「脇を締めて弾く」と良い とよく言われます。
それによって技術的なものや音色・響かせ方に良い変化をもたらし向上につながれば問題はないのですが、
人の身体は千差万別です。地球上に存在する、枝ぶりの同じ木など一本も無いように、骨格・筋肉のつき方・血流や神経の通り道など、体内の全ての造りは皆違っています。
なので、「脇を締める」という形的・見た目的なものから入ってしまうと弾けなくなってしまうこともあり得るし、
脇を空けて弾いているけど、張りを持たせて支えていれば、それは「脇が締まった」感覚でもあるはずです。
鍵盤の弾く位置や音質の違いを出すためなどによって、一瞬締めて弾いた方が良い箇所も出てくるし、場合によっては脇の下にたっぷりと空気を含むように空けて弾く箇所もあって然りです。
ということで、常に締めている(空けている)状態では、それでは表現できない・弾けないことがある訳です。
たくさんの検証と聴く耳を持って、身体の反応と音が一致するものを探し続けていくこと
それにより、
自分は締めた方が楽に好きな音が出せる状況が比較的多い、や、
空けた方が関節の動きがスムーズに働くことが多い、
などの人によっての違いが現れてくるものです。
これを大雑把に分けるとするなら、
お腹側で弾く人と背中側で弾く人のタイプの違い、という結果論になります。
前者が締める人、後者が空ける人。
だから背中で弾く人に、脇を締めて弾けと言っても、なかなか腑に落ちないまま(身体の(喜びの)声が聞こえない状態を多く持ったまま)練習を重ねてしまうことになります。
違和感を覚えるなら、当然その時に出された音に身体・耳は反応しません。反応しなければ、身体・耳の記憶にも残りません。
スルッと通りが良く、なんだか勝手に身体(腕)が動いたなぁ・・・
響いている音が身体に染み渡ったような、なんかいい感じ・・・
そんな身体の幸せを感じる瞬間が、実は何よりの学び。
反応としての良い体験は、深いところで記憶されます。
これは頭で記憶することはできません。
頭で再現することもできません。
なぜなら、とても儚いものだからです。
ちなみに私は背中で弾くタイプです。
治療の先生からの学びをきっかけとして、その後 私の普段の生活の身体の使い方からピアノを弾く身体まで、様々な検証によって、
まずは自分と同じ、又は近いタイプの奏者を見分けられるようになり、指導にも生かせるようになりました。その人にとって有効かどうかは、やはりその時の音色が教えてくれます。そして何より、その人の表情に現れます。
近いタイプ と書いたのは、前述の通り、これはかなり大雑把な分け方でありますので、
背中で弾くと一口でいっても、お腹側(丹田など)を全く無視できる事ではないし、
お腹側で弾く人が背中を全く使っていない訳でもありません。
その中身は、更にはたくさん枝分かれがなされています。
例えば、外側に身体を放つ人、内包するように身体を内側で使う人、などなど。
その枝分かれした物の組み合わせも、人によって様々です。
複雑な枝分かれによって、その人のその使い方が
まるで波紋のように、最終的に指先に伝わり、弾き方の違いが現れる。
放たれた音が、その人独自の奏法によって生まれた個性なのか、はたまた分断されたように作られたものなのか、
ご想像の通りである。
" 何に注目したら、どのような結果になるのか?"
という物の見方は、すでに両者を二分して考えていることになる。
そこには必ず、切っても切り離せない結びつきがあり、
目的はその結びつきを知ること。
それを見つめていかないと、一つの結果 だけにとらわれて、特にジストニアは、混乱を起こしやすい。
身体の 混乱。
混乱は不安に直結。
不安を取り払うために誤ってしてしまう行為(練習)も、ご想像の通りである。これはもうすでに、怒りに近い。←本人の自覚が無くても。
儚いものの感覚を大事に愛おしくできるなら、それが「伝わる演奏」であり「心動かされる演奏」であり、
それが、その時のものこそ、あなたの身体の使い方だということになる。
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