ジョングレイ州での武装解除が行われています。
ジョングレイ州での武装解除が行われました!
本ブログでも取り上げましたが、2011年12月~2012月にかけて、ジョングレイ州で民族間衝突が発生しました。ジョングレイ州で使用されている銃は、中国で大量生産されている、AK47というライフルが主なのですが、報復を行ったムルレ族が持っているのはドイツ製でスナイパーが使用しているB3という銃で、殺傷能力が高く、広範囲にわたって報復が可能だったと言われています。
これらの争いに終止符を打つために、2011年12月南スーダン大統領がジョングレイ州全域における武装解除を実施すると、と宣言をおこない。3月から千人単位の政府軍が武装車両・ロケットランチャーなどの武器を持ってジョングレイ州に武装解除を開始しました。当初は、”自発的な”武装解除を求めるという姿勢だったのですが、厳格に実施されました。
ボータウンでは、朝から道路は兵士が立ちふさがり、通行禁止になり、民家では家の隅々(トイレのなか)までチェックされたようです。レストランの客は、一旦外にだされ、両手を頭につけボディーチェックを受けている光景も見られました。ボータウンでは比較的スムーズに武装解除が進んだようです。しかしながら、田舎の方では、「敵対的部族から武装解除をしないと、自分達も武装解除をしない」という主張をしており、どの様に武装解除を進めていくかが課題となっております。田舎の方では、牛飼いや若者が自分たちの牛・村を守る為に、常にライフルを持ち歩いております。やはり、アメリカの銃規制の議論に似て、自分を守るために銃を持っている側面があるため、いきなり銃を手放すというようなことは難しいようです。
今のところ大きな抵抗はありません。武装解除の最初の三日間で約9000丁の武器が押収されたと報道されています。しかしながら、エチオピアの方からも武器が流れているという噂もあります。来年の乾期、今年の12月~翌年5月にこの武装解除の効果が現れてくるはずなので、援助関係者の間で注目されています。
ジャスト・ギビングでチャレンジ「南スーダン共和国をもっと多くの人に知ってほしい!」を始めました。
http://justgiving.jp/c/8412
皆様から応援の頂けると嬉しいです!!
報告:景山
ジョングレイ州洪水被害が深刻化
ジョングレイ州では、いよいよ本格的な雨期に入りました。
ジョングレイ州の土壌は”ブラックコットンソイル”、という、粘土状の土です。
雨期の間、雨が降ると粘り気のある泥となり、乾期になると雨期の荒れた状態のまま固まり、車や徒歩での移動が困難になります。
ジョングレイ州では、未だ舗装道路が整備されていないため、この土壌は人々の移動に大きな影響を与えます。PWJのスタッフが昼食に行く時でさえも、洪水状態になっているマーケットを進まなければ、移動もでいません。道路が通行できないため、住民の生活にも打撃を与えます。例えば、女性が毎日行っている水汲み、買い物などの家事に支障がでます。町のマーケットには、食べ物や飲み物が首都から運ばれなくなり、物価が高騰し、住民の生活を苦しめてしまいます。
私達、国際NGOの援助活動にも影響がでています。人・物の移動もここジョングレイ州では
、日本で行えるように簡単ではありません。スタッ フが移動する際は、United Nation Humanitarian Air Serviceを利用していますが、飛行機も滑走路の状態が悪く、着陸できないような事態も頻繁に生じています。
雨が降ると滑走路の土がぬかるみ、飛行機の離着陸に危険が伴ってしまうからです。PWJが事務所を置くアユッド郡でも、洪水被害が報告されました。大凡、2万人以上の人々 が影響を受けているとのことです。現在、PWJも洪水の被害者に支援を行うために、国連、他のNGO、現地政府などと協議中ですが、物資の輸送手段が困難なために、難航しそうです。
(報告:景山)
炭の船
同郡は陸路でのアクセスが全く不可能な地域です。そこで、小さな船を使って村から村へ移動する必要がありました。その際にとても興味深かったのは、その途中で何度もすれ違った、炭で作られた船で川を下る人々でした。
炭をブルーシートで包んだだけの船
それはブルーシートに炭を詰め込んで水に浮かべただけの単純な船ですが、大きなものになるとその上で何人もの人達が生活しながら川を下ることができるよう、屋根を付けたり甲板(?)でお鍋などを使って料理をしたりしています。
彼らは上流の村の住民達で、木を切り出して作った炭を、下流にある少し大きな村の市場まで運んでいるのです。当然、炭船には動力もなにもありませんし、特に急ぐ必要もないため、川の流れに任せてゆっくりと数日をかけて下流へ進んでいくのです。
そして、市場で数週間~数カ月かけて炭を売りつくしたら、そのお金で今度は動力付きの船に乗ってまた上流の村まで帰るということを繰り返すそうです。売り物に乗って市場に出かけて、帰りはお金だけ持って手ぶらで船で帰る。なんと効率的なやり方でしょうか。
人々が編み出した知恵ですねぇ。
川の流れに身を任せ、下る船
炭だけでなく、切り出した木や竹(これも売り物)を一時的に船とし、それを使って川下りをする人達も見かけられます。
売り物の竹を使った船。お鍋もあって料理ができるようです。
ハイエナばなし
ここはPWJの遠隔地事務所がある南スーダンのジョングレイ州北部のアユッド郡というところ。かなりの僻地で、町(村)を少し出ると様々な野生動物が棲息している。今年の2月には町から車で10分程のところで、大きなヒョウが道を横切って歩いているのを見たし、地元民によると西の方へ行けば、相当数の野生のゾウやキリンなどが居るとのこと。
つい一週間前のこと。町の外れから大型肉食獣の吠え声が聞こえて、人々があれは何だとしきりに噂をしていた。その晩、大きな動物と多数のハイエナが町の市場を走り抜けて行く音を人々が聞いている。そして、次の朝になってみると2頭のハイエナが林の中で殺されてるのが見つかったそうだ。
雨上がりの市場
町と言ってもこういう田舎です。
ハイエナの足跡 雨上がりの道にたくさんついてる
携帯電話の長さは10cmあるので足跡の長さはそれ以上(上)
するどい爪がよくわかる(下)
さて、先ほどの鳴き声。相当大きな動物の声だったのだが、まぁ牛が変な声で鳴いているのかな、と余り気にせずにまた寝た。そして翌日、地元のスタッフに尋ねてみると、「あれはハイエナだ。とても近くまで来ていた。」と言われびっくりした。確かにテントのある事務所敷地は波板鉄板と鉄条網で囲まれており、大きな動物が入って来ることはできないのであるが、テントは柵のすぐ隣にあり、その向こう側というとおそらく数メートルのところにハイエナは来ていただろう。その次の晩も、あまり近くではなかったが数頭が辺りを走り回っている音が聞こえてきた。
ハイエナは、死体漁りや掃除人のようなイメージがあるが、結構自分達で狩りをするようで、逆にライオンのような大型肉食獣がハイエナから獲物を横取りすることの方が多いそうだ。なんとなくハイエナは、中型犬くらいの大きさかと思っていたが、地元の人に聞いてみると結構大きいそうだ。調べてみると、おそらくこの地域にいると思われるブチハイエナは、最大で体長165cm、体高90cm、体重86Kgにもなるそうだ。実際、雨が降った翌日の朝に、町の市場にたくさん残っていたハイエナの足跡を測ってみると、大きいものは縦の長さが10cm以上もあった。
といっても、人がハイエナに襲われることは無いらしく、地元の人々も被害があったという話は聞いたことがないと言っている。大きい割に実は臆病な動物なのかもしれない。
PWJ遠隔地事務所
原っぱの中にある
今度近くに来たら鳴き声を録音していようと思っているが、未だうまく録ることができていない。12種類も鳴き声があるそうで、英名でLaughing Hyenaと呼ばれるように「ヒャヒャヒャ」という人間の笑い声のように泣くこともあるそうだ。今のところ聞いたのは、なんというか妙な、非常に説明しにくい情けないような鳴き声だけ。皆さんにもぜひ聞いてもらいたいので、今晩もハイエナがやって来た時のために録音の準備をしておきたい。
襲われて殺されてしまった子ダチョウ
最後に、上述の大型動物とハイエナの戦いの話の続きを。
ハイエナの死体が見つかってからまた数日後、今度は町から数キロ離れた場所で大きなライオンが殺されているのを地元の人が発見したそうだ。そして、その近くには3頭のハイエナの死体も転がっていたらしい。人々によるとこういうことは珍しいらしく、その日は町はその噂で持ち切りであった。ちなみにハイエナ達は、その数日後にも野生保護局に保護されていた子ダチョウ2羽を襲い、殺してしまった。
獰猛な奴らである。
なお、ハイエナとライオンの戦いに関して、以下のサイトでとても詳しく書かれています。こちらも見てみてください。
「巨大動物図鑑:野生動物の戦い」
相次ぐ民族間衝突-難を逃れた人びとを支援-
て、2006年より井戸やトイレ、小学校の建設などを行ってきました。この地域で
は、長年に渡って 家畜をめぐる民族同士の争いが続いています。
特に昨年の12月末以来、家畜の奪い合いに端を発する民族同士の争いが激化して
おり、PWJがフィールドオフィスを置くジョングレイ州アユッ ド郡では、現在、
近隣の郡から逃れた約6,000人の国内避難民が集まり、キャンプを作って生活し
ています。PWJは、この避難民に対して、 緊急シェルターの建設を行いました。
ニャイチ シャング(40)さんは、今年2月に起きたウロール郡での民族同士の争い
を避けるため、子供二人を連れて、着の身着のままに逃げてきました。避難先の
ア ユッド郡では、身寄りもいないために、食事も住居もない非常に厳しい生活
をしいられていたようです。シャングさんは、他の国内避難民同様、草 を刈り
こんだ場所を住居として使用していましたが、あくまで簡易的なもので、スペー
スはとても小さく、寝ていると足が出てしまうくらいの大き さで、雨が降ると
いたるところから水が滴り落ちてきます。
PWJは、この様な国内避難民を支援するため、現地の国連難民高等弁務官事務所
(UNHCR)と協力し、アユッド郡において緊急シェルターの 建設を行いました。
一旦、プロジェクトが始まると、大人から子供までシェルター作りに参加し始め
ます。小さな子供、女性、老人がみんなで基礎 となる穴を掘り、家の柱を運
び、ビニールシートを打ち付け、シェルター建築を行いました。その様子は、ま
るでお祭りのようでした。
南スーダンはすでに雨期に入っており、連日の大雨の影響で、多くの避難民は疲
れ切っていたようでした。笑い声も聞こえず、会話をしていても元 気がありま
せんでした。しかしながら、徐々にシェルターが完成していくにつれ、キャンプ
には活気が戻ってきました。母親は料理をしだし、子供 が前よりも元気一杯走
り回りはじめ、キャンプのいたるところで笑い声が聞こえ始めました。これまで
暗かったキャンプが明るくなったようでし た。
アユッド郡以外の地域でも、ジョングレイ州の各地で民族間の衝突が引き続いて
おり、今なお予断を許さない状況が続いていることから、PWJは 今後も必要な対
応ができるように備えを続けていきます。
(報告:景山 健 南スーダン駐在)
南スーダン独立一周年!
こんにちは。
先月よりピースウィンズジャパン、南スーダン駐在員として赴任したさとしと申します。
簡単に自己紹介をしますと、大学を卒業後、民間企業に勤務した後、
3月末まで二年間西アフリカのカメルーンという国にいました。
今は新人としてまだまだ業務を覚えているところですが、
今後南スーダンの日々の様子から、カメルーンとの違い等アフリカの話を
時々ご紹介できればと思っています。
よろしくお願いします!
早速ですが、昨日は南スーダン独立一周年でした。
ここボーでも大々的な式典が催されました。
私も他の職員と参加してきたので、
今日は簡単にその様子をご紹介したいと思います。
会場にはボー中から人が集まってきたのではないかと思うくらい
たくさんの人が来ていました。
各人いつもよりオシャレをしたり、旗を持ってきたりしていました。
ここから先は、来賓席の後ろのほうからの写真です。
我々は元々政府より招待されていたということもありますが、
アフリカでは外国人というだけで、来賓席にいれてもらえることがよくあります。
少し見えにくいですが、ご容赦ください。
来賓席から見た演壇です。
まずは、ここで知事が向こう側を向いてご挨拶。
続いてUNMIS(国連スーダンミッション)ボー代表からの挨拶、
そして軍部代表等、お偉方のご挨拶が続きます。
アラビア語と英語が混ぜ混ぜになるため、何を言っているのかよくわかりません。
続いて、出し物が始まります。
様々な民族舞踊のようなものが紹介されます。
(このポロシャツほしい・・・)
こうした踊りがいくつか続いてくると、
黙っていられないのがアフリカンです。
見てください。
気づけば観衆が踊り場になだれ込んでいます。
そうです、勝手に参加型です。
警備の対処は苦笑いです。
そういえば、カメルーンにいた際に、
日本大使館主催で、和太鼓等日本音楽の紹介イベントがありましたが、
このときもカメルーン人は勝手に壇上に上がって踊りだしていたのを
思い出しました。
ちなみにこのおばちゃん、来賓席でもりあがっていますが、
司会でもなんでもありません。
普通にその辺に座っているおばちゃんです。
首からIDを下げているので、多分結構えらい政府関係者なのでしょう。
来賓席のきれいな格好をしたおばちゃんたちでも
気に入った踊り、地元の踊りが始まると、
肩をうならせ、人々をかきわけ、前面にでてきます。
もう誰にも彼女たちを止めることができません。
Unstoppable!
踊りがひと段落すると、
続いて軍警察関係の行進です。
勇壮ですね。
南スーダン人は顔が小さく背がすごく高いので、
強そうです。
最後にまた知事のご挨拶。
この知事、警備が厳しくて写真がとれませんでしたが、
紛争中は独立軍の司令官として活躍し、
部下に厳しい将軍として名の知られた方だそうです。
すぐにビンタをするという噂です。
・・というような式典でした。
最後に
独立に命を捧げた勇士たちの追悼と
この国の今後の繁栄を祈って。
さとし
7/10~7/22南スーダン写真展「Eyes in South Sudan」開催
2012年7月9日に、南スーダン共和国は独立から1周年を迎えます。
20年に渡って続いた内戦によって経済やインフラは疲弊し、未だ民族間での紛争が絶えませんが、国民は新たな独立国家のもと、不安な気持ちと同時に誇りを胸に、国の発展を願っています。
このたび、東京・広尾にてフォトグラファーの田中博崇氏による南スーダン写真展「Eyes in South Sudan」が開催されます。
田中氏は、2011年2月から2012年3月まで、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)のフィールドコーディネーターとして、南スーダンで緊急支援活動に従事していました。
本写真展では、田中氏によるモノクロ写真25枚を展示しています。
駐在生活を通して、南スーダンの光や風を肌で感じ、人びとと触れ合いながらシャッターを切ることで、様々な「その瞬間」をとらえています。
南スーダン独立の機運が高まる中での人びとの表情なども、ぜひ作品を通じて感じてみてください。
【イベント詳細】
南スーダン写真展「Eyes in South Sudan」
―独立1周年を迎えて―
日時 : 7月10日(火曜)から7月22日(日曜)
会場 : JICA地球ひろば 1階 イベントホール 【地図】
主催 : JICA地球ひろば
HP : http://www.jica.go.jp/hiroba/about/experience/exhibition/hall/index.html
田中氏が撮影した南スーダンの子どもたち
また、写真展開催中の7/20(金)18:30より、同じくJICA地球ひろばにてPWJ主催イベント「アフリカの話をしよう!」が開催されます。南スーダン担当スタッフからの活動報告もございますので、ぜひお越しください。
7/20(金)広尾でイベント開催!「アフリカの話をしよう!」
「東アフリカ-みんなが海賊になりたい?-」
「南スーダン-独立したのにお祝いムードじゃない?-」
54もの国々からなるアフリカには、9億人を超える人々が生活しており、ひとくくりで語るのは大変難しい地域でもありますが、それでも今回はあえて、アフリカという大陸に興味を持つ皆さまと、「アフリカの今」について語り合いたいと思います。
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は、これまでシエラレオネ やリベリア などで活動してきました。現在は東アフリカ や南スーダン で支援活動を展開しています。
今回のイベント前半ではアフリカ地域を担当するPWJのスタッフが、東アフリカ地域の干ばつや世界で一番新しい国南スーダンの現状を、写真や映像をまじえながら具体的にわかりやすくお伝えします。
後半は、参加者の皆さまの興味のある国やテーマについて、リラックスした雰囲気でご自由にお話しいただく時間としたいと考えています。観光、経済、政治、文化、様々な視点からアフリカについて話しましょう!
皆さまのご参加をお待ちしております!
お申込みはこちらから(要予約)
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イベント詳細
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日時:7月20日(金)18:30~20:30
参加費:500円
会場:JICA地球ひろば202号室(東京都渋谷区広尾4-2-24)
最寄駅:東京メトロ日比谷線 広尾駅から徒歩3分
行き方:3番出口の前の道路(外苑西通り)を横断し、カフェ・デ・プレの前を10メートルほど進んだ十字路を右に曲がり、少し進んだ左側にあります。
定員:50名(申込みが定員になり次第、受付を終了させていただきます。)
【プログラム】
18:30 開始(受付18:10~)
18:30 オープニングセッション
18:50 東アフリカ干ばつ-みんなが海賊になりたい?-
現在、ソマリアやケニアを中心とした東アフリカ地域では、「過去60年間で最悪」とも言われる記録的な大干ばつによる食料危機で多くの人びとの生活が脅かされています。被害は内戦が激しい南部ソマリアが特にひどく、住民の多くは隣国のケニアとエチオピアに逃れてきています。ソマリア沖では海賊も多発しています。そんな東アフリカ干ばつの問題は決して日本と無関係ではありません。
19:10 南スーダン-独立したのにお祝いムードじゃない?-
南スーダンは、昨年7月にスーダンから南部10州が独立して誕生した世界で1番新しい国家です。今年1月から自衛隊が国連PKO部隊に派遣され、日本でも注目が集まっています。しかし、独立後も石油の利権をめぐるスーダンとの争いや、部族間抗争が絶えません。また、20年以上に及ぶ内戦の影響で、基礎的なインフラ整備が立ち遅れ、多くの人が、安全な水を手に入れることが難しい状況にあります。そんな南スーダンの現状と、今後の発展についてお話しします。
19:30 みんなでアフリカの話をしよう!
「自由に交流スペース」と「アフリカについて話したい!」スペースをご用意致します。お好きなスペースでお楽しみください。お茶とお菓子もご用意しています。
20:30 終了
副村長さんからお手紙 (みんなの井戸の村より)
みんなの井戸を作った村 「KuerNor」からお手紙が届きました!
この井戸プロジェクトに賛同してくれた皆様に対する、副村長さんからの感謝の手紙です。内容は彼らの部族語であるヌエル語で書かれています。モノが無い場所ですので、ノート紙に全て手書きで書かれた素朴な手紙ですが、内容は感謝の気持ちでいっぱいです。
日本語訳が以下にありますので、ぜひお読みください。
まず我々はとても嬉しいということをお伝えしたいです。我々に水をもたらしてくれた人々よ。 我々は今とても幸せです。なぜなら、以前はとても遠いところへ水汲みにいかなければならず、水浴びもできず寝るときもあったり、とても苦しい思いをしていました。 そして、我々の家畜もとても遠いところまで水を飲みに行かなければいけませんでした。
この度、あなた方によって我々の村に水がもたらされたことで、我々の苦しみは終わりました。井戸の水を飲み、水で体を洗い、そして家畜もその水を使う事が出来ます。井戸のおかげで、我々が畑を耕したり、家畜が水を飲んだりするための十分な時間ができました。そして、いつでも我々は体を洗ったりすることができるようになったことで、衛生状態や健康状態もよくなりました。我々はこの井戸に本当に感謝しています。そして他の村々にも同じように、頑張って素晴らしいことをしてくれることを願います。
神の御加護がありますように。
みんなの井戸完成!
余りに暑いお昼は避けましたが、それでも南スーダンの太陽は強烈です。ジリジリと首元を焼く日光と、村人たちの熱い視線を浴びながら、流れる汗をぬぐいつつ、スパナを使って最後のボルトを力一杯締めました。後は、井戸ポンプのカバーを閉じれば、再び水が出るはずです。
はぁ、これで完了。
寄付に御賛同いただいた方々の名前とメッセージ入りのプレート(写真)を、井戸のポンプの部分に貼りつけるという企画「みんなの井戸」が完成した瞬間です。
場所は、自衛隊が駐屯している首都のジュバから10時間以上も奥地に入ったところにあり、相当な僻地です。ということで、井戸を建設するのもかなりの金額が必要なのですが、今回は皆さまのご協力のおかげで一本分の寄付が集まり、アユッドタウンの郊外の村「KuerNor」に村の人々待望の井戸が完成しました。
ここの村人たちは、この井戸ができるまでは、片道30分以上もかけて他の場所にある井戸に水を汲みに行っていました。30分と言えど、毎日20Kgのタンクを運ぶのはかなりの重労働です。さらに井戸に辿り着いても多くの人達が待っていて、時には数時間もそこで待つこともあったそうです。副村長さんからは感謝の手紙も頂き、「みんなの井戸」企画は成功に終わりました。
20Kgの水を運ぶのは重労働です プレートを付けた井戸を使う女の子
さて、ここではこのプレートをどうやって貼りつけるのかについて説明したいと思います。井戸ポンプはサビ対策の為、亜鉛めっきが施されてた鉄でできています。長い使用に耐えるため、かなり頑丈な作りとなっています。そこに金属用のドリル刃を付けたハンドドリルを使って、ガリガリと根気よく穴を開けていきます(写真)。
硬い金属に穴をあけます
けっこう力の要る作業です。1人は固定役、1人はドリルをまわす役と、数人で共同作業を行いました。前回は、途中でドリル刃が折れてしまい、全てのプレートの貼りつけができませんでしたが、今回は、全ての貼り付けに成功しました。
穴が開いたら、その直径に合ったリベットビットというものを取りつけます。このリベットビットとリベットマシンを使えば、外側からプレートをしっかりと固定することができるのです。リベットマシンにビットを付け、それを穴に差し込みます。そしてその状態のままリベットマシンをぐっと握りしめると、あら不思議、バチンと音が鳴って、ビットが内側と外側の両方からきれいに固定されました。いくら引っ張っても、ビットは抜けません。この仕組みについては、ちょっと説明しづらいのですが、要は片側からの処理で、もう片方もビットが抜けてしまわないように固定されるのです。
リベットマシンを使って取り付け作業
この穴あけ・リベット取り付けも、暑い暑い南スーダンの炎天下の中では、かなり辛い作業です。さらに、常に休みなく使われている水汲みをストップするのは、村人たちに申し訳ないこともあり、予め予備の井戸のポンプヘッド部分とカバーの部分にプレートを全て貼りつけて、それを村に持って行き、ヘッドごと交換することにしました。これによって、村での作業時間は減りましたが、それでもそこそこ時間がかかってしまい、集まってきた村人たちの視線が集まる中、皆で汗だくになりながらもなんとか作業を終えました。
本当に休みなく使用されている「みんなの井戸」。いつも村人たちが集まる「みんなの井戸」。貼りつけられた30枚のプレートは、いつも村人たちの視線の先にあります。村人たちに触れられています。寄付していただいた皆様の記念となり、少し寄付者と受益者が近い
援助の形になったのかな、と思っています。
余談ですが、井戸の引き渡しの際に「みんなのいどいど♪」と連呼するフレーズを子供たちと歌ったところ、それ以来何度行っても、村の子供たちが日本語で「みんなのいどいど♪」と口ずさんでくれます。嬉しいですねぇ。