梅の窓からみえたもの 〜金龍はあらわれるか? | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

ダイヤモンドとワインのご縁で仲よくさせていただいている(謎)山梨の友人たちが「黒駒勝蔵」の紙芝居など作ったり、語り部の会をしていたのだが、このたび富士急事実上の創業者である堀内良平氏がその「黒駒勝蔵」の生涯を著した『勤王侠客 黒駒勝蔵』を現代語訳してこのたび出版の運びに。

 

関西人のわたしには「黒駒勝蔵」って初めて聞く人で、当時はぜんぜんわかっていなかったんだけど、

聖徳太子との関わりがあって、聖徳太子が黒駒を駆って甲斐の国から都まで3日で移動した(蘇鉄がもたらす福音の予感 〜龍田神社と聖徳太子)とか、不思議な話は「美志摩かな」の旅で知るようになる。

 

 

 

 

 

御牧(みまき)って、勅使牧で、信濃、甲斐、上野、武蔵の4カ国で、奈良時代、天皇が使う馬を飼育していたところである。

それは、まさに、伊勢平氏おじさんが「見沼さま」って呼んでる龍神さまが、八ヶ岳を通って諏訪に入ったであろうルートと一致する。

龍の道は、馬の道(謎)。

 

そこに聖徳太子。

龍田神社に行ったとき、蘇鉄をみている(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)。

そして、あの日は大嘗祭前日で、行く予定のなかった法隆寺に行くことになり、勅使門が開いた日だった。

 

美保関を旅して、なんだか鉄の氏族の匂いを感じた(ミホのススミに誘われて 〜美保神社の諸手船(もろたぶね)神事)。

蘇鉄は、雲津の諏訪神社にもあった。

雲津の諏訪神社は、神話を紐解けば、当たり前だが、諏訪大社よりも古い。

 

くもつ。雲=蜘蛛?手長足長?そして津。

そういえば、わたしのルーツも伊勢の「津」だけど、大甕神社にも「津大明神」なるのぼりがたっていた(常陸の先に諏訪がある!?)。

 

 

今朝は、不思議なことがあった。

救い主は現れるか 〜「次のターム」に行く前に

で書いたけど

 

靴が片方なくなって探している間に置き去りになる、っていう嫌な夢をみたあと、

神宮であった2人の人から「梅窓院」って寺の名前を聞いた。

 

 

 

 

梅窓院は、外苑前の駅前にある寺である。

昔共済組合の宿泊施設があの裏手にあり、目印にしてたから知っている。

「青山」って地名は、梅窓院を菩提寺とした「青山氏」からきたみたい。

 

なかなか細かいことが書いてあって読み応えがあるのだが、

寺の紋も見たことのないユニークなもの。

諏訪大社の柏紋と菊とミックスしたような。

 

そこに北畠親房の父と同じ名前をもつ「師重(もろしげ)」。

近江国の藤原四家の一つ花山院家の師重が初代。

そこから木枯らし紋次郎で有名な新田荘をへて三河へ、そして青山へ、という流れ。

 

このところずっと白山に通っていたわたしには、「梅」と聞いた瞬間に、

白山〜能登〜白頭山(北朝鮮)と連想した。

 

 

そして「梅」は出口王仁三郎が「本当の日本の花」って言ったとか?

もちろん、天満宮(菅原道真公)の花であり、熊野の名産品であり、

わざわざ日比谷公園に移植したという西新宿の「梅屋敷銀世界」の白梅(灰の水曜日 〜梅を辿って江戸の旅)。

そして、そこにででくる「琉球使節団の棟応昌(棟應昌)」。天保3年12月 中山樂師棟應昌とある。

琉球使節団があった。天保3年に。年表を見ると水戸藩の記述が多いころ。水戸藩といえば、きっと、大甕神社で海の民(カカが呼んでいる(続)〜大甕神社の星神と、最強の機織神)。

水戸はなぜか諏訪に繋がっていた場所だったんだったな(常陸の先に諏訪がある!?)。

 

 

そういえば、聖徳太子ゆかりの奈良・三宅町の白山神社の御祭神は、「伊邪那美命」であった(卑弥呼の時代の豊かな営み 〜その3 石上から山の辺の道、そして聖徳太子の通った道にあったもの)。

そして、愛知の津島神社付近での白山神社での御祭神は「大己貴命(大国主)」。

白山比咩神社の御祭神は「白山菊理媛神」」であり、石川県最古の神社である石浦神社では、白山菊理媛神は白頭山の神と説明している(松と梅と東北の地震)。

十一面観音のごとくに、いろんな顔を持った神様が「白山神社」の御祭神。

 

 

そして、

「(白山菊理媛神の)石浦神社(琉球から雨降山へ 〜雨降山・大山寺 その2 本当の鎌倉は茅ヶ崎にある!? 〜鶴嶺・平塚八幡宮と高来(たかく)神社=高麗(こま)寺)と大神神社がつながってる」

って白山のサルタヒコが言ってたみたいだから、なんだか壮大なテーマである。

駒のように、クルクル回されそうである。

そこに書いてあることによれば、沖縄(琉球)と、出雲と、大和(奈良)と、白山(白頭山)はつながっているようである。

 

 

そういえば、駒は、馬のことでもあるんだった。

 

 

梅窓院が、今日差し出されたのは、諏訪と、水戸と、琉球と、白山と、大和と、そして甲斐国と関係があるのだろうか。

甲斐国は、静岡と繋がっているらしいし(謎)。

池が繋がってるって話も、山梨の友人たちから聞いたことがあるし。

 

昨日は久々に地震(茨城震源)、今日の東京は青空で強風。風の禊。

風の神、はたしか金龍の姿で現れるっていう田無神社の尉殿大権現(お江戸のお水送り その1 〜田無神社は風の神?)。

なぜか田無神社にある「楠木正成像」と、保谷に移住してきたという楠木正成の子孫。

 

そして、龍田神社も風の神。

龍田神社の神様のお告げをうけて、聖徳太子は、あの地に法隆寺を建てたのだ。

 

龍田大社が有名だけど、聖徳太子は、龍田神社の神様のお告げを聞いたらしいよ。

 

 

田無神社の風の神、シナツヒコ・シナツヒメの尉殿大権現(金龍がおこす風)は、たしか「倶利伽羅不動」で龍神とも書いてあったんだった。
倶利伽羅不動か。
 
 
風の吹き荒ぶ東京の空に、金龍は働いているのかも。
 

 

(関連記事)

卑弥呼の時代の豊かな営み 〜その3 石上から山の辺の道、そして聖徳太子の通った道にあったもの

ミホのススミに誘われて 〜美保神社の諸手船(もろたぶね)神事

そして、またくくりの日 〜虹と歩んだ2年半。

常陸の先に諏訪がある!?

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蘇鉄がもたらす福音の予感 〜龍田神社と聖徳太子

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