国際ホリスティック医療・教育研究会

サミュエル・ハーネマンが辿り着いたレメディとは「個々人に応じた処方箋」という意味です。世界中にあるホリスティックな医療・教育を通じ、あらゆる界のレメディを研究していきます。

ホメオパシー国際交流協会でアメリカのドクターホメオパスによるホメオパシー通信教育の翻訳監修をして参りました。
そしてサミュエル・ハーネマンが本当に目指したものとは「個々人に応じた処方箋」(=レメディ)だったと気づきました。

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本日DVD「キングコーン」を見た。

これまで、小麦粉や牛乳が発達の問題や難病に関わっていることを見聞してきたが、キングコーンの問題もかなり深いものだと戦慄を感じる。

しかしこの映画を見る前にいくつか視聴した方が良いYou tubeがある。

 

 

 

 

まだまだ視聴すべき情報はあるが、このような事に無関心のまま発達障害の問題を論じたり、あるいはホメオパシーに携わる事はできない。

問題はサミュエル・ハーネマンの頃よりも格段に複雑になり、私達は世界の経済情勢、貧富の問題とテロ、そして健康の問題を同時に考えなければならない。

キングコーンについては永治氏の情報も興味深く、是非ご一読をオススメした。→クリック

 

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現在、発達障害に関連する教育に従事しながら、

「このままではマズい」

という危機感を日々抱いている。

教育関係者、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士、親・・・・ その全てが、

「私には限界だけど、○○(別の専門家)がどうにかしてくれるだろう」

と互いに逃げ道を模索している現実を少なからず感じるからだ。

もちろん、これは真実!

なぜなら、医師を含めた全ての分野の専門家と「親」が、持てる叡智を全て結集して問題を考えなければ絶対に解決できないからだ。つまり、

「垣根を超えた専門家の本気の連携!」

が必要とされるという、歴史的には意味のある問題が試されてもいるわけだ。

もちろん、その専門家には、「自然療法」(代替療法)の専門家も、「栄養学」の専門家も、マクロビやアロマの専門家も、人の関わるあらゆる職業全てが含まれる。(布草履を作っている人の知恵ももちろん必要!)

 

残念ながら現在は、

「医師の指示で投薬を始めた」

と言われると、教育関係者は、その子に応じたきめ細かな教育を猛研究することをやめ、また親は子どもに応じた食事内容を真剣に検討することをやめてしまう傾向がある。

 

治癒していくというのは、実際にはそんなに簡単ではない。

ハーネマンカレッジナンシー・ヘリックは講義の中で

「ホメオパシーレメディを投与することはある意味で簡単です。本当に難しいのは、その人の環境を変化させるように周囲の人と話し合っていくことなんです」

と言っていた。

ホメオパシーは「その人の部分ではなく、全体にアプローチする」療法であるが、現代のホメオパシー関係者には本当の意味でクライアントの全体にアプローチするホメオパスはほとんどいない。

「クライアントの全体にアプローチする」

とはレメディ選択の時だけに当てはまるのではなく、その人の人生、生活環境、家族状態、全てにきちんと対応していくということである。

 

そして、この本当のホメオパシー的アプローチが、現在発達障害の子どもたちには必須である。

つまり、子どもが置かれた全ての環境を検討することのみならず、母親、父親、祖母、祖父全ての病歴や体質、人間関係をつぶさに検討し、主訴と

「問題の引き金」

を丁寧に洗い出し、そしてきちんと解決していく事、これをあらゆる専門家と家族が同時に行う事が早急に求められている。

 

 

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私は教育学を学びながら教員という職には就かなかった。理由は色々あるけれど、大学3年生のある日、突然

「本当の素晴らしい教育者は教員免許を持った人とか、長年教壇にたった人とか、学歴優秀な人ではなくて、沖縄の片田舎に暮らすおばあちゃんってこともあるなぁ」

と思った瞬間、教員免許そのものが持つ薄っぺらさに恐怖を感じたこともひとつの原因である。

 

人を理解するということ、人が成長する過程に関わるという仕事について、どこかの大学でいくらかの規定単位をとったからといって

「あなたがそのプロなんだ」

と太鼓判を押されるようなものであってはいけないんじゃないか?という私のささやかな抵抗である。

 

では一方私が子どもを預ける立場だったらどう思うのだろう?と、ふと最近考えるようになった。

やはり無免許より免許があった方が良いだろうし、あらゆる事で資格を持っている人は何となく頼りになりそうだから、例えば療育期間に子どもを預けることになったとしても

・言語聴覚士

・作業療法士

・臨床心理士

の意見には、「もしかしたら」耳を傾けるのかも??

でも、相手がその資格やバックグラウンド、出身大学を先に言ってから私に何か説明をしたら・・・・・ そこには既に私の偏見(資格者の言う事は正しいハズだという偏見)が混ざることになって、結果的に相手の見立てが自分にとって絶望的な時の逃げ道もなくなる。

だから私はあまり

資格者の判断 = 正しい

とは思いたくはない。

これは私の母の癌の体験父の肺がん手術失敗、私自身の妊娠問題などでも何度もお伝えした通りである。

 

資格は最低限の知識を保障はしてはいるけれど、その人の物の見方、柔軟性、対人能力、子どもの能力にアクセスする力、問題への対処力を保障するものではない。

そもそも昔から日本を支える職人には資格はなかったし、職人というのは自分の作ったもので勝負していて、それこそが日本をつないできた。つまり昔の人には、出来上がったものを判断する審美眼があったということでもあろう。

そういう意味では現代では何かを見抜く事はとても難しくもなっているのかもしれない。

 

私自身、教育という分野に身を置いて、または代替療法という分野に身を置いて資格よりも優先して重要である感じることは、

「目の前の人にどれだけ心を砕く事ができるか」

という人間力である。 目に見えないこの要素であるだけに、相手の診断が正しいかどうかを判断するためには、こちら側の人間力そのものが試されもする。

けれど目の前の人に本当の意味で心を砕ける人は、問題の解決策についても右往左往しながら知識を得ようと努めるものなので、たいてい知識も豊富である。

 

さて色々な代替療法家や療育関係者に会ってきたが、現在の私にとっての代替療法家・教育者ナンバーワン職人は鈴木昭平先生である。

彼は本気の職人として問題を解決する事だけに徹底的に専心しているので、話を聞いているとその熱量に圧倒もされてしまう。そして不思議なことに先生が療育的なことをちょっとすると子どもたちはキラキラした目で先生に注目もする。

 

反対に代替療法家でも療育関係者でも

「私の出身大学は○○だ」

とか

「私は○○の資格がある」

とか

「今、医者(あるいは臨床心理士)になるために勉強している」

とか、現在の実績ではなく、過去や未来のことを真っ先に引き合いに出してくる人はあまりにも多く、残念でもある。

 

そうではなく、今この時代に必要なのは、職人力の集結

あらゆる療育の職人、あらゆる代替療法の職人が、「療育成果を出す」「治療効果を出す」という「職人として誇り」のもとに集結する事!!だと思う。

 

職人の皆さまのご協力、お願いします!!

 

 

 

 

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今まで食べ物に関する様々な本を読んできた。

脳科学者や栄養学者、医者らの本で手にしたものはどれもこれも

「なるほど!そうそう、私の体験と一緒だ!」

と思うものばかりだったし、その本を読んだ後、実際に私は2016年10月より小麦粉を生活から排除し、その後は偏頭痛も胸痛もなくなってしまった。恐るべし小麦粉・・・・

ただ、このような本を誰に薦めても、また小麦粉の話をしても

「へぇ。そうかもしれないけれど、小麦粉やめるなんて無理だよね」

と言われてばかりだった。

これまで小麦粉をやめることについて賛同してくれたのは、インドのアーユルヴェーダにも理解があり、世界中を冒険してきた女性ただ1人!

 

しかし、「このジョコビッチの本ならどうだ!」と声を大にして言いたい。

何よりジョコビッチは結果を体現してくれているのがスゴイ。

 

そして本の一文:

「私が全世界を回る中で見たきたものがある。社会最上層にいる人の一部は”負”をまき散らしているのだ。 (中略)

信じる方程式はこうだ。良い食べ物、運動、心がオープンである事、前向きなエネルギー、そして偉大な結果だ。幸いにもここ数年、私はこの方程式の中で生きている。どう考えても製薬会社・食品会社が勧める代用品よりこちらのほうがいい。

あなた自身に関する真実を受け入れる事、変わっていく事、分析することを忘れないでほしい。色々な自問を投げかけてみてほしい。客観的であろうとしてほしいが、懐疑的にはならないでほしい。そして前向きであってほしい。こういうエネルギーが体内を満たすと、文字通り健康、体力が向上し、そして結果全体が良いものになるのだ。」

は、私が関わる発達障害センターの方々、またホメオパシー関係者の方々に是非ご一読いただきたい。

 

どんな場合であっても、

「○○しないと ××(悪いこと)になりますよ」(負のまき散らし)

とか

「○○をとれば 良くなります」

といったような単純方程式は立たない。

心をオープンにして、真実を受け入れ、自身が変わり、分析する事の中で、問題の核心が見えてくるのであって、問題の核心を探そうとしない人には見えないということでもある。

 

その人のベストな状態というのは、何かひとつの薬や診断書でもたらされるのではなくて、その人、その家系に流れる深いものを分析してやっと見えてくるということでもあるだろう。

 

とにかく、ジョコビッチの本を読むと

「ジョコビッチみたいにやってみたい」

「ジョコビッチみたいに素直になりたい」

「ジョコビッチのように輝きたい」

と素直に思えてくる。

不治の病で闘病している人、そして発達の問題で悩んでいる人、

「試しに」

読んでみてほしい1冊だ。

高額な代替療法を試す前にも是非手にとって欲しい1冊!

 

 

 

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国際ホリスティック医療・教育研究会兼ホメオパシー国際交流協会主催者井手です。
 
現在、某発達センターに勤務して日々思うこと・・・ それは発達障がいの診断名のくり方の粗さと、だからこそ起こりうる対応のまずさである。
発達障害に関する本を乱読すると、
療育センターには決して行ってはいけません
と書いてあるものもある(例えば有名脳科学者・澤口俊之氏の本には明示されている)のだが、現在、そういったセンターに身を置く私としては、その言葉に大いに賛同もしてしまう。
つまり、今の療育センターで行っていることの多くは、普通の幼稚園(保育園ではなく教育的要素の強い幼稚園)に類似したことくらいしかなく、発達の問題を抱えた子ども1人1人に特化したプログラムを準備しているセンターは少なく、さらに、発達の遅れや歪みを持った子どもどうしが もみあっている間に、問題が混乱してくるのだ。
またこういったセンターに勤務する職員は文科省管轄の教育的感覚を持った人ではなく、たいてい「福祉」分野の人であることが多いのも問題混乱の引き金となる。
 
ちなみに1人1人に特化するとは・・・
 
・体の構造に問題があるのか
・脳の抑制機能に問題があるのか
・記憶力など、鍛錬をすると改善していく事に問題があるのか
・行動療法などの声掛けによって変化していくのか
・教材を変えると理解が進むのか
・取り組みに「かける時間」を長くしてやるとうまく行くのか
・出生時における何らかの要因が問題なのか
・親子・兄弟関係に何か問題があるのか(愛着発達の問題など)
・親そのものの成育歴やトラウマに問題があるのか(あるいは祖父母の代までの問題はどうか)
 
を見極めて、その上でプログラムを組んでいくことだと、私は思っている。
 
しかし、現在公的な機関(=療育手帳が使える機関)は他機関との連携の問題で、実は問題の核心に触れられないでいる。
少なくとも医療と連携をしていれば、出生時の母体の過剰投薬があった場合や、子どもの耳炎への過度の抗生剤使用が背景にあったとしても決して指摘できない。
あるいは、公的な機関との連携があればこそ、牛乳や小麦粉への摂取禁止を公然と指摘することもできない。
これが療育手帳の利便性と不便性である。
 
しかし民間団体なら良いかというと、例えば私の知るホメオパシー処方者などは、
「このレメディで問題は解決しますよ」
とレメディを投与して終わろうとする人もいる。
これはまた、大きな問題である。日々臨床にあたっているケースが少なすぎて、問題の核心が全く見えていないのである。
 
発達障がいの問題は一つではない。
少なくとも、子どもが3歳になるころには、問題は確実に複合的になっている。
 
では、一体どうやって発達障がいの問題にアプローチすべきなのか。
それは、あらゆる分野の専門家が今すぐ手をつないで、問題を議論することしかない。
そして、相談しようとする機関が複数の視点と尺度、対処法を持っているかどうかは非常に重要になる。
 
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2016年は「報道の真偽」について学ぶことの多い年だった。

けれどもそもそも報道なんて、最初から強者に都合の良い方向でしか行われない!というのが、「戦時中の教育論」を研究して私が学んだことでもある。

 

またインターネットが出現して、何だか

「その気になればなんだって知れる」

ような幻想も抱いてしまうけれど、広告会社に勤務していた私にとって、このネット社会だって虚構の連続で、有名人のブログにだって多額の広告費が支払われている。

(どの有名人にいくらの報酬が支払われるのかは、1行単位で、あるいは掲載期間単位で広告業界では決まっていて価格表だってある)

 

私がかつて在籍した日本の代替療法関係の学校にしても、広告内容と実際内容が一致しているところはなかった・・・ 

卒業生や講座参加者の体験談は、健康食品の体験談と同じく

「効果を感じた」

という肯定的な信奉者だけの声に限定され、その満足度が全使用者(全入学者数)の何パーセントかは一切公表されることもない。

統計マジックのうまい利用だ。

 

発達障害についても、これまで私は多くの本を手にしてきたが、

「なるほど!これは正しい!!」

と思える本はそんなに多くはなかった。

どの専門家も、その専門家の領域については詳述されていて、

「そうなんだろうな」

と思わせられる内容なのに、専門外については全くメチャクチャなことが多かった。

例えば脳科学者が書いている本の中で、栄養学について触れられていることがあるのだが、本当に腹が立つほどひどい内容だ。

 

「餅は餅屋」

という言葉があるが、

「誰が餅屋なのか」

を見抜く事も難しい昨今、私自身、どの本を信じるべきか、どのサイトを信じるべきか随分苦慮もしている。

 

ただ、私が大切にしている鑑別ポイントのひとつは

「作者・発信者の人生経歴」

である。

やっぱり一生懸命生き抜いてきた人は嘘をつかないものだと思う。

また、その情報を発信する事で

「誰が得するのか」

という着眼点も大切である。

そして何よりも

「その情報者が、どのぐらいその”現場”に関わっているか」

である。

「見た」「聞いた」ではなくて、「体験した」「経験がある」が大切なのだと思う。

 

私がロジャー・モリソンを信頼できたのは、ロジャー・モリソンらは常に実証学としてホメオパシーを提示しているからだ。何よりもその執筆量の多さと、執筆内容の細かさ、理論構築の精度に圧倒される。

実際に講義を受けてみると、そこには常にロジャー・モリソンらの悩み苦しむ姿が見える。そして患者が治ることへの真の喜びが見える。

 

何を信頼するべきか・・・

以前占星術を学んだ時は、

「景気の悪そうな占星術師にはみてもらってもろくなことはない。なぜなら、自分のことも占えないことが自明の理だから」

という文言を本に見つけ、細木数子に熱中していく人々の姿に合点がいったものだ。

 

もちろん発達障害に関しても、そのやり方でどのぐらい改善した人がいるのかという情報は重要、「実際」が大切である。

けれど、医学の分野、ホメオパシーの分野では、治療家の真剣度、どれだけ多くのことを学び、どれだけ真剣に患者の人生と向き合おうとしてくれる人かを見ぬく患者側の眼力が問われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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医師である大森隆史先生の書籍は数々あるが、比較的安価で手に入り、代替療法書籍として素晴らしいのが【発達障害を治す】 (幻冬舎新書)(842円)である。

この本は、日本の下手なホメオパシー本を読むよりも、はるかにホメオパシーでもある。

いやいや、この本だけが日本人執筆による唯一のホメオパシー書籍だ!と言っても過言ではない。

この本には

①現状分析(かなり緻密な分析)

②問題への解決方法

がきっちり示されており、

従来のあいまいな発達障害概念論や、責任論(母親の責任の有無)、あきらめ論に終始する多くの本とは違う。

「じゃあ一体現場はどうすればよいの?!!」

と悩みながら療育センターに身を置いてきた私には、痛快すぎる1冊であった。

 

例えば「言葉が遅い子ども」の考察については、私が日々接している療育対象の子どもの様子と見事にマッチしてもいる。脳科学者の澤口俊之先生の【発達障害の改善と予防】にも聴力の問題は述べられていたが、聴力に問題がある子どもが誤って発達障害と診断されている問題含め、大森先生の本には具体的にどうアプローチするかが詳述もされている。

 

中でも私にとって最も共感できたのは、海外の研究論文が日本に入って来ないという現象についての考察である。 今、日本で盛んになっている種々の療育法は欧米から流入しているのであるが、一方で、発達障害に関する最先端の医学的文献については翻訳も進んでおらず、知られてもいないというのである。

実際にホメオパシーという代替療法でも、海外の医師たちの手によるホメオパシー文献は一切蓋をされているのだが、発達障害に関わる領域も同じだったのである。

 

とにかく、この1冊は発達障害に関する必読・必携の書、また、代替療法や自然療法に注目している人には「医学としての代替療法・自然療法」を実感いただくためにも必読!

発達障害を治したい方、治りたい方にも絶対に必要な本である。

 

やはり欧米の医学にきちんと目を向けた医師の書籍は違うと納得するだろう。

ホメオパシーも同様、欧米の医師によるホメオパシーを学ぶことをオススメする。私のおすすめはもちろんロジャー・モリソンから学ぶホメオパシー講座である。

 

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変化したノロウィルスの菌、インフルエンザの猛威、蚊が媒介する病気の復活、こんな時代を生きながら周りを見渡すと、

「敵を駆除すること」

に躍起になる人の姿があちこちに見える。

おかげで現在では耐性菌なるものもあり、発達センターでは中耳炎を抗生剤で治療し過ぎた事が背景にあるケースもたくさん遭遇している。(耐性菌についてはこちらをクリック→クリック

 

けれど病院に頻繁に通い、薬をせっせと使う人に

「薬はあまり使わない方が良いですよ」

とか

「薬には副作用と呼ばれる作用がありますね」

というような事は口に出すこともはばかられると感じることも多い。

 

きっと昔は、寒ければ生姜湯を飲み体を温めたり、ケガをしたところに庭先のアロエを切って塗ったり、咳が出たらオオバコを煎じたり、風邪が流行する季節にはみかんを食べてビタミンCを補給したり、ということを当たり前のように行っていたのだろうけれど、今はそういう風に病気に対処する人はほとんどいない。

以前テレビで、小林製薬の社長が

「今は芳香剤の時代ではなく、消臭剤というネーミングのものこそ求められる時代だとピンときたんです」

と話していたが、病気というものに対しても、「徹底的に消し去る」「対峙する」時代になったのである。

その結果、抗生剤の使い過ぎが耐性菌を生み出してきたように、徹底的に排除しようという風潮が「排除できない力」をもたらしたのである。

 

であればこそ、大切なのは「消し去ること」や「新しい強烈な薬」を開発することではなく、自然界の力をもう一度きちんと検証して学ぶ事、そして、自分の体の仕組みをきちんと各自知ることではないだろうかと思う。

 

医者がいるから自分の体の事は知る必要がない、

発達センターがあるから我が子の教育については家では考えなくて良い、

胃薬があるから暴飲暴食しても良い、

ということではなくて、どんな専門家がいたとしても、「生きる」ということについては自分が最終責任者であるということは忘れてはいけないし、そのためにも、もっと貪欲に自然界に目を向け、自分でできる養生法を身に付けることが肝要なのではないか。

 

私はロジャー・モリソンのホメオパシー講座を学んで以降、ホメオパシーレメディもほとんど使用しなくなったし、病気に対する考え方もすっかり変わってしまった。

西洋医学の薬であったとしても、ホメオパシーレメディであったとしても、いつ・どれだけの量をどの頻度で使うのかをよく知らないで適当に使えばどんなものも毒であることも良く分かったし、大切なのは

「今自分の体がどういう状態にあるのか」

「今の状態に必要なのは一体何か」

をきちんとアセスメントできる力の方だということも充分理解できたからだ。

 

 

 

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去る12月11日(日)、上智大学教授・大塚晃先生の講義に参加した。

大塚先生は、厚生労働省の役人としての経験、また社会福祉事業での実際の就業経験もある方で、現在及び将来の日本の療育制度の策定に関与され、「発達障害の子どもの幸せのことを真面目に考える熱い思い」がひしひしと伝わる方だった。

 

さて、その大塚先生の講義で最も印象深かったのは、

「各療育センターは半年をめどに子どもを押し出すように努力しなければならない」

という言葉である。

私が所属するセンターでは、いわゆる「境界線児」とされる子どもさんが多いのだが、来所された後、1年以内にセンターを修了されるケースはほとんどない。(というか、年少からセンターに来られた方でも、また個別療育を受けても普通級へ入学される方は皆無)

大塚先生によると

「これが問題のひとつ」

だということである。

各事業所とも、本気で療育を行い、普通の幼稚園・保育園、小学校へ押し出していく、そして社会・地域の中で生活できるようにしていくことが何よりも大切だということである。

 

また、それに際して、例えばアメリカでは、療育も通常の学校教育も文部科学省管轄で行われているのであるが、日本の場合は幼稚園・小学校・支援学校は文部省管轄であっても、療育センターは厚生労働省の管轄になる。つまり適用される法律も異なり、子どもの教育を行うのに協力体制をとることが難しいし、そればかりか、厚生労働省管轄では

「子どもの権利としての教育」

「子どもの未来を見据えた教育」

という事ではなく、

「親支援のためのお預かり」

の要素が色濃くなってくるように思う。

 

さらに厚生労働省管轄のためか、職員も授業の進め方、授業プランの立て方を知らない人も多く、

「公的支援を得るにはこうしたら良い」

という、手帳の取り方、給付の利用法だけの説明だけが詳細で、子どもを半年で療育センターから押し出すというよりも、そこに定着させる事が主眼になっているようにも思う。

 

療育センターにすがるような気持ちで扉を叩く親子に対して、厚生労働省管轄の制度では

「理念自体に無理がある」

と言わざるを得ない状況なのである。

(重度心身障害については医師との連携など厚生労働省管轄下という事にも意味もあると感じるが)

 

子どもの療育を格安で受けるには発達支援センターのような公的施設を利用するのが望ましいのかもしれないが、まずはセンター、あるいは先生を見定める時には

「本気で子どもの将来を考えて、各個人個人にふさわしい教育を行おうとしている所かどうか」

という視点は重要だ。そして

「個別支援計画」(保護者全員が受け取ることになる)

にワクワクする文言がつまっているかどうかがポイントだと、大塚先生は教えてくれた。

この計画書の中に、思いやりがつまっていれば、読んでいるとワクワクする!!そうだ。

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私の身辺にいる臨床心理士(支援級かどうか決めるための書類を教育委員会に書く立場にある)の多くは、社会経験がない。

療育センターにいる職員も、療育センターにだけ勤務してきたという人がもっぱらで、普通の学校の教育経験がないだけではなく、一般社会での経験値がゼロである。

 

さて、こんな状況の中で、落ち着きのない子、指示の通りにくい子、を目の当たりにすると、口々に

「これでは受け入れてもらえない」

と判断されてしまう。。。。

 

「何に」受け入れてもらえないのか??

それが議論されることもない。

 

学校の先生に受け入れてもらえないのか?

友達に受け入れてもらえないのか?

社会に受け入れてもらえないのか?

その子が目指すべき世界で受け入れてもらえないのか?

世界のリーダーに受け入れてもらえないのか?

 

その客体は議論から省かれたまま

「これでは受け入れてもらえない」

と診断されてしまうのだ。

 

世の中において、クリエーターや研究職の人が一体どういう人であるのか、一度も見た事がない療育関係者にとっては、まさに一芸に秀でた人に対応ができないというのが現状である。

 

確かに、世の中を生きていくための最低限のマナーは心得ねばならないし、自分を主張するにも策は必要であろう。ただ、モンテッソーリ教育やシュタイナー教育、あるいは各国の教育に接したこともない療育者の中にとって

「黙って椅子に座って話を聴ける」

「自分の関心に忠実であるよりも、目の前で話をしている教師の指示に耳を傾ける」

ということが、何よりも重要な人生成功のカギだと思われているらしい。

 

公教育にも問題点がたくさんある。

けれども、その無償の教育を子どもに受けさせようとすると、どうしてもその地域に根付いた古い慣習を前提とする公教育に子どもたちを合わせなければならなくなる。

 

目の前の子どもの幸せとは古い地域慣習に基づく規律なのか、子どもの未来に向けた創造的な規律なのか・・・・ そろそろ本気で議論をしなければならないのに。

 

私はかつて職業訓練校で授業を受け持っていたことがある。

様々な社会経験を経た老若男女の集う訓練校では、前に立つ者の人間力で授業の流れが変わる。講義者は常にあらゆるパターンの質問と、様々な方向への講義拡散を想定して講義を計画しなければならない。講義中に起こる私語はそのまま

「あなたの講義はつまらない」

というメッセージであり、私は終始眼前の30名の動向、気配に気を配り続ける必要があった。

 

でもこれは、療育現場でも実際には必要な事なのではないだろうかと、最近特に強く感じる。

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