観音隧道(廃) (千葉県富津市小久保) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2010年7月18日、第四次房総探索。この日のネタで記事にしてるのは、四町作第一隧道

 

 

と、西日笠の謎の狭隘区間

 

 

と、大沢港隧道

 

 

今宵ご紹介するのは、レンタカーを借り出したJR君津駅から最初にやってきた物件。

 

最近リンク挿入がリニューアルされてこんなふうになったけど、これってどうなんすかね?かえって見にくい?あるいは見やすい?今回3リンクだけでこんなんやから、7つも8つも、ってなったら、本篇始まる前に見るのいやになるよなあ(笑)。

今回、試験的に使ってみたので、よければこれの感想も教えていただければ…。

 


 

 

 

 

わたくし、普通に県別マップルに描かれてるトンネル表記を訪ねてきただけなんだが、

そうじゃないことは、ひと目でわかった(笑)。

 

 

 

 

 

 

これって完全に、

廃隧道ですやん?

 

 

 

 

 

 

のっけからですか。まあ、むしろ望むところで(笑)。

早速に接近。場所はコチラ

 

 

 

 

 

 

 

扁額を見ると、

「観音隧道」

「昭和33年12月竣功」。

 

その名の通り(地図を見ればわかるが)、この道は東京湾観音へのアクセス道路である。公式ホームページを見ると、高さ56mにも及ぶ観音像は「昭和31年の構想から5年に及ぶ歳月をかけて昭和36年9月に完成(開眼供養)」とのことなので、隧道の竣功年から考えれば、当初は工事用道路でもあったってことか?

 

 

 

 

 

 

さてと…

これ、わたくしがやったんじゃないですぞ(笑)。

 

 

 

 

 

 

せっかくフルオープンで迎えてくださってるので…

遠慮なくお邪魔します~。

 

基本的には素掘りで、天井部がモルタル補修されている他、中央部や両側坑口部のみコンクリで巻かれているようだ。

 

 

 

 

 

 

そして素掘りの側壁部は、

このようにところどころ小崩落を起こしていた。

 

ちなみに拙ブログでよく書くパターンだが、ここも「帰って調べてみたら、有名な心霊スポットでした」っていうアレだった。洞内でクラクションを鳴らすと云々っていう、凡庸なヤツですわ(笑)。いつものごとく、全っ然なにも感じなかったけど。

 

今回、いくつかその手の記事を見ててわかったのは、遅くとも2007年春には廃化していたことと、昨年時点ではフェンスでなく鉄板封鎖に変わっていたこと。

 

 

 

 

さて、そう長くもない隧道、

間もなく抜ける。

 

 

 

 

 

 

はいこちら、

観音様側(笑)ポータル。

 

 

 

 

 

 

 

扁額を撮ったが、

いろいろアカーーン(笑)。

 

 

 

 

 

 

なんだか異常に狭くなってしまったように思える道を

そのまま進んでいくと…

 

 

 

 

 

 

 

数十mで

現道と合流。

 

見たところ、典型的な線形改良目的による道路付け替えのよう。確かに長い目で見れば、隧道を拡幅して使うよりも理にかなっていると思う。隧道に綻びが見られるのは、ひとえに放棄されたからだろう、きっと。

 

 

 

 

 

 

戻りももちろん、

隧道経由で。

 

しかし、なんでこの隧道におかしな因縁話がつきまとうようになったのかなあ。観音様への道だというのに。

 

 

 

 

 

 

まぁどうでもいいけど、

素晴らしい廃景ですなあ~。

 

 

鉄板封鎖となった今では望めないね。それ以前に立入禁止か(笑)。

 

 

 

 

 

以上。