石を抱いていきる 〜白山の巨木と磐座 | かんながら

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旅の記録です

 
 
関西は、過去を辿る旅で、きつかった。
 
京都、大阪、神戸。
 
京都は哲学の道とかを歩いたとか、日帰りでも旅の思い出であるが、大阪、神戸はわたしにとって生活の場だったから。
そして、それはあの阪神淡路大震災ですべて壊れた。
 
帰ってからだってずっといろんなことが起きている。
 
「龍が迎えにくる」
 
具合の悪いのを知らせてくる伊勢平氏おじさんの写真を剥がして眠りについた朝に、
 
土にもぐっていた龍はきっと空高く飛ぶと思う。
 

 

東京に戻ってきて、森の優しさに癒された。

自然の中にいる時間だけが今の自分にとっての居場所。
人の中にいなければ、って思うんだけど。
 
旅を終えて新しい流れに入ってから書いてるからはっきりとわかるんだけど、
隔たってる人と一緒にいることを選択しているんだから、本当に分かり合える人とは一緒にいられない。
なんでも受け入れてくれる自然の中にだけ、今のわたしの居場所がある。

 

 

 

話しかけてくれるのは、小鳥だけ、っていう今。
人間界と完全に隔たっている。
 
いちおう気にかけてくれる白山のサルタヒコとか、なにわの審神者(さにわ)とか、
現実の世話をしてくれているヨギの治療師とか、長年の付き合いの人たちがいる、ってことに感謝している。
 

 

 

で、久しぶりにみた、ケツァルコアトゥル。ククルカン。

 

「天気の子」の主題歌になっていた「グランドエスケープ」って歌は、

 

♫空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら♫

 

って歌詞で始まるんだけど、

 

「古代メキシコ神話の文化神ケツァルコアトゥルの化身「羽毛のある蛇」を表しています。」

って代々木公園に降臨したそれには説明されている(夢の途中 〜終戦記念日と聖母の被昇天)のと、わたしの中ではなにかがかぶる。

 

 

 

代々木時代特に世話になったプロカウンセラーのネット仲間にごちそうになったランチはカツカレー。

 

こういうざらっとしたもの食べないとどこかにいってしまいそう。

 

 

 

もういいのかな、重力から自由になっても。

ずっと、なんだかんだいってここにいないのに、地上につなぎとめられてた気がする。

繋ぎ止められていたのか、繋がっていたのか。

 

 

 

地上の星。

水に写る月も星も、それがこの国を治める「天の王」の力になっていたことを知っている。

 

天の王は、空を見上げない。

天の王は、地上存在していたとしても、天にいるから。

 

 

 

白山のサルタヒコが、白山麓にあるとある巨木をイメージしたとき、何やらお札がペタリと張り付いたらしい。

しかも、電話してくることなんかめったにないのに「そこに行く」とわざわざわたしに宣言してきた。

 

 

それって、わたしには、

 

「おいで」

 

のサインだけど?

 

 

サルタヒコは、「おまえを誘ってない」って言ってるけど、見えない世界はそのように整ったってことだと思うよ。

 

 

で、「26日(電話の翌日)ならいける」って返事したら、

たまたまサルタヒコにとってもちょうどその日だけは空いていた。

 

 

その他はわたし自身がめずらしく、操船練習やら講習やら船の関係の予定を入れていたから。

そんな予定でもないと東京にいること自体確約できないわたしだし。

 

すっかり忘れてたけど、26日は日本の皇室の一大事の日だった。

「明日白山いくから」ってなにわの審神者(さにわ)が電話してきたときにいったら、

「朝は明治神宮いくやろ」って言われた。

 

26日は秋篠宮眞子様のご結婚の日。

しかも帰ってニュース見て驚いたけど、渋谷のマンションにお住まいになるんだってね。

うちのマンションじゃないけどね。

 

「そんな大事な日は東京におれ」と言っていた。

 

 

で、弾丸。

夜行バス。2300円だもん。

混んできたから、もう乗れなくなるかもね。

この巨木すごいんですけど。

 

名前わすれちゃったけど、すごいオーブ。

この辺、いっぱいあるのよ。すごい木たちが。

 

 

鳥越城の近く。

「百姓の持ちたる国」(くくりの旅へ〜白山山麓三馬場巡り)。

 

五百年前、日本の歴史に、世界の歴史に例のない、農民の心を一つにしてできた国があった。これが、加賀「百姓の持ちたる国」の誕生である。
天の声、地の声を、我が心とした人々の固い団結は、以来百年に及んでいる。
しかし、歴史は無情である。この国の終末は殉教という悲劇の中に幕を閉じることになる。その最後の舞台がここ、「鳥越城」である。
いま、悲しい歴史をもつこの里にも、新たな創生が進められている。それは4百年前に、先人たちが心をひとつにして、雲霞のごとき織田の大群に、死をも恐れず立ち向かった一向一揆の殉教の精神を讃仰し、そのエネルギーを継承し、新たな鳥越村を築くことである。
やがてこの里の山河燃ゆる火を念じつつ、先人たちの霊に合掌せん。
 
加賀一向一揆500周年を記念し、
あたらな鳥越村の創生を祈りつつ記す
 
平成二年八月十三日
鳥越村一向一揆まつり実行委員会長
鳥越村村長
 
 
「一向一揆の殉教の精神を讃仰し、そのエネルギーを継承し、新たな鳥越村を築くことである。」
 
 
今のこの村のことを通りすがりの旅人のわたしは知らない。
でも、この世をみてて思う。
 
それこそ無数のこの碑と同じ思いをみてきた。
国譲り、というのは、太古神代にだけあったものではない。
 
 
ダムに沈んだ村、人がすまなくなった村、いろんな形で消えた人々の暮らしはたくさんある。
 
 
 
胸を張って、その思いに応えられてるってわたしには思えない。
 
 

 

しろくまさんとの最後の秋にもきたところ。

そして、その時期は、サルタヒコの転機のときでもあった(ようだ)。

その日の話はサルタヒコにはしていない。

 

 

 

 

ここにもあった。白山市となった、尾口村尾合。

 

「共同躍進」

ここに込められた思いに、こたえられていたらいいんだけどな。

 

 

実はここは、たぶんまだ知られていない「金」の神社である。

狛犬はなにわ式(うけうり)。

 

 

ここにいらっしゃるのは、太玉命。

阿波忌部。

なぜここにいらっしゃるのかは謎だけど、能登一宮の気多大社にもいらっしゃる。

 

 

今回の磐座は、檜倉。ここがわたしを呼んだ。

 

檜が、岩を抱く。

風に吹きつけられても、

雪につぶされそうになっても、

岩にしがみついても生きる。

 

それが、自然、っていうことみたい。

 

わたしはそのまんま飛んでいきたい、って思うんだけど。

だから憧れるのかもね。木に。

 

 
 
 
 
 
途中、気になる山が。
 
 
白山麓の森はとても美しい。
白神山地も。
戸隠の森林植物園も。
 
わたしの好きな森。
 
 
青い湖。
 
と、露天風呂。
 
 
帰りは新幹線。日帰りの旅。
楽しかった。
 
 

 

 

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