中村天風先生の美しい最期 ~月刊誌『致知』2006年8月号「悲しみの底に光るもの」より~ | 致知出版社公式アメーバブログ

 

 

 

 

医事評論家として、テレビやラジオに多数出演し、独特の人気を博した故・森田浩一郎(1925-2017年)さん。とりわけニッポン放送の「テレフォン人生相談」では、30年以上にわたり登場し、その人間味あふれる回答は多くの人の心を掴みました。

中村天風師の弟子でもあった森田氏は、弟子として、医師として、師である天風先生の最期を看取ったといいます。森田氏が見た天風先生の最期とはいかなるものだったのでしょうか。

 

 

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■一目惚れだった天風先生との出会い

一目惚れというのは確かにあるものです。中村天風先生との出会いがそうでした。

 

昭和26年です。当時私は医学部を卒業し、東京逓信病院でインターン中でした。天風先生に師事している先輩医師がいて、音羽の護国寺で開かれていた天風会をのぞいてみないかと誘われたのがきっかけです。

 

にぎやかで外向的な私を知る人は、そんなことがあるかと思うかもしれませんが、私には密かな悩みがありました。それは、代々医者の家系で深く考えないままに医者の道に進んだものの、自分はこの道に向いていないのではないかということです。そそっかし屋で慎重さに欠ける性格がその理由でした。


インターンとして接した医療現場ではいくつもの死に出合い、医学の限界を感じずにはいられません。そして、患者やその家族は医療効果のイメージを持っていて、期待通りにならないと非難の矢をすぐに医師に向けがちです。また、インターンで回った産婦人科では、当時の社会事情もあって多くの妊娠中絶という現実を目の当たりにしました。これらのことも私をデスペレート(絶望的)な気分に追い込み、医者という仕事に否定的な見方をさせていたのです。誘われて天風会に顔を出す気になったのは、この気分が大きかったと思います。

 

こんな人がいるのか——最初に天風先生にお会いした時の気持ちはこの一語に尽きます。あの気持ちをどう表現すればいいのか。拙い筆力では術を知りません。その時うかがった先生のお話も、私はどうしても医学的な視点で聞いてしまいますから、半分以上は本当だろうかという感じでした。にもかかわらず、私はこの人についていこうと強く思っていたのです。一目惚れという以外はありません。

 

■気合いで鶏を金縛りに

ある夏の修練会に参加した時でした。天風先生が一羽の鶏を持ってきて気合をかけました。すると、暴れていた鶏が麻酔でも打たれたようにピクリとも動かなくなってしまいました。そして、ふたたび先生が気合を入れると、何事もなかったようにヒョコヒョコ歩き出したのです。

 

この現象は医学ではどうにも説明がつきません。私はその鶏を譲り受け、家でいろいろと実験しました。しかし、どんな気合の入れ方をしても、鶏はバタバタ暴れるばかり。業を煮やした私はその鶏を食べてしまいました。

 

こんな調子の私です。先生には目が離せない感じがしたのでしょう。本当に可愛がっていただきました。ご家族に入って食事をするのは毎度のことで、何かといえば「森田」「森田」とお呼びになり、私も先生にお仕えすると何か嬉しく、生き生きした気分がふくらむのでした。

 

■「森田、楽になったよ」「みんな、ありがとう」

さて、話は一気に昭和43年に飛びます。その12月1日、天風先生は93歳でお亡くなりになりました。ご臨終の枕頭にはご家族や天風会会長など7、8人が並んでいました。私もその中の一人でした。

 

先生は肺ガンでした。肺ガンの末期は激痛に呼吸困難が伴い、大変苦しみます。麻酔薬の投与なしに耐えられるものではありません。だが、麻酔薬を拒否し自宅での自然な死を選ばれた先生は、「痛い」とも「苦しい」とも一言も洩らされず、穏やかな表情でした。私はそこに先生が説かれた心身統一法が具現されているのを見ました。苦しくないはずがありません。痛くないわけがありません。だが、心と体は一つととらえる先生は、強い精神力で肉体の苦痛を乗り越えているのです。

 

それでもやがて、先生のお顔は歪みました。痰(たん)が詰まって呼吸ができないのです。吸引器で痰を吸い取りますが、末期は痰の濃度が増して気管にからみ、膿(うみ)も滲出(しんしゅつ)して吸引器が利かなくなります。苦しみに歪む先生の表情に、突然私は激情がこみ上げ、押し流されました。

 

夢中でした。私はガバッと先生のお顔に伏せ、マウス・トゥー・マウスで痰を吸い取りました。スルッと痰は取れました。

 

「森田、楽になったよ」

 

先生は穏やかな表情に戻られました。

 

「みんな、ありがとう」

 

その言葉を最期に笑みを浮かべて天風先生が息を引き取られたのは、それから30分ほどのちでした。あんなに美しい最期を私は見たことがありません。

 

いつも医者は冷静でなければなりません。激情に駆られるなどもってのほかです。だが、先生の最期に痰を吸い取らせたあの激情は、心と体は一つという先生の教えが私の中にしみ込んでいた表れでした。それは私にとって嬉しいことでした。

 

あれから38年。それは私にとって、心と体を一つととらえる先生の教えを医療の上に実践する日々でした。そして、先生の教えを追いかける中で思うのは、精神を常に前向きにと心がけることによって、心身共に充実した積極人生を歩むことができたという実感です。

 

最後の最後まで心身統一の積極人生を貫き、あの美しい最期を迎えられた天風先生の、せめて半分の境地に達したいものだ。それがいまの私の願いです。

 

 

 

◇森田浩一郎(もりた・こういちろう)——元日本医師会常務理事

 

 

(本記事は月刊誌『致知』2006年8月号「悲しみの底に光るもの」から一部抜粋・編集したものです。)

 

 

 

 

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