穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

このたび網膜剥離を患ったわけですが、改めて、先日の記事に温かいコメントやいいね!をいただいた皆様に御礼申し上げます。横着にもコメントへの返答を個別にでなくまとめてしてしまいましたが、本当にありがとうございました。

 

今回は、その後の経過など。

 

 

本日23日に術後の検査に行き、経過は順調とのことで、現時点ではまだ左目は視界の上半分ほどがぼんやりと見えている程度ながら、まずはホッとしてます。次回は30日に再度検査を受け、順調であれば今度は右目の白内障手術を9月初旬に受ける運びに。

 

実は左目、網膜剥離手術と併せて白内障手術も受けてた。それが落ち着いたら右もやっちゃいましょうということで説明は受けてたので、まあ予定通りの流れというか。

そちらは日帰り手術らしいが、何にせよやはり仕事復帰は9月へずれ込むこと確定ですな。

 

術後何がつらいって、常にうつむき姿勢をキープしないといけないこと。技術的なことはわからないけど、ガスを注入して網膜を定着させるために、そうする必要があるのですって。眠る時ももちろんそうなので、うつ伏せかあるいは左向きの側臥位で寝ないとなんだが、わたくし元来仰向きで寝る人なので、これが結構なストレスで…。まあ頑張るしかないっすな。

 

 

…って感じなんだが、ひとつだけ書いとくと、やっぱり直接眼球をいじくる(言い方よ)ってことで、恐怖感はなかなかのものがあった。たぶん30~40分くらいの手術だったんだろうと思うけど、ぐったり疲れましたあ~。

まあ事前に言われていたとおり術中の強い痛みなどはほとんどなく、その点ではありがたかったけれど、麻酔が効いていたってやっぱり「感じる」じゃないすか、眼球になにか刺さってる感じとか。気持ち悪かったなあ…。

 

 

てなわけで繰り返しになりますが、皆様方に置かれましては、目に限らず身体の違和感は早めの対処をお勧めいたしますよ。

 

 

 

まあそれだけで終わるのもアレなんで、

木曾御嶽王滝口五合目に鎮座する八海山神社のご紹介を…ってほどでもないんだが。場所はこちら

 

 

 

 

 

ここは眼病平癒のご神徳がある神社で、

鳥居脇にはこんな石碑が。

 

 

 

 

 

「見つめる眼」ってどんなの?

こんなのだ!

 

超人バロム1のドルゲ魔人にこんなんいなかったか…とか不謹慎なことを言ってはいけない。わたくしせめて、16年も前に撮ったこの写真に祈りをささげるしかないっていうのに。

 

「はやくよくなりますように」っとね。

 

 

 

 

ここ数年一切触れたことがない(特に意図はない)んでご存じない方も多かろうが、わたくし学生時代には毎年木曽御嶽の王滝頂上奥社社務所で夏山バイトをしていた(拙ブログをよく見るとそれっぽいテーマ分けを発見できると思う)。ここ八海山神社も、御嶽神社の社のひとつである。

 

上の写真を撮った2008年の夏以来、お山へ帰ることができていないわけだが、平成の大噴火からでも来月ではや10年。またあの美しいお山を訪ねたい気持ちがある。体力的にはまだなんとか行けるんじゃないかと思うので、出来れば来夏にでも…。

 

その暁には、ここ八海山大神にもお礼参りができればと思う。

 

 

 

 

 

…っていう実によくわからん記事だが、一応「気になった社寺や史跡など」テーマで上げまする。

 

 

 

2010年7月18日、第四次房総探索。この日のネタで記事にしているのは、観音隧道諸崩隧道四町作第一隧道西日笠の謎の狭隘区間蔵玉隧道大沢港隧道

今宵ご紹介するのは、大沢港隧道に続いて訪ねた物件…というかなんというか、タイトル見ればお察しよねと。実は今も宿題として残している因縁の場所である。

 

 

国道128号を少し外れて

こんな場所に車を停めた。場所はこちら

 

上に上がっていく道があるが、Aバリで塞がれている。その先に…実は見えているんだが、まあそれは後ほど。

 

 

 

 

 

上がって左手の方にあったのが、

こんな施設。

 

 

 

 

 

特徴的な屋根だが、

傷みが目立っていた。訪問から14年が経過した2024年現在ではもっと朽ち果てていることだろう。

 

タイトルでも書いちゃっているが、ここは2001年8月に閉園となったレジャー施設・行川アイランドの入り口にあたり、国道からは特に厳重な封鎖措置があるでもなく、普通に入って来れた。この朽ちつつあった施設は入場券売り場だったもの。

 

 

 

 

 

それぞれに時代を感じさせる切符売り場と、かつての改札口のようなもぎり場。

もぎり場だけがポツンとあるが、ロープパーテーション的なもので入場/退場ルートが分けられていたんだろうか。

 

 

 

 

 

そして上の写真で右手背後、最初の写真で正面奥にあるのが、

こちらのトンネル。さすがに厳重に封鎖されており、進入は不可能だ。

 

 

 

 

 

ちゃんと一文字ずつのパネルで、

「行川アイランド」と。赤で塗られた文字はこの時にはまだそれなりに色鮮やかだった。

 

 

 

 

 

隙間から覗いた洞内。

オールコンクリで、壁面に取り付けられているのは照明か?もちろん点灯はしていなかったが。カバーは当園のトレードマーク的存在だったフラミンゴがモチーフだろうか。

 

 

 

もちろんめっちゃ入りたかったが、入れるとは思ってなかったし落胆もなく、この場を後にした。が、

 

その後、遅まきながらこの奥の園内には地理院地図でも複数のトンネルが描かれていることを知り、無性に気になっていた。さらにひょんなことから別ルートでのアプローチが可能らしいことを知り、改めて攻略したい気持ちがふつふつと。

 

なので、2023年3月14日に敢行した11年ぶりに房総を暴走ツアーでは、実はこここそがメインターゲットだった…のだが、そのダイジェストに書いてるように時間配分がうまくいかず、無念の時間切れ断念。これは悔しかった。やっぱ最後にメインターゲットを持ってくるのは悪手だなあと今さらながらに…。

 

 

 

つうわけで、果たしてまたの機会はあるのか?もうなさそうな気がムンムンするが…(笑)。

 

 

 

 
8月初旬ごろ、左目の視界に微妙な違和感を覚え始めた。視界の下のギリギリのあたりに、なにか異物が写りこんでいるような。まぶたが腫れたりした経験のある方ならわかると思うが、視界の隅っこ腫れたまぶたが写りこんで見えたりするじゃないですか。あんな感じ。
 
でも今回は視界の下、そして腫れるでもなく、また痛い、かゆい、涙が出るなんていうあらゆる自覚症状がなかったので、なんだこれ?と思いながら放置してたんですね。
 
仕事にかまけて放置すること約10日、気づけば視界の違和感は大きくなってきていて、なんかこれ…よろしくないよなあ、と思った時には、医療機関はお盆休みに入ってしまってました。
それでもちょっと足を延ばせば、お盆中でも開いている医療機関はあったので、まあいわばこの時点でも甘く見てたわけですな。
 
で、8月17日の朝イチ、近所の眼科の再開とともに検査してもらった結果…

こういうことでしたのよ。
 
申し訳ないけど、自分の目よりも大事なものは現時点でナッシング。検査を終えて仕事に行ったら、すぐさま自分が休めるように手配しましたよ。スタッフさんや同僚の温かい協力のおかげで、とりあえず今月いっぱいは出勤せずに済むことになりました。
 
この記事が公開される8月19日に、改めて紹介状を携えて別の医療機関へ行くので、本記事公開時にはもう手術日程が決まっているはず。見込みとして1~2泊の入院とその後に1~2週間の自宅安静期間が必要と聞いてますが、ネットでいろいろ見ていたら、自宅安静期間がもっと長くなる可能性もあるのかなと。
 
急いで仕事復帰した挙句に再剥離して、結局めっちゃ長引いた!みたいな経験談を見るにつけ、わたくししっかりと先生の言うことを聞いて、拙速な仕事復帰はすまいと決意しております。そこまで仕事への情熱があるわけでもないんで(笑)。
 
 
そんなわけで、網膜剝離になりました。これを書いてる現在、左目の視界下半分がない状況で、いやおうなしに心ざわめく(笑)。いやあ、もうこのトシになったら、違和感を感じたらさっさと受診するに限りますわ、ホントに。
 
マジですよ、ご同輩のおっさん、おばはんの皆様(笑)。
 
 
 
眼のことはともかく、連日過酷な残暑が続いております。皆様もどうか、ご自愛ください。
 
 
 

【前篇】より続く。

 

 

 

つうわけで、現橋へ。

こちらは宇陀市道、路線名は小和田本線。で、こちらもそれなりに年季の入った橋。そして今の目で見れば「あの特徴」があるなあ。当時は気にしなかったけど。

 

 

 

 

 

左側の親柱は

「四郷川」。

 

 

 

 

 

で右側の親柱に…ようやく!

「神縄橋」。お名前キターー!

 

 

 

 

 

その名も神縄橋、上流側からのサイド気味アングルで。

先ほど書いた「あの特徴」…おわかりだろうか?

 

 

 

 

 

それがこちら、

箱型ガードレールの欄干…と旧橋のツーショット。

 

 

 

 


当時は(実は今もそれほど…)箱型とかのっぺりとかって意識してなかったので、現場でおおっ!となることはなかったのだが、

この神縄橋、なかなか端正でいのじゃないか。

 

箱型ガードレール、けっこうレアなようだが上記のとおりあまり意識してこなかったので、記事にしてない橋を含め、改めてよく見たら箱型だった、って橋がいくつかあった。…のだが、また忘却してしまった(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、この橋の読み方だが、

「かんじょうばし」というのだった。

 

結局お誕生日情報がなかったのだが、Q地図によれば1970(昭和45)年完成とのこと。

 

 

 

 

 

てことで当然、

この旧橋(でいいのよね?)はそれより古いわけで、見た目的には戦前…もしかして大正橋梁もあるかな、という印象。

 

 

 

 

 

Q地図様…てか地理院地図を見ていただきたい。

旧橋を渡った四郷川右岸には点線道が描かれている。【前篇】最後にご紹介した、旧橋と現橋たもとを結んでいたはずの道はその一部なわけだが、その道は南に向かって現橋のたもとで二手に分岐している。

 

いつもどおりに単なる推測だが、これらの道が県道、市道よりも古くから存在しており、旧橋はその世代の橋なのではないかな…という、そのまんまやないかーい(笑)。

 

 

 

 

 

まあとりあえず、

少し離れて並列する新旧の橋、その雰囲気は大変宜しかった。

 

本記事執筆時点で確認したところ、2023年7月のストビューではほぼこの訪問時と同じ様子で健在。でもこの手の物件はいつどうなるかわかったもんじゃないので、機会があればしばらくぶりに会いに行きたくなってきた。

 

 

 

以上。

 

 

 

2018年10月14日、川上村に残した宿題ふたつ(「林道中奥線の端点を目指して」「大鯛木馬道探索記」)を一気に片付けた帰りに立ち寄った物件から印象深かったものをご紹介。

 

 

それは事前にはまったくノーマークで、

奈良県道135号宇太三茶屋線を北上中、通りすがりに発見して緊急停止。現在地こちら

 

 

 

 

 

県道側から正対。

一見してわかる、古い橋。橋上はもはや、舗装されてたのかどうかさえも判別できない。

 

 

 

 

 

親柱をチェックするも、

木製の銘板は朽ちかけで文字などはまったく読み取れない。

 

 

 

 

 

右側の親柱には何も残っておらず、

お名前もわからず。

 

 

 

 

 

どうやら位置関係的に、

向こうの橋の旧橋ではないかと思われたので、後で向こうも調べよう。

 

 

 

 

 

ちなみに川の名前は四郷川で、

こちら下流側。

 

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

雰囲気イイねぇ~。

 

 

 

 

 

こちら側も親柱は、

この感じ。

 

もう一方の親柱にも情報なく、撃沈。でも木製銘板がこんだけよく残っているのもある意味極めて珍しいな。

 

 

 

 

 

下流側よりサイドアングル。

いや~雰囲気イイねぇ~。

 

 

 

 

 

そして道は明らかに、

現橋と思われる橋を擁する市道へ合流する方向にのびていた。

 

 

 

 

 

やはり旧橋か。ならばこのまま現橋へと回ろう…と思っていたら。

あららら、獣害フェンス的なものでシャットアウト。しかも現道との間には別の川が流れていて、こっからでは行けない。

 

かつてはもう一本の橋があったのか?でも橋が二本も必要な道の付け方をするかなあ。それは不自然か…。

 

 

 

まあとりあえず橋を渡り返し、上流側の現橋へ行ってみよう。

 

 

 

 

【後篇】に続く。