満1年と2ヵ月(1年1ヵ月~1年2ヵ月)「革命月」
原始体操開始から21日(約3週間)★革命月となった1ヵ月比喩的ではあるが、花が開いた感じである。これまで約1年、水や栄養(体操)を与えながら、日光(北京原人姿勢の維持)を浴びせてきた。そして、根が生え、茎ができ、蕾ができていた。咲くに、後はそこにもう1つ何かを与えるだけだった。約1ヵ月前に原始体操(正式名称:重心力トレーニング)という栄養を与え始めたら、これがある種のトリガーとなって、花が一気に咲いた感じだ。もちろん、まだまだ1分咲きではあるが、大きな進歩である。新しいモビルスーツを手に入れた感はある。★この1ヵ月(厳密には21日間)で起きた最終的な変化左右の鼠径部の奥で座骨の上あたりの深部に使用感が出てきた。特に原始体操の時にダラーんとする方の足の感じにすると、このポイントがかなりオンなる。立ちの時は、斜め下に傾斜するように伸びるわけだが(骨盤が前回転する感じ。つまり垂直に伸びる感ではなく前回転するような感じに伸びる。その反動なのか、下方向に伸びつつも上方向にも伸びる。細かいことだが、‘伸ばす’ではなく‘伸びる’)、伸びると、ここに力が集中する感じで、この感覚で立つと、【軽感覚・手刀一致姿勢】となる。さらにこのオン状態になると必然的に内踝に力が集中する感がある。この2点がつながる。一連の力の流れは、自動的に起きているもので、決して、集中させるではなく、集中するという感じ。面白いことに、調子がいいと、この鼠径部→踝ラインを通して、今度は反作用を利用して、踝→鼠径部ラインにベクトルを戻すと、体がフワっとなる。そして、歩くときに、地面に着いた瞬間にこの反作用を感じ取ると、その反動でサーっと進んでいく。 この一連の変化やオンになっている場所から考えられることは、どうやら意識的な【股関節の捉え】の入り口に来たようだ。もしこれが本当なら、股関節というのは自分が思っている以上に、身体の「深部」にあり、「芯部」の感じもある。また、歩きに関しても、巷で言われている「蹴らない歩き方」の入り口に来たようだ。重力があることを前提に、自重とその反作用を利用する。もっと簡単に言えば、足を地面に置くだけで歩く。 (この事実から、「蹴らない歩き方」は胴体深部が動いて「股関節のとらえ」ができないと不可能であるという結果が導き出される。)そして、北京原人姿勢のまま、肩・腕は原始体操の壁押しの時のように広背筋をオンにして、脚は原始体操の時にダラーんとする方の足の感じにして、最大限で胴体の力を抜いて立つと、上記の伸びる感覚を得られ、股関節に軸というか力点というか、力が集中する。力んでいては股関節に力は集まらないようだ。それから、体操での感覚やそれで得られる効果を日常に反映できるようになってきたようだ。★「日々の生活がそのまま良質なトレーニング」(伊藤昇)北京原人理論の原典である、伊藤昇氏の『スーパーボディを読む』には、「身体全体を使って動き続ければ日々の生活がそのまま良質なトレーニングなる(p181)」という言葉があり、もの凄く惹かれるものがある。なぜなら、日常そのものそれ自体が「良質なトレーニング」になるということだからだ。こんな理想的なことはない。この「身体全体を使って動く」ことの土台がどうやら「股関節で地面をとらえる(股関節のとらえ)(p.20)」のようだ。このことは「日常の動きを見直す(p.106)」の欄に明示されている。「これ[=股関節のとらえ]はまったく辛いことではなく、むしろ楽に動けるようになるのだから、かなり楽しい作業である(p106)」。「究極のニュートラル・ポジション(p.20)」である「股関節のとらえ」を習得する方法もp94~p95に載っている。それが「だれにでもできる股関節でとらえた立ち方(p95)」である。一応できているかどうかの判断基準は載っているものの、当初ガチガチで、力が抜ける感覚などさっぱり分からなくなっていた自分(時間ができたら「検証を始めたきっかけ」について書くが、これが原因と思われる、いわゆる不定愁訴に悩まされていた、いや襲われた)にはそれがよくわからなかった。北京原人理論には、ここに「誰にでも分かる」もう一つの判断基準が設けられている。それが「手刀チェック」である。また「手刀チェック」ができるようにする予備体操もある。これには相当助けられている。「股関節のとらえ」の感覚がわかるようになれば、後はその感覚を維持するだけで、自動操業のように身体が勝手に良い方向へ変わっていくということなので、「股関節のとらえ」の「神経回路構築」を目標としてきた。1年2ヵ月という時間を経て、ようやく弱いながらも「股関節のとらえ」を感じれるようになった。つまり、日常を「良質なトレーニング」の場にすることが可能になったのである。 ようやく、ようやく、ようやくスタート地点に立てた。もちろん平行して体操は絶対に必要だが、1日ほんの15分ぐらいである。 家に1畳ほど空間と、椅子(と壁)さえあればできる。体操の種類に変動があるが、1年以上継続しているので、完全に習慣化しており、体操しないと気持ち悪い(笑) 変な回路を作ってしまったかな(笑)デスクワーカーにとっては十分できる内容であり、わざわざジムやセミナーに行く必要もない(実際一度も行ったことはない)。それから体操に関しても、難しいものは一切やる必要がないし(というか無理!)、本にも載っているし、インターネットにも公開されている。(寝る時間が欲しいとか、達成感がほしいとか、という気持ちも理解できるが、実際にやってみて効果が出てくると、どうでもよくなる。少なくとも自分はそうなっている)伊藤氏が言っていることが本当ならば、今後は歩けば歩くほど、立てば立つほど(ふと思ったが、太極拳にある立禅とは、北京原人姿勢で立つことが真意かもしれん)、身体がニュートラルへ向かうようになるはずであるし、身体の変化もこれまで以上に早くなることが期待できる。本のどこかで、「股関節でとらえていれば上達は早い」と書いている。見方を変えれば、これは「究極の「ながら」トレーニング」とも言える。「股関節のとらえ」ができていれば、今こうやってキーボードを操作しながら、本を読みながら、箸を持ちながら、ご飯を食べながら、電車で立ちながら・座りながら、職場まで歩きながら、家に歩いて帰りながら、喫茶店で友人とお茶しながら、お酒を飲みながら、テレビをみながら、ポテトチップスを食べながら、パソコンとにらめっこしながら、勝手に胴体は開発され、さらに逆に「股関節のとらえ」の効果により、身体がリラックスされるので、作業が効率化するというおまけ付き。今後の変化がさらに楽しみになってきた。★ついでの考察ついでながら、まだまだ言えるほどの胴体レベルになってはいないが、次のようなことをふと思ってしまった。よく日常にそのスポーツの動作を取り入れて、技術を向上させるようにということがある。実際に自分もボールを蹴っていたときは、なるべく想定しうる動きを日常に取り入れたり、日常で練習していたりした。確かに、技術習得には時間と練習が必要なので、多くこなしたほうがいいことはいいと思う。しかし、今思うのはむしろ逆で、日常はいかに身体をニュートラル(股関節で地面をとらえいる状態)に保つかに徹したほうがいいような気がする。特に小学校や中学など成長期には。なぜなら、種類によるが、スポーツはどうしても身体が歪む。最悪の場合は歪んだまま固まる(自分です・・・。)そこで、練習以外の日常は極力ニュートラルに戻すことで、体のバランスが常に保て、歪みが少ない分、技術習得も早まるのではないかと思う。怪我のリスクも減ると思う。 股関節で捉えているので、日常生活を送るだけで身体がどんどん動くようになる。毎回の練習をニュートラルで行える。練習を日常に反映させるのではなく、日常のニュートラルさを練習に反映させることの方が、まずは大事なのかもしれない(ちなみに、北京原人体操は日常(北京原人姿勢)に反映されるもの。もちろん両者による相乗効果はあるが)。★おわりにずいぶん書いてしまった。まだまだ「入り口」であることは確かである。所詮、ちょっと「股関節のとらえ」が分かったという程度。まだまだ弱く、貧弱である。むしろここからが本番といってもいいと思う。これまでは「捉え」‘前’、これらからは「捉え」‘後’の世界が始まる。スタート地点にようやく立てただけ、ということを決して忘れてはならない。さぁ、捉えて、立って、歩いて、体操して、捉えて、立って、歩いて、体操して、次なる革命を起こせるように、これまでと変わらずコツコツ行くとしますかね、慌てずゆっくりと。身体の内部にうろついている無垢の癒着を捉えて駆逐してやる!(笑)ひとつ書き忘れていた感覚の芽生えがある。なんだか足の裏が、手のひらのように感じるようになってきた。手のひらのように動かせるということではない。ただそのように感じる。不思議な感じ。気のせいかな・・・。始まりはいつも北京原人から。