私は日常的に発達障害の子どもたちと接している。

その中で

「これさえすれば発達障害は解決します」

というような 1つの方法を訴える団体には注意が必要だと感じている。

その「団体」にはもちろん

「支援級に入れば良いですよ」

という学校職員も、

「デイサービスに通えば良いですよ」

という療育センターも、あるいは

「言葉かけを変化させるだけで改善しますよ」

という心理学的アプローチ者も、そして

「療育手帳をとれば将来は安心でしょう」

という福祉優先型の考え方も含まれる。

 

どの立場の人が言っていることも正しい「かも」しれないが、実際には全ての「手法」が必要だからである。

 

さらにいえば、教育だって、「その子に応じた教育」が必要な事は発達障害の子に限ったことではないし、心理的なアプローチだって、放課後一生懸命遊ぶことだって、その遊びを大人が見守ることだって、将来の年金保障だって、誰にだってその全てが必要なのである。

 

「その子にとって最も力を入れて解決すべき問題が何か」というミクロ的視点は大切であるが、同時に

「全体として何が足りないのか」

というマクロ的視点は不可欠である。この視点がない限り、

「これさえ変えれば大丈夫」

というような、宣伝的な言葉が独り歩きしてしまい、かえって問題の解決を遅らせてしまう。

 

現代社会ではあらゆる問題は、複合的な背景、土壌を舞台に巻き起こっている

であるからこそ、発達障害の問題に関わろうとする人は特に、広い社会に目を向け、水俣病やイタイイタイ病などの公害問題という歴史的な問題も熟知しながら、地球と人間がどのような関係で変化を続けているのかを考察してほしい。

あらゆる分野の知識の結集が今こそ必要である。