ピアノ ソロ、コチシュ版とアラン版。


左がアラン版が収められた作品集。右がコチシュ版。

まずはアラン版でザッと弾いてみました。その後1ページ目をじっくり、指に違和感がないかどうかを何度か確かめてみました。

私の場合、毎日といっていいほど手の感覚が違います。
その何度か確かめているうちに、いい触感が生まれる場合もあるし、
パッとひらめいて無心で出した音が、指にしっくりくる場合もあるし。
だけどそれらは翌日には全く消えてしまうことも常なので、指のみならず、ぐーっと身体の中に潜り込んで、完全に解放された筋感覚であるかどうかを判断することになります。

それで、音源を聴いてどちらが好きとかというのはまったくなくて、要するに楽譜有りき、なんですね。
なので、次にコチシュ版を入手して弾いてみたところ、譜面に向かう視覚的なものと響かせ方が、見事に手指と全身にしっくりくる。

譜面に向かう視覚的なもの というのは、やはり、私の左手の安心感、もしくは想像力を誘うものであり、
その想像力とは、響きと筋感覚の一致、そして運指です。

実は私、これはジストニアになる前からですが、運指を考えるのが大好きでして、楽しくて仕方ない。
ドビュッシーなんかも、内声が複雑であるほどハマってしまう傾向があります。

まぁしかしですねぇ、とにかく片手でとる音域が広く、しかも連続して出てくる箇所もあるので、
常に関節を柔らかく、筋肉を柔軟にしていなければ、その度にロックがかかってしまいます。
ラフマニノフはちょっと久しぶりなこともあり、特別なラフマニノフ脳?みたいな、新しい神経回路を自分の頭の中に発火させていってるカンジかな。


それで、2つの編曲を比べてみますと、アラン版の方が若干、難解度はそんなに高くなく、コチシュよりはポピュラーな感じがします。




たとえば分かりやすいところで、poco piu mosso〜

高音メロディーと内声の動きが一目瞭然であるのに対して、





コチシュ版はこのように複雑に絡み合っているので、各声部(特に内声の動き)の流れている方向を確かめて際立たせる作業に時間を要します。

その前の、1カッコの部分も、とても美しいのだけど、綺麗な流れで弾くにはとても厄介な絡み具合ではあります。

30〜31小節、メロディー埋もれる埋もれる。。。

(31)小節〜は?そう内声がメロディー。



35〜36小節、

ソプラノ32分音符に、メロディー埋もれる埋もれる。。。






ちなみに内声をどちらでとるかの手書きの印は、私の手用のものなので、参考にはなりません。まぁこんな取り方もありだな、くらいで笑。


確かに、理解度的に弾きやすいのはアラン版ですが、どうにもジストニアは不思議なもので、これに関しては無関係。簡単に言ってしまえば、より複雑なものへの頭脳的な諦めが、より身体とのコンタクトを求めやすいと言い換えることができるかもしれません。とにかくとにかく、身体が心地よく反応するかどうかにかかっていますから。

しかしジストニアは、その身体の症状と常に隣合わせであるので危険性は高く、気の遠くなるくらいの身体との対話の時間が必要で、いかに慎重であるかはご想像頂けるかと。

ジストニアでない場合、もしくはジストニアでも、自分の身体と上手く付き合っていけるようになった場合。
簡単な曲、もしくは自分のレベルに沿った曲ばかりではなく(それはそれで、響きをとことん追求する などの目的があればいいのですが)、
やはり、それとは別に、身体感覚と楽器とをどんどん一体化させていくために、未開発な身体の感覚を発掘して磨いていくことも必要です。
そのために複雑かつ難易度の高い曲を、頭にではなく身体に与えていくという、その中身、これは、特に学習者には欠かせないことです。

運指も考えるには考えるのですが、まず身体に聞いてみることが先決で、身体が納得し、美しい音として反応することが大優先。
これ、もちろん身体が良い響きを求めてピアノから引き出すことを目的としている訳ですが、
時々稀に、ピアノから身体に与えられた様な感覚の、逆の現象を体感することがあります。
それが、時々稀であるっていうのがちょっとガッカリで、まだまだだなぁと思うのですがね 笑。
でもきっとその時の奏でている音色こそ、それが音楽と一体になったという真実なのでしょうね。




話は逸れますが、ラフマニノフ ピアノ作品集 の方に、「W.R.のポルカ」が収められていまして、
実はこの楽譜を見てみたかった!という目的もあり入手しました、弾かないけどね 笑。


YouTubeより、ホロヴィッツの名演をどうぞ。
















アラン版ボカリーズも、今回取り上げてはいないワイルド版ももちろん、そういう意味で魅惑的な部分がたくさんあって、いいとこ取りで弾けたらなぁなんて思ったりもするが、
やっぱり自分的は、身も心もその曲の世界に入り浸って魅力を独り占めするために、目の前にある譜面とじっくり向き合い解読することを好む。


甘さと情熱と悲劇が混在するラフマニノフの世界。

たった一つのフレーズを、何十回弾いても飽きず、足らず、たとえそれで一日が終わったとしても幸福で満たされている自分。
そんな愛すべき音楽との出会い。

それは私にとって、かけがえのないもの。







最後に連弾を。
ここまで情熱的に演奏されたら、ラフマニノフもメロメロだろうな。