日記「今日見た映画 2014」65『複製された男』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『複製された男』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2013年/カナダ=スペイン映画/90分
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ジェイク・ギレンホール/メラニー・ロラン/サラ・ガドン/イザベラ・ロッセリーニ/ジョシュア・ピース/ティム・ポスト/ケダー・ブラウン/ダリル・ディン/ミシャ・ハイステッド/メーガン・メイン/アレクシス・ウイガ

■2014年 劇場公開作品 65本目

■第3稿 2020年 8月14日 版

「3年前」、初めて『複製された男』を見た時の「理由」は、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メラニー・ロラン」を見たかった「だけ」。『人生はビギナーズ』で「初めて」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メラニー・ロラン」を見た「瞬間」、「瞬間下僕」と化した。

だが「3年前」初めて『複製された男』を見た時、最期の「オチ」に「何じゃこりゃ!」と「震撼」「驚愕」「絶句」、大きい方を漏らしてしまった。

ラストまでの「サスペンス」の「怖さ」、極限のくそリアリズムが凄すぎて、最期の「オチ」の前までですでにおしっこ垂れ流しだったので、「初めて」「オチ」を見た時の「何じゃこりゃ!」な「ショック」は、「半端じゃなかった」。

あまりに「何じゃこりゃ!」が凄すぎて、「今まで」見終わってから「3年間」、「どう解釈すべきか判断できなかった」。だが「3年前」「1回」しか見てないのに話を殆ど覚えてて、最期の「オチ」まで記憶が「今」も「鮮明」なことで、「自分が知らない自分」にまた気づく。これだけ『複製された男』のことを強烈に覚えてるのは「超面白かった」という「証」。

「ドゥニ・ビルヌーヴ監督」のことを調べ、『灼熱の魂』の監督と知りおしっこ漏らした。『複製された男』の後、『メッセージ』『ブレードランナー2049』を見て、極限のくそリアリズムな「フィクション」「SF映画」を好む作風を感じた。

僕が見た「4本」の中で「ドゥニ・ヴィルヌーブ監督」の「ベスト1」は『複製された男』。「ジェイク・ギレンホール」の『ナイトクローラー』級の「怖さ」に大きい方を漏らす以外もはやなす術はない。今までの人生で「油断できない男」を何人か見てきたが、もはや「ジェイク・ギレンホール」にも完全に油断できなくなった。

「3年前」、「重症」の “本物” の「アル中」だったんじゃないかと、「完全」に「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度じゃなかったことを、また思い知ったのは、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「サラ・ガドン」を「ちゃんと」見てなかったこと。「覚えてない」こと。「かなり」、「反省」「懺悔」「償い」しなければならなかった。

「もしも」「ちょっと似てる」ではなく、この世に「自分と全く同じ人間」がいることを知ったら、僕ならどうするだろう?

「2人」の「ジェイク・ギレンホール」の、「ちょっと似てる」程度ではない「完全一致」の「外見」「声」は、互いの「妻」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メラニー・ロラン」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「サラ・ガドン」でさえ見分けることができない。だが「ドゥニ・ヴィルヌーブ監督」が仕掛けた、「性格」だけが違ってる「怖さ」にビビって「泣きながら」大きい方を漏らした。

「良い」「ジェイク・ギレンホール」と「悪い」「ジェイク・ギレンホール」。だが恐るべき極限のくそリアリズムの「怖さ」は、互いの「妻」に興味を持つこと。「セックス」中心の「考え方」をする哀しい男の「本能」で、「互い」が「良からぬこと」を考えたように見えた。

「良い」「ジェイク・ギレンホール」は「信念」「価値観」「倫理観」で思い止まり、「抑制」したが、「悪い」「ジェイク・ギレンホール」は「本能」のまま「解放」。「良い」「ジェイク・ギレンホール」の「妻」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メラニー・ロラン」が、「悪い」「ジェイク・ギレンホール」に襲われる。

最期の「オチ」も「凄かった」が、最期「手前」の「オチ」も「凄かった」。「悪い」「ジェイク・ギレンホール」の「妻」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「サラ・ガドン」が、「良い」「ジェイク・ギレンホール」を「好き」になってしまうこと。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メラニー・ロラン」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「サラ・ガドン」、「2人」共、やっぱり「良い」「ジェイク・ギレンホール」を「好き」になるのが、僕には恐るべき極限のくそリアリズムに見えた。

そして恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メラニー・ロラン」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「サラ・ガドン」、「2人」共、恐るべき「極限の美」の「全裸」を、恐れも知らず見せてたこと、「ちゃんと」見てなかったことを、「かなり」、「かなり」「反省」「懺悔」「償い」しなければならなかった。





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画像 2017年 9月