昔のお客さんがお家に招待してくれた。
新しいパートナーと事業をはじめてしあわせそうだった。
こうしてわたしとしろくまさんもお客さんをたくさん招いて、一緒に食事したな。
おもてなしするのはもっぱらしろくまさんだったけど。
で、このあいだ、別のカップルのところでご馳走になったとき、
「しろくまさんが(普段も)料理してたんでしょ」って言われて
「ぜんぜん!3食作ってって言われて作ってたのはわたしだよ。わたしは食べなくていいのに作って一緒に食べたから太ってたんだよ」
「えーーーーー!!」
そんなにわたし、家事できないようにみえるのかな。
ま、たしかに洗濯物干すのとか大の苦手だけど。
料理は祖父が自死した9歳から夕食材料セットを調達されてスパルタ教育(って自習だった)されたから得意である。
家庭料理食べて育ってないから、家庭料理の味とかよくわからなくて「お店の味」って言われて、複雑なんだけどね。
しろくまさんは、褒め言葉のつもりだったみたいだけど、伊勢平氏おじさんには泣くほどけなされた(山から降りて帰る場所 〜幻想の世界をリアルに生きれるか)。
わたしは家を出て、相談の仕事を始めるとき、
自分がかつて置いて出てきた子どもたちや自分自身が道に迷ったときに頼りになるような人を育てようって思った。
そして、実際にそうなっている。
50年以上前にすでに両親が離婚して母子家庭で育ち、しかも祖父を自死でなくして、家族という居場所がないと感じていたわたしにとって、ありのままを受け入れてくれる仲間が救いだった。
家庭という幻想は、今はもうとっくに崩壊している。
それでも、世の中はまだ「家庭が大事」というキャンペーンを繰り広げて、そこからはずれた子どもたちが、その思想に傷つけられていることにすら気づいていない。
世の中にある「思い込み」の枠はどんどんはずれていく。
日本は「籠」で封印してきたみたいだけど、
もう封印しきれなくなってきた。
竹の籠の中に入れた龍。
かごめ 紋の中にはいっていたのは、饒速日(ニギハヤヒ)と瀬織津姫。
ひとつの神(龍)だったものを分けたのかもね。
そうすると力がなくなるんだもの。
二人一緒にいると意気投合して、働かなくなるけど、年に1度はあわせてやると引き裂いておけば、勤勉になってよく働くとか。
七夕物語(カカが呼んでいる(続)〜大甕神社の星神と、最強の機織神)。
ここのところやたら目につくのは、織姫・彦星(牽牛)。
七夕だ。
七夕といえば、冷泉家。
ザ・呪詛。
そこにみえるのは、五色の糸。
織姫か。
この時期だから、鎮魂祭を思い出すわけ。
新嘗祭の前日行われる石見・物部神社の鎮魂祭。
猿女の鎮魂。
真っ暗闇のなかで、若い女の子がひふみ祝詞を唱えるあの祭り。
授与品が「玉の緒」っていう五色の糸を組んだ紐。
祭りであげられる言葉は「天照大神を岩戸から誘き出すための言葉」ってきいたことあるんだけど、
わたしあの祭りに何度かいったけど、「天照大神が出てきてめでたしめでたし」って終わり方じゃない気がするんだよね。
だって、明け方にやらないで真夜中前だもの。終わるのが。
しかも糸を組むって、開く感じゼロだ。
むしろ動けなくしてるって感じすらする不思議な祭り。
伊勢平氏おじさんと、なにわの審神者(さにわ)とは、神棚を片付けた瞬間に縁が切れた(2週連続でひたちの国へ 〜御岩神社・大洗磯前神社)。
伊勢平氏おじさんには、わたしが一方的にキレて電話を切った。
なにわの審神者(さにわ)に「もう御用をする気はない」って言ったら絶交を宣言された。
わたし、自分の興味のために気になる場所に行ってるけど、世界平和のためでも人のためでもないんだもん。
わたしは、自分の目の前にあるちいさな現実を大事にしたいの。
現実界って、とても制限された世界。
でもスポーツとか、ゲームとかって「制限された中でやる」から成り立つし面白いんだと思う。
現実世界もきっと同じ。
わたしの「生きてる実感がない」っていうのは、想念の世界にいるからだって知っている。
わたし、霊と同じだもん。
しろくまさんの欲を借りて生きていた自覚あるけど、しろくまさんが亡くなってひとりになってから、依代がなくなっちゃって本当に幽霊みたいになっていた。
でも霊って使えるんだろうな。
伊勢平氏おじさんがかつて「利用される」って言ってたけど(意思のチカラの使い方 〜ネガティブと、どうつきあうか)。
わたしはゾロゾロ連れてるっぽいけど、霊を利用したことはない。
でもわたしが妙に運に恵まれてるのは、見えない世界の応援があるからってことは間違いないと思う。
伊勢平氏おじさんにキレた夜、普通にはありえないことがおきた。
その夜痛みに目を覚ましたら、トイレが真っ赤になって、代わりに背中に知らないうちにできていた気持ち悪い傷が消えた。
神棚をかたしたあと、一度伊勢平氏おじさんが訪ねてきて、ちょっと話して近所で蕎麦を食べながら飲んだ。
そういえば、おじさんの行きつけ3軒以外の場所に行くの、ずいぶん久しぶりかも。
最後は、ヨギの治療師と3人で飲んだときの2次会でいった店か(満月と酒と、アワとスワ)。
すると、すぐくる。みえない世界からの呼びかけが。
たまに通る代々木公園の一角になんか引っ張られていくと、あった。
大東塾十四烈士自刃の地。
清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓つて無窮に皇城を守らむ
つまり、敗戦の責任をとって自刃することにより霊となって天皇陛下をお守りする、ということのようである。
この事件の様子はここに詳しい。
結局、戦後GHQの将校さんの家がここ代々木練兵場(代々木公園)にでき、それがワシントンハイツと呼ばれる場所になる。
そして渋谷・原宿は、彼らの需要を満たすための最先端の町となっていく。
白洋舎のクリーニング、生野菜を扱う紀伊國屋(Kinokuniya)、おもちゃのキディランド、家政婦の斡旋所もそのためにできた。
あとは、娼館。恋文横丁って呼ばれた飲み屋街に、代筆屋さんもいた。
何かを訴えていそうな木が見守っていた。
他にも、前回の記事(代々木の地と明治 〜”明治神宮の秘密〜御用を終えたごほうびに”)で書いたけど、25年以上前、東京に出てきたころ住んでいた場所になぜか連れられて行った。
代々木八幡宮の界隈は縄文遺跡があった場所である。
そこからそんなに遠くないこのエリアも、
わずかに残された木々の様子から、なんとなく古いお地場を感じる場所である。
国の施設があった場所みたい。
立派な松の木や、木があった。
部屋からほんの数十メートルで、駅に行く途中にあるわけだから、通っていたはずなのに、思い出せない。
わたしの意識はあの当時いったいどこにあったのか。
それとも、わたし自身がいなくなってしまったのか。
木々は知っているはず。ここに、何があったか。
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