何年か前から、縁あって、フェルデンクライスを受講しています。
潜在的な身体感覚により近く、微細な動き(見た目にはほとんどわからないほどの小さく繊細な動き)によって無駄な力を極力削減していき、自然な心地よさの中で全身の筋肉や骨格の連動を体感できます。
動きそのものが重要なのではなく、それによってどう感じるか、違いは何か、という
言葉に表せないくらいの小さなことに大きく光を当てて身体の世界を広げていきます。




指先に集中せず、身体全体の過剰な筋緊張を取り除くことはフォーカルジストニアにとって、もっとも重要な到達点のひとつであり、たくさんのアプローチが必要ですが、
ピアノ演奏において、世間一般に「脱力」と言われていることも、殆どの学習者にとって大きな課題であるにもかかわらず、同時に、不可解なものでもあるわけです。
何故なら、
「頑張れ!」
と人や親に言われ、教授され、力むことで成せる技を積み重ね身体が覚えてしまった、それが優位に立ちはだかることが常になり、
「いかに楽にこなすか」の先にある成功体験の心地よさとは無縁な身体能力になってしまっているからでしょう。
「いかに楽に能力を上げていくか」や「頑張らないこと」を教えてくれる人がいなかった・・・
私は、これは本当に深刻な問題だと捉えています。


芸術表現に不可欠な想像力。

これは、力みの中から生まれるとはとても考え難いし、
「えいっ!頑張るぞ!」と力んでイマジネーションを働かせる人はいないはずです 笑。
2つのことを同時には出来ない仕組みになっているのが、人間というもの。


それで、この「脱力」という言葉、意味不明。
これまでに何度も書いていますが、力を抜いたら立っていることも座ることさえも出来ないでしょ?っていう話。
ピアノ演奏の脱力 を、力説?される諸先生方が多々いらっしゃいますが、
だから、過剰な筋緊張を発する人の根本にあるものが、あまりにも複雑な問題(精神的にも肉体的にも)であり、千差万別であること・・・ここに目を向けていらっしゃらない気がしてなりません。


やっと話を戻しますが、
そんな私たちにとっての、この脱力に代わる言葉たる何かを探し続けて、かれこれ10年・・・

ある日のフェルデン受講中、先生の柔らかで穏やかな身体への問いかけの中に、

「少しずつ、力を減らしていきましょう。」

というフレーズがありました。


あぁ これだ・・・

と、腑に落ちる。
極微な身体の世界の真っ只中で。



筋肉の、今持っている力みを、

減らしていく。

どんどん
身体の芯 近くまで

減らしていく。

こうかな?あーかな?
といろいろ模索してみると、意外と身体は、

こうだよ。
と教えてくれる。頭で考えるより先に。

そして、
ほら!必要な力は 残ったこれだけで十分なんだ!
と言うまでに辿り着く。

そこにあるのは、一本だけスッと筋の通った、透明で柔らかな身体の中身です。

残った必要な力、というよりも、実際そこに残されたものは、自分の身体の「重さ」だけなのです。
この身体の状態が、指先に、ピアノに反映されて、
響きを出すってこういうタッチのことなのか!
と、
本当に教えてもらえるのです。

それは、他人からではなく、
自分の身体から。
そして、その身体が触れているピアノから。

さらに、巷で教授されている「手の脱力」の本当の意味は、ここから始まるのです。






フェルデンクライスについてはこちら




「少しずつ、力を抜きましょう。」ではないところが素晴らしい、先生のその言葉。
誰かが私の筋緊張を脱がせてくれたり、抜き取ってくれるのなら話は別だけどね。

今 無意識に持っている力みを意識的に減らしていく。

まだ減らせる・・もっと減らせる・・こんなに自分、力を入れて頑張ってたのか・・・と、知らされる。


「重さ」といえば、合唱指導で、発声前の体操の時間に、ちょい実験してみた事があった。

隣の人の両手掌の上に、片方の腕を乗せて預けてみる。腕の重さを乗せるように。

腕を乗せられている人は、適当なタイミングでその腕をサッと手放す。

完全に重さが乗っている状態であれば、その腕は気持ちよ〜くストンと下へ落ちるはず。お人形のように。ぶらりん・・・。

しかし、腕を預けた全員という全員が、見事に、同じ形のまま空中で止まっているではないか!?
なんとお行儀の良いキチンとさん。

言葉巧みに、力を減らして重さを実感してもらい、再びやってみるも、ストンと落ちる人は、それでも半分。あとの半分の人はキョトンとしてる 笑。

教室の大人の方にもやってもらったが、やはり同じ。

ジストニアの筋緊張でなくとも、
人ってフツーに日常的に無意識に余計な力が入っている、
もしくは、実際に本来の力の抜き方というのを本当に知らないんだ?ということを目の当たりに。

上半身ぶら下げ も、
ぶら下げるのに、首が固まっていて頭の重さを下に預けられなかったりで、柳のようなゆらゆら感が体験できない。
支えるところが分からなかったら、頭の天辺や手先は解放されない。
下へ落ちることへの、何か恐怖を感じているかのようだ。

下へ落ちる=だらし無さ

この誤った意識が働いているかのようでもある。

いづれにせよ、自分の身体の中身を信じ切らなければ、実現しない。







仙台北部、先週7日の、桜のつぼみ。




こんなに固い木の幹から外の世界へ、
桜の花は美を表出しようとする。



その後、季節外れの雪にまみれ、痛々しい桜を見たかと思えば、

満開を迎えた今週。


暖かさに少しずつ少しずつ緩み、あれほど頑なに噤んでいた濃いピンクツボミが、柔らかい花びらのパステルピンクとなって風に身を任せている。









苔と桜。
個性的でなかなか美しい。


今年はツボミ桜に、雪桜。そして苔桜・・・。
自分の中だけで密かに楽しんでおりまして。

気づくとその桜たちから大きく学んでいる私がいる。

花を開かせることのできない桜がいるとしたら、幹が、根が、弱いのだろう。
どんな枝ぶりだろうと、花は根幹を信じて美を放出する。












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東京都福生市の拙宅(マンション 一室)でピアノ・レッスンをしております。

今のところ暫くは仙台の教室がメインであるため、月に一度の上京の際 となりますが、
ご都合が合って希望される方がいらっしゃれば、ご予約いただきレッスンを行なっています。




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2019年 5月4〜7日
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