今回いつにも増して長文です。
お時間ある方お付き合いください。

前回の続きとして、運指にまつわる私の考え方などをもっと詳しく綴りたいなと思っていたのですが、そちらは次回以降にいたしまして。
今日は、音楽の話もありますが、少し離れて書きたいと思います。

現在コロナ騒動で大変な世の中になっているわけですが、罹患された方や亡くなられた方、ご家族、携わっていらっしゃる衛生・医療機関関係者の方々、本当に辛く大変な思いとご苦労がおありと察します。私も、身内も、いつ発症してもおかしくない環境下にあることの恐怖・・これも皆同じでしょう。

その恐怖への対策、ある時は煽り、拡散された乱雑な情報、そしてまた恐怖。これを繰り返している大人たちから、今一番、精神的被害を被っているのは子どもたちではないかと感じています。
職業柄、子どもたちの様子を見ていると、どうも心が不安定になっている子が多いことに気づきます。
学校も施設も全て閉鎖、行事も全て中止、もしくは、なんとも言いがたい簡素化された寂しいものだったり。
どんどん元気がなくなるのは当たり前で、子どもたちの様子は本当に顕著です。

東日本大震災から8年が過ぎました・・・
私の脳裏に焼きついているあの悲惨な光景とその後の世の中の動き、それらの記憶を辿って今、子どもたちに向けて観察してみると、まるで様子が違っていて、
親(大人)の背中をみて育つ
とはこういうことだと良くわかります。

恐怖に慄いて防御する姿と、寄り添いながら明るく前に進もうとする元気な姿

という私たち大人の行動そのものの影響です。

もちろん、状況がまるで違うのは百も承知ですが。


実はこの3月、某コンクールの全国大会と、別口のコンクール本選、果てには優勝者コンサート、アンサンブルコンサートと立て続けに本番スケジュールが詰まっている教え子の、
それらは全てが中止に。
その過酷なスケジュールに嬉しい悲鳴を上げつつも、着々と準備を進めてコツコツと磨きをかけて本番に挑もうとする彼のエネルギーは、
主催者側の苦渋の決断とは言え「中止」というたった一言で全て水に流され、奪われてしまいました。

行き場の無くなったそのエネルギーをどこへ集中し向かわせたものか、とにかく本人の意思を、と最終的には私は黙って見守ることしかできませんでしたが、しばらくして
"4月の○○コンクールを受けてみようかと思う・・・"と。
なんとも怪しげな口調?
しかし、コンクール自体の中身は別として、前向きな気持ちを話してくれた喜びを覚え、ドンと引き上げていく覚悟を決めました。

決め・・・たのも束の間?
次のレッスンで、今にもくしゃくしゃになりそうなお顔をして、
"やっぱりやめる"と。

どんな想いで悩み、答えを出して言葉にしたことか、その気持ちに辛くなり心が痛みました。



ある生徒のお母さんから、
"あんなに大好きなピアノなのに、パッタリ練習しなくなってしまった"との相談。

また、休校中の先生からの宿題も、全く手をつけられないでいる子がいたり。


時間があって家にいるのだから勉強もピアノの練習もたっぷりできるだろう!と思っているのは大人ばかり。
子どもは、自分の足元にしっかりと伸びて来ている明るい未来を見つめ、それに向かうことで生き生きと活動できるのです。

震災時の悲惨な状況下での、たくさんの子どもたちのたくさんの活躍を、本当に思い出してもらいたい。

炊き出しのお母さんたちに混じって、笑顔で一緒におにぎりを握る子たち。

長い坂道を、大きなリヤカーに水をいっぱい積んで、大きな掛け声とともに避難所に運んでくる子どもたち。

先生と一緒にお顔・手足を真っ黒にして、学校の校庭に山積みされた廃材を必死に片付ける姿。

彼ら彼女らがあんなにも輝いていたのは、
肩を寄せ合い、苦しみを乗り越えて新しい未来を作ろうとする大人の私たちの、真の姿をしっかりと見つめていたからなんです。

8年前、生徒全員の無事を確認し、レッスンを再開した時の感動がよみがえります。
発表会のお知らせから準備を始めていた私は、すっかり気落ちしていましたが、やがてそんな子どもたちの姿から、なんとか行うことができないものか?と。
ライフラインも落ち着いた頃、
「こんな時にごめんね、先生、どうしても発表会やりたいんだ・・」の旨の話を一人一人に相談してみたところ、なんと予想以上の喜び様!
「やったぁー!」とバンザイする子まで!
曲の仕上がりもさる事ながら、当日はそれまでの過去最高♪ みんな生き生きとして、感動が感動を呼ぶ、楽しく素晴らしい会になったのです。

延期して開催された地元のピアノコンクールでは、当時小学3年生だったと記憶していますが、涙がボロボロとこぼれるくらいの甘美に溢れ心のこもった素晴らしい演奏をした子がいました。
もちろん、最高得点で優勝したのですが、その後聞いた話によれば、
お母さんが津波に流されたかもしれず行方不明、という状況の中でのコンクールへの参加だったそうです。
安否確認と、出場出来るかどうかの開催側からの問いに、「僕、出ます!」と答えたそうです。

お母さんはきっと生きている!と信じる魂の叫びそのものが会場の隅々まで響き渡った、感動の演奏・・・小学3年生の小さな胸いっぱいの願いが音楽に込められていたんですね。
そして、突然母を失った災害生活のさなかで、どんな想いでピアノに向かい練習してきたことでしょうか・・・心が張り裂けそうな気持ちになります。

あの子のピアノの響きは、その時自分の頬をつたった涙とともに一生忘れません。



子どもにとってワクワクが無限に存在する外の世界が遮断された今日・・・。大人の私たちは、何を与えることができるでしょうか。
どんな時代・時世でも、光を浴びて、元気な大人を見て育ち、光に満ちた未来に向かう子どもたち。その生きるチカラを失わせてはならないし無駄にしてもいけないことを私たちはよく考えていかなくてはなりません。
私たち自身が諦めることなく明るく輝きながら行動し、その姿を子どもたちに見せていかなくてはなりません。






先のコンクール男子はその後、まずは某コンサート出演のためのオーディションに向けて猛練習中。

練習できなくなっちゃったちゃんは、とっても心配したが、お母さんとのたくさんの電話・メールのやり取りの甲斐もあり、2週間後に笑顔でレッスンを迎え、終始笑いが絶えない時間を過ごすことができた。


ちょっと話は変わるが、
"あぁこの人ポジティブで明るくて、いつも笑っていて、お話も楽しくて深くて。
自分もあんな風に人と接したいな、前向きに今を生きたいな"
と思う人が、結構なパーセンテージで私の知り合いの中におり、だいぶ前からその方々の共通点を何気なく探して覚えておくようになった。

実はなんと、気付くと皆1960年生まれ。

なぜだろ?なぜだろ?
たぶんその年代に何かがあったに違いない!笑。

ずっと疑問を持っていたが、ひとつ、これだ!と最近思い当たる節がある。

現在の天皇のお生まれになった年なのである。

国を挙げての祝福・歓喜に満ちた日本、将来への明るい希望・・・笑顔で活気に溢れていただろう人々の、当時の様子が想像できる。

そんな大人たちを見て育った世代である。