蕎麦にひかれて諏訪詣 〜新宿は熊野と信濃の交差点!?都の西北にある森は | かんながら

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旅の記録です

 

 

朝起きたら、「大湯祭」ってキーワードがきた。

 

大湯祭。最初にいったのは、しろくまさんが亡くなる直前の2018年(平成最後の大湯祭@氷川神社)。

「火と水が合わさったら湯」っていうキーワードがきて。

翌年、もういちど一人で行った(大湯祭へ)。

 

1週間、精進潔斎をして挑む祭り。

物忌みっぽいその感じ。

 

 

火を焚く。

 

火は彦火火出見尊(ヒコホホデミ)だとしたら、ニギハヤヒ。

水は、瀬織津姫ってところか。市杵島姫(イチキシマヒメ)とも。

火と水あわさってお湯になるとしたら、竹の下にあるのは、ひとつの神の龍だ。

 

 

二柱になるとするなら、「分たれた」ってことか。

 

 

だったら、元伊勢籠神社の絵馬にあった二柱と同じ。

そして意味深なカゴメ紋(六芒星にみえる)の中におさまる日と月。

 

 

 

明治天皇御製

うつせみの 代々木の里は しづかにて

都のほかの ここちこそすれ

 

 

でもなんでこの時期に?

うつせみ(セミの抜け殻)なんだから、やっぱり夏でしょ。

なんか不思議。なんのメッセージなんだろう。

 

 

伊勢平氏おじさんと参拝帰りにばったりあった。

 

「胃が痛くて。飲みすぎた」

「(蕎麦屋の飲みが)楽しかった?」

「全然」

 

相変わらずだな。

 

「おかゆ炊いてるんだ」

「お大事に」

 

「楽しかったー」

顔見て言えばいいのに。

一度も振り返らずに消えてった。

 

 

去っていく背中をみてはっとした。

 

粥!!

筒粥神事だ。

諏訪大社下社春宮。

このあいだ行った千葉の飽富神社にもあったけど(千葉の熊野の馬と鹿 〜旧暦七夕・天竺の姫と諏訪の神!?)。

 

 

火(日の神)と水(龍神)を合わせてお湯、

そこに米(稲荷)。

筒(オリオン=表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神)に入れて、その年の行方を占うのだとしたら。

 

北極星に相当するものは、粥の中に入ってないってとこから、天帝が占うってことなのかなと思った次第。

 

 

 

諏訪か。

気になってしょうがない。

ずっと蕎麦が気になって、今日だって戸隠蕎麦とか、松本の素敵な蕎麦屋とか、深大寺とかの蕎麦屋をチェックしていたのだ。

 

だいたい去年の今頃の記事(満月と酒と、アワとスワ)をみて、今きてる話題そのままだなって思ってたこともある。

縄文時代の民族分布。

 

深大寺か高田馬場の「もり」だ。

蕎麦が呼んでいる。

 

 

深大寺は時間的に厳しいっていわれたから、高田馬場の「もり」。

 

そういえば、わたしにとって30年以上前から縁のある諏訪町のそばにある(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか)。

そもそも諏訪神社の御祭神は、建御名方刀美命(タケミナカタトミ)「トミ」は「蛇」なんだってさ。

 

 

蕎麦で満たされたから、きた。新宿諏訪神社。

伊勢平氏おじさんと最初に会ったとき、なんでこんなところまで歩いたのか。

絶対ここが呼んだ!とあるとき気がついた(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか)。

 

天和二年(1682)に造立された舟形の石塔で、中央に「塞神三柱」、その右側に「諏訪上下大明神」および「正八幡大菩薩」、 また左側には「天(以下欠損のため不明)」および「稲荷大明神」と刻まれております。
また、その上方には右に月形、左に日形が彫られております。
塞神は、村の境や峠に祀られる、境界を守護する神とされ、石塔としては江戸時代に南関東地方を中心に盛んに造立されました。
諏訪神社の塞神塔は区内で唯一のもので、また、「塞神三柱」の文字が刻まれた例は少なく、大変貴重です。

(新宿区教育委員会掲示板より)

 

 

 

塞神三柱って書かれてる。

日・月だったら、2柱ですけど。

塞の神って道祖神だしね。

 

大黒・恵比寿・弁財天?

スサノオ・ツクヨミ・アマテラス?

 

舟形って書かれてるけど、裏の形見ると、どうなんだろうなって感じも。

 

 

 

御由緒をみると、

 

当社の創建は、弘仁年中(西暦810~820)小野篁朝臣が、大国主命、事代主命を祭祀すと云われます。

(中略)その後江戸時代初期に、尾張の徳川家の祖である徳川義直公が、信濃国の諏訪神を勧請し、当社に合祀せられ、現在の諏訪神社と改称致しました。 又人皇第百八代後水尾天皇が、当社に御神体を御寄附になりました。

 

とある。

 

 

最初の御祭神は、地獄の番人・小野篁(おののたかむら)が祭祀した大国主・事代主の出雲コンビだったとはっきりと書かれている。

やはり、事情があるんだろうな。

だって、建御名方刀美命(タケミナカタトミ)は、絶対諏訪から出ません!って約束したっていうし。

 

もとは、大国主・事代主の出雲コンビだったけど、いろんな事情をまるっとまとめて「タケミナカタトミ」に進化しましたってことなのかもね。

 

結構火事にあってるみたいで、もし「建御名方刀美命」なら、龍神なんだからがんばって!!って励ましたくなる。

そもそも、高田馬場のあのあたりは、水稲荷神社とかもあって、縄文遺跡だから諏訪の森も縄文の森かもね。

 

 

(塞神三柱)の石神を裏側から。

 

 

庚申塚。見ざる聞かざる言わざる。

上にあるのは、日と月がそれぞれ雲に乗ってる図。

意味深。

 

ちなみに秩父神社の3猿は、逆だった(と思う)。

 

御嶽神社。ご祭神は、大物主命(オオモノヌシノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)。

この間も白山でみたよ(石を抱いていきる 〜白山の巨木と磐座)。阿波忌部の祖神、太玉命。

 

ちなみに隣の木は、カヤの木だと思う。

もしくはもみの木?

カヤの木だったらミシャグチ神(ミシャグチ神と天神とそして蝉 〜諏訪から安曇野へ天神さんに連れられて)。

モミの木だったらクリスマスツリー。上にいただくのは北極星(妙見)だけど。

 

梶の葉紋。下が4つだから、上社ってことになるのかな?
 
めずらしいつくり。
うん?なんか写ってる?空に。
でもきっとこれは、ムムちゃんが見つけてくれると思う。
境内にはイチョウの木も。
 
カヤの木(たぶん)。
諏訪といえば、カヤだと思っただけ。
守矢資料館の御神木がそうだったから(花園神社はおいなりさん)。
 
花園神社界隈のことを書いたこの記事振り返って気づいたんだけど、そもそも新宿ってところが長野に直結してるんだった。
そもそも新宿(という宿)をひらいたのに、高遠のお殿様が関わってたんだった。
甲州街道抜けていけば長野につながっている。
新宿で、飯盛女(つまり非公式遊女)で儲けようってしたっていうんだもん。
 
しかも、新宿の出口に「淀橋」があって、十二社(じゅうにそう)熊野神社が鎮座している。
そこには「淀橋」が不吉な場所すぎて、慶事に使われることは絶対になかった(中野区HP)とかかれるほどの悲惨な伝説が残されていた(やはり呼ばれた西新宿 〜十二社(じゅうにそう)熊野神社・淀橋)。
 
その伝説はざっくりいうと、
鈴木九郎という熊野出身の男が「馬」の商いで儲けて、信心していた浅草観音の功徳で中野長者と呼ばれるようになるのだが、欲がでて、金銀財宝を隠すために人夫を雇い、場所がバレないように運ばせたあと池に投げ捨てて亡き者にしたらしい。
帰りに人夫の姿が見えなくなるので、「姿見ず橋」と呼ばれるようになった。
だが、ある日九郎の一人娘が婚礼の夜、暴風雨とともに蛇に姿を変え池に飛び込んでしまう。
そこで九郎は相模国大雄山(天狗??)の高僧を呼んで事情を話し、改心して出家した。
こんな感じ。
 
 
 
そうだった。新宿って、熊野と、諏訪が交わる場所だった。
しかも西新宿。このあいだ、「銀世界稲荷神社」を知ったばかりだ(天神さまへつづく道 〜てんのうさんから天神さんへ 牛と梅
 
江戸は天海が風水を駆使して作ったらしいから完璧だっていうんだけど、前回の記事(縄文の森の記憶の上に 〜代々木公園今昔)でも書いたけど、工事が増えたからか、みえないものが話しかけてくることがここのところ非常に多い気がする。
 
 
大阪にいたときの居心地悪さがまさにこんな感じであった。
とにかく過去に縛られた土地だったから。震災前までは。
 
 
 
東京は過去にしばられていなくて、いつも新しく、居心地がよかった。
でも。
 
気のせいだったらいいんだけど。
 
 
 

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