2010年4月18日、これもかねてから訪れたかったところにやってきた。とはいえ、近場やけど。
まずは、この写真から。
国道307号線、宇治田原町の奥山田地内。正面左カーブの先に、大福(おおふく)隧道がある。
かつて陸の孤島だったこの奥山田の地に初めて通った車道、その名も奥山田新道。そこに穿たれた三本の隧道が、紆余曲折を経つつも現存している…というのを、この記事でも触れた「廃道本」で読んで、ぜひ訪ねてみたいと思っていたのが、ようやく実現。
さほど離れてはいなさそうな三本の隧道を、一気に攻略するべくやってきた次第。
で、その中で最も宇治田原の中心部に近い第一隧道が、
この大福隧道の近くにあるらしい…ということで…
いや~探しましたよ。
全然違うところを(爆)。
大福隧道の旧隧道というべき位置にあるらしい第一隧道、上の写真でわかる通り、その坑口付近に余地はない。なので、素人なりに深読みして、ひとつ北側の谷筋を探してしまったのですな~。無為に彷徨うこと50分、お恥ずかしい(笑)。
そしてそれは、えー!?という場所にあった。
疲労困憊で現道へと戻ってきて…念のために、あると思いもしなかった、そして物理的にも近寄りたくなかった(笑)あたりに
無理やり接近してみると…
うあ…いやがったよこんなとこに…。
なんとまあ、大福隧道のすぐ隣り、擁壁を挟んですぐ並列するような位置に、そいつは開口していた。なんだっそら、耐えられない(笑)。
いや~こんな狭いとこにあるなんて、新旧鉄道トンネルなみの近接っぷリだ。それにだ、
なんだよこの激藪!?
4月にしてこの激藪。近づきたくなかった理由がおわかりいただけるだろう(笑)。この激藪のせいで、こんなにも近接しているのに、周囲からはまったく隧道の存在がうかがい知れなかった。
そして…
出~た~、奥山田第一隧道・宇治田原側坑口。
残念ながらコンクリートで補修されてしまっているのだが、元は煉瓦のポータルだったらしい。残念。
扁額。
「刻露清秀」。
ポータル右手の壁にある銘板。そう、
奥山田の三隧道は、明治隧道なんである!
コンクリ補修が、残念無念…。
洞内は、
水没してる!でも貫通してる!
よく見ると…
中央部は素掘りで、土嚢を積んで埋められ(?)ている。
手前の水没はかなり深く、長靴ではアウトな水位。入洞は断念…。
進入してすぐの右手内壁に
昭和三十二年、補修時の銘板が。
水際から振り返り。
いわゆる鉄板の構図(笑)。
隧道前の激藪、左へ脱出すれば(できれば・笑)すぐ現道。いまいち近接っぷりが伝わらないな~。
正面に見えるあのベルギーワッフル、1枚目の写真右にそびえ立っているものと同じ、といえば位置関係がわかるだろうか。
さて、時間はかかったが(疲労困憊もしたが・笑)、宇治田原側ポータルをまず確認できた。続いて、第一隧道・奥山田側のポータル探索へと移行する。
【2】に続く。