くくりの旅へ〜白山山麓三馬場巡り | かんながら

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旅の記録です

また来るね、と約束した木に会いに、北陸へ。

 
 
 
 
三馬場めぐりは明日なので、空港から白山麓の五十谷の知人を訪ねることにする。
もともと地元の方らしいのだが、もう夜には人がいなくなるという五十谷という集落に庵をもって一人暮らし。
 
 
 
 
 
白山中宮のひとつ、別宮(べっく)神社
交通の要所にあるらしくて、何度も訪れている。
 
 
 
 
 
 
そして、五十谷へ。別宮神社からは車で15分くらい。
 
 
 
大杉さんお久しぶり。
ひかりが綺麗な大好きな場所。
 
 
手水鉢はひさご(ひょうたん)。
これは、海人族の印と教わったことがある。
海の民は、ひょうたんに水や五穀の種を入れて海を渡ったのだそうだ。
 
 
 
 
県指定の天然記念物になったので、気の保存のために支えをつけたりで、写真映えは控えめだけれど、
ここは場がよくて光がきれい。
 
 
 
 
 

 
 
なぜかこんなのがかかっていた。
これ、物部神社の鎮魂祭で女の子がかぶってるあれみたい。
あれ、っていってもなんだかわからないよね。
調べたことがないからわたしもよくわからないけど、よく神女が頭にかぶってる。
 
 
 
五十谷の知人の庵。
美しい。
 
美味しいものを食べ、
美味しい酒を飲み、
楽しい話をする
 
それがしあわせ。
 
たしかに。
 
わたしはそれに「行きたいところに行く」が入る。
まだじっとまつ境涯には行き着いていない。
 
 
 
 
勧められた鳥越城跡。
ここで一向一揆はさいごを迎える。
曇りの予報だったけれど、青空がみえた。
 
 
 
悲しみの青。
でも清らかで、光にあふれている。
 
 
 
 
 
ここは、天の声、地の声をわが心とした人々の「百姓の持ちたる国」だった。
 
 
五百年前、日本の歴史に、世界の歴史に例のない、農民の心を一つにしてできた国があった。これが、加賀「百姓の持ちたる国」の誕生である。
天の声、地の声を、我が心とした人々の固い団結は、以来百年に及んでいる。
しかし、歴史は無情である。この国の終末は殉教という悲劇の中に幕を閉じることになる。その最後の舞台がここ、「鳥越城」である。
いま、悲しい歴史をもつこの里にも、新たな創生が進められている。それは4百年前に、先人たちが心をひとつにして、雲霞のごとき織田の大群に、死をも恐れず立ち向かった一向一揆の殉教の精神を讃仰し、そのエネルギーを継承し、新たな鳥越村を築くことである。
やがてこの里の山河燃ゆる火を念じつつ、先人たちの霊に合掌せん。
 
加賀一向一揆500周年を記念し、
あたらな鳥越村の創生を祈りつつ記す
 
平成二年八月十三日
鳥越村一向一揆まつり実行委員会長
鳥越村村長
 
 
 
明日は朝6時に白山比咩神社集合。
そしてそのまま丹後に向かうという強行軍のため、今晩に金沢ご飯を楽しむことに。
 
ホテルのそばに行列ができていたので、ここに。
 
 

 

 

 

 

 

 

 

おいしかった。
 
つづく。