日記「今日見た映画 2018」62『止められるか、俺たちを』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『止められるか、俺たちを』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2018年/日本映画/119分
監督:白石和彌
出演:門脇麦/井浦新/山本浩司/岡部尚/大西信満/タモト清嵐/毎熊克哉/伊島空/外山将平/藤原季節/上川周作/中澤梓佐/満島真之介/渋川清彦/音尾琢真/吉澤健/高岡蒼佑/高良健吾/寺島しのぶ/奥田瑛二/葛井欣士郎/和田光沙

■2018年 劇場公開作品 62本目

■第2稿 2021年 12月10日 版

『愛の渦』以来、「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「門脇麦」をあまり見てなかったから、「どうしてるか」と思い、「絶対見なければならない」「だけ」「しか」ない理由で見たから「予備知識皆無」。「衝撃」殆ど「実話」どころか「完全実話」に「近い」、「名前だけ聞いたことある」「若松孝二監督」の「伝記映画」だと「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。「今頃」思い知って「また」「はうあ!!!」 もういくら「反省」「懺悔」「償い」しても追いつけないまで「大きい方垂れ流し」に追い込まれた。

「井浦新」「若松孝二監督」を「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」、また作品を「今日まで」「1本」も見たことがない「言い訳」は、まず僕が生まれたばかりの時代の映画なので「完全無意識スルー」だった。さらに「今日まで」「鶏程度」の脳みそで生きてきた「重症」の “本物” の「アル中」+「超てきとう」「超不真面目」「超いい加減」+「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度だったからサボって「逃げた」。

「さらに」「若松孝二監督」を「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」、また作品を「今日まで」「1本」も見たことがない「言い訳」をすると、僕が一番知ってるリアルタイムな映画は「80年代後期」「90年代」「2000年以降」~「現代」の映画で、「70年代」の知識は殆ど「皆無」。「その時代」の映画を語ることは、その時代がリアルタイムだった人間にとても適わない。「中途半端」な勉強ではとても追いつけない。なので「旦雄二監督」のように、実際「若松孝二監督」と面識があり、「その時代」リアルタイムだった人のような話は僕にできない。僕には自分が解かることしか書けない。

「噂」には聞いてたが劇中の「監督作品」を見て「初めて」「若松孝二監督」の人物像を感じた。僕には「また」「歴史の勉強」となる以外なす術がなかった。「音尾琢真」「赤塚不二夫」も「高岡蒼佑」「大島渚監督」も「藤原季節」「荒井晴彦監督」『さよなら歌舞伎町』も「全員」「完全実話」に「近い」「怖さ」「ショック」「衝撃」や、「白石和彌監督」が『彼女がその名を知らない鳥たち』『孤狼の血』なの「大きい方垂れ流し」。「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「門脇麦」「助監督」「吉積めぐみ」も「実在の人物」でビビって震え上がるしかなかった。

「映画監督」が映画を撮る「理由」を「再確認」「させられた」、「怖さ」「ショック」「衝撃」で「大きい方垂れ流し」。「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「門脇麦」「助監督」「吉積めぐみ」が、「映画の凄さ」「やがては監督- 若松孝二に刃を突きつけないと…」という言葉は、僕にとって「他人事」じゃない。思想を「世に問う」「怖さ」にビビって震え上がり大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

「若松孝二監督」の作品を「今日まで」「1本」も見たことないから「何も言えない」が、「ピンク映画」で日本映画史を「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」まで追い込んだ「真実」「教え」から、僕自身いずれ「絶対逃げれない」ことを思い知るしかなかった。




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画像 2021年 12月