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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2013年1月17~18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、小町トンネル槙原隧道新一の瀬橋水沢トンネル国道151号・市原トンネル旧廃道、旧々道戦橋川角トンネル旧廃道

 

今宵ご紹介するのは、17日から18日に日付が変わった直後に通りすがった物件。いわゆる(謎)夜撮りシリーズであります。驚くほど内容が乏しいので悪しからず。

 

 

 

いきなり、ドン。

愛知県道21号豊川新城線・新城市豊栄地内のトンネル。場所はこちら、南側より。

 

地図でわかるとおり、ゴルフ場の下を抜けるトンネル。ボックスカルバート製なので、開削工法(地面を掘ってトンネルを造り、上から土を被せる)で造られたものかと。

 

 

 

 

 

扁額があり、お名前は、

豊栄トンネル。まあ…地図見て知ってた(笑)。

 

 

 

 

 

銘板をチェックして、面白い事実が判明した。

事業主体(≒発注者)の名称が、ゴルフ場になっていたんだが…誰も面白くないか(笑)。

 

いや、立地的に当然そうでしょうと思われるかもしれないが、何しろこの道は「愛知県道」なんである。県道のトンネルを私企業が造るというのは、そういう条件でのゴルフ場開発だったのかな~、とか、いろいろ妄想して面白いけどなあ(笑)。

 

 

 

 

 

日中に見たって面白くもなんともないこんな物件こそ、

夜向きなんですよ~。

 

 

 

 

 

まあ、夜に見たからって、

素晴らしい物件に変わるわけじゃないんだが。

 

 

 

 

 

さくっと、

車で通り抜けて、

 

 

 

 

 

北側へ。

ナトリウム灯って、LEDとは味わいが違うね~。ぼかぁ好きだな(笑)。

 

 

 

 

 

普段の交通量はわからないが、とりあえずこの時は一切車が通らなかった。まあ、深夜だし。

 

なのでー。

こんな戯れ写真を(笑)。

 

ああ、こういうの久しくやってないな~。

 

 

 

 

この後は長篠城近くの某所で車中泊した。

 

 

以上。

 

 

 

 

タイトル通りの気持ちなんだが、毎日毎日報道で見るものでねぇ…。キエフといえば…と思い出してここんとこしばしば脳内リフレインしてるので、もう記事にしちまおうと。

 

 

 

つうわけで、アメリカはテキサス州出身のバンド、WATCHTOWERのこの曲、

“Mayday in Kiev”。

 

脳内リフレインするような曲じゃないんだけれども(笑)。

 

チェルノブイリ原発事故を題材とした楽曲ながら、歌詞の内容的にまんま現在の緊迫した状況にも置き換えられそうな。実際ロシア軍がチェルノブイリを制圧してるとの報道があったからなあ…。

よって、“Mayday”は5月のメーデーではなく、無線用語で緊急事態を意味するほうのやつ。

 

 

反社顔負けなやり口で、世界中から止められても突っ走る男。これがまかり通ってしまったらこれからどうなるのかと思うと怖すぎる。西側諸国が介入できない以上は、なんとかロシア国内での自浄作用が働くことを願う。ロシア軍とロシア国民に望みを…。

 

 

 

 

 

さて、気を通り直して。

 

この曲は、3rdアルバム「CONTROL AND RESISTENCE」(1989年)に収録。

 

 

 

さて、WATCHTOWERといえば、プログレッシヴ・メタルのオリジネーターのひとつ。ロン・ジャーゾンベク(G)、ダグ・カイザー(B)、リック・コラルカ(Ds)という手練れの楽器隊によって紡がれる複雑怪奇でありつつもフックのある楽曲たちは圧巻、今回紹介した“Mayday in Kiev”も、イントロの明朗なベースラインが非常に印象に残る。3分15秒からの展開は鳥肌モン。

 

 

 

いや、ホントに。時事ネタじゃなくて音楽ネタでありたいのよ。…と書いてる今は2月28日の夜。記事がアップされる頃には、果たして?

 

 

 

 

 

【前回】までで旧道探索を終えたわたくし、最後にもうひとつ、気になっていたところへ。

 

 

 

はいこちら、

駐車スペースから北に分岐するこの道。その入り口にもなにやら石柱が立っているのには気づいていた。そして「卍」にも。

 

 

 

 

 

石柱に刻まれていた文字は、

「中興了源上人遺跡」。下の方にも何か刻まれていたが、判然としなかった。

 

 

 

 

 

舗装はすぐ先で途切れ、

そこにも案内が立っていた。

 

 

 

 

 

内容はよりはっきりと、

「了源上人ご殉難の地(阿山町指定文化財)」と。

 

ぶっ倒れている看板には「ここは了源上人がおなくなりになった聖地です。ゴミなどはぜったいすてないようにしましょう。」との注意喚起も。

 

 

 

 

 

なるほど、とそちらへ足を向けた。

 

ほんの50mなら、ちょっと行ってみようか…というのもあったし、

この道のたたずまいもね~。

 

おそらくこれが旧々道なんだろうな、と思えたし、実際まさにこの場所が、本来の桜峠なんだと思う。

 

 

 

 

 

峠の切り通しを抜けるとすぐに、

左手に先ほど案内されていたものであろう史跡が見えた。

 

 

 

 

 

まず入口左側に立てられていた解説看板。内容は各自お読みいただくとして、

「了源上人遭難の地」。さっきは「殉難」と表記されていたな。

 

 

 

 

 

対して、入口右側にある旧道 旧看板には、

「了源上人遷化の地」。さらに違う~。

 

遷化とはいかにも難解な言葉、わたくしも知らなかったので調べてみると…

 

【遷化 せん‐げ】

《この世の教化を終え、他の世に教化を移すの意》高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。

出典:小学館 デジタル大辞泉

 

つうことで、確かに亡くなったという事実だけを捉えれば、「遷化」で間違っていないと思う。対して、設置し直されたほうの「遭難」は、事件性を帯びた響きになる。そういう意図があったのかどうかは知らねど。

 

 

 

 

 

さらにさらに、一番新しそうな石碑には、

「了源上人ご殉難の地」。今度は「ご」がついて崇敬の念を出してきた。

 

「遭難」に対しての「殉難」だと、教えに殉じての死、すなわち仏教者として立派な亡くなり方だった、というニュアンスが込められてるのかな?

 

 

そんな表記の揺らぎが面白かったのだが、記事タイトルではどうしようか?としばし考えたものの、わたくしの好みにより「殉難の地」を採用した(笑)。

 

 

 

 

 

まあ、それはさておき、

何かのご縁でここに連れてこられた身、しばし手を合わせた。

 

 

 

 

 

旧々道はこの先ももちろん続いていたが、

この日はここまでとした。ちなみに1kmも歩かないうちに丸柱の集落に入るはずだ。

 

 

 

 

 

最後に、「了源上人殉難の地」全景を。

これまた非常に地味な史跡だが、手入れは実にしっかりとされていて、好ましかった。

 

 

 

 

 

そばにあったゴミ箱。

「護美箱」と書いたゴミ箱は絶滅したかと思っていたが(笑)。

 

よく見るとゴミ箱には、「佛光寺旧跡用」と書かれている。了源上人ゆかりの佛光寺の関係者が、今も掃除に来てたりするのだろうか?

 

 

 

 

 

ちなみに佛光寺は、京都市下京区にある、真宗佛光寺派の本山である。

観光寺院ではないので、広い境内はいつも落ち着いた雰囲気で気持ちがスッキリする、そんなお寺だ。

 

お寺のHPにも、もちろん了源上人は中興の祖として紹介されていた。冒頭の石柱も、おそらく佛光寺もしくは真宗門徒による建立と思われる。

 

 

 

 

…という、ちょっと異色な記事。適切なテーマ分けがなかったので「気になった社寺」を「気になった社寺や史跡など」に改めて、そこに入れることにする。

 

 

 

以上、廃道から高僧へと華麗なる展開で〆(笑)。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

旧道が丸柱川を渡る橋は、非常にシンプルだった。

上流側より。斜めに架かっているのがよくわかる。

 

 

 

 

 

ここらで降りてみた。

旧道の土留めは谷積み。昭和中期ごろ、ってとこかな。

 

 

 

 

 

で、この橋…

パッと見、桁と橋台が一体になってるように見えた。ラーメン橋か、もしかして?って。

 

 

 

 

 

地味な橋だが、

これ案外個性的なきがしてきたぞなもし。

 

 

 

 

 

コンクリートパイル橋脚の一本には、

「大同パイル」とあった。

 

 

 

 

 

下流側より。

こっち側で見ると、全然橋台と桁が一体なんかじゃなかった。桁橋だったか~。

 

 

 

 

 

路盤に復帰して、

橋を振り返り。

 

言うまでもなく、一切の情報は皆無。む~。

 

 

 

 

 

では進軍再開するが、

橋からすぐのところにこんな謎スペースが。

 

 

 

 

 

展望台?

んなわけあるか(笑)。見下ろせるのは丸柱川のささやかな流れのみ。謎や~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋から数十mで、

現道が見えてきた。左端に写っているのがそれだ。

 

 

 

 

 

けど、すぐには合流しない。

あくまで丸柱川に背くことなく、忠実に寄り添い続け…

 

 

 

 

 

やがて、現道が丸柱川を渡るのを見届けるように

合流。

 

 

 

 

 

その最後の数十mだけ、

舗装路面が復活していた。ここらだけ何かでたまに使われることがあるのかも。

 

 

 

 

 

現道より、合流地点を。

これも、改めて確認したらたかだか距離350mほどのプチ廃道だったけど、わたくし的にはかなり楽しめた。

 

 

 

 

 

上の写真でちょっと先に見えている、現道が丸柱川を渡る橋、お名前は

桜峠橋と。

 

なんかいかにもって感じ。旧道のあの橋の名前もこれだったとは、ちょっと思えないけど。実際どうなんだろうか。

 

 

 

 

 

お誕生日は、

「平成14年11月」。

 

ということは、この翌年かそのくらいには開通したのだろう。だとすれば、探索時点で旧道落ち後20年弱ほどだったことになる。廃化したのもほぼ同時だろな、きっと。

 

 

 

 

 

こんなとこ歩いてるやつはそうそう見ない。行き交う車から奇異の目で見られつつ…

戻ってまいりました~。

 

この県境の駐車スペース、二つの廃道パートの真ん中のちょうどいいとこにあって助かった~。

 

 

 

 

 

最後に、Google Map航空写真モードでどうぞ。

以上、県境を挟んだプチ廃道二本、ご紹介いたしました~。

 

 

 

 

【次回】は、実際の当日の流れどおり、旧々道をちょっと辿ってみたスピンオフを。

 

 

 

【滋賀県側】より続く。

 

 

 

前段を終えて駐車場所に戻ってきたわたくし。そのまま続いての探索に移行する際に「従是東三重縣管轄」標柱を発見してしばし観察&脱線。改めて、次なる旧道へ。

 

 

 

その入り口は、

三重県側に入った、あそこ。

 

 

 

 

 

前回と違って多少わかりにくいが、

同業者ならまず見落とすことはないだろう。

 

右手には丸柱川という川が流れており(ほぼ源流域だが、実際の源流は滋賀県内になるはず)、旧道はそれに沿っているのに対し、現道は山をパッカーンとオープンカットしてしまっている。

 

 

 

 

 

で、ここの旧道でひときわ目を引く遺構がさっそくお目見えしてるのだが、

これ!

 

山側にフェンス状に立てられているこの構造物、状況的に考えれば、H鋼の枠に整形した丸太を落とし込んで擁壁として供用されていたのだと思われるが、こういう構造物って他で見たことあったかなあ。あった気もするけど、思い出せない。

 

皆さまはどこかでご覧になったこと、ありますかね?

 

 

 

 

 

まあとにかく、

このゴツイ木製擁壁?は、非常に印象的な構造物だった。健全な姿も見てみたかった。

 

 

 

 

 

こちらも前回と同じく、

ストレートエンドにカーブミラー。その先にも、もう一本。

 

 

 

 

 

そこからの振り返りを見ると、

現道からストレートが続いているのがよくわかった。素敵な廃景だ~。

 

 

 

 

 

二つめのカーブミラー。

ここらもまた、いい雰囲気で。

 

 

 

 

 

正直なところ、もうちょっとうらぶれた(不法投棄ありまくりとか)廃道を想像して来たのだが、

こんなにしっとりと落ち着いた雰囲気とは。嬉しい誤算だった。

 

 

 

 

 

そして、見えてきた。この廃道で楽しみにしていたものが。

地図読みで橋があることはわかっていたのでね。果たしてどんなものか?

 

 

 

 

 

まああまり面白くはなさそうか、とか観察しながら、

再度登場の擁壁を愛でつつ、接近。

 

 

 

 

 

えー、これマジで

国道旧道の橋?親柱はおろか、欄干もないとか。

 

 

 

 

 

直進して突っ込まないように、

大型含め三本のデリニエーターで注意喚起。確かにこれなかったら、派手にコースアウトする危険性が高いなと。

 

 

 

 

 

下流側から。

橋脚は…コンクリートパイルか。

 

 

 

 

 

渡った先にも何か看板が…と見てみれば、

判読しづらいだろうが、交通標識じゃなく「オレンジシガ カントリークラブ」と。ゴルフ場コチラ、という案内だった。

 

わたくしゴルフは嗜まないんで調べてみたら、1984年開場の老舗?で、現在も営業中だった。この場所からは結構離れていて(道なりだと18kmほど)、今やもっと近くにも複数のゴルフ場が存在しているが、この看板が設置された当初はまだそれらはなかったのかもしれない。

 

 

 

 

せっかくだから、ちょっと降りてみようかね。

 

 

 

 

【後篇】に続く。