今宵は、「気になった社寺」テーマ新設後二発目のネタとして、京都の各所にひっそりと息づく小社のひとつをご紹介。
ここは何度か訪ねてるんだが、最新の訪問である2020年6月2日の写真で構成する。
なお今回、周辺立地に配慮し、拙ブログ初の「モザイク処理」を施した写真が数点あることをご了承いただきたく。
まずはいきなり、ドン。
街中にぽっかりと開いた、異界への入り口、みたいな。
この道路は三条通りで、蹴上~九条山の山越えに向けて高度を上げているところ。なので、写真が歪んでいるんじゃなくて実際に勾配がついている。
ちなみに、かつてはそこの中央分離帯あたりを京阪京津線の線路が通っていた(道路と軌道の併用区間)。
では、道路を渡って正対。場所はコチラ。
細長い入口には、「相槌稲荷大明神参道」と刻まれた石碑が建っている。
扁額には
「正一位 相槌稲荷大明神」。
ちなみにこの石碑、
こんな面白い形をしている。
何のモチーフなのか、あるいは何かの転用なのか?どうあれこんなん見たことない。あと、基部が真っ黒でテイストが違うのも非常にユニーク。
縁起書…というか、説明板があった。
内容を書き起こしてみる。
相槌稲荷明神
ここは刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂といわれ、その邸宅は三条通の南側、粟田口にあったと伝える。
宗近は信濃守粟田藤四郎と号し、粟田口三條坊に住んだので三条小鍛冶の名がある。
稲荷明神の神助を得て名剱小狐丸をうった伝説は有名で、謡曲「小鍛冶」もこれをもとにして作られているが、そのとき相槌をつとめて明神を祀ったのがここだともいう。
なお宗近は平安中期の人で、刀剣を鋳るのに、稲荷山の土を使ったといわれる。
謡曲史跡保存会
ビミョーに意味不明な部分もある説明だが、とりあえず「相槌」の意味が、刀匠が刀を打つ際の相方である「相槌」であることはわかった。
さて、この相槌稲荷大明神だが、
参拝には高めのハードルが設定されている(笑)。
ほら…
ハードルが近づいてきましたぞ。
参道は20mほどで突き当りとなり、初訪問の人はこの時点で少なからず動揺すると思われる。なぜなら突き当り右は完全に住宅しかない極狭路地であり、
じゃあ左か、とそちらへ向くと見える光景が
これなんだもん(笑)。
仁丹看板探しで街中の極細路地を歩き慣れてるわたくしでさえも少々たじろがざるを得ない、このプライベートゾーン感。しかも、パッと見だとどう見ても個人宅の玄関先で行き止まっているようにしか見えない。ここで思わず心が折れて帰る人も多いのではないか。
そう、恐る恐る進んでいってようやく見つける、
この表示がなければ相当にキツイと思うぞ(笑)。
この訪問時もそうだったんだが、こういうところのお宅、真冬でもなければ基本的に玄関やら窓やらは網戸のみの開けっ放し状態で、生活音がバンバン聞こえる。よって季節によっては、さらにハードルは上がるかもしれない。くれぐれも節度ある態度での参拝を。
つうわけで、最奥部の極狭クランク(笑)を抜けると、
ようやくお出ましの、相槌稲荷大明神。思わずホッとする瞬間。
手前の表示には拝殿とあるが、
本殿じゃないのだろうか?
夜に訪問すれば、
さらに独特の雰囲気かもしれないな。
向かって左側には
境内社?である二ノ富弁財天が鎮座。真新しい櫁(シキミ)がお供えされている。
実はここに到着した際に手前のお宅の方がここの手入れをしておられた。声をかけてお参りさせていただいたのだが、おそらくその方が供えられたのだと思う。
弁財天の向こうはガレージになっているが、相槌稲荷とはまったくつながっていない。
元々はガレージ向こうの道からこの神社に気づき、どっから参るんだろう?と気になったのがこことの馴れ初めだった。
今回も、ありがとうございました。
現世へと戻ろう。
最後に、先述のガレージ側からの景を。我が馴れ初めの景だ。
京都には、こういうささやかな、かつ密やかな神社や町内ごとのお地蔵様が、それこそ数千社はあるんじゃないだろうか。
有名社寺だけではない、こうした「ひっそり系」の放つ「常世(とこよ)感」こそが、異界都市・京都の独特な空気を醸成していると思うのだ。
以上。