今回は前回のお話と少し関連していますので、続いて書きたいと思います。
ピアノという楽器を演奏する上で、ある時は一人オーケストラ的に他のさまざまな楽器の音色を想像したり、ある時は声楽のような響きを追求したりするわけですが、
ではそもそもピアノ自体は何楽器の部類に入るのか。
弦楽器?管楽器?打楽器?それとも、まんまの鍵盤楽器?
そんな質問を生徒たち(ほとんど全員)にしてみました。
小学生でも学校で合奏を経験しているので、だいたい想像できるようですし、音の響きを体感させるためにレッスンでも時々蓋を開けて、中の仕組みを見せているので、
ほぼ皆が皆、「打楽器!」と即答。
「弦が張ってあるからなぁ・・・、弦楽器かも。」と悩んだ子が1人。
あと、「鍵盤楽器だと思う。」と言いきる中学生が1人。
「でもグロッケンとかマリンバも鍵盤みたいに並んでるけど、あれは一応打楽器だよね?」と聞いてみたら、
「ピアノは手で触って音を出すけど、あれはバチを使っているから。」
なんて面白い答えが返ってきました。ちゃんと考えているのですね〜、中学生男子。
美しい響きを出すための基本として、ピアノは完全に打楽器として捉える。
例えば、大太鼓を叩いて、いい音を飛ばそうと思った時に、バチをどのように使うか?
皮へビタッと止めてしまったら飛ぶどころか、とても鳴らすとは程遠い。
これはご想像通り、スピードをつけて叩いた直後の、瞬時に減力させた手・腕の使い方にかかっているわけです。
で、大太鼓も小太鼓も家には無いので 笑、
代わりになーんと良いものが!
トライアングル!!
棒を持って、ビタッと止めた打ち方、
そして綺麗な音がお部屋にめい一杯響き渡る打ち方の、両方を試してもらいました。
そしてここからが本題。
これだけ響きが違うことは一目瞭然であるのですが、ピアノとなると、何せ触れば簡単に音が出せる楽器。
だからこそ繊細で多彩な音の可能性を持つピアノ。
ハンマーが弦を打つ、この内部の仕組み・仕掛けに想像を膨らませ、五感を集中させることの難しさ・・・。
しかし、響きに対する技術 いわゆる「触感技術」への第一歩としての入り口は、ここからしかないと私は確信しています。
鍵盤の深さ エスケープメントレベル内のたった数ミリの世界で実現させる打鍵のスピードと瞬時の減力の仕方を、
実際にffからpppまで6〜8段階の差をつけて、本人の手が私の手の内側で体得していく。
レッスン時間の中で少しずつ、この方法だけでもかなり長期で地道にコツコツと指導していく覚悟でいました。
がしかし、なんと意外にも即効性があってびっくりしたのです。
まだ探っている状態にもかかわらず、打鍵と離鍵のコントロールによって、弱々しいfしか出せない子の音がスコンと飛ぶようになったり、
グニャグニャと粒が揃わない16分音符、っていう子がコロコロとはっきり音が鳴るようになったり。
ただ、指先の感覚だけに必死という感じで、耳がまだついていっておらず、「楽に弾けた!」はあるけど、
「ほら!よく鳴ってる!ピアノが喜んでるよー!」と言って私がウキウキしても、ポカンとしていて音質の変化は実感として曖昧。
それでも、この感覚を信じて忘れずに身につけていくことが当面の目標です。
前回で書いた内容の、どんどん力を減らしていって、そこに残された身体感覚。
柔らかで、清々しくもあり、中庸的でニュートラルな筋感覚。深く落ち着いた呼吸。すべてを身体に委ね、真っさらなキャンパスの様な脳内の状態。
これを演奏中常に持ち、エスケープメントレベルにすべて注ぎ込む。
白いキャンパスには、曲の映像や物語が次々と映し出されていく。
フォーカルジストニアのための奏法の入れ替えとしてもこの感覚イメージは有効。
しかし実際に、ジストニアの手の方で実現させる(させようと意識的に試みる)ことは、極めて注意が必要です。
時折書いているように、生態的・精神的・骨格筋的なもの等が整っていることが前提で、そこに初めて極自然発生されるものこそが身体の理に適った真新しい自分の奏法であります。
なので、まずイメージが身体を変えていくこと・如何にイメージできるか を、ピアノに向かう時のみならず、常に生活の中に取り入れ、身体に問いかける習慣を無くしては実現されません。
では実際に音を鳴らす際にはどうすれば良いのか。
もしジストニアではない方の手があるならば、そちらの手で前述の触感技術を思う存分楽しんで研究していけば良いわけです。
右手が、左手が、右足が、左足が、頭、首、肩、胸、背中・・・
どうしても人は個別に分けてどーのこーのと考えてしまう傾向にありますが、全身は足の先から頭の天辺まで、すべて繋がっているのです。
動いている骨格筋・筋膜のみならず、感覚神経も同じです。
結果、「両側性転移」現象が起こることは大いに期待できると考えます。
片方の手の、質の良い知的な経験は、必ずもう片方の手に良い影響を与える。
ジストニアの場合、少なくとも、その経験を習得するための静かなる準備を始めようとするのです。
鍵盤の深さ わずかミリ単位内の打楽器的奏法
鍵盤の深さ わずかミリ単位内での減力奏法
ジストニアの手、そして身体全体が、この感覚を欲しがっているはずだからです。
「四極性転移と両側性転移」の過去記事はこちら→☆
長々と書いてしまったが、最後の心残りとしては、
どうしても音質の変化に対して耳がついていかない子たちの話だ。
色々と、本当にいろいろと考えてみるのだが、一つとしてやはり、電子音で溢れかえる世の中で、そんな環境が日常である以上、自然な音すべてに対する意識はなかなか難しい。
最近は、ピアノの先生の間でも表沙汰になって問題視されているのが、電子ピアノでしか練習できない子どもたちへの指導の困難さである。
同じ教師同士、実際 電子ピアノが用意されていて、弾かざるを得ない時があると、「げーっ!とか思っちゃうよね。」なんて話題になる。
ジストニアのピアニストなら尚更、げーっ!ていうどころか、身体自体何も受け付けないという人が多いのではないだろうか。
とにかく、ピアノに限らず、いろんな生の楽器演奏を聴くこと(更にはホールで)に勝るものはない。
そして、風や雨、鳥の声、海の波、土を踏む感触、青空や月など、自然界の音・色に想いを馳せ、全身でそれを感じ吸収する体験に勝るものはない。
やっぱり結局は耳の話になりますな。。。
奥松島にて 船に乗る。日本三大渓「嵯峨渓」。
東京都福生市の拙宅(マンション 一室)でピアノ・レッスンをしております。
今のところ暫くは仙台の教室がメインであるため、月に一度の上京の際 となりますが、
ご都合が合って希望される方がいらっしゃれば、ご予約いただきレッスンを行なっています。
レッスン料や時間帯、地図などの詳細をmailにてご案内いたします。