穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

干支ネタ第2弾。新年始まったばっかやのに「馬返し」って、追い返してどないすんねんって話ですな。

余談だが、元々予定してたネタが素掘り隧道で、「馬」って漢字が登場しないので、それじゃあちょっと弱いかぁ、ってことで急きょ登板のネタにつき、まあそのへんはご容赦を。

 

 

てなわけで今回も相当古い、2010年10月23日、第一次福井県遠征でのネタ。この日のネタで記事にしているのは、雄島隧道大内隧道二代目・下荒井隧道谷戸口トンネル長野ダム隧道大谷スノーシェルター。本日ご紹介するのは、下荒井隧道から40分後に訪ねた隧道。

 

 

まずはこれ。

いかにも昭和ミドルエイジな、コンクリートトンネル。

 

 

 

 

お名前はもちろん

「馬返しトンネル」。1975年7月って、あら、わたくしより年下やん。

 

 

 

 

扁額。

漢字とひらがな混在のトンネル名って、意外と珍しいな。間に「の」や「が」が入ってるパターンはあるけど。

 

 

 

 

さて、目的はこれだけではなくって、廃~、左側~。

しれっと、使われなくなった廃隧道が残っております。現在地このへん

 

ここはそれなりに有名物件で、すでに多くの人たちがレポートしている。なので特にわたくしも今さらやるつもりなかったんだが、こうして干支ネタで引っ張り出すことになった。

 

 

 

 

正対。

一見して狭い。現隧道と同じくコンクリポータルだが、意外や経年感は現トンネルとそう変わらない。

 

現場には銘板の類はなかったのだが、「平成16年度道路施設現況調査」によれば、昭和40年の完成。なんと、現トンネルよりたった11年早いだけだった。これはまた…。

 

 

調べてみたら、「市政大野」1976(昭和51年)8月1日号に、新トンネル開通を報じる記事があり、これが興味深かったのでぜひご覧いただきたい(→PDF)。これによると、昭和47年12月から工事が進められていた、とあるので、完成後11年どころか7年後にはもう一線を退く運命が決まったという、まあなんと短命な…。

 

その他、旧隧道は「奥越電源開発のための物資輸送用に作られた」とあるのが個人的新情報だった。確かに旧隧道の反対側付近には西勝原第一発電所関連の構造物や巨大な水圧鉄管などがあるんだが、同発電所自体はもっともっと古いようなので、この建設用ではなかった?

 

その少し上流側にある仏原ダムが昭和40年着工/同43年完成とのことなので、おそらくは直接的にはそれ用だったのかな?

 

 

 

 

扁額。

昭和40年完成ということで、時の県知事であった北栄造氏による揮毫。

 

電源開発のために作られたということで、北陸電力が掘ったのかと思ったけど、知事が揮毫するということは違うのかな?

 

 

 

 

古錆びた赤い鉄扉で封鎖されているが、

上部に開口部が。

 

とはいえここから侵入するのは梯子でもないと無理だろう。もちろん試してもいないけど。

 

同じく先述の「市政大野」の記事では、「旧トンネルは一時封鎖になりますが、将来自転車道路として利用していく計画になっています」とあり、現トンネル供用後しばらくは解放されていたのかもしれない。

 

 

さて、これ以上できることはないので、次は反対側を見に遺構…もとい、行こう。

 

 

 

 

現トンネルを抜け、広い路肩に駐車。

こちらは雪国あるある、スノーシェッドが付属。Q地図によれば、1998(平成10)年完成の「馬返第2スノーシェッド」。

 

幸い歩道っぽいスペースがあるので、これを進んでいく。

 

 

 

 

現トンネルまでにシェッドはより古いものに変わる。1982(昭和57)年完成の「馬返第1スノーシェッド」である。

ポータルはこの第1シェッドに隠されているが、この脇の切れ目から旧道に入ることができる。国道横断は注意!

 

 

 

 

数十m進めば、

見えてきた。

 

 

 

 

旧・馬返し隧道の東側ポータルに正対。

こちらは門タイプの鉄扉で閉鎖され、内部を視認することができた。

 

 

 

 

現在もこうなのかは不明だが、当時のわたくし、「立入禁止とは書かれてない」なんて屁理屈を振り回して乗り越えることはしなかった。

素直というより、単にビビって入れなかっただけだろうが、記憶が定かでない。

 

しかしこう見ると、すぐにでも使えそうな感じ。案外この直前まで「自転車道路として」使われていたんだろうか。

 

 

 

 

以下はおまけ。

 

隧道前からさらに延びる道があり、

これは旧々道にあたるが、ご覧のように手入れの行き届いためっちゃいい道。

 

 

 

 

これを進んでいくと、

左手に、ドーーンと!!

 

序盤に書いたとおり、これは西勝原第一発電所の豪壮な水圧鉄管。一見の価値あるかも。

 

 

 

 

で、右手の路外を見下ろすと、こうなっている。

めっちゃカッコよくない?(語彙 

水圧鉄管の降りた先が、西勝原第一発電所である。

 

 

 

 

そのそばには、

「奥越高原自然公園」の標柱。ここが現道時代…すなわち昭和30年代まで、ここは展望台的に整備されていた…のかもしれない。

 

ちなみにこの先も旧々道は続いて、旧隧道西側(5枚目写真)脇に至るはずだが、辿ってない。この区間をレポした記事を見た覚えがないなあ。以後R158は何度も通ってるが、今さら気になってきたな。

 

 

 

 

 

 

 

何と新春らしく豪華に、さらなるおまけ。

 

実は旧隧道前から旧々道に入ってすぐ、その路傍にあるのが、

こんな穴。実は7枚上の写真にもひっそり写ってるが、気づいてたかな?

 

 

 

 

「立入禁止」。

これは入れませんわ。

 

 

 

 

北陸電力名での看板が示すとおり、

これ実は、あの水圧鉄管点検のための冬季歩廊のようだった。名うての豪雪地帯だけに。

 

 

 

 

なぜなら旧々道に沿って、

こんな感じで冬季歩廊は続いていて、6枚上の写真左端のところへつながっていたから、間違いないだろう。

 

今行ったら、この何倍も写真撮ってるだろうな~。

 

 

 

 

なんか、単なる干支ネタ要員だったはずが、

めっちゃ長い(当社比)記事になってしまった。

 

でもこのあたり、楽しめる物件多数だから、改めてきっちり訪問し直したいな。

 

 

 

以上。

 

 

さて、例年恒例の干支ネタ記事。今年は2件をご用意しております。ほんとは干支どおり「午」の文字でやりたいんだけど、悲しいかな手持ちがないので、ベタに「馬」で。意外とたくさんあった。

 

 

で、1件目はストレートに「馬橋」であります。撮影は古く、2010年1月11日。ほぼ16年前だが、橋の姿はほぼ今も変わりない。

 

 

さっそく、ドン。現在地こちら

やたら左側の高欄だけ白く見えるが、実際は右側同様にいい具合に草臥れている。

 

いきなり余談だが、橋自体は変わりないものの、向こうに見えてるスリップ注意標識は現存しない。どうでもいい?

 

 

 

 

お名前はもちろん、

「馬橋」。

 

なぜか、これ以外の親柱を一切撮ってない当時のわたくし。さすがに他の親柱には何の情報もなかったからだ…と信じたい。

 

 

 

 

どうかね、この渋い高欄。

Q地図によれば、完成年は1954(昭和29)年だそうだ。

 

 

 

 

渡って北側より。

こっちは片方の親柱が失われていた。

 

 

ちなみにこの道は市道大原25号線というのだが、わたくし幼少のころは国道367号現道だった。当時ウチの畑が滋賀県の湖西にあって、よく左京区の家から途中越えで行ってたのだが、その際に通るのがここだった。

琵琶湖への湖水浴客、そして若狭方面への海水浴客もすべてこの道を通ってたもんだから、夏場とか離合困難でえらい渋滞になってたりしたなあ。特に1枚目写真の奥あたり、狭かったし。

 

まあ懐かしの昔ばなしですわ…。

 

 

 

 

サイドビュー。

いかにも当時のわたくしらしい、パッとせん写真でスマン。

 

 

 

 

ただ、

すぐ脇に残る先代橋?の石積橋台には気づいたもよう。橋台のサイズから、おのずと道の規格が推し量れる。

 

 

この後も何度かこの橋は通りかかってるが、撮影し直したことはない。ほんとに他の親柱には情報がなかったのか、気になってきた(笑)。

 

 

 

以上。次回もういっちょ「馬」ネタ予定。

 

 

 

明けました!

皆さま、本年もよろしくお願いいたします!

 

 

今年は午年、新年恒例の干支ネタは2題予定しております。

そのあと、いつやるかは未定ながら、ちょっと新しい試み…でもないか、温故知新な企画をやってみようかな~なんて思っております、今のところ。まあ気が変わってやらないかもしれないけど。

 

そんな感じで、今年も隔日更新ペースでやっていけたらと、こう思っております。どうぞ、引き続きお付き合いのほど。

 

 

今年も例年同様、1年を振り返る日がやってきました~。これが、今年最後の投稿でございます。

 

 

なんか冬っぽい曲…で思い出したのがこちら、大瀧詠一さんの名曲「さらばシベリア鉄道」。

以前もどっかで記事にした気がするんだけど、まあいいか。気のせいかもしれない。そういや、奇しくも本日は大瀧さんの命日ですね。

 

 

さて、振り返ろうにも…シケた1年でしたわ。特に前半ときたら…。まあ無理くり振り返ってみますか。

 

 

 

 

昨年(2024年)末に3度目の左目手術をした影響で、年末年始にかけて最悪な状況だった。初詣はもちろん、実家にも行かず。左目は大きく腫れ、痛みとともにずーっと涙が出続け、しかも連夜のうつぶせ寝。腫れと痛みは1ヶ月くらい、うつぶせ寝は4月くらいまで続いたかな。

 

ちなみに、目は今も完治しておりません。年明けにまた経過観察の診断を受けて、そこで何ら動きがあるのかないのか。もう慣れたし。一生このままでも仕方ないな、って覚悟はね、もう結構早い段階でしちゃってるので、そこまで悲壮感はないです。

 

 

 

この頃の印象に残ってるお出かけはこれ。

 

 

 

あと、大阪万博に行きましたな。

 

このふたつは楽しかった~。

 

 

 

今年前半は、基本的に何もなし。ひたすら職場と家の往復で、休みの日はたまに数時間程度近場を散歩したりした程度。いやもう、ストレス溜まった溜まった(笑)。万博はもっと行ってもよかったけどな~。

 

 

 

そんな中、この時期唯一にして最大の心のよりどころだった、6月20日のBAND-MAIDライヴ。

 

さすがにオールスタンディングで3時間は大変だったけど、最&高!地蔵野郎のせいで完全に心身全開放!とはいかなかったものの、これを楽しみに春から初夏を乗り切ってたな~。

 

 

 

思えばこの時期は、活動再開のための地ならし期間だった感じですな。わたくしの心身もだし、奥様が安心して送り出してくれるように、運転その他を問題なくできると承知してもらうため、みたいな。ざっくり言えば。

 

 

 

 

活動再開のささやかな第一歩は、これだった。

 

暑さにバテて、もっと回りたかったのにちょっと消化不良ではあったけど、1年近くぶりの趣味活のみでのお出かけ、とっても楽しかった。

 

 

 

その勢いで敢行したこれ。

 

この時に、高速道路の夜間走行・狭小路の走行・それなりにまとまった距離の運転といった課題(笑)をクリアし、もう完全にイケるな、と自信を深めた…ってか、自分ではとっくにそう思ってたけど、奥様にもそう認識してもらえたかな、って。

 

 

 

8月頭には、年イチペースで起こるビッグウェーブ到来。今回も「狂小屋」でした~。

 

 

 

 

 

そして9月、遂に本格再始動となる、YHST周遊を敢行。待ちに待った!

 

 

 

この時初めて、遠征時の泊まりでホテルを利用した。奥様のおごりで、無理せず泊まれと。優しい~(笑)。いや、確かにいいもんですな。ベッドで眠れるから身体もほぐれるし。

 

 

 

 

10月頭には、人生初の。

 

いい経験をした。

 

 

 

11月中旬、ブログには書かなかったけど、我々兄弟姉妹(ウチは4人きょうだいなのです、当然全員老人ですけど)で老母と1泊旅行に。めっちゃ近場だったけど、岡山と千葉にいる姉たちにとっては遠出ね。

 

 

 

そして12月半ば、記憶に新しい活動再開第2弾の遠征。当然楽しかった!

 

 

 

遠征って近場やん、って思った方、泊りを含むものはすべて遠征って呼んでます、わたくし。今回はホテルじゃなく1年4ヶ月ぶりの車中泊。

 

 

 

 

うーーーーーん、なんか書き忘れてる気がするんだが、思い出せない~。まあいいか。

 

 

 

 

 

こうして振り返ると、今年前半は暗黒期だったはずが、それでも振り返りに載せるようなイベントが3つもあったのは意外。「全然眠れなかったと思っている時間の7割は、実は寝てるらしいよ」って以前どっかで聞いたんだが、そういう感じなのかな(なんじゃそれ)

 

 

活動再開後、もっと趣味活で出かけたかったけど、なかなかうまくいかなかったのが残念だった。来年はもうちょい頻度を上げられたらいいなあ~。あと、たまには同業の仲間とご一緒したい。

 

 

 

 

それでは皆さま、本年もお世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください!

 

 

【16】より続く。

 

 

5号隧道からは、ほんの2~3分。

最奥の6号隧道に、遂に到達した。時刻は16時11分。

 

 

大塔川遡上の旅、その起点とも言うべきかつての林鉄起点である広瀬土場を発ったのが、8時25分だった。もちろんこの間、およそ5時間かけた黒蔵谷へなちょこアタックを挟んでいるのだが、それでも遡上(と撮影)だけで2時間50分近くかかったわけだ。

 

それはもちろん、パンクを恐れて超慎重に進んできたという事情があるんだけど、ともあれ「ようやく!」感は大変強かった。やっと着いた~!

 

 

まず往路は無事。が、同じ道のりをまた延々と戻っていくわけだから、復路も緊張を解くことはできない。

 

 

 

 

まあとりあえずは、ようやくたどり着いた最終ターゲットを愛でよう。

まずはこの断崖っぷりにうっとりしながら、

 

 

 

 

のぞいた洞内は

当然、完全素掘り。

 

山深いので、明るさはすでに夕暮れレベル。いや、焦らせないで~。

 

 

 

 

最奥の、鉄板の構図。

いや~沁みる~。

 

 

 

 

そして振り返りの、最奥の坑口。

いや~、思えば遠くへ来たもんだ~。

 

現在地はこのへん。当日はよくわかってなかったが、広瀬土場で通行止めが予告されていた弘法杉林道の分岐まで残すところ約1kmほどのところ。なんとか6本の隧道すべてを押さえることができた。

 

 

 

 

隧道手前に置きっぱにしていたノートさん。

ハイビームね。このへん、ひときわ薄暗かった気がするな~。

 

 

 

 

この後ノートさんを動かしてさらにちょっと進み、転回してきた。この「真の最奥到達点」の写真はなし。

 

そして~、

 

最奥記念?この日初めて隧道に入れての記念撮影!よく頑張った。

 

 

 

 

最後に、奥地方向を一瞥。

消耗したけど楽しかった!

 

 

 

 

さあ復路。

気を引き締めて戻ろう。時刻は16時18分(ナビの表示との違いは気にしないで)

 

 

 

 

もちろん油断することなく、慎重に慎重に戻っていったのだが、ここで、もはやだれ一人覚えてないであろう伏線を回収しよう。時刻は17時8分。

 

【3】の末尾で書いた、つゞら谷橋たもとでわたくしを抜いていった1台の車。それが、

突如前方に現れた。

 

 

わたくしに先行して奥地方向へと向かったはずだが、あの後一度も(というか、いかなる他者とも)出会うことはなかった。それが往路で前に現れたってことは、黒蔵谷へなちょこアタックで車を離れている間に奥地方向から戻ってきていたのに違いない。

 

まあそれはともかく、けっこうなスロー走行をしていて、1人はそれに伴走するように道を歩いてる。これに追いついた時は、正直「チッ」って思っちゃった。なにをトロトロやっとんねん、こっちは早く人里に帰り着いてホッとひと息入れたいねん、って。

 

 

と、伴走していた人がこっちへ向かってきた。おっと…なによ?なんなのよ?と突然ビビり始めるわたくし。しかし、彼の言葉に思わず背筋が凍ったね。

 

 

 

 

 

「すいません、

パンクしてしもて~」

 

わわわわ…

 

 

 

 

わたくしがずっと恐れて、精一杯避け続けてきたパンク。やっぱり~。そうなのよ、この道やっぱりヤバかったのよ~。写真ではチョロく見えるんだろうが…。

 

お気の毒だが向こうは2人おられることだし、わたくしにできることもなさそう。それに、幸いにもすでにだいぶ下ってきており、静川の集落までさほど距離もない。路肩に寄せてくださったので、とりあえず追い抜かせてもらった。どうぞご無事で…。

 

わたくしがああなっていた可能性も十二分にある。あー怖かった…。

 

 

 

 

17時13分、無事に旧・静川小学校手前まで戻ってきた(ここ)

さすがにどこにも立ち寄らなければ、慎重に走っても小一時間。日の長い季節であることも幸いして、全然明るい内にここまで戻ってこれた。パンクに関してはもう安心だろう。広い路肩に停めて、大きくひと息、ふぅ~~っと。

 

楽しけれども神経摩滅…な大塔川遡上の旅は、何とか無事に終えることができた。

 

 

 

 

最後に、ご紹介したい記事がある。五位堂さんのサイト「Frost Moon Project」より、「大塔森林鉄道のインクライン跡と大塔支線」。

 

 

直接本連載に関係する部分はそれほどないけど、基本情報含めてこの連載で大いに参考にさせていただいた。そうそう、内容はこちらのほうがよほど濃い(笑)。もちろん黒蔵谷の驚くべく情報のことも。感謝。

 

 

 

 

朝からこの時間まで、大塔川に沿った林道を遡って、多くの橋と隧道を愛でることができた。とにかく楽しかったが、パンクへの恐れからずーっと気は張っていた…が、それでも楽しかった(笑)。

 

記事にするにあたり、この道程をうまく形容できずに悩んだ結果、こんな変なタイトルになった。ダラダラと長い連載だったがなんとか年内にやり終えることができて良かった。

 

 

以上、完結。