地蔵寺橋 (奈良県五條市霊安寺町) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2021年7月18日、YSGO(吉野・下市・五條・大淀)周遊。この日の最後のネタである鷲本橋を記事にしているが。今宵ご紹介するのは中盤で訪ねた橋。

 

この日は基本、事前にQ地図で調べた橋を巡ったのだが、中でもこの橋はとっても気になっていた橋である。なぜなら、「どんな橋なのかわからなかった」から。

 

 

さて、どんな橋だったか。

 

 

今記事は、ロケーション込みでお楽しみいただくタイプの記事となっております(フラグ・笑)。けっこう異色な記事かも。

 

 

 

 

 

 

まずは、ここから。

現在地コチラ。この先、あの木立の中に、Q地図で見つけた「地蔵寺橋」なる橋があるはず。

 

Q地図はストビューにもリンクしている親切設計(笑)なんだけど、当然ながらグーグルカーがカバーしてないところは見られない。一帯の橋をしらみつぶしにチェックした中でこの橋はストビュー画像がなく、ならば、と航空写真モードで見てみたところ、川を覆う鬱蒼とした木立に遮られて、これまたどんな橋なのかまったく窺い知れない。

 

だが、「延長15.1m、幅員1.5m」というスペックには強く惹かれるものがあった。地図で見ると、いかにもひょろっとした橋が描かれているし。昭和50年完成とあったので、なんとなくの姿は想像がついたけど、この「秘密のベールに包まれた感」が楽しくて、ぜひどんな橋か見届けに行きたい!と尋ねた次第だ。

 

 

 

 

 

 

半ば民家の私道のような雰囲気だが、

この先にある地蔵寺橋がQ地図に載っていたということ自体、公道である証拠。粛々と(しかしドキドキしながら)進む。

 

 

 

 

 

 

 

一見行き止まりに見えた民家のガレージだが、

やはりその左側に道は続いていた。この時点で人道橋であることは確定(スペックからは予想していたが)

 

盛上げるねぇこのロケーション。そして、なにか立札が立ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書かれていた内容は、

「この先、路面がすべりますので注意してください。」

 

確かに、道はここからえげつない勾配で下り、竹林の中を川に向かって突っ込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ使う人もいないのだろう、激坂に竹の落ち葉が積み重なって、確かにめっちゃ滑る。

 

とか言いつつも、すでにもう見えている。

あれが、地蔵寺橋だ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の姿は予想通りに(笑)ガードレール欄干の面白くないものだったが、

このロケーション、凄いなあ!

 

密生した竹林のただ中にひっそりと、(ほぼ)使われなくなった橋が眠っている。アプローチの道もコミで、グッときた。しかしこの景、とても川を見ているようには思えないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガードレール欄干にはちゃんと銘板が設置されていて、

「じぞうじはし」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

「ふるたがわ」と。この竹林越しに射す、弱くて蒼い感じの日差しもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは完全に…

「異界感/常世感」漂う、わたくし好みの橋だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、下流側。

こちらはまあ、それなりに開けているが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上流側は…

ワッサ~!とね。…あれ?どっちが上流か下流か自信なくなってきた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たかだか15mの橋なので、

すぐに渡りきる。

 

たもとに立つ看板は、数km上流にある一の木ダム管理事務所による増水の注意喚起のもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら側もまた、たもとでグッと曲がるが、

道の勾配は(比較すれば)緩やか。その分長い。

 

ちなみに地図によると、写真右上の斜面上に、橋名になっている地蔵寺があるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緩やかな坂も最後は激坂となって、

昇りつめた先は…集落の中。

 

 

 

 

 

 

 

 

登ってきた坂を振り返ると、こう。

まさに、常世へと続く黄泉平坂(よもつひらさか)。反対側と同じ注意喚起看板も、しれっとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま進んで数十mで、

こういう場所に。写真左の道から出てきた。

 

記事のスタート地点からここまで、直線距離でたかだか200mほどに過ぎないのだが、そうは思えないほどの…うまく表現できないな…「隔たり」を感じた。なんか、心に響いた。なぜか(笑)。

 

 

 

 

 

 

奇遇なことに、この橋はブロ友のなおさんにゆかりのある橋だということがわかった。なおさんからの情報で知り得たことをまとめると、

 

・なおさんが子供のころ(4~50年前?)には、先代の木橋遺構が残っていたが渡れなかった。

・その後、通学路として橋が架け直された(序盤に書いた通り、昭和50年架橋とのこと)。

・今では地区に子供がいなくなり、この橋を使って通学する子はいなくなった。

・昔はここまで竹が茂っておらずもっと明るかったが、手入れする人がいなくなり荒れている。

 

…まる写しやな(笑)。

 

 

 

 

こうした背景を知ると、半死半生に見えたこの橋の歩んできた人生…ならぬ「橋生」が生き生きと浮かび上がってくる。このことを知らなくても我が心の琴線に触れていたわけだが、これを知ってさらに感慨もひとしお。

 

改めましてなおさん、貴重な情報ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、戻りに動画を撮ったのでどうぞ。雰囲気がより伝わるかと。

終盤の3分33秒から、スペシャルゲストが登場しますぞ(笑)。

 

終わりがやや唐突なのは、スマホがオーバーヒートしてカメラが落ちたから。いや、ここまでもってくれて助かった。ここまで撮れてれば一応成立してるもんね(笑)。

 

 

 

 

 

 

以上。