穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2025年9月25日、本格再始動のYHST周遊2日目。この日のネタで記事にしているのは、引込線橋と最終物件の前橋。今宵ご紹介するのは、引込線橋から3時間後に通りすがった隧。

 

 

通りすがったっていうのは、実は今回のネタのある場所は、当初通行する予定がなかったところだった。それが幸か不幸か道間違いをやらかした結果、通ることになり、そして出逢ったと。

 

 

まずはこれ。

これは通り抜けてから停車して撮ったもの。停めた場所はこちら

 

 

 

 

お名前は、

湊隧道。

 

 

 

 

抜ける前のファーストコンタクト時はインパクトあったのだが、そのアングルでは撮れなかった。なのでストビューを貼っとく。

初見時すでに、隧道が連続していることがわかった。こういうの好き。

 

 

 

 

で、連続したもう一本の隧道がこちら。

いずれも、海に突き出した岩を貫いている。

 

 

 

 

そしていずれも、

なんか、道路隧道としてはレアな放物線アーチ風味?

 

 

 

 

お名前は、

五十猛隧道。「いそたけ」と読むが、まあ元乗り鉄としては読めて当然のお名前っす。

 

 

 

 

最後に、一番気に入ってる写真を。

湊隧道、なんかめっちゃカワイイ。けっこうレアじゃないか?こういうミニマム(っていうのもアレだが)な岩を抜く隧道って。

 

これを避けても通せたように見えるけど、航空写真で見たらそれは無理なのがわかる。気になる方は上で貼ったストビューからお確かめを。

 

 

当時、道を間違えて大きくタイムロスし、気分が良くなかったんだが、通りすがったこの隧道でちょっと癒された。

 

 

 

以上。

 

 

2020年4月2日、鹿児島出張最初の休み。この日のネタで記事にしてるのは、稲荷川橋梁とオプション旧行屋堀の石造水位計浜町の埋没謎ポータル

 

今宵ご紹介するのはこれらより後、霧島市へ移動してからの物件。

 

 

 

いきなり、ドン。

たまには石橋王国・九州らしい石アーチ橋をご紹介!場所はこちら

 

 

 

 

高欄もすべて石!

スパンドレルは切り込み接ぎ?

 

 

 

 

アーチ環もいささかの綻びなし。

コンディション極上ですな。

 

 

 

 

正対して1枚。

正面階段を上がった先は国分小学校で、この一帯にあった舞鶴城跡地にあたり、このお堀と石垣、そして石橋(西側にもう1本ある)が、かつての城跡をしのぶよすがとなっている。

 

正面の門は「朱門(あかもん)」と呼ばれていて、舞鶴城内陣の門だったもの。いったん他所に移設されたものの台風で倒壊、昭和50年にこのゆかりの場所に修復復元されたという。

 

 

 

 

親柱はあるものの、

何も刻まれていないっぽい。なので、この記事タイトルとなった。

 

 

 

 

渡って石段より見下ろし。

手前に敷いてあるこういう石、なんて呼ぶんだろう。粗く溝が彫ってあって、滑り止めみたいな意匠になってるやつ。これまたいいな~。

 

 

 

 

関西に住んでると。こういう石アーチ橋にはそうお目にかかる機会はない。

こういうのが市街地の小学校前にあって、駅から歩いて訪ねられるなんて、九州クオリティを感じた。

 

 

 

 

最後に、お気に入りの1枚を。

イイねえ~。

 

 

 

 

おまけ。

付近に立つ、朱門の解説。先ほど書いた情報は、もちろんここからの引用でございます。興味ある方は拡大して読んでね。

 

 

この後歩いて日豊本線国分駅へ戻る道すがらには何も拾えず、結果的にこれがこの日最後の物件となった。

 

 

 

以上。

 

 

 

今年の密かな目標…ってか意向として、音楽ネタをもっとやりたいな~って。

 

久々に言うけど、わたくし音楽に関しては極めて雑食で、かなりいろんなのを聴く。でも、ここ最近音楽ネタって言えば訃報がらみかBAND-MAIDか人間椅子のどれか、って感じになっちゃってたので、もっと雑多な…マイナーなJ-POPやらマイナーなメタルやらジャズやらクラシックやら、やりたいな~って。

 

まあ誰にも求められてないんだけど、書いてて楽しいのでね。埋め草にもいいし。

 

 

 

そんなわけで今回、以前もやったDo As Infinity。ええ、J-POPでございます。楽曲は”陽のあたる坂道”。

時々聴きたくなる、ただただいい曲。メロディも歌詞も、歌唱も演奏も、非の打ち所がない。そして伴さんのビジュアルも。

 

なんかこの曲、暖かくなりかけの今の季節にピッタリな気がしていて、ちょうど脳内ヘヴィロテが始まっちゃったので、じゃあ記事にしとこうかな、ってことでね。

 

 

こんな感じで、気軽に書く音楽ネタ、月に1回はやりたいな。

 

 

 

【3】より続く。

 

 

隧道から続く道のその先を

確かめる、その前に。

 

 

 

 

右手も気になった。

これは、辿ってきた「旧道」が隧道からの道と交差して直進していく方向。こっちも道がありそうだが、この激藪…謹んでご辞退申し上げた。地理院地図によると、100mほどで途切れているように描かれている。

 

 

 

 

さあ、今度こそ隧道の先へ。

 

この道がまた、

歩きやすくて雰囲気がイイ!

 

 

 

 

道自体は車道幅員を有し、

しっかり手が入っている。前日にも隧道を使ってこっち方面に入られていたというのも納得。

 

 

 

 

が、古そうな石積もあちらこちらに。

土留めなのか、それ以外の何かか。猪垣ではなさそう。

 

「堀切」という隧道名称からして、もしかしてかつては付近に山城があったのかも?なんであれこの石垣はお城由来ではなさそうだけど。

 

 

 

 

隧道からわずか3分で、

視界が開けてきた。

 

 

 

 

と同時に、

車道幅員も終了、人道サイズに収斂していく。

 

この開けた一帯が、堀切隧道が掘られた目的地なんだろうか?現在の状況では、そう見える。

 

 

 

 

現在の状況では、というのは、

道はまだ続いていて…

 

 

 

 

その先に…なんと!さらなる隧道が!!

ウソです、ごめんなさい(タチ悪

 

さらなる隧道なんてものはなく、ここで某施設にぶった切られて唐突に終了しているのである。某施設が造成されるまでは、まだ続いていたんだろうな~と思わせる終わり方で。実際どうだったのかはわからない。

 

 

 

 

ぶった切れ手前からの振り返り。

山に囲まれた、秘匿されたような一画。

 

これまたただの推測(妄想)だけど、ここもまたかつては隠田/隠畑の類だったという可能性はないだろうか。あっ、隠田/隠畑についてはこの記事参照のこと。

 

仮にそうだったとしても、それは明治初期以前のことなので、隧道とは無関係なんだけどね。

 

 

 

 

一帯にはポツポツとこのような切株…というか伐採された樹木が点在しており、

な~んとなく、果樹園っぽいかなあ、なんて思った。それにしちゃあ樹木の数が少ないか?

 

【2】にいただいたコメントで、栽培されなくなったみかん畑ではないかと。なるほど。実際、千早赤阪村では今もみかんが栽培され、道の駅などでも売られているんだが、栽培農家の数は減っているらしい。

また、隧道は農業振興(出荷)のために大阪府の予算で掘られたものではないかとの見立て。かなり信憑性のある説であると思う。

 

 

はい、わたくしも概ねそう思ってました(笑)。そうであれば府知事が揮毫していることともつじつまが合うしね。

 

当日現地では、果樹園だったっぽいからその搬出用だったのかな~の印象(実際地理院地図では現在も果樹園記号が周辺に書かれている)で、扁額のことはその後深く考えてなかったが(おい)、きっとそういうことだろうと。

 

実際、隧道完成と同年の昭和36年には、果樹農業振興特別措置法なる法律が制定されている。詳しくは各自お調べいただきたいが、果樹農業の振興を図るための基本方針が策定され、都道府県はそれに準じ、生産基盤の強化など様々な支援策を行うことが求められたという。この動きと隧道建設の因果関係の有無は不明ながら、まったくの無関係とも考えづらいもんな~。

 

 

まだここらの写真出してなかったのにこのコメント、おそらくご自身でも訪問された方なのかな?改めまして知利別さん、ありがとうございました。
 

 

 

 

満足して、撤収。


ぞれにしても、隧道を時折使ってこちら方面に入られる時って、どんな作業をされてるんだろう。

竹がいっぱい生えてるから、案外たけのこ関係とか?

 

 

 

 

すぐに、隧道が見える位置まで戻ってきた。

なぜか、隧道からこのへんまではちょっと荒れてるのよね…。

 

 

 

 

ところで、今改めて気づいたんだが…

これなんだっけ??

 

よもや現地で見落としはしなかっただろうが、一切写真も撮ってないし、全然記憶がない。たぶん観察したうえで撮る価値ナシと判断したんだと思うけど…。

 

 

 

 

で、復路での切り通しなんだが、改めてご紹介しておきたい。

ど真ん中に一本だけ青々と立つ、竹の勇姿?を。妙に印象に残ってるなあこれ。

 

 

 

 

そして、集落へと帰還。

「旧道」と書いてきたが、実際この道が、昭和36年に隧道ができる前まで使われていた道に間違いないだろう。切り通しも含め、全長通して荷車レベルの車両が通行できるだけの幅員は確保されていたし。

 

 

いや~~堪能した(なんか久々)

 

 

停めた車を出発してから戻るまで、正味1時間半。大変楽しゅうございました。

 

 

 

以上、完結。

 

 

 

【2】より続く。

 

 

 

今辿ってきた「旧道」を振り返り。

ようわかりませんな。

 

 

 

 

左を向くと、

隧道から延びて続いていく道。

 

 

 

 

そして、まず向かう右は

もちろん…隧道。

 

 

 

 

おお~、最短時間で回り込んでこれた、隧道の反対側。ご婦人に感謝!

見えていたとおり、こちらはがら空きだ。

 

実はここ(隧道の先)、他の地域からは来られない場所。隧道を抜けるか先ほどの「旧道」を辿るか、いずれにしろこの集落からしか立ち入れない。よって、こちら側は塞ぐ理由がないってことだな。

 

 

 

 

そして、ここでようやくというか、

隧道名の扁額。「堀切隧道」と。

 

ここで新たに疑問。現状では「奥側」にあたるこちら側に隧道名の扁額が掲げられているってことは…もともとはこちらが起点側だったことなのだろうか?確か隧道名の扁額って、一般的に起点側ですよね?

 

この隧道、謎が多いな…。

 

 

 

 

では、さっそく入洞。

反対側と同じく、直後はコンクリ巻き。

 

 

 

 

しかしほどなく、

素掘りにチェンジ。

 

 

 

 

野趣あふれるテイスト。

こんなのが大阪府下に存在してるなんて、業界的にありがたい限りだ。

 

 

 

 

洞内は、コンクリ舗装かな?固く締まったダートかな?

どっちにも見える。

 

側溝も切られていて、しっかり造られてるな、って印象だ。落石の類も一切なく、ご婦人のお話を裏付けている。これはしっかりと保守されて、使われている隧道だ。

 

 

 

 

いかにも硬そうな岩盤に見えるが、

これは発破用の火薬穴かな?

 

 

 

 

そして、

再びのコンクリパート。巻厚、けっこう分厚いな。

 

 

 

 

ここで見つけた。イヤガラセ画像。

 

たむろしていた特大カマドウマたちを思わず激写してしまった~。白飛びしてわかりにくくなっているのが幸いかな。苦手な人は目をそらしてスルー推奨。

 

 

 

 

 

はい、失礼しました。今度こそ

45分前にいた場所の、鉄扉を隔てて反対側に到達した。

 

 

 

 

前日には開いていたという鉄扉、

その姿も見てみたかったなあ~。

 

 

 

 

長年訪ねたかった隧道を、ありがたく完全制覇。大満足で引き返す。

途中で一枚。引きでの鉄板の構図。イイねえ~…。

 

 

 


そういえばこの隧道、残念ながらというかやはりというか、ネットで出てくる情報はほぼほぼクサレ心霊系。

 

お前ら、トンネル見たらなんでも心霊心霊言っときゃいいってもんじゃないんだよ?

お前らの心持ちが良くないから「そういう存在」から怒られるのよ。全然怖くないし、この隧道。

 

ああすみません、乱暴な言葉遣いを(笑)。

 

以下余談。この話は久々にするのだが、わたくし心霊の存在は別に否定していない。てか、そういう世界もあるかもしれないなと思っている。だからこそ、興味本位の面白半分で心霊をネタにすることには抵抗があるというか。共感してくれる方、いますかね?もちろん、これに真面目に対峙している人やサイトがあることは理解し、リスペクトしている。

 

 

 

 

そしていつもの(笑)鉄板の構図。

型枠痕ビッシリな場所打ちコンクリート。後付けかもしれないが、昭和36年という建造年とも矛盾しないし、たぶん当初からの仕様じゃないのかなと。

 

 

 

 

さて、隧道を抜けて、「旧道」別れまで戻ってきた。

 

あとは…

隧道から続く道のその先を、確かめたい。

 

 

 

【4】に続く。