穴と橋とあれやらこれやら -224ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2021年7月18日、YSGO(吉野・下市・五條・大淀)周遊。この日の最後のネタである鷲本橋を記事にしているが。今宵ご紹介するのは中盤で訪ねた橋。

 

この日は基本、事前にQ地図で調べた橋を巡ったのだが、中でもこの橋はとっても気になっていた橋である。なぜなら、「どんな橋なのかわからなかった」から。

 

 

さて、どんな橋だったか。

 

 

今記事は、ロケーション込みでお楽しみいただくタイプの記事となっております(フラグ・笑)。けっこう異色な記事かも。

 

 

 

 

 

 

まずは、ここから。

現在地コチラ。この先、あの木立の中に、Q地図で見つけた「地蔵寺橋」なる橋があるはず。

 

Q地図はストビューにもリンクしている親切設計(笑)なんだけど、当然ながらグーグルカーがカバーしてないところは見られない。一帯の橋をしらみつぶしにチェックした中でこの橋はストビュー画像がなく、ならば、と航空写真モードで見てみたところ、川を覆う鬱蒼とした木立に遮られて、これまたどんな橋なのかまったく窺い知れない。

 

だが、「延長15.1m、幅員1.5m」というスペックには強く惹かれるものがあった。地図で見ると、いかにもひょろっとした橋が描かれているし。昭和50年完成とあったので、なんとなくの姿は想像がついたけど、この「秘密のベールに包まれた感」が楽しくて、ぜひどんな橋か見届けに行きたい!と尋ねた次第だ。

 

 

 

 

 

 

半ば民家の私道のような雰囲気だが、

この先にある地蔵寺橋がQ地図に載っていたということ自体、公道である証拠。粛々と(しかしドキドキしながら)進む。

 

 

 

 

 

 

 

一見行き止まりに見えた民家のガレージだが、

やはりその左側に道は続いていた。この時点で人道橋であることは確定(スペックからは予想していたが)

 

盛上げるねぇこのロケーション。そして、なにか立札が立ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書かれていた内容は、

「この先、路面がすべりますので注意してください。」

 

確かに、道はここからえげつない勾配で下り、竹林の中を川に向かって突っ込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ使う人もいないのだろう、激坂に竹の落ち葉が積み重なって、確かにめっちゃ滑る。

 

とか言いつつも、すでにもう見えている。

あれが、地蔵寺橋だ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の姿は予想通りに(笑)ガードレール欄干の面白くないものだったが、

このロケーション、凄いなあ!

 

密生した竹林のただ中にひっそりと、(ほぼ)使われなくなった橋が眠っている。アプローチの道もコミで、グッときた。しかしこの景、とても川を見ているようには思えないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガードレール欄干にはちゃんと銘板が設置されていて、

「じぞうじはし」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

「ふるたがわ」と。この竹林越しに射す、弱くて蒼い感じの日差しもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは完全に…

「異界感/常世感」漂う、わたくし好みの橋だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、下流側。

こちらはまあ、それなりに開けているが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上流側は…

ワッサ~!とね。…あれ?どっちが上流か下流か自信なくなってきた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たかだか15mの橋なので、

すぐに渡りきる。

 

たもとに立つ看板は、数km上流にある一の木ダム管理事務所による増水の注意喚起のもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら側もまた、たもとでグッと曲がるが、

道の勾配は(比較すれば)緩やか。その分長い。

 

ちなみに地図によると、写真右上の斜面上に、橋名になっている地蔵寺があるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緩やかな坂も最後は激坂となって、

昇りつめた先は…集落の中。

 

 

 

 

 

 

 

 

登ってきた坂を振り返ると、こう。

まさに、常世へと続く黄泉平坂(よもつひらさか)。反対側と同じ注意喚起看板も、しれっとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま進んで数十mで、

こういう場所に。写真左の道から出てきた。

 

記事のスタート地点からここまで、直線距離でたかだか200mほどに過ぎないのだが、そうは思えないほどの…うまく表現できないな…「隔たり」を感じた。なんか、心に響いた。なぜか(笑)。

 

 

 

 

 

 

奇遇なことに、この橋はブロ友のなおさんにゆかりのある橋だということがわかった。なおさんからの情報で知り得たことをまとめると、

 

・なおさんが子供のころ(4~50年前?)には、先代の木橋遺構が残っていたが渡れなかった。

・その後、通学路として橋が架け直された(序盤に書いた通り、昭和50年架橋とのこと)。

・今では地区に子供がいなくなり、この橋を使って通学する子はいなくなった。

・昔はここまで竹が茂っておらずもっと明るかったが、手入れする人がいなくなり荒れている。

 

…まる写しやな(笑)。

 

 

 

 

こうした背景を知ると、半死半生に見えたこの橋の歩んできた人生…ならぬ「橋生」が生き生きと浮かび上がってくる。このことを知らなくても我が心の琴線に触れていたわけだが、これを知ってさらに感慨もひとしお。

 

改めましてなおさん、貴重な情報ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、戻りに動画を撮ったのでどうぞ。雰囲気がより伝わるかと。

終盤の3分33秒から、スペシャルゲストが登場しますぞ(笑)。

 

終わりがやや唐突なのは、スマホがオーバーヒートしてカメラが落ちたから。いや、ここまでもってくれて助かった。ここまで撮れてれば一応成立してるもんね(笑)。

 

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

2010年4月18日、奥山田の旧隧道群探索の後流れで訪ねた隧道とちょっとしたオプションをご紹介。キャリア初期(謎)のこの頃は、とりあえず近場のトンネル/隧道をシバキまくっていたなあ…。懐かしい。

 

この日のネタで他に記事にしているのは、朝いちの禅定寺橋(仮)(Q地図によると森本橋)とこの後のこれそういえば先日通った時に、この個体、ついに撤去されていた。

 

 

 

 

 

まずはこれ。

飾り気のないコンクリートポータルだが、アーチ環は本物の切石っぽい。場所コチラ。北側よりアプローチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんと設えられた扁額には

「鷲峰洞」と。ここから北西に位置する鷲峰(じゅうぶ)山にちなんだものと思われる。

 

ところで、この「~洞」といういわば「二つ名」、これ関西圏だけの文化なんだろうか。以前はこの「~洞」を見るとちょっとプレミアム感(笑)があってテンション上がる、くらいの感慨しかなかったのだが、それなりに経験を積んだ今、わたくしの見てきた中では、関西以外ではほぼ見ないなあと。

観魚洞隧道みたいなのもあるけど、隧道名とイコールだからニュアンスが違うような?知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてコチラ、

南側ポータル。

 

 

 

 

 

 

 

 

南側扁額は、

「和束隧道」。かっちりしたアーチ環、気持ちいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

洞内側壁に

銘板発見。昭和32年の建造とな。

 

目を引くのは、そうそう目にすることはない漢字、「糎」。これ、アメブロでちゃんと表示されんのかな?「米」へんに「厘」と書くこの一文字で、「センチメートル」と読むのだそうだ。ためになったねぇ~(もう中学生)

 

 

 

 

 

 

 

さて、延長77mのこの隧道には、廃となって久しい旧道がある。そっちもご紹介しておこう。

悪くないね~。

 

 

 

 

 

 

 

 

この短い旧道に、いくつか正体不明な遺構が点在していたんだな~。

 

 

 

 

多少は経験を積んだ今、改めて見に行ったら何か気づきがあるかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

航空写真で見ると、ここらの旧道直下あたりの和束川に、堰堤がある。

もしかすると、この堰堤の建設時に設置された施設の遺構なのかもしれない…と思ったり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、おまけ。

こんなん落ちてたのだが…これどこのなんていうコーヒーだったっけ。

 

グーグルさんで軽く画像検索してみたけど、ヒットせず。どなたか覚えてませんかね?

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2017年10月1日。鈴の謎未成道探索を終えたわたくし、次なるターゲットである名神高速沿いの廃橋群に向かう途中で拾ったネタをご紹介。

 

 

 

通りすがりに…

目に入ってしまったのよね~。

 

 

 

 

 

 

何が?って、

これですな。場所はコチラ

 

 

 

 

 

 

この感じはアレですな、と思ったらアタリ

…だと思う(笑)。

 

無情にもコンクリに埋められちゃってるが、「朝日野村」の下は「道路元標」と刻まれているはずだ。つうか、なぜか側面と背面の写真を全然撮ってない。何も刻まれてなかったのかな。

 

 

ウィキ先生によると、朝日野村は1889(明治22)年に周辺二十村が合併して誕生、1955(昭和30)年に桜川村と合併し、蒲生町となって発展的消滅したとのこと。その旧蒲生町、現在では東近江市の一部となっている。

 

 

 

以上。

 

 

2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、堀切橋法恩寺跨線橋、最初のメインターゲットである三子生隧道と朝のネタばかり。

 

今宵ご紹介するのは、午後に入ってから出会ったステキ物件。

 

 

 

 

はい。これ。

この時点で「好き」確定(笑)。気になるところがあるな。現在地コチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは親柱チェック…って、

読めません(笑)。

 

まあ地図ですでに名前は知ってたから読めたけど。答えは「ふたまたはし」。こういう変体仮名を読み下せるようになりたいと…思い続けてはや10年以上(笑)。ダメ人間やな~。

 

 

 

 

 

 

で、「気になるところ」が、この

親柱と一体化した、謎のスペース。これなんだろう?立哨台?(笑)

 

 

 

 

 

 

そして反対側の親柱にはお誕生日があったが、これが極め付きのレアものだった。

「紀元二千六百年七月竣功」。 

以前になんかの記事で書いたのだが、なんだっけかなあ。これかなあ…。

 

 

「紀元二千六百年」あるいは「皇紀二千六百年」とは、初代である神武天皇の即位から二千六百年にあたる昭和15年(1940年)のことで、戦時下の日本において、盛大に祝われた。

 

この紀元または皇紀二千六百年という表記、石碑や寺社境内などで時々見つけられるのだが、こと橋や隧道においては、なぜかほとんど見られない。これまでのわたくしの経験値(確認できた範囲)では、隧道ではわずかに一洞、そして橋では…実は、神社の石橋など除くと、ここが初!だった。

 

正確に言えば、初じゃないかなあ…と帰ってから調べたら、やはりそうだった(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

川の名前は小川川。そんな小川でもないけどね~(バカ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

欄干のつくりとかも

凝ってますな~。重厚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

「ふたまたはし」の名の通り、すぐ下流側で奈半利川が流入している。

 

 

 

 

 

 

 

 

渡り切って正対。

「立哨台」はこちらにもあった。

 

とっても素敵な橋。だがしかし。まだこの橋の「最高」はお見せしてない。

今しばらく、写真三枚後までお待ちを(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

漢字のお名前、

「二股橋」。

 

 

 

 

 

 

 

もう片方の親柱には、

「昭和十五年七月竣功」。

 

こっちでは紀元表記は使われてなかった。セオリー通りなら河川名が来るところだが、紀元と二種類を設置した理由はなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて…それでは満を持して、この橋の「最高」をご覧いただく。

はい、ドーーン!!

 

このアングルが最高!かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、この橋、

二連のコンクリートアーチ!しかも無筋。

 

 

 

この二股橋、実は国指定の重要文化財である。

 

ここでようやく説明しておくと、この橋は魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の橋梁として建造されたものである。本記事では詳しく述べないので各自調べていただきたいが(出た!悪質ブログ・笑)、2009年にこの魚梁瀬森林鉄道の遺構から隧道5本6本、橋梁9本12本が「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定された。

この日にはこれらの多くを訪ねたが、記事にするのはこれが初めて。ちなみにすでに記事にしている法恩寺跨線橋は確かに魚梁瀬林鉄の遺構だが、文化財指定からはなぜか漏れてしまっている。

【2022年4月24日追記】

報恩寺跨線橋も文化財指定に含まれていました。上記の文化財指定件数も間違っていましたので、併せて訂正します。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、後は下から舐めるように観察して〆。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師匠がたが映りこんでる。師匠がたには営業範囲外だっただろうに、永らくお引止めしてしまって申し訳ないな~(棒読み)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとつだけ引っかかってることがあるのだが、

森林鉄道の橋梁なのに、当初からこんな道路橋梁ちっくに造られたのだろうか。

 

調べた限りでは、建造年は昭和15年で間違いない…つまり、道路転用を機にこの姿になったわけではないってことなのだが、どうも半信半疑だ。

 

こんな林鉄橋梁、あるかね?まあ、現にここにあるわけだが(笑)。

 

 

 

 

まあいいんだけど。とりあえず、好き。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

次回予告篇って、なにげにめっちゃ久しぶりですな~。

 

 

遡ってみたら5月31日、狂小屋の予告篇以来とか、過去最長ブランク。これを挟んでなかったから毎日しんどかったんだな、きっと(笑)。

 

 

 

 

 

ああ、カンタンで楽だ~(笑)。

 

 

 

 

【本篇】に続く。