくて起きてしまう。

「もっと強い睡眠薬がほしい。」

と父が看護師さんに言っていて、 

「それじゃあ苦しくなっても起きられないでしょ?」

と言われ、 

「いいよ起きられなくても。」

なんて言っていて看護師さんとわたしは苦笑い。 


父はすっかり戦う気力がなくなっていました。 

これじゃ負けてしまう。 
すでに負けているのか。 

奇跡ってなかなか起こらないものなんだね。 
もうかける言葉もみつからない。







続きます。