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2011年10月20日(木) 15時03分35秒

あふれたリアルに その3:過剰な記号、頽弊する物語

テーマ:ブログ

南三陸町の八幡川、水尻川には鮭が戻ってきている。

仮設の志津川漁港で揚げられた7匹のピンコから作ったイクラを御馳走になった。

美味しいイクラをこんなに沢山一度に食べたのは初めてであった。

現地の人々の大変さは変わらないが

イクラを作って下さった地元の方の気持ちに嬉しくなって

自分の無力感を少し忘れることが出来た。



アフガニスタン便り-南三陸花火01
                 写真1:南三陸町の花火


前回のブログから

実存やら魂やら何やらと

社会問題が山積している時節柄、虚しいとも思われかねない抽象的な話が続いていて

私の周囲からは

”アフガニスタンという現場を失って相当ヤキが回った”と

御同情・御批判頂く向きもあるのだが

ヤキが回っているのは今に始まったことではないので

もう暫くヤキが回ったような話にお付き合い願いたい。


世の中が

山のような喫緊の課題に迫られている時に

悠長に抽象的な話でもあるまい

と言われれば反駁し難いが

開き直って言うのならば

私にとっては

日本の社会が

後ろ髪を引かれつつも仕方なくなく

その場凌ぎの性急な判断で追いまくられているように思え

そんな状況では

寧ろ

一見杳昧を彷徨っているように思えても

実存に繋がる話をする鍛錬をしておいた方がよいと思う。


私にとっては10年ぶりとなる長期間の日本滞在中であるが

日本で暮らして感じるのは

暮らしの底流に流れる

尻に火が付いたような焦燥感だ。

それは

震災・原発・経済不安によって幾許か助長されたのかもしれないが

基本的には

この10年間の間に一時帰国する度に感じていたものと同質の焦燥感である。


本来

社会の中で長期的な物言いを担当しているはずの

多くの学識経験者やら研究者

文芸関係者やら芸術関係者

教育者やら宗教関係者までが

何だか

大多数が同じようなトーンで

肝心なところになると

ニヒリズムでお茶を濁したようなプラグマティズムを

無自覚に選択しているように思えてならない。

”そういう印象は大衆メディアのせいであって

本当はどっしりと構えた人間が大勢いるのだ”

と言われそうだが

それを確信させる実感を持つ機会は

東北の被災地の皆さんと触れ合う場合以外では

余りない。


経済・環境・原子力・自然災害など

対応が急がれている問題の中で

制御可能な課題

つまり

それらの問題によって発生する悲劇の量を抑えきれそうな課題は

余りないように思う。

いわば手遅れの問題だらけの現代である。


そもそも

シェラレオネの内戦もアフガニスタンでの戦争も

どんな紛争も自然災害も

その悲劇の量からみれば手遅れなことばかりである。

手遅れであることに対して

それでも

更なる悲劇の拡大を最小限にしようというのが

支援業界の目的と思っている。


この状況下では

”手遅れと知りつつ最善を尽くす”という凄味のある気概を持つか

手遅れであることを知らないで済む状況を探し続けるか

どちらかになりそうな気がする。

出来れば

前者のような人間になりたいと思っているが

私如きには死ぬまで無理かもしれない。


手遅れな事だらけの現代だが

私が一つ

まだ手遅れではないと思っていることがある。

それは

今後、山積された問題によって引き起こされる大量の悲劇によって

命や魂といった実存的な課題が繰り返し我々に押し寄せる時に

困窮した我々が

藁にでもすがるように

極めてお粗末で軽薄な思想に-思想とも呼べないような屁理屈に-

なだれ込んでしまい

その趨勢が、更なる悲劇を産んでしまう

そういう二次災害を遏防することである。

それが出来たなら

現在の危機による影響が納まるであろう何百年後かに暮らす子孫への

大きな遺産となるように思う。

そうする為には

遠回りかも知れないが

全ての事象の背景に厳然と存在している実存的なことについて

観照する修練をしておくことが大切ではないか

―例えその抽象性が非生産的に見えたとしても―

と思う。


さらに

もう少し批判的な言い方をするなら

様々なシステムを信じ切って暮らしている人々のほうが

その認識の抽象性は悪質のような気がする。

属性の表象性を疑わないことが社会的実践と思い込んでいては

人間が繰り返し直面してきた悲劇に

余りに無防備であると思う。


だから

もう暫くヤキが回ったような抽象的な話を続けさせて頂きたい。



● ● ● ”日本にいてアフガニスタンについて考える”ということ


過日

アフガニスタンから日本に一時帰国されていた

私が秘かに私淑している知人に再会してお話をすることが出来た。

そのときの話題の多くは

治安に関するものとなったが

非常に示唆に富んだ知見を頂くことが出来た。

知人との話題は当然のことながら

パキスタンそしてISIにも向かった。


ここ数か月間に発生したアフガニスタンでの治安関連事件のうち

大きなものだけを列挙しても


07月12日…カンダハル州で、カルザイ大統領の弟へのテロ事件

08月06日…ワルダク州で、米海軍特殊部隊SEALチーム6らを載せた米ヘリChinook撃墜さる

08月19日…カブールで、『ブリティッシュ・カウンシル』襲撃事件

09月10日…ワルダク州のNATO基地が襲撃され、米兵含む89人死傷

09月13日…カブールで、アメリカ大使館・NATO本部などを狙った攻撃

09月20日…高等和平評議会議長ラバニ元大統領・スタネクザイ同事務局長への爆弾テロ


という具合で

個々の事件の意味がそれぞれに深い。

特にラバニ元大統領事件の周辺について

その動静を観れば以下のようになる。


09月22日…マレン統合参謀本部議長、「パキスタンのテロ支援が国家的戦略として行われている」

       「ハカニグループはISIの一機関」と発言


09月30日…オバマ大統領、「ISIとイスラム武装勢力に明確な関係を示す情報なし」と発言

       パキスタン政府のアルカイダ掃討作戦への貢献も強調

       「ISIのハカニグループへの関与も不明瞭」とも発言


10月01日…ISAF、ハカニグループのアジ・マーリ・ハン幹部をパクティア州で拘束


10月01日…アフガニスタン保安局、ラバニ事件について

      「クエッタ・シューラが関与した証拠や書類を見つけた」と発表


10月01日…カルザイ大統領、「タリバンとの和解交渉の停止」と発言

       カルザイ大統領、「オマル師らとの交渉が不可能であり、今後の交渉パキスタン以外ない」と発言

10月02日…アフガニスタン政府、「計画はクエッタ、実行犯はパキスタン人」と発表
       ISIの関与も断定、「証拠をパキスタン政府に引き渡した」と発言
       これに対してパキスタン外務省は反発


10月03日…ハカニ氏、犯行否定


10月05日…アフガニスタン政府NDS、カルザイ大統領暗殺計画首謀者を逮捕

       ハカニグループと繋がりがあった模様

10月05日…カルザイ大統領、NYでの講演で、「タリバンとではなくパキスタンと交渉する」と再び発言


10月06日…オバマ大統領、自ら、パ軍・ISIとアフガニスタン武装勢力との関係を指摘

        武装勢力との関係断絶を要求。「パへの経済支援は継続する」とも


上記のような主だった報道だけをみても

読み筋としては、幾つもの可能性が考えられる。

私としては

3月にサリプルを離れて以降

アフガニスタンに関する知見への接触がメディアなどからの二次・三次情報に偏っているわけで

私のアフガニスタン観から”肌感覚”という言語化の難しい部分が大いに欠落している。

だから

肌感覚を伴った知人の発言が

私に色々なものを喚起させてくれ

3月以前の感覚の何分の1かは戻ってきたように思われて

非常に有難かった。


ISIの話のように

知人も私も

その実体に直接触れた経験がない対象

(ISIについては

その実体に直接触れたという感覚を持っている人など

当事者も含めていないのではないか

とさえ思う)

殆どの人がその実態を知り得ないものについての言及は

我々の予備知識や知見の少なさや言及の射程距離の短さが明確である為

かえって生々しく感じることが出来

それは結局

遠いものでありながら

非常にリアルであった。

このことには

大げさかもしれないが

ヒュミントの存在意義が強く示されている。

一方

日本にいて

日本で暮らす人とISIについて語っても

それは自家中毒的な万能感に味付られてしまい

議論の目的によって帰結の方向が決定されてしまう。

二次情報の陥穽である。


実体が構造的な安定を持たないときには

それについてのエリントの深みには限界があると思う。


最前線と後方での記号の表象性の不連続性

これはどんな業種でも見られる現象である。


私には

これが前回のブログで述べた『平時の表現形式』の応用問題に思える。



アフガニスタン便り-ブスカシ広場
              写真2:サリプルのブシカシ場



● ● ● 『平時の表現形式』についての実感


私の下手な造語である『平時の表現形式』

この言葉を使って私が言いたかったことについて

もう少し考えてみたい。


まず私の実感した『平時の表現形式』について述べてみよう。


『平時の表現形式』を明瞭に実感したのは10年前、

シェラレオネに赴任して初めて一時帰国したときのことである。

その後

現在に至るまで

休暇でシェラレオネやアフガニスタンから日本に戻って来る度に

又は

中越地震や東北大震災の現場から東京などに戻って来る度に

以下に述べる気味の悪い感覚に包まれるのが常であり

この感覚が

『平時の表現形式』の肌感覚だと思っている。



アフガニスタン便り-kono廃墟1
アフガニスタン便り-kono廃墟2               

アフガニスタン便り-kono子供

          写真3・4・5:2001年12月、壊滅状態だったコノ(シェラレオネ)

『ブラッド・ダイヤモンド』の舞台ともなったコノは、焼け焦げた家屋ばかり廃墟のようだった。町中の井戸の中は惨い状態であった。当時はパキスタン軍が治安維持部隊として駐屯していたが、国際NGOスタッフが反政府軍残党に斬首される事件も発生した。発掘されたダイヤの原石を巡る殺人事件があった。私のオフィスではスタッフの奥さん同士が痴話喧嘩で流血していた。町の子供達はとても可愛かった。まさに実存的主題の坩堝のような現場であった。



成田空港に着陸するまでは

飛行機の中で

”日本に帰ったら、あれもしよう、これもしよう、あの人に会おう、この人に連絡しよう”と

あれこれと思い巡らして非常に活動的な気分なのだが

着陸するとすぐ

機内にある種の空気が急激に立ち込めて来るようであり

もう到着ロビーに出る頃には

その気味の悪い感覚にうんざりと疲弊してしまい

”家の近所でラーメンと餃子でも食べて寝よう”

というくらいに

意欲は殫竭し活力は極度に萎えてしまうのであった。


この、気味の悪い感覚は

”到着ロビーに出たら、もう、周囲のモノ全てに名札がついている感じ”

”家の冷蔵庫の裏の隙間にも、トースターの中のパン屑にも、全部に意味が充満している感じ”

というような感覚である。

シェラレオネ勤務の頃から

親しい友人に何とかこの感覚を伝えようとしていたが

この表現は差詰め妄言であり

ノイローゼとしか思われなかったかも知れない。

しかしこれは、私の実感そのままの表現なのである。

自動販売機にも

空き缶にも

大型建築物にも道路にも

自動車にも

街路樹にも
歩いている人にも

ごみ箱の中にさえ

機能や意味が端的に示された名札が

くっついている感覚である。

私は、この気味の悪い気分が

『平時の表現形式』を体感したときの一つの現れ方だと思っている。

機能という名札で埋め尽くされた上に出来上がっている仕組みが

見え難いようで

しかし

あからさまな存在感で

隠顕しながら確かに自走しているのを感じるのであり

それは

分かり易くて軽薄な記号と因果律の充満した

澱んだ洞のような世界なのである。



● ● ● ”物語”から 緒につく


私が感じた

この”周囲の物全てに名札がついている感じ、全てに意味が充満している感じ”

というのは

私の超個人的な心象であり

それは

私個人が

私個人を取り巻く

狭くて深い世界に関わる中で

私の中に生まれた”物語”の一部分である。

私のこの心象に

所謂科学的な客観性があるのかないのか

と問われれば

ない、と応じるしかない程に

私個人が

私の周辺と触れ合うときに生まれた個人的な”物語”である。


蛇足ながら

私がこれまでにブログで述べた

”物語”についての話、”貨幣”、”情報”、”信仰”についての話なども

アフガニスタンやシェラレオネなどの現場で

私が全人格的に直面した実存的な経験によって薫陶されて芽生えた

私を取り巻く外界の意味を

私が掘り下げるときの

個人的な”物語”である。


そういう個人的な”物語”の語り口というは

例えば

”スマートフォンの使い方”とか

”5分でわかるロボット工学”とかいった

ある程度客観的と思われる事物について述べる場合とは

全く異なる心の姿勢から発せられたものである。


よくよく省みると

私はそれらの超個人的な”物語”を

弊団体が運営しているこのブログで書いてみようとしている訳で

ブログの趣旨からかなり逸脱していると思われ、申し訳ない。

しかし

アフガニスタンでの支援活動の経験を他の人と共有したいと思うと

実務的な事象を共有することを除けば

こういう”物語”のようなものを示すことになるのではないだろうか。

つまりもっと突き詰めた言い方をするのなら

他人と何かを共有したいと思う場合は

超個人的な”物語”を伝えることになるように思う。


だから
私の狭くて限定的な経験世界から浮かび上がる物語が

所謂一般的な”世の中”を理解するための客観的な知見になるとは

つくづく思えないし

小さな私の小さな物語を

大きな世界を読み解くような”大きな物語”に繋げようという意志もない。


ただ

文化人類学的な専門家によれば

実際に今も息づいている神話というのは

日々の個々人の生活の中で

個々人の実存的な体験と絡み合いながら

常に変更され更新されているそうで

多くの専門家が研究対象としたアメリカ先住民の場合でも

現地の語り部たちは

「本当のところは”これが神話”っていうものはない」

と言うそうだ。

各家庭や共同体の構成要素の各々の事情で

日々神話は作り変えられてゆくそうだ。


だから

個人個人が

自らの周辺世界の意味を日々耕していくという作業は

人間が太古から継続してきた実存的な営みだと思う。

私が繰り返し使う”実存”という言葉は

超個人的な入口から心とか魂を覗くということとも言えるが

物語はそこから生まれるわけである。

個人の物語は

個人の実存的命題について湧きあがった内的必然性の集合体であるから

世界を説明し尽くしそうという野心からは遠いところにある。

そして

個々人の物語が

沢山縒り合わさった結果として

演繹でも帰納でもない

内的必然性の収斂の中で大きな物語が結晶し

実存の言葉を支えるようになっていくのではないだろうか。

つまり

個人が物語を深める作業は

現代社会の持つ、世界を裁断しようという異様とも思える野心とは無縁であり

人間社会で亘古亘今続いてきた

人知を超えたものへの配慮が育まれるときに不可欠な

揺籃であったはずである。

この作業なしでは

実存と繋がるどんな世界の解釈も存在できないのではないだろうか。


翻って

日本にいて思うのは

過剰な記号の中で生まれた

”世界全体が理解可能である”という思い込みと

”世界を理解した”と思うことから得られる

麻薬のような快楽で中毒になっている様な

説教臭い酔っ払いを眺めているような異質感である。

個人の物語を見つけていく作業が

お手軽な世界理解にすり替わっている。


だから

一見個々人の物語に見紛うものも

お手軽な世界理解の変形版でしかないことがある。

個人の物語は本来

本人の実存的経験から来る一次情報から創造されるものであり

二次・三次情報から作られるものは

実は

個人の物語とは呼べない贋造ではないだろうか。


大きな世界を説明し尽くそうとする意志が氾濫している現代

お手軽な世界理解を誘発するような情報体系であふれる現代

私には

個人が物語を紡ぐという千古不易な営みが

安易な記号化の元で繰り広げられる陳腐な因果律や論理に

取り込まれてしまっているように思える。

『平時の表現形式』のせいで上手く隠されてしまっている実存的主題について

それを掘り下げる人間の根源的な意志が

判り易い論理で代替されているように思えてならない。


『平時の表現形式』を使い続けていると

恰も世界が理解可能なように思え

世界を言い切ってしまい

実存的主題さえ単純な因果律で言い切って

お手軽に不安を解消して

物語を取り溢しながら

快楽を得ている。


日本に帰ってきて思うのは

全体的に

そういう安直な快楽で麻薬漬けにされているような

清朝時代の阿片窟のような

甘い窒息感である。


日本では

『客観的な世界理解などは有り得ないはずだ』

と主張することが憚られるぐらい

世界は理解可能だと仮想してしまっているように思う。


思想史からみれば

”世界が理解可能である”という認識上のスタンスは、今に始まったことではない。


カントがコペルニクス的転回と称した認識の仕組みというのは

”我々の認識が対象に準拠しなければならない”のではなく

”対象が私たちの認識に準拠しなければならない”とした点にあるが

彼が設定した”物自体”という概念が孕む勇み足は、

カントが敬虔なキリスト者であったことで補完されていたと思う。

”物自体”を認識することは出来ず

我々は”現象”にのみアプローチが可能であるという考え方と合わせることで

”対象が認識に準拠する”範囲を現象に留めたことが

私には

彼の信仰心の表現方法の一つだと思える。


ハイデガーによれば

”Weltbild”(”世界統握”)の時代とは

”世界というものは

始めから人間によって細かく調べることが可能で、それによってコントロールも出来るもの”

という

西洋に萌芽した認識が普及した時代である。


西洋では中世の頃

”実体は

スプシステンチア(それ自体)とスプスタンチア(諸性質や属性)の2つに分けられる”

と考えられた。

そして近代では

存在に対する諦めなのか居直りなのか

スプスタンチアのみが重視されることになった。

つまりWeltbildの時代では

世界は統握でき裁断できる対象なのである。

私の理解では

ニーチェの言う”真理への意志”も

理解可能な世界という虚構に恋い焦がれた中で生まれる。


この文脈で言えば

私には

現代が”スーパー・スプスタンチア時代”とも呼べる状況にあると思える。

現代では

近代の様々な悲劇の一因となった思想について

それらは過去のもののように語られるが

実際に人間を動かしている主要な世界観は

近代或いはそれ以前の

Weltbildの儘ではないか

と思う。


物自体の世界は

追いやられている。

現代では

”実体=属性”というところで思考を停止させておくことが流行りである。

社会の駆動力となっている多くのシステムが

属性を実体そのものとした上で成り立っているからである。

記号化された属性について表象性を疑うことは少ない。


ハイデガーの言う

”気遣い”や”意味関連”とは本来

存在者の意味関連として意識されるものだが

現代は

膚浅な記号群で構成された精緻なシステムのなかで

擬似的な”気遣い”・”意味関連”とすり替えられている。

このことが本来の実存的主題を遠ざけているのかも知れない。

或いは

実存的主題を安直に記号化した世界観のなかで

擬似的な意味関連を実感したように錯覚して

個人の物語が安直な世界観で代用されてしまうのかも知れない。


危機感の規模が大きいほど

それは国家レベルの構造を思考の射程とするから

そこに現れる様々な似非意味関連に惑わされる。

或いは

国家レベルでの思考の中に紛れ込んでくる

実存的主題の形ばかりの解消に騙される気がする。

危機感から生まれた世界観は政治との親和性を持ち易い。

私は

それがハイデガーがナチズムに接近した理由なのか

とも思う。

危機感で熱くなった時代の”意味関連”では

思想の”余白”のような部分に夢を託せる気がしてくるから

注意が必要である。


ともあれ

実存的世界に目を向ければ

世界がいつまでも不可知なものだと解る。

個人の”物語”の発見は

御手軽な世界理解とは全く異なるものである。

なのになぜ”物語”とお手軽な世界理解が等価と錯覚されるのか。

私には

実存的主題は常に不安を伴い

その不安を解消する為に

快感が要請されるから、お手軽な世界観が忍び込んでしまうのだと思う。


久しぶりに長く滞在している日本には

不安を解消する快感を得る為だけに作られたとしか思えない世界観が溢れ

不安を抑えたい人々は

それを貪る衝動に襲われている気がする。

ただ

一時的に不安を抑えることが出来ても

無意識では薄々”簡単に世界理解出来る筈がない”と気づいているので

焦りは更に増して

また別の”確からしい”世界理解を求める”情報教”に陥る。


聖書のヨブ記を引き合いに出すまでもなく

実存的主題の背後には真意の計りかねることばかりが迫っている世の中である。
シェラレオネやアフガニスタンや東北で起きた出来事について

個々人を主語にして語ろうととすれば

論理学的因果律で言語化することは心にとっては不毛なことである。

構造を分析して科学的に語っても魂にとって剴切な言葉は出てこない筈である。

換言すれば

ヨブ記の内容を

パワポ5ページでクライアントにプレゼンしても

A3一枚に見える化してプロジェクトリーダーにレポートしても

ヨブ氏に起きたことが内含する深淵にはなかなか迫れないであろう。


実存的主題について思い巡らすことは

世界を俯瞰しようという快楽とは別である。

旧約聖書の時代から延々と主題とされて来たことが

現代となって
まるで小学生の算数のように簡単に説明されてしまっていると感じる。

納得の体系が非常に浅くなっているような気がする。


日本に滞在して半年以上が経つが

小説や映画やテレビ、漫画で繰り広げられるドラマの多くに

何やら全体を説明する視点があって

気になる。

日本の小説やドラマを全部知ってる訳では勿論ないから

単なる私の思い込みかも知れないが

戦いや革命の成り行きが既知の歴史小説のように

まるで神様の様な視点を確保した上で

眼下の物語を見ているような感覚である。


勿論ここで私は

そういうドラマが存在してはならない

と言いたいのではなくて

そういうドラマばかりが流行ってしまうことの意味を考えているのである。

そういうドラマが流行ってしまうくらい

不明瞭な世界で埋没していることの強い不安が変形して顕在化していることに危惧を持つのである。


世界統握の背後には

何らかの構造的な分析がある訳で

世界をシステムとして理解する訳だから

そこに余りに耽溺すると

まるで電車やエレベータに乗るときの様な

疑いのない操作性と万能感が生まれると思う。

これは

システムに属するということが宿命的に生み出すものである。

システムの外から見れば

それは

自己愛としか思えないカタルシスと自己肥大の腐臭に溢れている。

閉塞感・絶望感と

操作性・万能感は

親和性が高いと思うのである。


そして

NGO業界で勤務してきて驚いたことは

NGOは言うに及ばず

業種に関わらず

国に関わらず

国際組織かドメスチックな組織かに関わらず

多くの組織の

うたてある主どもの中には

枠組みを作って絵を描くことに快楽を見出している者が沢山いることである。

そこは

プラスチックワードとネームドロッピングで溢れ

ジャーゴンに酔いつつ使い捨てている。

見渡したようなドラマが供給する快楽と同様の

自己愛のカタルシスが耐え難い。


日本に戻って電車に乗っていると

心の芯から疲労して見える人がいるが

私には

お手軽なカタルシス中毒の飽和で

システムの中で暮らしながら夢想した際限ない万能感が

存外満たされないことを知って神経に触り

余りに神経に触りすぎて

虚脱しているようにも思える。


この手の『平時の表現形式』に依存した儘で

形而下的な課題に対応し続けていると

いずれ

実存的な課題に目を向けないことから生じる不安で鬱積した

無意識レベルのモーメントが

変形した形で形而下の事象として溢れてしまいそうな気がする。


だからこそ現在

自然災害や原子力問題、経済問題などを発端に

様々な形で溢れだしているリアルに臨んで

多くの人が実存的主題に取り組んでいる今

その取り組み方でこそ

我々現代人の器量が試されているように思う。


これまで『平時の表現形式』ばかりに親しんできた我々が

下手に実存に手を出せば

実存的主題の様々な局面で

自覚のない儘に心地よい『平時の表現形式』のお手軽さに嵌り

判り易くて気持ちのよい簡単な言葉を

自分の”物語”だと違戻してしまうのではないか。


そして

そのお手軽に生まれた“物語”に陶酔したり

なんとなく参加してしまうことが

似非神話の醸成に繋がり

それが二次的な悲劇を生むのではないか。


人間が言語の使用を選択した以上

論理学的な過剰は避けられないのかもしれない。

しかしそれが

世界の認識にアンバランスを生み

歴史上

言説が暴力的な力をもって

戦前のイデオロギー闘争や全体主義のような

思想が形而下世界を強引に制御する悲劇が

繰り返し発生してきたのだとすれば

現代の人間は

それを避けることに今少し聡睿であるべきではないだろうか。


メディア論によれば

『新聞やラジオなどの”熱いメディア”は

参加者の絶対数が多い、電話やテレビ、インターネットなどの”冷たいメディア”に移行していて

国民国家が意図するような

国家の物語を作り難くなっている』という。

国民国家の大きな政府に対する不信感が

80年代の新保守主義を生んだとも言われる。

これにグローバル化した経済が同期して

アメリカを中心にした経済圏が金融経済を主体とした経済成長を獲得した

というストーリーである。

だから

『”冷たいメディア”が主流の現代に近代のようなイデオロギー闘争は発生しない』

という楽観的な考え方があるが

果たしてそうだろうか。


国家の体をなしていないアフガニスタンでの八年間で私が感じたことは

この世では厳然として

貪欲な国益・域益を代表とする主体が

政治・経済・軍事の動力となっていることである。

アフガニスタンに住む吹けば飛ぶようなNGO職員にとって気になることは、

国民国家としてのアフガニスタンが

更に大きな範疇で構成される覇権の中に埋没していく際に

それら覇権を代表する様々な主体が

巧拙の違いはあれ

様々な言説で自・他国民を納得させる修辞を探し蠢いていることである。

前近代的とも言える主体性である。

そして

いずれ世界の新しい覇権主体が顕然化する過程では

それらの言説を道具にした悲劇が起こりそうな気がしてならないのである。


幾ら”冷たいメディア”によって散文化された民意も

将来

地震や洪水等の天変地異

中産階級が消滅して格差が増す経済不況

食料・水・エネルギーの獲得競争

広範な地域を真巻き込む軍事的衝突など

実存的危機をもたらす災厄の規模が更に大きくなったとき

我々は

心地よくて怪しい言説に寄り縋らないでいられるだろうか

散文化した言説の中で不安感に耐えられるだろうか。

私には

『平時の表現形式』の儘の無防備さでは

奇妙な言説が多数の人々を納得させてしまうような気がして怖い。


経済大国という位置から貶降しようとする日本は

中国やアメリカという覇権主体のヘゲモニー争いの中で

相当上手く渡り歩いて生き抜くしかないという点では

地政学的な要衝にあるアフガニスタンと同じであると思う。


そこで

凄味のある人間像を何百年か後の未来の日本の財産として残す為には

軽薄な記号による言説が持つ陥穽に対して毅然とし

或いは

天君泰然として取り合わないでいられる様に

個人の物語をまずは深め

実存的主題に臨む場合の格調を整えることは大事なのではないか。

現在の『平時の表現形式』のままでは心もとない。

実存的主題への接触を

個人のレベルから深めること無しでは

持続的発展とか

循環型経済とか

環境保護とか

共存型社会とか

自然エネルギーとか

一見、『平時の表現形式』からは一線を画しているように見える

もっともらしいキーワードを唱えても

いずれ

記号の海の浮薄な論理に絡め捕られ

心猿意馬、拴縛し定めず

畢竟、その思慮する所は飾詐一邊となるのではないか。



● ● ● 記号量の変遷


お手軽な世界理解の快楽で中毒になっている阿片窟の臭気が

シェラレオネやアフガニスタンから帰国したときに特徴的に体感されるのは

日本とこれらの国とでは

実存的主題を共有するときの”物語”の有り方が大きく異なるからだと思う。


私がその背景として感じるのは

過去のブログの繰り返しになるが

現代における宗教性の代替物として機能している

情報が貨幣のように流通すること自体でその強化が促される

”確かなこと”の体系

”情報教”の存在である。


『平時の表現形式』とは

言わば

この情報教の聖典みたいなものである。

この聖典を支えているレトリックは

記号の流通を担保するための記号群による因果律である。


まるで貨幣のように

表象性は単純になっている。

そこでは

実存的深淵を抱え込めないから

尻に火が付いたような信仰となっている。


『平時の表現形式』という軽薄な言葉しかもたない儘で

単純な記号が蔓延すると

実存的主題に取り組む際に危険性が発生する。

これが、前回のブログの末尾で述べた懸念

『実存的なことを放置することには異議を唱えたいが

簡単に実存に迫ることもまた危うい、ということである』

ということの内容である。


この視点から、私なりに見た日本の近代について、ここで少し概観してみたい。

なぜなら

こういう文脈の中で、日本の近代を省みることが

現代の『平時の表現形式』について客観的になり

その副作用に警戒心を持つために

重要だと思うからだ。


結論から言えば、

戦前のイデオロギーの飽和状態が

記号量の激増による『平時の表現形式』の爛熟の中で必然的に起こったように思えてならない。


歴史の流れの中での記号量の変遷を考える際に

インジケータとして

経済規模を見るべきなのか

出版物の量を見るべきなのか

貨幣流通量がいいのか

見当もつかない。

とにかく

私の仮説は

それらのインジケータが急激に膨れ上がる時期に同期するように

言説が膨れ上がっているのではないか

ということである。


日本銀行の統計資料から見れば

明治初年3000万円にも満たなかった通貨量は

明治6,7年から26,7年までに2億円前後で推移するようになり

その後

大正元年に7億円弱になるまでに急激増加した。

さらに大正5年から8年には10億弱から20億円にまでなっている。

そして

大正8年から昭和8年までは20億円前後で推移した後
昭和15年までには60億円を超し

終戦時では、550億円を超している。


1894年(明治27年)の日清戦争、1904年(明治37年)の日露戦争ののち

大正デモクラシーが1913年(大正2年)~1925年(大正14年)として

その間

貨幣の流通量が大きく伸びる中で

安直な記号群で語られる『平時の表現形式』が

巷間に蔓延したのではないか。

貨幣という単純な価値=記号が

それ以前の時代に比べ急増する時代に

お手軽な言説が蔓延するのではないか。


そしてそこに起こった

1923年(大正12年)の関東大震災や

度々東北地方を襲った凶作で

リアルは溢れ

実存的悲劇が日本中で顕在化したときに

哀しいことに

記号論的世界理解の快感に慣れてしまっていた日本国民は

急激にわかりやすい言説を量産し

自ら盲信するようになったのではないか。

平時の表現形式に慣れてしまった頭では

どんなに危険で極端で視野狭窄な考え方に対しても

極めて記号学的に”納得”してしまう習慣がついてしまっていたので

”どうも胡散臭い”と薄々気が付いても

世界理解の快楽と”納得”の習慣には勝てず

ズルズルと時流に流されていったのではないか。


太平洋戦争になだれ込んだ原因を

経済や国際政治の構造で考えることも大事だが

しかし

国民が戦争をどのように納得し

積極的・消極的に支持・看過したのか、について考えることも大事だと思う。

そこに

各人の信仰を支えている実存的な部分までが関与していたのであれば

民主主義制度が導入されている現代では

国民個人が実存的主題に臨む姿勢は

国の意志決定に大きく影響しているように思う。


ある種の実存的体験を

大勢の人間が

感情や肌感覚を持って共有したときには

幾ら安直な理屈でも

容易には疑うことができなくなる。

実存抜きで豊かさを享受した社会では浮薄な記号論が蔓延し

その後からリアルが溢れた時に

浮薄な記号と因果律の上でイデオロギーが求心力を持つ

という構造は

近代も現在も変わらないのではないか。

経済規模の膨張

記号の大発生

経済の縮小や天変地異をきっかけにした実存への回帰

陳腐な記号での陳腐な実存理解

俚耳に入りやすい思想の蔓延

右や左に関わりない思想による暴力の集約

という流れで考えれば

大きな思想が暴力を集約化した時代の前には記号の爆発があったのではないか。


勿論

上記のメディア論で述べたように、
近代に見られたような形のイデオロギーが現代には復活しないかもしれない。

しかし

これだけ記号化が進んでいる現代

新たな覇権主体が生まれつつある現代だからこそ

可笑しな言説が入り込む隙間は大きいように思う。

最近、街頭インタビューで繰り返される”もっと強いリーダーシップがほしい”という、

非現実的なリーダーシップを夢想するこの傾向は

現代に復活する万能感

高揚感を伴う過去のイデオロギーと同じ匂いがあるのではないか。

記号の海から生まれてくる万能感という精神的な一種の興奮のもとで

実存的な主題を読み解こうとするときに
異様に万人受けする教義が生まれてしまうと

教祖や教団がいかに誠意を持っていても

御為倒しの迎意が無くても

表象性のきわめて怪しい記号を用いて世界を言い切ってしまえば

無防備な我々は信用してしまう。



● ● ● リアルへの佇まい


以上長々と書いたことが
今現在、私が自分の周囲に埋没しながら思う、

まずは私にとってしか意味を持たない物語の一部である。
こういう解釈をする私にとっての、

私が周囲と関わるときの言葉のようなものである。


上で述べた物語に含まれる実存的主題についての問題意識について
”客観的に精査しロジカルに考察して解決策を検討する”
という手順をとることは

私にとっては

優先順位の低い作業である。
なぜなら、そこでは、知らず知らずのうちに

表象性の誤謬を看過し、常に操作性を志向してしまうからである。

まずは、

そういう『平時の表現形式』からの強迫に従うよりも
物語の導出を担う実存につながるリアルに目を向けたいと思う。

だいたい
"解決策を想定して世界を読む"ことほど
実存の物語からかけ離れたことはない。
"問題点を指摘するなら、解決策を示せ"と言うバカが時々いるが
問題が実存的な事柄に接近していればいるほど
解決策など想定できず
また
始めから解決策を提示出来ると楽観したような姿勢で
掘り起こした問題提起ほど

浅いものはない。
特に

NGOのように
実存的な主題と国家的制度の間を埋めるような業種であれば
そんなお手軽な姿勢では
詐謀ばかりが再生産されて
いつまでも真人間として生きることに近づかない気さえする。

この点も
日本に戻って呆然とする『平時の表現形式』のひとつである。
こんな思考に埋没していたら
『Win Win』とか『ビジネスモデル』とかとお気楽に言ってられなくなった時に
すぐ思考停止になるに違いないと危惧する。
なのに
日本で感じるのは
しばしば多くの人々が
率先して『平時の表現形式』を使って意思伝達をしているのに
それが

安直に属性を記号化しただけの言葉であることに無自覚であることである。
私には
それらの意思伝達の多くが

実は没コミュニケーションに思える。
戮力するのに不可欠な組織是が

互いに切磋琢磨されず薫陶されず

遂には実務の舵の方途までが成り行き任せとなり

まるで思考停止状態の雛鳥のようである。


ともあれ

私は

私の物語については

『平時の表現形式』的思考法はとらない。


"私"という一人称で考えるなら
生まれてこのかた

ずっと愚かしく生きてきたお馬鹿さんの私が

今後もう少しは真人間になる為の心構えとして

"どんなふうな姿勢でリアルに昵比していくか"


というところが
私のこれからの物語の修辞を支えるように思う。

だから、私としては、リアルへの佇まいを鍛錬していきたい。


現代は

世界を統握して裁断する意志に溢れていて

疲倦この上ない時代であるが
実存の言葉を用いてリアルに臨み
自分の物語を彫琢することをもって端緒にすれば
私如きにも

他人の物語の深淵さを少しは忖度出来るようになるかも知れない。
そうして初めて
お手軽な世界理解の快楽との距離感をもっと上手く掴めるようになるかもしれない。


それが基本として備わった真人間になるべく研鑽しないと

”手遅れと知りつつ最善を尽くす”という凄味のある気概は

永劫に私には身につかない気がするし

自分の仕事にひきつけて言えば

原義的な意味での国際援助や緊急支援業務に肉迫出来ないような気もする。


(続く)

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2011年09月19日(月) 16時14分11秒

あふれたリアルに -その2:東北報道と実存の言葉-

テーマ:ブログ

先に書いたように
私は、微力ながら東北支援に携わることが出来た。


そこで出会うことの出来た地元の皆様との毎日は、

私の宝物である。

それが、どれくらい有難いものであったかは、

まだ上手く言葉にならなくて もどかしいけれど、

思い出すのも、もったいないくらいである。

震災後半年たった今現在の暮らしの文脈で思い出したら

手垢がついてしまいそうで、

とにかく

肖え物の御守のようにして

大事にしている。



アフガニスタン便り-南三陸花火02
                  写真1:南三陸町の花火


●  ●  ●


震災後、

たくさんの人が大量の言葉を用いて、

新聞やテレビ、ラジオ、書籍、広告媒体や映像媒体を使って

震災を伝えた。

それらのなかには、並々ならぬ真剣さで伝えようとしたものがたくさんあった。

報道に関わる人々を始め、

あらゆるジャンルの著名人、有名人、有識者、芸術家、コピーライターなどが、

様々な手を尽くして言い表そうとした。


特に

被災地で読んだ、

三陸新報とか河北新報、岩手日日などからは

震災後かなり経ってからも迫ってくるものを感じた。


大量の言葉が生まれた。


平時、言葉を仕事の重要なツールとして用いている職業的表現者の皆さんが

”力を絞って言い表さなければ”と切実に感じている”何か”が、

如何に大きなものであるかを明示していたように思う。

それはもちろん、一般人である我々も同様に、全身で感じていた”何か”だと思う。


震災直後の報道、

被災者の皆様自らの言葉や自衛隊や消防隊の皆さんのコメントが含まれた報道、

被災地の媒体による報道、

これらからは、

媒体というクッションを通してさえ直に伝わってきたが、

それは、

現地で感じる、押しつぶされるような感覚を

正当に表現するものであったように思う。


● ● ●


ただ、震災後時間が経ち始めると、

全国新聞や大手民放などの媒体を通じて伝えられる言葉の一部は、

どういうわけか、私の感覚から少しずつずれ始めた。

そういう報道には、正直、

積極的に触れる気がなかなか涌かなかった。


私は、現地で緊急支援、漁業復興支援をしていたので

努めて新聞には目を通していたが、

現場で全国紙の朝刊を見る気分にはずっと違和感があった。

もちろん、仕事に関わる漁業関連の記事などは読めるのだが、

それ以外の記事では、読むのが苦痛である文章も多かった。


時間が経つほどに、

報道や表現の形式が、

強烈に何かに吸い寄せられて引き戻されるような感覚であり、

現場での感覚から少しづつずれていく感覚でもあった。


私の知り合いで東京で金融業界に勤める人も

普段は隈なく読める経済紙に対して、

全く読む気が起こらなくなった、と言っていた。


言わずもがなだが、

そういうメディアの報道でも、

被災された方々や救援作業をされている方々の言葉がそのまま載ったり映ったりする部分には

依然として、今も、釘付けとなり言葉を失う。

しかし、それ以外の、

何と言えばよいのだろう、

媒体側の人が、事象を整理するクダリには、

それが新聞であろうと、映像であろうと、芸術であろうと、アカデミックなものであろうと、

著名人であろうと、学識経験者であろうと、芸術家であろうと、

映画監督であろうと、音楽家であろうと、コピーライターであろうと、

そういった人々に誠意があろうとなかろうと、

意識的であろうと無意識的であろうと、

営利目的・自己顕示目的であろうとなかろうと

そういう人々に表現されたことが全体として、

震災直前までその表現者たちが使い慣れてきた、

『平時の表現形式』に強引に引き戻されている感じであった。

おそらく、当の本人も自覚しているのではないか、と思うくらい、

震災後から見れば古色蒼然としか言いようのない修辞とかまとめ方で

表現しようとしているようであり、

それは、

現地に満ちていた、胸がふさがれるような感覚からは非常に遠いものであった。


そうして、そういう違和感が襲ってくる度に、読む気が失せてしまうのであった。


そして今、
震災から半年経って

この違和感は、妙な感じで落ち着いてきてしまった。

それは、違和感が無くなった、というよりは、

違和感が全体を凌駕してしまった感覚、とでも言えるだろうか。


● ● ●


私は今、この違和感について以下のように考えている。


すなわち、

この違和感は、


『我々は、如何に、

普段育んできた平時の言葉を、

実存的な深みについての心象を交換しようとする意志の中で鍛えてこなかったか』


ということを示しているのではないだろうか。


私はただのチンピラNGO職員だから、

僭越とは自覚しつつ思うのだが、

現代は、余りにも、

実存的な事柄について

鷹揚な姿勢で臨むことでそれを過小評価し

そういう態度をとること自体に抵抗を感じなくなってしまったのではないか、

と思うのである。


実存、という、哲学用語しか思い浮かばないこと自体、

私自身が、

平時の表現体系に戻っていることの証左であり、

自分の抱いた違和感の中に徐々に取り込まれている証左でもあり、

実存的深淵を表現する為の鍛錬が足りないことの証左でもあるのだが、

それでもここで、敢えて、実存、と言う言葉を使いたいと思う。


上手く言えないけれど、

また、

上手くいうことは不可能だけど、

現場で被災された方から伺った様々なお話、それを伺った時の感覚、

私を含めて被災地で活動された皆さんが現地で感じられたであろうあの感覚、

あの、心がおしつぶされて言葉を失う感じを、

上手く言えないとは知りつつも敢えて便宜上言い表そうとすると、

私の知ってる単語の中では

実存、くらいしかなかったので、

ここでは、この単語を、非常にあやふやながら、

そういう気持ちの総称として使うことにした。


もっと言えば、私には、

こういう、出来れば触れないでそっとしておきたい気持ちを

あまりに明示的な記号で表すことは適当でないと思え、

”実存的”という、日常的には、意味があるような無いようなよくわからない単語を使って、

指示代名詞的に表現したかった。

だから、

実存という言葉の起こりであるキルケゴールに始まる実存主義哲学のように

分節的に解析して厳密性を担保しながら注意深く使われてきた単語としてではなく、

だから、実存”的”、という風に、曖昧に使っている。


● ● ●


通俗的な現代日本語では、

”宗教”という言葉を用いて、

”如何わしくて、禍々しくて、眉唾の神秘主義”を一纏めにして表象することで

可笑しな安心感を得ようとしているが、

それで、”宗教”が本来担ってきた重要な役目まで

一緒にどこか目に見えないところに片付けてしまったような気がする。

そこでは、

実存的なことについての先人たちの真摯な取り組みも

一緒にどこかに片付けられてしまったように思う。


人類は、

などと、私のようなただのチンピラNGO職員が言うと説得力のかけらもないが、

人類は多分、

おそらく有史以前から、つまり石器時代からこれまで、

宗教的なものを中心としながら、

実存的な事柄についての表現を少しずつ練ってきたのだと思う。

実存的なことに如何に向き合うか、ということを練り続けてきたのだと思う。

そういった人間活動の多くの部分が

実存的なこととの折り合いを探るように洗練されてきたのに違いない。


”宗教的なもの”だけが、実存的なものを担ってきたのでは勿論ないし、

”宗教的なもの”が、実存に向かい合う普遍的な作法を完璧に練り上げたわけでも勿論ないが、

だからといって、

無宗教を気取って

実存を蔑ろにする代償として、

無意識に向かって潜んでいってしまう不安までもなかったことにして毎日を過ごすことは、

結局は、不安を更に複雑にしているようにも思う。


近代以降、

メタフィジカルな事象を表現することについて、

おざなりに扱うような気分が徐々に広がっていると考える。


話が大分とそれてしまったが、

私は、

私たちがこれまで、

実存的な事柄を表現することに余り一生懸命でなかったために

非常に足腰が弱くなった表現形態しか持たず、

そのせいで、

折角、震災時には図らずも多くの人の間で共有された実存的深みが、

震災からしばらくたった頃から散逸してしまったように思う。

そして、半年経った今は、

平時に溢れていた表現形式の網にかかってしまい、

再び引き戻されて、覆われてしまった、

という風に思うのである。


● ● ●


では、私がここで言う

”平時に溢れていた表現形式”、というのは何であろう。

僭越乍ら述べると、

『平時の表現形式』とは

お手軽に記号化された表象で構成された、論理学を基盤とした表現形式のことである。


もう少し詳しく言うならば、

以前このブログで書いた私見だが


『表象性がきわめて怪しい記号群を真として、或いはいつか真となることを盲信して、

そういう記号を大量に供給しながら、

それを、

論理的に自明であるという旗頭の下で流通させて構成していくという、

朽ちない情報価値という危いものを前提として成り立った、

擬似的な信仰体系』


と言えるのではないかと思うのである。


そしてこの平時の言葉では、

震災であふれたリアルをとらえられなかったのではないだろうか。


震災直後のあの時、

平時の言葉は機能を停止した。

そのかわり、無言の祈りのようなもので、空間が満たされた。


あの時の節度ある言葉、

つまり、

尊いものへの祈りを前提とした上で、

安否や現状やとるべき対策を出来るだけ正確に迅速に共有しようとした、

ある種の沈黙に担保された表現形式が現れた。

あれは、私たちが有史以前から育んできた

魂の言語、実存の言葉だったのではないだろうか。


平時に流通していた夥しい記号群は

実質的には既に震災前からインフレ状態であったが、

震災後には、その本来の市場価値を露わにして価値が低下し、

平時の言葉というシステムは停止したのだ。

実存からは離れた空疎な単語は虚しく感じられた一方、

魂の言語は圧倒的な共有感覚を伴って、しばらく流通した。


しかし、その後、

時間の経過とともに

実物経済の復旧に連動してか、

平時の記号群も再び流通し始めた。

大量の記号を流通させて成立しているのが現代社会のシステムとすれば、

その積み重ねの上に成り立つ経済に連動することは、

経済に引っ張られる形で

精神生活も震災前の平時の言葉で動き始めることにつながる。


震災前のシステムを動かすために

実存の言葉、魂の言語は、再び潜在化して見えにくくなろうとしている。


● ● ●


実存、とか、実存の言葉、と言うことで言えば、

支援の現場は、真に赤裸々な実存的事象の集合体である。

それはアフガニスタンだけでなく、

シェラレオネもそうだったし、

インド西部地震もそうだったし、

神戸大震災も当然そうだった。



アフガニスタン便り-絨毯と少年
                    写真2:山岳地域の村の少年。


もっと敷衍して述べるならば、

実存的事象の横溢こそが、

国際緊急支援という業界の現場の大きな特徴の一つである。

私を最も惹きつけて来た属性は、

国際緊急支援が、隠しようもなく大きな実存的課題に常に接近している、

というところである。


● ● ● 


ここまで書いてきて気が付いたが、

私は、実存実存などと言い募って抽象的な文章を書いているが

実存的なこと自体を具体的には述べたくない気持ちが強い。

それを誠実に述べれるような能力が私にないと自覚されるからだ。


実存的なことは言葉にするのが難しく、

本心を言えば、出来れば言葉にしないで済ませたいものである。


しかしその一方で

支援の世界で私が経験した実存的な事象を示すような、

具体的な例を述べなければ、

私がアフガニスタンや東北から受けた薫陶を、このブログで伝えることが出来ないとも思う。


だから、以下では、一つだけ例を挙げてみたいと思う。

この例は、私がシェラレオネで働いていた10年前のものである。

以下を読んで頂ければ分かるように、

この話は、私自身や家族が死に直面するようなクリティカルな経験談ではない。

私自身についての実存的な話をここで上手く述べれるほど心の整理が出来ていない未熟な私としては、

私自身についての話ではなく、間接的な例を選ぶしかなかった。

しかし、以下のような間接的な例でさえ、

私にとっては、この話を消化・昇華するのに10年かかっている

(今も未だ、消化・昇華しきれていないと思う)わけだから

それくらい、支援の最中に体験する実存的体験は、

私にとっては容易に噛み砕けないものである。

真に実存的な経験とは、

直接的な経験談でなくても、

人に話せるようになるだけでもとても時間のかかることであり、

このことの意味が以下の例で伝わるならば、

私の言いたい実存について、

私ごときでも多少は語ることが出来たことになるだろう。


ともあれ

少し遠くて古い話からの例で申し訳ないが、

以下が私の、シェラレオネでの実存談である。


……


10年前、私がシェラレオネの難民キャンプで井戸掘削をするために

井戸掘りチームを編成したことがあった。

シェラレオネの基岩の地質は非常に古い花崗岩であるから

井戸掘削にはパーカッション方式のリグを使用する必要があり、

そのオペレーションのためには、専門的なスキルを習熟する必要があった。

そのため、現地の人々からスタッフを公募し、面接や試験をした。

定職に就く機会はわずかなので、多くの応募者が集まった。

その時、非常に真面目な印象のある30代くらいの男性がやって来た。

シェラレオネの男性には、明るく自己主張をする人が多いように思うが、

そしてその男性もそれなりの主張をする人であったが、

他の応募者と違って、ちょっと考えをまとめてから話すような慎重さがあり、好感を持った。

その男性との面接のとき、私は、

それまでかなり長い時間面接を続けて疲れていたので、ちょっと気が抜けていたのかもしれないが、

一通りのことを訊いて採用を決めた後、

何気なく、家族のことを訊いてしまった、訊いてすぐ後悔した。

今となっては、この面接については、タブーを破ったということを悔いるしかない。

内乱を経験したこの国では、人々は言語に絶する残酷なことに遭遇してきているので、

濫りに個人的な質問をするべきではなかったのである。

私の質問を受けると、彼の表情は一気にこわばって目の光が消えた。

そして一泊おいてから、無表情のまま、殆ど機械的に家族の物語を話し始めた。

妻がひどい方法で殺害されたこと、子供たちを襲った同様な悲劇、

残った家族を連れての逃避行…

私が止めても、男性は事情の詳細を無感情でしゃべり続けた。

話が一服するのを見計らって私のアシスタントが止めるまで、彼はしゃべり続け、

止められた後も、殆ど表情を崩さず、面接の部屋を退出していった。

今も、その面接の部屋の、蒸し暑い感じと逆光の感覚が忘れられない。


……


● ● ●


比較に出すのも烏滸がましいが、

消防士の皆さんや、自衛官の皆さん、

警官の皆さん、医療に携わる皆さんが

日々直面されている実存的深淵の何分の一かは、

我々、国際支援業界の人間も少なからず直面している実存に類すると思う。

そして、それらの現場にあふれている実存的事象は、

国際社会やグローバル経済の暗い部分に如実に直結したものである。

国際緊急支援業務の本質の一つは、

実存の深淵と

現代社会の払いきれない俗塵を

非常に生々しい形で橋渡しすることではないかと思う。


(当たり前のことだが、

どんな仕事でも、或いは仕事をしていなくても、

実存的深淵は常に我々の近くにある。

ただ、どうも日本に帰ると、

普段の生活をしている限りは、

記号と論理に彩られた高度な社会システムに隠されて、

リアルが見えにくくなっている気がする。)


だから、

私の思い込みかもしれないが、

国際緊急支援の現場業務に携わる人々の多くは、

実存の言葉を

それぞれのかたちで育んでいる、

と思う。


更に

私の思い込みかもしれないが、

そしてもし思い込みだったら非常に独り善がりなことだが
これまで現場を共にした同僚の中で

私にとってかけがえのない知己だと思う人々は皆、

”実存的な人”である。


私なりに表現すれば、

私を取り巻いてきた現場の魅力溢れる同僚たちは、

現場で直面する実存的事象を、

人知れず、心の中で沈降させて語らず、

それを無理に整理したりしないで抱え込んでいる人である。

そういう素敵な同僚たちが実際に私と交わしていた言葉は、

極めて実務的な支援業務の話か、

極めて下らないバカ話のどちらかである。


そしてその
現場での同僚たちの多くには

実存的な事柄を無理に整理したりしないだけでなく、

それを自己肥大したような自己実現話につなげたり、

万能感に満ち満ちて脂ぎった自己顕示に結び付けたりする者はいなかった。


たとえば、

シェラレオネの1年半の間に私の上司だった二人の女性は、

私よりも若くて、私より50倍くらい賢くて、しかも私は四六時中怒られていたので、怖い人達だったが、

実存的な人たちだった。

難民キャンプという、実存的主題の巣窟のような事象を前にして、

腹に力のこもったお二人であった。


また、

アフガニスタンでの8年間でも様々な同僚に恵まれたが、

このブログを始めた平井さん、K氏、山元さん、Yさんなどは

またしても実存的であった。

彼らは、私より若く、私の100倍業務を機能的に熟しながらハートが伴っていて、

しかも、無能なロートルである私を立ててくれたので、それだけでも私には有難かったが、

そんなことよりも、私には、

一寸した機会に目撃した彼らの感情の横溢(それは沈黙だったり涙だったりした)に

彼らが捉まえている実存の重さを実感した。


更に

私がアフガニスタンで武装強盗に遭ったときに一緒だった同僚に至っては、

実存というアンカーを深い海底に沈めているような、最高に素晴らしい男であった。

彼との会話は、

実存というアンカーに繋がれたブイのようであり、

実存に繋がっているからこそ安心して海面に揺れているようであり、

つまり現象としては、

暇さえあれば下らぬバカ話のオンパレードとなった。

とにかく何でもかんでも二人で笑いのめしていた。

しかし、そんな彼には、重たい実存を掴もうという意志を確かにいつも感じた。

骨休みでバカ話をする人はたくさんいるが、

彼と私は、実存のためにバカ話をした。


以上の例は、私の独断だから、

本人たちに訊けば、間違いだというかもしれないが、

これは私の中での真実であるから、仕方がない。

でも、彼らには

私が以前家族を亡くした時に感じたのと同じ匂いがあったから、

多分、そんなにずれた感慨ではあるまい。


思えば、私にとっても

言葉を失くす、ということは、そういうことであった。


つまり、

今の私にとっては、

ありきたりかもしれないが、

実存的事象に臨んで私たちが持ち得る誠意のある言葉のあり方の一つが

沈黙という表現形態であると思う。

自我の構造において言語による統制が強く出てくる西欧人は

もしかしたら全く違う作法を持っているかもしれないが、

日本人とかアジア人とかには(こういう主語が意味を持つのかよくわからないが)、

幾らか、共感してもらえる表現形態だと思う。

少なくとも、今の私にとっては、

命とか心とか魂とかといったことを、心の中で大事に扱うということが、

結果として沈黙によって表されるような気がしている。


それは、喩えて言うなら、

NHKの定時の5分くらいのニュースの時間に

笑顔でも仏頂面でもないアナウンサーが語る短いニュースである。

或いは、

病床で沈黙する大好きな親族の顔であり、

或いは、

天皇皇后両陛下が、被災地で、無表情に限りなく近い仏顔で宣われる、削ぎ落とされた御言葉である。


実存的な言葉を

報道などメディアに伝える能力があるのか、と言えば、

それは非常に難しいと思うが、

私は沈黙という隙間に、その可能性があるのかも、と思う。


阪神大震災のときも、今回の震災でも

現場にいた私は言葉を失ったし、今も上手く話せる自信はない。

しかし、それをスタート地点として、

心の中で、少しずつ、

実存的な事柄が体の一部になっていくように思う。


誤解を恐れずに言えば、

支援業界の現場で働く人間は、言葉を失くし慣れている。

失くし慣れているから、

実存の言葉を常に育んでいる。


国際支援業界で働いていると、

偽善であるとか、

自己満足であるとか、

色々な批判に遭遇する。

そういう精神論的な批判は

業務の改善のために有効だから有難いことだと思っている。


ただ、敢えて精神論的に反駁するとするならば、

われわれ支援業界は、

リアルが溢れている現場で、

実存に対する経験値を蓄積していて、

それは、いつの日か、何百年後かわからないが、

実体として評価できないが大切な無形の何か、に繋がるのではないかと思う。

たとえば、

なんでもいいのだが、無形であって大切なもの、

日本で言えば、

無常観、禅文化や神仏習合、日本的に咀嚼された儒教、武家社会で培われた倫理観など、

イスラムで言えば、

喜捨やウンマやタクワー、聖と俗の関係や啓典の民についての考え方、

というようなものと同じ範疇にある、何か、である。

そういった無形の、これから何百年後かに結実するかもしれない精神文化の基礎の構築に

微力ながら貢献しているのだ、

と思う。


NGOは、

私のような平職員にとっては、

国際政治や経済問題・人権問題など、

極めて現実的な事象と

実存的世界に

同時に触れ続けることが出来る職業であり、

実存と俗世の橋渡しのような位置にある、

稀な業界であると考えている。


(ただ、これらは飽くまで

支援を行っている現場の職員の内面で発生する意義である。

翻って、組織としてのNGOを見れば、

その統括主体には

自滅的とさえ思える過度のプラグマティズムを感じることがとても多い。

それは、一部の民間企業における、現場のチンピラ社員と本社の経営者との関係と同様であろう。


社会の一つの装置としてのNGOが持つ

運営哲学や戦略選択が、

現場の職員の内面には殆ど連続していないことが余りにも頻繁で、

それは既に私の許容力を超えてるとさえ思う。


私はここで理想論をブチかましているつもりは毛頭ないし、

俗諦を介さないでは支援が不可能であることは、

現場での日常業務を通して既に痛いほど理解しているつもりだ。

しかし、

頻々として運営主体の真意は現場からは全く理解できず、

剰え、往々にして、現地が感じている意義とは真逆のベクトルを感じざるを得ず、

屡次、反感を禁じ得ない。)


● ● ●


今、世の中に必要なものは何かと問われた時、

人によっては、

世界を変える新しい枠組みだとかパラダイムだとか、

新しいビジネスモデルだとか、

エネルギーや生命科学や情報工学におけるイノベーションだとか、

色々なものを挙げるだろう。


一方、私としては、

『実存の言葉』、『魂の言語』

が必要であると思うわけである。


震災後、半年経って、

平時の言葉が再び活性化することを、いけないことだとは思わない。

このタイミングで、当面の経済までも回らなくなれば、

多くの二次災害を誘発することは必定である。

だから、平時の経済を回すことを間接的に支えている平時の言葉が回復することには

人々の生活を当面の間支えるという意義がある。


ただ、私としては、

震災の後、

多くの人が実存の言葉を共有したことは自覚的に記憶しておきたいと思う。

そして、できれば、実存の言葉を、いつでも取り出せるくらい、日常の近くにおいておきたい。


実存の言葉が大事なのは、

原理的には、我々が実存的なことから逃げられない・離れられない存在からである。

しかし、

この実存の言葉こそが、

驚くほど多くの人が東北支援に参加することとなった、その力の根源であるとすれば、

これほど重要な、無形文化財は他にないであろう。

だから、

実存的な言葉を私たちがしっかりとと持ち合わせていることを自認することには、

実社会にとっての意味があるように思う。


これから起こるであろう様々な危機、

自然災害を始め、原子力、エネルギー、食糧、水、環境、気候変動、

日本政府やアメリカ、ギリシアなどの財政、格差、テロ、紛争…といった、現実的な問題、

もっと大きなくくりで言えば、

局所最適のまま全球化した資本主義構造、

無極化しながら蓄積する暴力のポテンシャル、

爆発する人口、

こういった、

単体でも解決策など見い出し難い諸問題、

何百年もかかって対処していくしかない超形而下的な諸問題が、

日本国内でもやっと、

以前のような絵空事ではなく、

現実のすぐ横でぱっくりと口を開けているような距離感で認識され始め、

それは実存的な主題と直結していることが自覚され始めている。


国際支援の現場で溢れていたのと同様なリアルが

『平時の表現形式』を用いて実装されたシステムで支えられた日本でも

あふれ始めたわけである。


そこでは
平時の言葉で適当に見繕ってきた世界観などには何の遠慮もなく

これまで隠してきたリアルが溢れ続けるのだろう。


そこでは、

結論のない避けがたいものを見続ける実存の言葉を、

我々が確かに持っていることが一つの方途になると思う。

それは、先に述べた、

ある種の精神文化に属するものであると思う。


もちろん、この実存的言葉があったからといって

飯が食えたり、お金が儲かったりはしない。

だから、

実存的言葉を培っても

具体的な問題を解決する方法などは全く供給されない。


結論もない、避けることも出来ない実存的な事柄について

どんな風な姿勢で臨むかということについての含蓄を含むだけだ。


しかし、諸々の問題の根本的解決へのアプローチは、

そういうスタートラインの地固めをするところから始めることになるのではないか。

実存に根差した文化の中でこそ、

暴れ馬のように操作の難しい文明を 

持続的に飼いならす手法や合意形成が練られていくに違いない。

実存の言葉とは、そういう意味で、未来の為の、十分条件ではないが、必要条件である。


● ● ●


ここで注意をすべきことは、

実存に手を出す、というのが非常に危険なことでもある、という点である。


実存、という言葉を使ってしまった行掛り上、

ハイデガーを例として述べるならば、

ハイデガーがファシズムとの親和性を持ったことは

とても何か示唆的な出来事である。


ハイデガーとファシズムの関係については

それだけで沢山の言説があるから、

ここでてっとり早く問題の核心を導き出すのは難しい。

しかし、

すごく大雑把で陳腐な言い方をするならば、

下手に実存に手を出せば、

如何に誠意をもって実存的に思考していっても、

故意か無意識かに関わらず、

単純化の陥穽に落ちたドグマにからめ捕られる危険性は高くなる、ということである。


実存的な事柄を誰も本気で理解しようとしない状況では、 

実存的な言説が、

極めて単純な構造で人々を魅了する神秘主義的言説、

世の中を簡単に描写することで人々を安心させる麻薬のような言説、

に誤訳されてしまった場合に

非常におかしな力を持ってしまうと思う。


それは、例えば、

大学新入生が麻疹のように埋没してしまう

営利主義的な傾向の強い新興宗教を思い起こせばよい。


私はこのブログで以前、何度か、

”複雑なことは複雑なままに理解する”

と書いたと思うが、

それは、”実存の言葉”という話で文脈で言うなら、

単純な言説の陥穽に嵌ることとの対極に位置する姿勢である。


わからないままでいることは、不安で居続けることでもあるから

ドグマの陥穽を判別するのは難しいことであるが、

ことに臨んではその度に戒めにしなくてはいけないことだと思う。


つまり、

実存的なことを放置することには異議を唱えたいが、

簡単に実存に迫ることもまた危うい、ということである。


これは、見方を変えれば、

実存的なものを遠ざけてきた代償が、

安直な思想への耐性を下げてしまっている、

とも言える。


このあたり、私の持論では、

上で繰り返し述べた

平時の表現形式、

お手軽に記号化された表象で構成された、論理学を基盤とした表現形式と

密接して関わっている。


(つづく)


アフガニスタン便り-いいやつ
                    写真3:灌漑域の村の少年。



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2011年09月11日(日) 20時16分18秒

あふれたリアルに -その1:アフガニスタンから東北へ-

テーマ:ブログ

大変長いインターバルで御座いましたが、久しぶりに更新致します。



●  ●  ●



今日は、東日本大震災から半年、アメリカでの同時多発テロから10年という日であった。


私は、偶然にも3月の地震発生直前にアフガニスタンから日本に帰国していて、

地震発生直後から東日本大震災の緊急支援の一員として支援に加わることが出来た。



アフガニスタン便り-南三陸花火03

         写真1:南三陸町で行われた花火大会にて

これまで8年間行ってきたアフガニスタンでの支援活動と、

東北地方での支援活動、

どちらの現場においても、

自分の働きが効果的に何かに貢献できたとは思えない。後悔も多い。

しかし、

『何かできることをしたい』という、

たくさんの人が抱いたのと同じ気持ちを

そのまま実行に移すことが出来る仕事に就いていたことは、

普段では有難い縁、得難い廻りあわせを私にもたらしてくれた。


10年前、

9・11の同時多発テロが起きたことを知ったのは、

アフリカのシェラレオネで働いている時であった。

勤務地の一つである難民キャンプから事務所に戻ろうとした時に、

現地スタッフから教えられ、

事務所に戻ってテレビを観た。

当時、衛星放送が映るテレビは余りなく、

各国のNGOスタッフが徐々に私のいる事務所に集まってきて、

アメリカ人、フランス人、イギリス人らと一緒に観た。当然皆、言葉はなかった。


そしてこの2011年3月11日、アフガニスタンから帰国して4日後、

ミーティングに出席するために出社していた30分後に、地震が発生した。

すぐに準備を始めて出動した。


●  ●  ●


私は、大学生となってから約11年間、岩手で暮らしていた。

正直なところ、良い思い出しかない懐かしい土地である。

私のような、全くパッととしない人間に対して

”東北”と言う言葉で表象される得体の知れない茫洋としたあたたかい主体が

―その主体というのは、その時期に知己を得た友人をはじめ、

友人の御両親やアパートの大家のおばあさんに至るまで、多くの人についての記憶で構成され、

街やら山やらまでもが含まれている気がする―

それとない心配りで私を養生してくれたような

そんな有難さと結びついた懐かしさである。



そんな、恵まれた、としか言いようのない11年間、

”東北”という慈愛に満ちた場のなかで、

パッとしない私なりに思い巡らし、思い定めた結果、

国際支援の仕事に就くことを決め、

岩手を離れた。

それから、幾つかの国で働いて、

そして今回の震災で東北に戻ってきた。

おそらく多くの人が過去を振り返る場合と同様、

私にとっては、

岩手での日々からインド・シェラレオネ・アフガニスタンの日々まで、

すべての記憶が

地続きの連続性の中にある。


そんなわけで

原始宇宙のように未分化な私の脳みその中では、

シェラレオネ、アフガニスタン、東北というのが、

全く全てが分かち難く繋がった塊となっている。

何と言えばいいのだろう、

例えばアフガニスタンについての記憶を手繰ろうとすると、

結局、シェラレオネや東北についての記憶も一緒に蘇ってしまう有様である。

それらの記憶は、

頭の中の同じ抽斗に仕舞うしかないような、同じカテゴリーに属する記憶であり、

未生已然とも言うべき同一感覚でしかくくり様がない、記憶の一群と言えるかもしれない。

自分の記憶さえ整理出来ないという低能さを示しているようでもあるが

それが私の実感である。


● ● ●


今日のブログでは、
ブログを更新していなかった、2010年7月から今日までの期間、

1年余りについてのご報告を中心に述べたいと思う。


この期間は、私にとって非常に目まぐるしい期間であった。


時系列で述べると、

まず、2010年夏以降から2011年年始までは、

依然治安悪化が続いていたアフガニスタン北部において、

私はPWJ現地代表として、また唯一の日本人スタッフとして

これまでどおり水資源調査事業を中心に業務を遂行していた。

反政府勢力の動静は、日々変化を見せ、

それを如何に業務計画に反映させるかに心を砕く、

慌ただしい毎日であった。


そして、2011年の1月6日、

反政府勢力によってPWJ車両が攻撃され、

現地スタッフが大けがをする事態となった。

幸い、スタッフは一命を取り留めたが、

それは幾つかの幸運が重なってのことであった。

そして、この事件を受けPWJ東京本部は、

アフガニスタン現地事務所閉鎖の方針を決定した。

事業計画は大きく退行することとなった。


(なお、これまで行ってきた水資源調査事業については、

近い将来に予定されている私のアフガニスタン再訪で、総括されて終了となる計画であるから、

事業自体はまだ継続している状態である。)


● ● ●


事務所閉鎖が決定された当時、私としては複雑な思いであった。


PWJがこれまで、

顕著となっていた治安悪化傾向を考慮した上で事業遂行という選択をしてきた以上、

今回の事態は、PWJとして”想定内”であったはずだから、

事務所閉鎖という判断は、私個人としては不得要領な決定であった。


更に言えば、

怪我をしたスタッフを含め、現地スタッフ全員が事務所を閉めることに反対していたから、

撤退という判断を裏付ける理由は、現場には希薄であった。

だから、

突然の撤退を現地スタッフに納得してもらうために何度も開いたミーティングは、

結局、説得力を欠いた一方的な通達の場にしかならなかった。

現地スタッフに撤退の説明をしているときの私にとっては、

アフガニスタンでの水資源管理についての展望や願望について

これまで何度も語り合ってきた現地スタッフに対して

PWJ側の都合で事業を中止するための苦しい弁解の場であり、

同時に、私自身をも強引に納得させるための儀式のようでもあった。



● ● ●


アフガニスタンでの8年間は

私にとって掛け替えのないものであったが、

同時に少なからぬ疲弊ももたらした。


アフガニスタンでの8年間では
現地での生活での事象全てが、

五感の全てを刺激しながら、

好悪の範を超えて昼夜を分かたず私に押し寄せた。

現地の人々の日々の生活から、頻発する血みどろの事件に至るまで、

全ての事象に常に近接している、生命についてのまなざしが

言わば実存的に私に肉迫し

それは確かに、

未熟な私にとっての全人格的な研鑽となり、心に果実として充牣した(と自分では思っている)。

そして、私のアフガニスタン観は、

生き生きとした形でそれまでの私の世界観を飭正した。

支援についての考え方から、

共同体がもつ目に見えない可能性に至るまで、

実地での体感から考察することが出来たわけである。

どんな仕事でもそうだと思うが、

余りに整理された知見は、硬直化した理解しかもたらさない。

アフガニスタンについて日本で学ぶときは、

どうしても、”歴史”とか”イスラム教”とか”国際政治”というタームで整理整頓された形で学ぶことになる。

しかし私の場合、

現地で起きている事象を、

歴史・経済・政治・思想・宗教などといった簡便な言葉で強引に分類される以前の、

生生しいままで体感できたわけである。

それは、これまでこのブログにも記してきた私見にも反映されていると思う。

形而上と形而下とを区分することなく織り交ぜた私の体験は、

それ自体がアフガニスタン的なのかもしれない。

(それがなぜアフガニスタン的だと思うのか、については、

稿を改めて、述べたい。)

とにかく、アフガニスタンは私を成長させてくれる場であった。

しかしその一方で、疲労が蓄積していたことも否めない。


8年間に及ぶ現地駐在は、

私の心身をかなり困憊させていたことも確かであり、

後数年は続くことになっていた水資源調査を完遂できるか、

100%の確信が持てなくなる場面も少なからずあった。

だから、”撤退の決断は間違っていた”と単純に結論することも私には出来ない。


1月に発生したような治安事件の可能性をゼロにすることは不可能である。

常に流動的な反政府軍勢力の動静、

政府軍・ISAFが展開する作戦の傾向、

一般犯罪と反政府勢力とが混然一体となった形で突発的に顕然する事象、

これらを見渡しながら事業を行うことには、五感全てを常時稼働することが不可欠である。


さらに、

PWJのような弱小NGOの、脆く心もとない治安対策の下で行う支援活動の中では、

いずれ治安事件に巻き込まれるだろう、というのが、

どのスタッフも感じていた暗黙の諦念であった。

そのなかで、

事件が起きた時にその被害を如何に少なくするか、という、

言わば消極的たらざるを得ない思考に

間断なく昼に夜に心を砕くというのは、

”ストーリー”とか”シナリオ”、”シークエンス”というような言葉で表象することが憚れるくらいの

カオスの世界である。

なんと言えばいいのだろう、

一般的なビジネスの世界で想定されるような、

成果とか、標準化とか、ホワイトカラーエグゼンプションとか、シナジー効果とか、コンピテンシー・・・等といった

綺麗に描写される世界とは全く異質な感触である。


それに、

治安対策には自分のスタッフの生命が関わるのであるから、

心を砕くその真剣さの度合いはとても高くなる。

部活の合宿のような日々の中で共に暮らしている仲間が生命の危険に晒されていることを

正確にイメージすれば、当然発生する心労である。

勿論、私が現地スタッフを心配するのと同様に

現地スタッフはガイジンである私に対して非常に気を配ってくれていたから、

スタッフ全員の心労が

治安事件が起こるたびに、

事務所全体を覆う緊張感に直結した。


そう言えば、蛇足になるが、

支援の現場では、時折、

現地スタッフを異常に軽く扱う人間に出会うことあるが、

ああいう人であれば、

治安対策業務も極めてビジネスライクにこなすことが出来るであろう。

しかし、

そういう割り切ったスタンスを選択することで解決策を見出すというのは、

おそらく、

主題を意図的に曲解しがちな倒錯か、

窮迫した状況での無思慮な逃げ と言わざるを得ない。

喩に挙げるのも烏滸がましいが、

福島第一原発で放水作業を行った東京消防庁の記者会見を見ても、

この手の緊張は、生命に関わる仕事には常に随伴して当然なのであろう。


アフガニスタンでの駐在が長くなった私に対して、

日本や別の国で勤務する親しい同僚は非常に心配してくれて

休養をとることをすすめてくれたが、

それは大変有難いことであった。

気遣いは有難いことであったが、しかし、『兎に角休むように』と犒われても、

正直、そう簡単に休めるようなものではなかった。


たとえば、定期的な休暇でアフガニスタンを離れるときでも、

結局、現地で活動するスタッフの安全については、

念頭を離れることはなかった。

休暇中でも現地スタッフは勤務しているわけであるから、

休暇で身体を休めることは出来ても、

反対に、現地を離れるほうが、心は心配で一杯になる。

携帯電話が鳴るたびに、無数の不吉な可能性を想起することが癖となった。


とにかく、実り多いアフガニスタンでの8年間は、

同時に

かなりの疲弊を私にもたらしていたと思われる。


● ● ●


多分、

アフガニスタンでの治安問題に付随した緊張は、

”業務でのストレスを、休養・休暇で発散する”というような、

先進国のホワイトカラーの世界では一般的となっている

心身の管理方法が適応出来るものではないのだろう。

多分、危険地での治安対策に関わる業務には、

”精神的に気が休まらない状況で仕事をし続ける能力がどれくらい備わっているか”、

ということが基本的な条件として要求される業種なのだろうと思う。


例えば、

ボクサーにとっての動体視力とか、

レストランの店員にとっての、お客の座席番号と注文を記憶する能力とか、

お寺の住職が正座で長時間座れる忍耐力とか、

音楽家の絶対音感とか、

そういう、もう、

”それがないと殆ど仕事にならない”

というような能力の一種と考えるほうが適当なのかも知れない。

”休暇をとればストレスが解消される”ことを前提とするのは間違いで、

緊張し続けながら仕事をする耐性が獲得出来ないのであれば、辞めるべきなのかもしれない。


私の場合はどうだったのだろう。


8年間のアフガニスタン赴任で疲弊した、ということは、

それは、

『8年間も持ち堪えるくらい、緊張状態への耐性があった』

と言えるかもしれないが、

『8年間持ち堪える耐性は持っていたが、年々摩耗していた』

とも言えるかも知れないし、

『もともと、こういう業務への耐性は無く、8年間騙し騙しやってきたが、もう騙しきれなくなってきていた』

なのかも知れない。


いずれにしろ、

たった8年で疲弊したことは確かであるから、

負けは負けである、

自分の非力を直視しなければならないし、

今度、もしも、アフガニスタンに戻ったり、治安の悪い地域での活動を従事することがあれば、

この耐性の獲得についてもっと自覚的な心構えで臨みたいと考えている。


● ● ●


こんな状態のなか、

1月6日の治安事件を迎えたわけである。


治安悪化の中で、少ないながらも現地に部下を持つ立場が、

私にもたらした、目にはさやかに見えぬ”衰え”は

治安事件によって見事に顕在化した。


1月6日の事件後から毎日、

血まみれの夢ばかり見ることとなり、

私は自分の衰えを明確に自覚し始めた。


浅い眠りで悪夢を観ては起きる、という状態であった。

アフガニスタンでの撤退作業は骨の折れる仕事であったが

悪夢と寝不足がそれに拍車をかけた。


なお、付け加えると、

この、精神的な衰えは、

3月11日の震災によって更に悪化した。


3月7日に、なんとか撤退作業を終えて帰国したのだが

その後、日本でも殆ど眠れなかった。

そして、

3月11日以降に出動して以降は、

この悪夢に震災の要素が加わって、

言葉にならない異様な夢になった。


当然、寝ていて見る夢というのは、

ともすれば現実よりももっとリアルに感じられるものであるから、

寝起き後にも肌に生々しい感じが残っていた。

東北支援の最中も

この血なまぐさい噩夢は続き、

連日の支援業務で疲れた私の安眠を奪い、

それは身体的な不調にもつながった。


この夢は、結局6月下旬になっても続いていた。


● ● ●


話を、アフガニスタン撤退作業をしていた2月にまで話を戻す。


とにかく、

アフガニスタンでの事件後の私の精神状態は良くなかったのだが、

アフガニスタンの事務所閉鎖作業は、

様々な制限要因から、出来るだけ早く行わなければならず、

事務所閉鎖決定の日から不休で行うこととなった。

遂行中事業の停止だけでなく、

事務所運営に関わるあれこれの始末、

8年間の事業についての全文書の仕分け、

スタッフの再就職先の調整、

これらを、引き続き治安に注意しながら行った。


その最中には、

間の悪いことに、

歯の詰め物が2か所もとれてしまって食事も上手く摂れなくなったり、

30年ぶりくらいのひどい霜焼けになったり、

こまごまとした不測の事態も起こったが、

なんとか、

3月頭に全スタッフを解雇して事務所を閉鎖した。


私にとって掛け替えのない仲間であった現地スタッフは、

突然の解雇を言い渡した恨むべき私に対し、

繰り言ひとつ言うことなく、

ウズベキスタン国境まで見送ってくれた。

その中には、狙撃されたスタッフも含まれていたし、

スタッフはカバンに入らないくらいのお土産をくれた。

いつかまた一緒に仕事をしよう、という約束を何度も言い合ってから、

国境を渡った。

そして、3月7日に日本に帰国した。


事務所を閉めるとき、

サリプルを去るとき、

国境を渡るとき、

日本への飛行機に乗っているとき、

8年の間に積みあがった愛惜の思いが

色々な形で涌溢して去来したが、

それは、

夜な夜な悪夢にうなされている私としては、

治安問題如きではまだ磨滅していなかった、

アフガニスタンについての細やかな襟情の存在を自覚する契機ともなった。


こんな状態で私は3月11日を迎え、

東北震災支援に参加することとなった訳である。

(つづく)


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2010年07月06日(火) 23時12分55秒

オマル師が?

テーマ:ブログ

こんにちは、児島です。


アフガニスタン現地メディアでは本日、

「オマル師が、パキスタンで、すでに3ヶ月前に逮捕されていた」という報道が。

真偽や如何に。



アフガニスタン便り-ISAF convoy
           写真:マザリシャリフとシベルガン間の幹線道路でのISAFのコンボイ

2010年07月01日(木) 20時54分31秒

うたてある主の御許に仕うまつりて、すずろなる死にをすべかめるかな

テーマ:ブログ

こんにちは、児島です。


実は、

6月の初旬から約2週間、猛烈な下痢が続いていた。

そして、その初めと終わりのそれぞれ2,3日は、きっちりと発熱と頭痛に襲われた。

何かのウイルス性の下痢かとも思われるが、

よくわからず、

只管、水を飲んで脱水症状にならぬようにして、過ごしていた。

発熱がひどかったときは、申し訳ないが、業務を断続的に休んだ。


ここで、私のこの度の下痢の一部始終を、

あまり精緻に描写すると尾籠になるので書かないが、

まるで爆発するような勢いであった。

現地スタッフは、

「コジマの身体の中には、IED(Improvised Explosive Device)が仕掛けられているんじゃないスか」

「DIED(Diarrhetic Improvised Explosive Device)スね」

と言って、頻繁にトイレに駆け込む私を笑っていた。


治安の悪化しているアフガニスタンでは、

反政府活動に使われる各種爆弾を


・IED(Improvised Explosive Device)

・BBIED(Body Borne Improvised Explosive Device)

・RCIED(Radio Controled Improvised Explosive Device)

・VBIED(Vehicle Borne Improvised Explosive Device)

(※Explosive を Exploding とする場合もある。また、これらの略記の頭に”S”をつければ、"Suicide"という意味も付帯される)


というように、形態別で表記し、日常の会話でも使っている。

だから、”DIED”とは、なかなか上手いと思ったが、時節柄、悪い冗談である。


7年以上のながきにわたりアフガニスタンの脂っこい飯を食い続けたせいで、

昨年くらいから、内臓系の調子が悪く、色々な数値も悪くなっている。

それも影響してか、最近はなにやら、病気になると長引くようになってきた。

今回の下痢も、こんなに長く続くとは思わなかった。

体重もかなり減ってしまった。


***


昨年からずっと全体的に体調不良であるから、

免疫系が参っているのかもしれない。


下痢と発熱で寝ていたとき、多少回復した時を見計らって、

4,5年前にアフガニスタンに持ってきていて読み終わっていなかった、

1993年、つまり17年以上も前に出版された、 

多田富雄著 「免疫の意味論」をやっと読了した。

今頃読んだのか、と笑われそうなくらいの名著である。

専門用語は難解で、どれだけ著者の言いたいことを理解できたかわからないが、

面白い本であった。

さらに言えば、

免疫が参ってるときに、免疫の本を読むのは、臨場感があってなかなかよかった。


アフガニスタン便り-免疫の意味論_2
                    写真:多田富雄著『免疫の意味論』 


私は免疫学の素人であるから、随分と前に書かれたこの本の内容が、

現在の免疫学によってどれほど確認されたり、或いは覆されたりているかどうか知らない。

しかし、この本は、

免疫という、人間個人個人を生存させている最も重要な仕組みから、

自己とは何なのかを考察したという点で

画期的な書物であることは今も変わらないであろう。


著者が唱えた「スーパーシステム」という考え方、

私なりに言えば、


「人間の身体は、

どこかの臓器が集中的に維持管理しているわけではなく、

そういう、現代人が想起しやすい”集中管理型システム”ではなく、

どこかで何かが統合をしているのではなく、

またそれぞれの要素に明確な目的があるわけでなく、

混沌とした構造の中で精妙かつ曖昧に維持されている」


という考え方は、

おそらく覆されていないのではないかと思う。


江戸時代、それまで”五臓六腑”と呼んでいた内臓諸器官を、

解剖によって実際の臓物に分類して見せたのがリアリストの古典的な一例であるとするなら、

免疫学という比較的新しい学問が、

目にはさやかに見えぬ「免疫」という仕組みを読み解いて

人間の生命維持にとって曖昧かつ重要な働きをしていることを示したこと、

臓腑論の持つ非還元的な理解への再認識に繋げたこと、など、

リアリズムの現代的好例と言えるだろう。


***


話は変わるが、

6月23日に

アフガニスタン駐留米軍のマクリスタル司令官が辞任した。

事実上の解任である。


マッカーサー以来の解任劇という。

マッカーサーは

北京やウラジオストックまど25都市に原爆を落として反共体制を強固にしようという計画を立てて首になったが、

今回の解任の原因は、

マクリスタル司令官が、アフガニスタンでの戦略に関連して、

オバマ政権内で要職にある人物について誹謗中傷した発言が雑誌に掲載され、

その記事がオバマ大統領の逆鱗に触れた、ということにある。

オバマ大統領はこの記事の中でのマクリスタルの発言が

「文民統制への脅威である」として、それを公式の解任理由とした。


このマクリスタル司令官の辞任について、

現地NGOの一職員としても、思い致すことは、少なからずある。


この事件の渦中の様々な人間に、

自分の視座を投じて想像してみれば、

様々なことが思われる。

以下、今日は、それらのことを書いてみたいと思う。


なお予め断っておくが

以下は、完全に私個人の意見であって、

私が現在所属しているNGOを代表するものでは勿論ないし、

支援業界を代表するものでは、全くない。


***


まず、
この解任劇のきっかけとなった記事 ”The Runaway General” を読んでみたが、

ここに書かれている、マクリスタルとその側近達による米政府首脳への雑言は、

確かに口汚いものであるが、

その言葉遣いの猥雑さによく現れているように

現場の軍人達がオフレコで不満を吐露している、という雰囲気である。

私の印象としては、

言わば、日本の”オトナ”の世界でいうなら、

”サラリーマンの居酒屋談義” が活字化したような、そんな印象である。


マクリスタルが辞任に追い込まれた原因とは、

言い方を換えると、

この本音談義を、インタビュー記事として載せられてしまったことにある。

深読みをすれば、

やすやすと雑誌に載せられること自体に、なにやらウラを感じるくらいである。

どこまでの深読みが妥当なのか、ただのNGO職員ではわからないが、

マクリスタル側、オバマ側どちらにも、

この記事を世に出さしめたことへの

思惑があったと言われてもおかしくないと思われる。


この記事を読んで、

マレン統合参謀本部議長は「読んでいて気分が悪くなった」と述べたが、

私は、このマレン氏の言葉を額面どおりに捉えた場合、

自らも武官であるマレン氏が、

”現在行っているアフガニスタンでの戦争について、

これくらいの鬱憤もなく、

現場の作戦が遂行しているとでも思ってるのか?”

と思うと、

むしろマレン氏の発言をいぶかしく思う。


しかし、そういうウラ、陰謀説のような類推をするのはここではやめて、

一般的なメディアで顕在化している事件の記述だけを見ながら、

現在のアフガニスタンについて、

色々考えをめぐらしてみたい。


***


まず断っておくが、

私はアメリカ政府の始めたアフガニスタンでの戦争に賛成する者ではない。


文脈に配慮しない”ソモソモ論”は不毛であるが、

しかし、

これだけの犠牲を払ってしまう戦争をなぜ始めたのか、

やはり疑問に思う。

9・11、天然資源、米軍需産業といった色々な要素が語られているが、

それらによっても、これだけ多大な犠牲と釣りあうものとも思えない。


さらに時間を遡上してソモソモ論をするのなら、

”冷戦時代にアメリカがテロリストを養成してしまった”ことにまでも言及したくなる。

その場その場でプラグマティックに政略を展開していった結果が今の混迷である、と思う。


しかし乍ら、

今この時点のアフガニスタンでは、

実際にタリバンとアルカイダがいて反政府活動を行い、

それを抑えるためにNATO軍とアメリカ軍がアフガニスタン国軍とともに活動している、

というのが現状であるから、

これらのソモソモ論は虚しい。


例えば、

サッカー日本代表とカメルーンの試合のあった14日は、

ここサリプルでは、夜20時から21時の間に

ジェット戦闘機が20回以上、低空飛行で通過し、爆音が鳴り響いていた。

これは、おそらくドイツ軍所有の戦闘機トルネードを用いた、反政府勢力への空爆作戦のためである。

サリプル西部にある反政府勢力行動に対抗するための軍事オペレーションの一環であったわけだ。

つまり、サリプルで反政府勢力と交戦状態に入った政府側の地上部隊が、

ISAFに援軍を要請した結果、マザリシャリフのドイツ軍がスクランブルを行ったということである。

このように、

サリプルのような田舎の州でも、

すでにISAFの軍事的プレゼンスが、

反政府勢力とのパワーバランスのためには

不可欠なものとなっているのである。

現場でソモソモ論をすることには虚しさが伴う。

現に、アフガニスタンの現地住民の意見で多く聞かれるのは

(私が話す機会のある人々に限られるから、大半とは言えないかもしれないが)、

「現在のアフガニスタンに、

外国軍がいて空爆などで今でも民間人が犠牲になっていることには反感を持つが、

しかし、もし今突然にNATOとアメリカ軍がいなくなれば、

その軍事的真空状態に乗じて、

反政府軍や武装勢力がつけこんでくるであろうし、

そうなれば、再び内戦状態に逆戻りするかもしれない。

そう考えれば、

警察や国軍が十分に機能するまでは、

NATOやアメリカ軍にはいてもらわなくてはならない」

という意見だ。
当事者としての諦観が含まれた、リアリティのある意見である。


***


私はまた、当然ながら、

マクリスタル司令官個人についても、彼を擁護する立場にはない。


当然、マクリスタルその人の、人柄などは知る由もないが、

その経歴を見れば一目瞭然、

完全な職業軍人であることは明白である。

今回の記事によれば、

イラク戦争時代、彼が Head of Joint Special Operations Command だった頃は、

このJSOCは”殺人機械”と呼ばれたそうであるから、

極めて忠実に、敵の殲滅という任務を遂行する人間であるにちがいない。

軍司令官とは、

課せられた”軍事的命題”の遂行のみを、武力をツールにして考える人間のことである。

いわゆるCOIN(Counterinsurgency)の任務についても、

昨日今日任務に就いた人間ではなく、

おそらく、民間人の犠牲者も出しつつ成果をあげて来た、血みどろの経歴を持つ人間である。


多分に野心的で、

自分と側近達を”チーム・アメリカ”と呼ぶほどに愛国的で、

自分達の戦術選択の合目的性にはかなり自信があったに違いない。

アメリカ政府から与えられる任務について、

その遂行・完遂をもって、自らの存在理由とする人間なのだろう。

昨年オバマ大統領に”あと、4万人増派すれば勝てる”と進言したときには、

マクリスタル氏自身、もしかしたら、本当に勝てると思って発言してるのかもしれない、と思えるほど、

自分が戦闘する意味について懐疑なく自信に満ち溢れている人間に見える。


(なお、私は、アフガニスタンでのアメリカ軍の完全な勝利はありえない、と思っている。

つまり、マクリスタル司令官の示した、

”増派による勝利”という戦略には、その合目的性については疑念がある。

アメリカ軍・NATO軍による攻勢は、

タリバンとの和解に持ち込むための好材料を得るためのツールと考えるのが真っ当であると思っている。

ただ、アフガニスタン戦争で勝つ、という目的自体を疑い始めると、

陰謀説的な思考に傾斜するので、ここでは避ける。)


マクリスタルが昨年、司令官就任後に打ち出した戦略では、

それまで余りに酷かったアフガニスタンの民間人被害を

最小限に食い止めるという方針が含まれていた。

これは一見すると、人道的な見地に立ったように見えるが、

しかし、職業軍人としての彼にとっては、

民間人被害を低下させるという戦略は、

”民間人被害を少なくして民心を得る”という、

戦略そのものとしての意味しかないであろう。

だから現実的には、民間人被害者をゼロにすることを目的としてはいなかったであろうし、

例えば人道的な意味は、後付的なものでしかなかっただろう。

勝つことが、職業軍人の彼にとっての至上命題である。


アフガニスタン便り-おんぶやぎ


アフガニスタン便り-ロバと姉妹 アフガニスタン便り-大工さん

写真: 最近、現場で出会ったアフガニスタンの人々。長引く戦争状態と、国際政治のゲーム感覚のせいで、私の感覚も麻痺してしまいそうだが、”民間人が被害を受ける”というのは、こういう無辜の人々が、抗うことも出来ずに戦闘に巻き込まれて血まみれになる、ということである。私は闇雲に人道主義を振りかざすつもりはないが、個人のレベルの命についての重みと、国家レベルのそれとは、現代においてもなお開きが大きい。なぜか我々日本人はそれを意識しない習慣があるが、我々は確実に、前近代的なものと共に生きている。


だから、

アメリカによるアフガニスタンでの戦争自体に異議を感じる私としては、

辞任になった彼の身の上に同情するつもりは全くない。


***


だから、マクリスタル氏に肩入れするつもりは全くないが、
しかし、もし、

仮にもし彼の立場となって

現在のアフガニスタンについて考えてみれば、

或いは、彼の元で軍事活動を遂行する末端のアメリカ軍・NATO軍兵士の視座に立てば、

見えてくる景色が違ってくる。


それは極言すれば、

マクリスタルにとってのワシントンが、

或いはISAFのそれぞれの兵卒にとっての上官達が、

本気で、対テロ戦争、COINで勝てる、と思っているのか?という現場サイドからの疑念であり、

それに命をかけさせられることへの純粋な疑問だ。


”正規軍 対 宗教的・民族的基盤を持つテロ組織” 

という非対称な戦争では、武力の優位による一方的な勝利が可能だとは思えない。


COINの意味について、

当然ながら、アメリカ軍の中では、その位置づけや勝利の仕方について、

莫大な資力を投入して研究されているに違いないが、
そこで、明確な勝算をはじき出せているとは思えない。
イラクでの成功例がよく引き合いに出されるが、

あれはケーススタディでしかないのではないだろうか。

領土や支配域を面的に脅かす冷戦時代のような仮想敵に対しては

愛国心や戦略も立てやすかろうが、

COINはまったく異なる形態である。


早い話が、

アメリカにおける士官教育のカリキュラムの中で、

COINに対して勝負を仕掛ける意味とその勝算を、

深い納得をもって理解せしめる指導体系は

ないのではないだろうか。


兵士も士官も、

現在進行形のCOINに、

内心は、或いは無意識に、大いに疑念を持っているのではないだろうか。


マクリスタル司令官の解任の原因となった記事の中でも出ていたが、
マクリスタルの打ち出した、民間人の犠牲者を最小限にするための具体的な戦術を、

現場の兵士に対して、納得させることが非常に困難であったということである。

マクリスタルはアフガニスタンの最高司令官でありながら、

前線にまで赴き、一平卒を相手にCOINに関わる戦術の意味を説いたが、

兵士達は簡単には納得しなかった。

このことにも、COIN遂行への疑念は如実に現れている。


正規軍同士の戦いとは全く異なる現象が起きているCOINの戦場では

現場の当事者達は、COINについてそう簡単に納得できるものではない。


マクリスタル本人でさえも、アフガニスタンのCOINで本当に勝利できるとは思っていなかったのでは?

とさえ、思えてしまう。


現に、6月に実行計画されていたカンダハル州での大軍事オペレーションは延期されたままである。

マクリスタル解任事件直前のニュースでは、9月までは延期だろう、と言われていた。

ISAFは、軍事行動の前に、まず民意を得るために、

カンダハル周辺の住民を、雇用などによって取り込む戦術をとっているが、

住民は、タリバンからの報復を恐れてISAFや米軍への協力を渋っている。

例えば、ISAFは灌漑修復事業を計画し10,000人の労働者を募集したが、応じたのは1,200人だけだ。

また、タリバンからの報復では、ISAFへの協力者がすでに12人殺害されているらしい。
マクリスタルと緊密な関係を持っていたとされるカルザイ大統領でさえ、

6月10日カンダハルで約40人の犠牲者を出した反政府勢力による自爆テロが起こるまでは、

住民の承認と協力が得れていないという理由で、

マクリスタルのカンダハルでの軍事オペレーションの実行には賛成していなかった。

住民が協力したがらない理由の一つは、

いつ撤退するかわからないISAFが、住民の安全を保障できるわけがない、と思っていることである。


住民の協力が得られないために、

オペレーションの中核の軍事作戦にまで到達できないのである。


そもそも、このCOINに勝算はあるのか。

軍隊のリアリズムから見て、これは大きな疑問であろう。


今回のマクリスタル解任についてのメディアの論調では

”オバマ政権内のアフガニスタン戦略についての対立が露呈した”というくくり方が多いが、

それは不正確で、COINの遂行についての現場発の疑問が表面化したということではないか。


そういう疑問の方向は、彼ら軍人を統べるホワイトハウスに向けられて当然である。


***


翻って、アフガニスタン支援である。


先進国からの支援が本質的なものになるかどうか、

先進国とアフガニスタン政府が示す復興の方針についても、

私は、COINと同様、非常に懐疑的だ。
大量の資金が、今後もアフガニスタンに流れ込んでくることが決まっているが、

それが効果的に使われるのか、私は大いに不安である。


COINで勝てないのであれば、

早々にアフガニスタンから逃げ出したいと思っている国は多いと思われる。

しかし逆に、

パキスタンからイスラエルまでの一連の地続きの国々が

何かの火種になることも十分考えられ、

その中では、アフガニスタンが安定しておくことは重要であるから、

そう簡単にも逃げられない。


そういう国々が打ち出す支援策は、

どれも、政治的な配慮ばかりで、

大量に流れ込んでくる支援のための資金を

どういう計画のなかで使っていくのか、について、

思いつきのような大枠しか決まっていなくて、

支援として画餅が多いのではないか、と思う。

支援として画餅が多いということは、

結局はアフガニスタンの安定につながらないということである。

アメリカはアフガニスタン政府に腐敗体質を糾せ、と迫るが、

その体質が一朝一夕に変わるはずはなく、

であるならば、そこに大量の資金を無闇に放り込むことが、

果たして効果的な支援になるのか。


特に”タリバンの社会復帰”という思いつきは、

単純な記号化で政治家が浮き足立ち、

記号のパズルと文言ばかりが洗練されていって、

現場から見れば、リアリティがない。

極言すれば、玩世喪志と言わざるを得ない。

政府も機能していない、汚職もひどい、治安も悪い、

というなかで、どうやったら、

”短期的に社会復帰が実現できる”という発想になるのか、

全く理解できない。

あまりに飛躍しすぎていて、まるで漫画である。


しかも、

おそらく政治案件であるから、

将来、その成果が出ても出なくても、恰も成果があったようにレポートされる可能性は高い。

どうも、見てくればかりを繕うことが好きな人間の割合が多すぎる。


先進国の中で、

上に立つ偉い人々が描く”ビジョン”とは、

しばしば、いや、頻繁に、

リアリティの積み重ねから導き出された必然的な青写真ではなく、

単なる”ひらめき”であるという印象があるがどうであろう。


***


さらに言えば、日本の支援についても私は疑念が多い。


私は、個人的には、岡田克也外務大臣に非常に好感を持っている。

それは、

友人の一人に、

支援の現場に視察に来られた岡田氏と何日間か行動を共にした人がいて、

その友人から、

”本当に、いい意味で、真面目で堅い人物だった”という話を聞いたからだ。

党を問わず、浮薄な言葉を連発する政治家が多い中で、

あれだけ堅実な人が生き残れるのなら、日本の政治にも光があるかもしれない、と思うからだ。

政治的にきらびやかなレトリックよりも、精神的な真摯さの印象が強い人物であると思う。

それは大臣であるから、今後、

必ずしも国民の支持を得られない判断もしなくてはならないことも出てくるであろうが、

少なくとも、我々の正論に耳を傾けてくれそうな、そんな気がする。


日本政府は、5年で50億ドルの支援を決めているが

幾らこの決定が、対米関係の護持のためからだったとしても、

今後、必ず不穏化するであろう、中東から中央アジア、南アジアの安定に貢献するためには、

アフガニスタンへのこの投資は私は重要なことだと思う。

また、

支援の形に自衛隊派遣を含めていないことは、

この地域において歴史的に利害関係を持ってこなかったという

日本のカードを失わないためには必要条件であるから、重要な点である。


”戦争とは外交の失敗である”、と誰かが言ったが、

戦後これまで武力行使目的で自衛隊が活動することはなかったということは、

日本は外交的に成功してきたと言ってもいいのではないか、と思うし、

中央アジアに確たる争点のない日本にとっては、

今後も自衛隊ではなく、民生支援一本で行けばよいと思う。

言い方は極端だが、

日本政府が”国民を戦争で殺すくらいなら、支援で殺す”というスタンスを示すならそれもよい。

自衛隊は抑止力として持つにしても、

支援を含めた外交力と経済力を育みつつ駆使して戦争を回避するということが、

日本という国が決して大国ではありえないという冷徹な視点からの、

日本にとっての一つのリアリズムだと思う。


また、

中央アジアに歴史的に利害関係まみれの欧米諸国が今後、自衛隊派遣を要請したとしても、

それは彼らのどろどろの歴史と連続した戦略のなかでの要請であり、

本気で”日本人も血を流せ”と言って道義的責任を問うているとは思えないし、

例えそう発言していたとしても、

本心では”日本から兵力が引き出せれば、ラッキーだ”という戦略でしかない。

日本人が道義的な義務感・脅迫感を抱く必要はない。


欧米諸国が、古式ゆかしい”新植民地政策”を

中東から中央アジアで展開しようとしているための、方便としてのCOINなのであれば、

それに加担するという歴史は作らないほうが良い、

それが中程度の国である日本の弁えではないだろうか。

私が今、血みどろの国に住んでいて思うのは、

凡庸な言い方であるが、戦争をしないで済むことの有り難さである。

過去の哲学者が夢見た、世界共和国などというものはなかなか成立しそうもない現代、

厳然と存在する”国家”が持つ意味は益々重いと思う。

それぞれの国がまずは自国の安寧を目指さなくては、全体の安定はおぼつかない。

だから、それぞれの国家が、戦争を回避するために国策を練らねばならない。

それはアフガニスタンも、そして、日本も同じだ。

そして、

国家がまだまだ存在意義を持つ以上、

民間人に対して理不尽な死を敵国・自国が共に強要してくるのが戦争だが、

その戦争が起こる可能性は、

日本人のまわりでも、ぱっくりと口を開けて存在していることを想起しておくべきだ。

(これは必ずしも、地理的な近傍という意味で言ってるわけではない。)

その血みどろの悲劇は何によっても償いがたいことは過去の戦争で日本人は知っているはずだ。

流動的な現代、中程度の国である日本は、

戦争を避けるためにも外交と支援にもっと投資しなくてはならない。


だから、

岡田大臣の方針である、巨額の民生支援を投入するという総論は賛成である。


しかし、その民生支援の各論において、

今、日本政府が打ち出し始めている

アフガニスタン支援の方法については、

他の先進国と同様の、画餅が含まれていると思う。


警察や軍隊の支援は良いと思う。

目下のアフガニスタンの喫緊の問題、支援などを滞らせている問題は治安であり、

上で述べたように、ISAFと米軍というアクターは出口の見えない状態にある。

ここでの解決策の一つは、アフガニスタンが自前で治安を確保する体制を整えることである。


しかし、一方で

タリバンの社会復帰への助成を表明したり、

NGOを中心にした支援の方法を模索しているようであり、
これらに私は疑念を持つ。


タリバンの社会復帰、という手法への疑念は先に述べたとおりだ。


NGOを通した支援については、

この治安状況でNGOに何ができるのか、が、まず気にかかる。


治安の最も安定している州のひとつであるサリプルでさえ、

これだけの行動制限があるのだ。

私が慎重すぎるのかも知れないが、

他の州においても、本質的な活動は今可能だとは思えないのである。

ニーズに最も近いところにいる、ということがNGOの特長の一つだが、

この治安状況では、そのアドバンテージが徐々に失われている気がする。


また、

緊急性を重視した、

医療関連、旱魃対策関連、食糧配布関連、自然災害被災者への支援を除けば、

今アフガニスタンで必要とされている支援の多くは、

開発支援である気がする。

それには多くの専門知識が必要となるが、

NGOにそれはあるのか、非力ではないのか。

他のNGOは知らず、私としては、私の行っている事業をみると暗澹たる気持ちになる。

専門性は一朝一夕には身につくものではないから、

多くの邦人の専門スタッフを抱えていて実績の蓄積されたJICAなどの専門家集団こそ最適ではないのか。


もし開発支援の必要性が高いのなら、

日本のNGOだけでなく、

海外のNGO、大型の国際NGO、アフガニスタン地元のNGOでも、

この治安の混乱状態のなかで専門性を発揮できるNGOは僅少ではないだろうか。


さらにまた、

日本のNGOをこれからの国際支援の主役にしたいというのが国家としての目的なら、

余りにも物理的に危険で政治的に複雑なアフガニスタンを選ぶべきではないのではないか。

日本のNGOを、現場でのOJTでノウハウを蓄積して強化したいのなら、

もっと別の現場を選ぶべきではないのか。


勿論、上記のような基本的な議論は

私よりも現場をもっと良く知っている人々により、

とうの昔にし尽くされた上での方針策定だと思う。


しかし、なにか、アフガニスタンのリアリティとは関係のない、飛躍があるような気がしてならない。


***


先進国によるアフガニスタン支援の方針に、

なぜ、

このような、飛躍が生まれるのだろう。


政治的な判断には時として、

現場的なリアリティと矛盾する場合があるから、それが飛躍を生むことはあるだろう。
私は、外交的な問題から、政治臭をすべて無くせ、などと言う気はない。


ただ、せめて、

やると決まった支援を、

より本質的な支援にしよう、という本質的な努力はもっとされてもいいのではないか。


それなのに、なぜこんなに話が飛躍してしまうのか。


日本が決定した50億ドルというアフガニスタン支援を決めた背景は多分に政治的であり、

日米関係の保持のために必要だったから不問に付すとしても、

一度決めたその支援額を如何に本質的に使うか、という議論は、

思いつきやひらめきであってはならない。


いま必要なのは、新しい枠組みではなく、

リアリティを積み上げることである。

そのリアリティとは、何ができるのか、ということだ。


しかし、一介の無能なNGO現地職員である私からみれば、


”頭の切れる”、”仕事の出来る”アフガニスタンや先進国の偉い人々が、

政治的な思惑の中で、

パズルばっかりに夢中になって、

見テクレと体裁を整えることに没頭し、

記号論という人工的なプールのなかでのみ、

上手く泳ぐことを考えている、


そんな風に思えてならない。


基より私は燕雀であるけれども、

鴻鵠を気取っている偉い人々が

世を弄ぶ、虫魚以下に見えてならない。


政治主導を唱える日本政府が打ち出すアフガニスタン支援が、

もしも、こういう飛躍を含んでしまうなら、それは問題であろう。


日本の場合なら、

現場を良く知る、大使館やJICA職員などからもっともっとリアルを吸い上げるべきであろう。

現地で知り合う日本の公務員の皆さんには、その力量も志もあると感じる。


一方、現地駐在を殆どしていない日本のNGOには、

今現在は、リアルを吸い上げる力は乏しいのではないだろうか。

他のNGOは分からないが、

少なくとも私自身が羞恥をもって自覚しているところだ。

私の所属するNGOでは、

私が現地駐在をしているが、

残念ながら、この治安の中、リアリティを拾い尽くせているとは思えない。

ガンバリが足らないと言われれば肯んずるしかないが、

非力は隠しようもない。


***


話がそれるが、

私はアフガニスタンから日本の国政を眺めていて、

どうしても心配なことがある。


私の印象では今の日本の政界では、

お話が上手で、頭の切れる人間がもて囃されている。

それ自体については、

頭の悪い私から見れば、頭のいい人に仕切ってもらうことは大いに頼もしいことである。

しかしこの、誰が国政の舵取りをしても難破しそうな大変な時代、

仮にもし、小党に分離してしまいそうな政界において、

与党・野党を問わず、

頭のいい人々が入れ替わり立ち代り政権を担当して、

そのたびに、彼らの理屈が現実に適合せず、

現実問題への対応能力がないことが示されてしまった場合、

そしてそのせいで経済環境が更に悪化していけばどうなるだろう。

カタルシスのやり場を無くした大衆の心情が、

複雑な現状を理解するというプロセスから離れていき、

単純なリーダーシップや、

物事を不要に単純化して語って行動する単細胞なキャラクターに集まるのではなかろうか、

そうすれば、最終的に、

日本国民は右傾化するのではないか、

ということが心配である。
いや、すでに今、

日本の政治の世界で、難しいはずのことを簡単なロジックで説明して悦に入っている者は、

どの党に属していても、
将来の右傾化を呼び込んでいるように思えてならない。


この点において、頭のいいことを武器にした政治家たちは、非常に重い責任を負っている。


しかし心配なことは、

頭の悪い私から見ていると、

どうも、

頭が切れる、といわれる人間は、

とくに”自称”頭のいい人間は、

どうも、若いのも年嵩も、

”けっこう、なんでもすぐ投げ出しがち”だと思われることである。

賢い頭を使ったパズルゲームで陶酔気味に楽しんでいるうちはいいが、

思いのほか、精神的ダメージが大きいと、

やめてしまう、そんな雰囲気をかもし出している気がする。


頭のよさを武器に、この先の見えない時代に政治家になったのなら、

ストレス性の疾病で満身創痍になりながらも

石にかじりついてでも政治家としての責任を負い続けるような

そんな意気込みで国政を担ってもらいたい。

将来の右傾化を呼び込まぬよう、是非懸命に、投げ出さずにやってもらいたい。

複雑な現象を

早々に易々と記号化して絵を描くことばかりに夢中にならずに、

複雑な現象は複雑なままに理解してから、

政治を執り行ってもらいたい。


***


ここで私は冒頭で示した「免疫の意味論」に戻ってみたい。

この私には、

この難解な本から、

アフガニスタンや支援の世界に対する

要諦をおさえたメタファーを導き出す力量はなかろうとは思うが、

敢えて試みるならば、以下のように読み解きたいと思う。


すなわち、

この本が言うには、
自己免疫は、実は常に体内で起こりかけており、

それが刺激となって、

サプレッサーT細胞が自己破壊を抑えるために活性化し、それが結局自己免疫を抑えている、と考えられる。

あるいは、

B細胞・T細胞が過剰に自己抗原と反応した場合はアネルギー(無能力)状態になる、とも言う。


そして

無菌状態で動物を飼育すると、抗原が入ってこないのに、T細胞・B細胞が分裂増殖しており、

その条件下では、T細胞、B細胞は

自己と反応し、自己によって増殖している、ということであるが、

私にとってはここが重要に思える。


このことが示すのは、

組織が持つ「自己」、それは国是であっても団体是であってもよいが、

それが、あまりに自己言及的であるとき、

つまり、なんの為のCOINか、なんの為のアフガニスタン支援か、なんのためのNGOかについて

アフガニスタンというその対象自体を殆ど見ることなく、

お手軽な政治的”ひらめき”のなかでの、閉じた、つまりは、お手軽な自己完結性しか持たない場合、

つまり、リアリティという外部からの抗原がない状態では、

その国、その組織の中では、

自己免疫的な行動が活性化するのではないか、ということである。

それはその組織の構成員による、組織を壊すほどのムーブメントであると同時に、長期的には組織を成長させるのに欠かせない反応でもある。

(もっとも、一方で、アネルギー化して、組織を自己批判することなく淡々と業務をこなす構成員が現れる、というのもありそうだ。)

つまり、その自己免疫反応は、その組織を存続させるために必要な組織内の反応なのである。


国是・団体是・組織是において自家中毒的な、

つまりは自己満足的な要素が強い場合は、

その組織に本質的な生命力を再発させるために、

普段は抑えられている自己免疫反応が起こるのではないか。


この文脈において考えれば、

マクリスタルのワシントンへの罵詈雑言も、

アフガニスタン支援への疑念も、

極めて必然的な自己免疫反応的ではないだろうか、と思うのだ。

COINは、軍事的側面だけでは勝利を収めることはできない、

ということを半ば不問にしながら戦略として採用されているという点において、

軍隊としてのリアリティから乖離した、閉じた発想である。

これと同様に、

先進国のアフガニスタン支援のあり方は、

すべて理屈は出来上がっているが

それは政治的パズルと表象性のあやふやな記号論のなかで自己完結しているだけで、

本質的にアフガニスタンへの支援になるものではない、リアリティから乖離した方向性を持っている。


それを私は、今、非常に強く感じる。

私の中でも、アフガニスタン支援業界に対する自己免疫反応が、激しく発生しているのだ。

現地の支援団体において、

私に限らず、その職員達に疲労と怒りが甚だしいのは、

私は、ひとえに、それらの組織の”画餅度”、”リアリティからの乖離度”に原因があると思う。


私のこの”自己免疫的”な考え方は

だから、

NGOへの自己批判を誘発するわけで、

NGOを通した支援への懐疑は先に述べたとおりだ。


日本は、5ヵ年で50億ドルという大金を、この状態でどう使うのか。

相当に真面目に考えなければならない。


今、アフガニスタンに必要なのは、治安の安定と政権内の構造の正常化である。

それに取り組まなければ、支援の金はムダに流れていくだけだ。


私の所属するNGOでは、

邦人スタッフは私一人で、慌しく毎日を過ごしている。

現地駐在をしながら、ある程度リアルを拾っている自負はあるし、

これからも、可能な限り、ニーズを見極めて行きたいと思っている。

しかし、そこでは、限界も大きく感じている。

ここ数年悪化し続けている治安状況のもとでは、

現地のニーズに一番接近できているというアドバンテージも徐々に失われていく状態であり、

事業の規模と事業の質、そのどちらもが保てていない。

この無力感、

これが私の阨窮するところである。

この無力感のなかで、

私は個人的には今、

現場に邦人が大量に駐在しているJICAが打ち立てている方針が最もリアルだと思う。


私はこれまで、

開発支援に必要な専門性をNGOがもてれば

素晴らしい支援ができるのではないか、

という望みをもってアフガニスタンで働いてきたが、

現場で必要となる専門性は限りなく広く、

NGOである我々は余りに非力だ。

専門性を育成する余裕もない。


時代に逆行すると言われるかもしれないが、

アフガニスタンが必要としている開発支援のような専門的な支援は、

”官”がやるのが、

必要とされる事業の質から考えて

効果的に思えて仕方がない。


***


何度も繰り返すが、

「免疫の意味論」から敷衍した私の考え方に従えば、


NATOと米軍の軍事作戦と、

政治主導で思いつかれた支援の方針は、

どちらもが

余りにも画餅度が強く自己完結的過ぎるため、

実際に現地で働く兵隊や支援業界の人間の間で

所属する組織に対する免疫反応、つまりは、底知れぬ疑念と反感、疲労を生んでいる、と思う。


私としては、このままでは、アフガニスタン支援の本質に迫れる気がしないのだ。


マクリスタルの辞任で明らかになった内訌は、

アメリカという国家の中の軍隊と政府だけにあるのではなく、

援助業界の各組織にもあるのではないだろうか。


画餅遊びに夢中な人間達に決められた方針、

そんな膚浅な方針なかで、

命をさらす覚悟は定まるのか。


このままでは

アフガニスタンの民間人、反政府勢力の構成員、ISAFの兵卒、支援業界の現場職員、

すべての犠牲が浮かばれない、と私は思う。


アフガニスタンでの雲行きを観望するうちに、

私の心窩は、愈々 頽乎たるものとなり、

その心疾は、愈々 平癒の兆しがない。


私としては、この自己免疫反応が、

将来、支援業界がより本質的な実体を持つために、幾ばくかの貢献となれば、と願うばかりである。


アフガニスタン便り-MRAP Armoured Vehicle
写真:現場へ向かう途中、ISAFの装甲車両 MRAP(Mine Resistant Ambush Protected) Armored Vehicle の隊列に遭遇。5台以上のコンボイだった。このようなISAF所属の車両は、反政府勢力の攻撃対象になるため出来るだけ接近を避けるのだが、対向車線から来てしまえばどうしようもなく、兎に角やり過ごす。


アフガニスタン便り-泳いでさっぱり!          

写真:今は暑い乾季である。外業中に川のほとりで出会った女の子。頭から川の水をかぶって、すっきり。

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