穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2025年12月12日、初めまして&お久しぶりツアー2日目。初めてやるこの日のネタは、いきなりメインターゲットを。こういうの、わたくしには比較的珍しい。

 

 

 

そのファーストコンタクトがこちら。

ご覧のように欄干がない、シンプルな橋。場所はこちら

 

 

 

 

これはストビューで見つけて、こんな市街地に冠水橋スタイルの橋?とか思って見に来たのだが、

わたくしここに至るまでわかってなかった。こ、これはもしかして…

 

 

 

 

おもむろに正対して、

あー、やっぱりだ!

 

 

 

 

ストビューではコンクリ桁と見えてたのは、

なんと石だった!

 

 

 

 

改めて、全体がよく見える逆サイドから観察して、やっぱり!

橋脚、桁、床版。そのすべてが石でできた、総石造桁橋だった!

 

手前の1.5径間ほどが、嵩上げされたとおぼしき町道との擦り付けのためスロープが後付けされているが、床版上にそのままコンクリを盛るっていうインスタント施工のおかげで、オリジナル部分が生きてるのがありがたい。そして、両岸の石積み橋台も。

 

石橋王国たる九州ならいざ知らず、寺社由来でない道路橋としての石橋は、けっこうなレアもの。そして九州においても、その多くはアーチ橋。こうした5径間にも及ぶ総石造桁橋(しかも明らかに四輪自動車を想定していない規格の道路橋)ともなれば…。

 

 

 

これ、けっこうなお宝物件なんじゃ?

 

 

 

 

さっそく渡ってみた。

きれいに整形された石の床版。コンディション極めて良好。

 

 

 

 

振り返って、後付けのスロープを。

だいぶ嵩上げされてるな。載っけただけのアスファルトがなんとも…。

 

 

 

 

このスロープ部分にだけは欄干…いや、手すりが設置されているが、

あとは丸裸!

 

 

 

 

超シンプルな橋…というよりも、

転落防止という概念がない。そんな時代の橋?ってことなのか?

 

 

 

 

改めて、この橋の場所を確認しておく。

JR紀伊長島駅の至近に、ちょろっと剃り残しのヒゲみたいに描かれているのがそれだ。橋の先、線路で行き止まっていることも覚えておいていただきたい。

 

親柱などないため、現地には何の情報もなし。帰って調べたものの、Q地図でも全国地価マップでも、この橋に関する情報は皆無だった。が、これだけ立派な石橋、間違っても新しいはずはない、と、古地図を探してみた。

 

 

あいにく紀北町は今昔マップでカバーされていない地域。なので、ひなたGISの「日本版MapWarper5万分の1」で見てみたら…

あったよ。同じ位置に橋の表記が。

 

この地図はスタンフォード大学が所蔵する古地図で、日本帝国陸軍が明治40年代に測量、大正~昭和初期に修正された5万分の1の地形図。

紀伊長島駅の開業は遅く、1930(昭和5)年。それが描かれているということは、遅くとも昭和5年時点の修正が反映されているってことで、その時点でここに橋があったのは確実。

そして総石造というクラシカルな仕様を踏まえると、そこに描かれているのが、すなわち現存しているこの橋そのもの、という確率は高いと思われる。

 

いや実際のところ、測量された明治の終わりごろには、すでに在ったのでは…という浪漫。

 

 

 

 

橋の先は

そのまま道が続くが、

 

 

 

 

地理院地図の示すとおり、

紀勢本線に行き当たって終わっていた。

 

でもたぶん紀勢本線建設で寸断されるまでは、この先まで続いていたのだと思う。さっき上げた地理院地図で青に塗った道、線路を挟んでこの道に続きっぽいところにあるけど、たぶんそうよね。ただ、縮尺の細かい古地図が見つかっていないためなんとも…。

 

ただ、こんなに停車場の近くを通る道だから、踏切なりなんなり線路を渡れるようになっていたと思われる…んだが、確証を得られるような痕跡は見られなかった。

 

 

 

 

同じ場所で振り返り。

今はこの場所まで来ることができるだけの、無用な道となってしまっている。その割にはきれいに刈り払われているのも何か謎だが…。

 

 

 

 

舐めるように観察。

 

さすがに舐めはしなかったが、頬ずりはしたかな、たぶん。

 

ああ、素性が知りたい、この橋の。

 

 

 

 

橋上から、東側に架かる橋を望む。

現在はこの橋が、紀伊長島駅方面への近道として機能している。ただそれも歩行者・自転車のみ。車だと西側からぐるっと大回りする必要がある。

 
あの橋も実はナカナカなんだが、またいつかの機会に記事にする…かも。
 
 
 
 
改めて全景。

古くからのお客様はご存じかもしれないが、水に映った自分のシルエット自撮りが趣味なので、ここで1枚。

 

 

 

 

最後に、西側から引きで。

なんかあの橋だけ別世界にあるような、そんな感じ、しないか?

 

紀北町役場からも500mほど、紀伊長島駅至近という立地ながら直接的なアプローチもなく、驚くほど忘れ去られたようなこの橋。少なくとも我々の業界的にだけでも、もっと知られていいのではないかと。

 

 

 

以上。

 

 

今回から通常進行。まずはネタのローテーション的にちょっとしばらくぶりなバス停ネタ。

 

 

はい、ドン。

場所はこちら

 

 

これは2020年6月10日、「鹿児島超タイト駆け足周遊」で出会ったバス停。まあ通りすがりで、なんか字面が気に入ったので思わず停まって撮ったんだが、鹿児島県内ではけっこう「●●三文字」って名前のバス停や交差点名を見た。どうやらいわゆる「三叉路」のことを鹿児島ではこう呼ぶみたいで、ご当地言葉ですな。

 

 

 

特に意味なく別アングル。

今さら気づいたんだが、背後の落ち葉に埋もれた看板の文字が「不審者」で、その見え方自体が不審者っぽくてウケた。決して向こうの議員さんではない、よね?

 

 

 

ちなみに、この日のネタで記事にしているのは、滝見橋開聞トンネル飯牟禮隧道神園隧道開聞トンネルと神園隧道の記事、未読の方はぜひ。割と気に入ってる記事だったりするんで。

 

 

 

 

以上。

 

 

干支ネタ第2弾。新年始まったばっかやのに「馬返し」って、追い返してどないすんねんって話ですな。

余談だが、元々予定してたネタが素掘り隧道で、「馬」って漢字が登場しないので、それじゃあちょっと弱いかぁ、ってことで急きょ登板のネタにつき、まあそのへんはご容赦を。

 

 

てなわけで今回も相当古い、2010年10月23日、第一次福井県遠征でのネタ。この日のネタで記事にしているのは、雄島隧道大内隧道二代目・下荒井隧道谷戸口トンネル長野ダム隧道大谷スノーシェルター。本日ご紹介するのは、下荒井隧道から40分後に訪ねた隧道。

 

 

まずはこれ。

いかにも昭和ミドルエイジな、コンクリートトンネル。

 

 

 

 

お名前はもちろん

「馬返しトンネル」。1975年7月って、あら、わたくしより年下やん。

 

 

 

 

扁額。

漢字とひらがな混在のトンネル名って、意外と珍しいな。間に「の」や「が」が入ってるパターンはあるけど。

 

 

 

 

さて、目的はこれだけではなくって、廃~、左側~。

しれっと、使われなくなった廃隧道が残っております。現在地このへん

 

ここはそれなりに有名物件で、すでに多くの人たちがレポートしている。なので特にわたくしも今さらやるつもりなかったんだが、こうして干支ネタで引っ張り出すことになった。

 

 

 

 

正対。

一見して狭い。現隧道と同じくコンクリポータルだが、意外や経年感は現トンネルとそう変わらない。

 

現場には銘板の類はなかったのだが、「平成16年度道路施設現況調査」によれば、昭和40年の完成。なんと、現トンネルよりたった11年早いだけだった。これはまた…。

 

 

調べてみたら、「市政大野」1976(昭和51年)8月1日号に、新トンネル開通を報じる記事があり、これが興味深かったのでぜひご覧いただきたい(→PDF)。これによると、昭和47年12月から工事が進められていた、とあるので、完成後11年どころか7年後にはもう一線を退く運命が決まったという、まあなんと短命な…。

 

その他、旧隧道は「奥越電源開発のための物資輸送用に作られた」とあるのが個人的新情報だった。確かに旧隧道の反対側付近には西勝原第一発電所関連の構造物や巨大な水圧鉄管などがあるんだが、同発電所自体はもっともっと古いようなので、この建設用ではなかった?

 

その少し上流側にある仏原ダムが昭和40年着工/同43年完成とのことなので、おそらくは直接的にはそれ用だったのかな?

 

 

 

 

扁額。

昭和40年完成ということで、時の県知事であった北栄造氏による揮毫。

 

電源開発のために作られたということで、北陸電力が掘ったのかと思ったけど、知事が揮毫するということは違うのかな?

 

 

 

 

古錆びた赤い鉄扉で封鎖されているが、

上部に開口部が。

 

とはいえここから侵入するのは梯子でもないと無理だろう。もちろん試してもいないけど。

 

同じく先述の「市政大野」の記事では、「旧トンネルは一時封鎖になりますが、将来自転車道路として利用していく計画になっています」とあり、現トンネル供用後しばらくは解放されていたのかもしれない。

 

 

さて、これ以上できることはないので、次は反対側を見に遺構…もとい、行こう。

 

 

 

 

現トンネルを抜け、広い路肩に駐車。

こちらは雪国あるある、スノーシェッドが付属。Q地図によれば、1998(平成10)年完成の「馬返第2スノーシェッド」。

 

幸い歩道っぽいスペースがあるので、これを進んでいく。

 

 

 

 

現トンネルまでにシェッドはより古いものに変わる。1982(昭和57)年完成の「馬返第1スノーシェッド」である。

ポータルはこの第1シェッドに隠されているが、この脇の切れ目から旧道に入ることができる。国道横断は注意!

 

 

 

 

数十m進めば、

見えてきた。

 

 

 

 

旧・馬返し隧道の東側ポータルに正対。

こちらは門タイプの鉄扉で閉鎖され、内部を視認することができた。

 

 

 

 

現在もこうなのかは不明だが、当時のわたくし、「立入禁止とは書かれてない」なんて屁理屈を振り回して乗り越えることはしなかった。

素直というより、単にビビって入れなかっただけだろうが、記憶が定かでない。

 

しかしこう見ると、すぐにでも使えそうな感じ。案外この直前まで「自転車道路として」使われていたんだろうか。

 

 

 

 

以下はおまけ。

 

隧道前からさらに延びる道があり、

これは旧々道にあたるが、ご覧のように手入れの行き届いためっちゃいい道。

 

 

 

 

これを進んでいくと、

左手に、ドーーンと!!

 

序盤に書いたとおり、これは西勝原第一発電所の豪壮な水圧鉄管。一見の価値あるかも。

 

 

 

 

で、右手の路外を見下ろすと、こうなっている。

めっちゃカッコよくない?(語彙 

水圧鉄管の降りた先が、西勝原第一発電所である。

 

 

 

 

そのそばには、

「奥越高原自然公園」の標柱。ここが現道時代…すなわち昭和30年代まで、ここは展望台的に整備されていた…のかもしれない。

 

ちなみにこの先も旧々道は続いて、旧隧道西側(5枚目写真)脇に至るはずだが、辿ってない。この区間をレポした記事を見た覚えがないなあ。以後R158は何度も通ってるが、今さら気になってきたな。

 

 

 

 

 

 

 

何と新春らしく豪華に、さらなるおまけ。

 

実は旧隧道前から旧々道に入ってすぐ、その路傍にあるのが、

こんな穴。実は7枚上の写真にもひっそり写ってるが、気づいてたかな?

 

 

 

 

「立入禁止」。

これは入れませんわ。

 

 

 

 

北陸電力名での看板が示すとおり、

これ実は、あの水圧鉄管点検のための冬季歩廊のようだった。名うての豪雪地帯だけに。

 

 

 

 

なぜなら旧々道に沿って、

こんな感じで冬季歩廊は続いていて、6枚上の写真左端のところへつながっていたから、間違いないだろう。

 

今行ったら、この何倍も写真撮ってるだろうな~。

 

 

 

 

なんか、単なる干支ネタ要員だったはずが、

めっちゃ長い(当社比)記事になってしまった。

 

でもこのあたり、楽しめる物件多数だから、改めてきっちり訪問し直したいな。

 

 

 

以上。

 

 

さて、例年恒例の干支ネタ記事。今年は2件をご用意しております。ほんとは干支どおり「午」の文字でやりたいんだけど、悲しいかな手持ちがないので、ベタに「馬」で。意外とたくさんあった。

 

 

で、1件目はストレートに「馬橋」であります。撮影は古く、2010年1月11日。ほぼ16年前だが、橋の姿はほぼ今も変わりない。

 

 

さっそく、ドン。現在地こちら

やたら左側の高欄だけ白く見えるが、実際は右側同様にいい具合に草臥れている。

 

いきなり余談だが、橋自体は変わりないものの、向こうに見えてるスリップ注意標識は現存しない。どうでもいい?

 

 

 

 

お名前はもちろん、

「馬橋」。

 

なぜか、これ以外の親柱を一切撮ってない当時のわたくし。さすがに他の親柱には何の情報もなかったからだ…と信じたい。

 

 

 

 

どうかね、この渋い高欄。

Q地図によれば、完成年は1954(昭和29)年だそうだ。

 

 

 

 

渡って北側より。

こっちは片方の親柱が失われていた。

 

 

ちなみにこの道は市道大原25号線というのだが、わたくし幼少のころは国道367号現道だった。当時ウチの畑が滋賀県の湖西にあって、よく左京区の家から途中越えで行ってたのだが、その際に通るのがここだった。

琵琶湖への湖水浴客、そして若狭方面への海水浴客もすべてこの道を通ってたもんだから、夏場とか離合困難でえらい渋滞になってたりしたなあ。特に1枚目写真の奥あたり、狭かったし。

 

まあ懐かしの昔ばなしですわ…。

 

 

 

 

サイドビュー。

いかにも当時のわたくしらしい、パッとせん写真でスマン。

 

 

 

 

ただ、

すぐ脇に残る先代橋?の石積橋台には気づいたもよう。橋台のサイズから、おのずと道の規格が推し量れる。

 

 

この後も何度かこの橋は通りかかってるが、撮影し直したことはない。ほんとに他の親柱には情報がなかったのか、気になってきた(笑)。

 

 

 

以上。次回もういっちょ「馬」ネタ予定。

 

 

 

明けました!

皆さま、本年もよろしくお願いいたします!

 

 

今年は午年、新年恒例の干支ネタは2題予定しております。

そのあと、いつやるかは未定ながら、ちょっと新しい試み…でもないか、温故知新な企画をやってみようかな~なんて思っております、今のところ。まあ気が変わってやらないかもしれないけど。

 

そんな感じで、今年も隔日更新ペースでやっていけたらと、こう思っております。どうぞ、引き続きお付き合いのほど。