愛情料理研究家 土岐山協子の 『食べることは生きること』を発信するブログ

愛情料理研究家の土岐山協子と申します。私は元々教職に就ておりました。その時に教育における母親の役割の重要性に気付き、日本の国力を上げかつ愛情に溢れた幸せな日本国を作るためには女性が愛情に溢れ、賢く美しくある必要があるのだという考えに至りました。


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友人が有名人だということを再認識した朝、皆様いかがお過ごしですか(╹◡╹)

別な友人から友人が記事になっていることを聞かされ、記事を読んでみた。
簡単に言うと友人の悪評めいたものだったのだが、あ、そうという感じ。

そもそも友人の悪評を書いた人を私は知らんし、どんなに世の中に悪評が出回ろうが、私はその友人が好きだということは変わらない。当たり前のことだ。

それよりもこの時期にこの記事に出会った意味を私なりに考えてみた。

私の生きる目的は全く誰にも頼まれていないが世界平和に貢献することだ。
私は平和に不可欠な条件は「悪意の種を蒔かないこと」だと思っている。

例えば今回のように誰か個人を糾弾する記事が出回ったとしよう。
そこで「そーだそーだ」と糾弾に乗る人は、実はその人が憎いわけではない(だって会ったことのない人なのだから)。自分自身がなんかの不満や不安、満たされない思いを抱えており、一言で言うと心に人を思いやる余裕が無い。だから糾弾に乗る行為や、同調してその会ったこともない人を「悪」と思い込む行為は自己のフラストレーションを発散するための手段の一つに過ぎない。

そうした人は「自分が善と思われたい」という欲求がかなり多い。自信の無さを露呈しているだけなのだが、それを認める強さもないから仕方がない。

だからこうした記事によりその個人がどれだけ多くの人に叩かれようが、叩く側の人には自分を善と思われたいだけの幼稚な悪意しかないのだから、記事も記事の反応自体も実は全てが空虚で無意味なことなのである。

しかし「悪意の種」を心に保有している人は、こうした記事が悪意の花を咲かせる肥料になる。悪意の花は群生する性質がある。一輪では咲けないようにできている。

しかしこうした記事にそーだそーだと乗らないタイプの人がいる。
「悪意の種」を成長過程でそもそも植えられていないか、日々の暮らしの中で完全に消失したかのどちらかだ。
種が無いのだから思考が悪意に満ちるわけがない。そうした人たちの行動を謎に思うだけ。たまにこういう綺麗な魂の人、いる(╹◡╹)

私はこの「悪意の種」を心から無くすことが人が生きる目的なのではないかなと思う。
そして「人への悪意」は未熟さの象徴だと、私は思っている。
なぜなら悪意が発動する理由は
「自分を守りたい」という自己保身のための防御反応が働くからだ。

自分という人間は宇宙全体も含めた共同体の一員として生きているという意識があれば、実は「個」にはあまり執着することかないはずで、その原理がわからない人は自分という一個体を守ろうとする。その自分本位な気持ちが他との確執を生むのだと思う。平たく言うと単にワガママなんだわ。

だから人を自分から攻撃する人には、教養が備わっていないと私は思っている。教養とは優しさであり思いやりだ。人は教養があるからこそ優しくなれる。

まず教養とは
「万物は一体であり、自分はその共同体の一部であること」
「人間は自分一人の力では何も出来ないこと」
「人間の命の重さ、存在の尊さは全て平等で人が人を裁く権利は何人たりとも持ち得ないこと」
「人を攻撃する行為をした場合、結果必ず自分自身が信用を失う羽目になること」
「人間は信頼関係を築くことでしか絶対の安心感を得られないこと」
「人間が心豊かに生きるために必要なのは安心感であること」

などであり、教養がある人はこのことをわかっているから誰かを悪く言う行為を自らしない。だから優しくしかなりようがない。

知識が豊富なことと教養があることは全く別で、教養があって知識が豊富な人は文化人だが
教養がないのに知識だけがある人は「悪意の種」を多く撒き散らしてしまうタイプの人である。
この非生産的な行為の結果、自分の信用が失われてしまうことを全く想像できていないということだ。少し考えたらわかるだろうに。

そして教養がない人の究極は
「人ごとにする」という行為を平気ですること。

「私はそうじゃない」
「私は絶対しない」

この思考自体が自分をよく見せたいという悪意の種を保有していることの証明なのだが「見せかけの正義感」にかられるとそれが見えなくなる場合は往々にしてあるものだ。

人間、どんなことをも犯す可能性が平等にある。
私だっていつ、この「そーだそーだ」側になるかわからない。

だから信頼できるパートナーや友人が必要なのだ。

私が誰かを悪意を持って評することがあったときに、その悪意の種を枯らしてくれる言葉を言ってもらえるかどうか。

悪意の種は、多分持っていない人の方が圧倒的に少ない。
これ、自分は無い、と思う人はアウトと思うよ(╹◡╹)

悪意の種を花咲かせないようにする一番の手段は、毎日美味しいご飯を食べることだと、私は思うな🍙

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土岐山拝
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1月4日の18時

今年3月10日に公開される、吉永小百合さん主演の映画『北の桜守』完成試写会に行ってまいりました。

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一般の撮影はご遠慮くださいとのことでしたので、こちらの写真は公式のものです。

なんとこちらの『北の桜守』で、吉永さんは120本目の作品とのとこです。

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主演の吉永小百合さんは桜色のお着物をお召しになり舞台挨拶をされました。

深々と頭を下げられる吉永さん。
土岐山はこの映画の稚内ロケで、少しお近くでお仕事をさせていただくという幸運に恵まれました。

俳優でも映画関係でもない私などにもいつも吉永さんは深々と頭を下げてくださいました。

稚内ロケの終わりには、勿体無いことに御礼のお言葉等もいただきました。

本当にいつも自然体でいらして誰にでも分け隔てなく礼をつくしてくださる素晴らしい方でした。

お話が来た時は、自信がなく御断りをさせていただきました。
その時も、吉永さんは本当にお優しいから何も心配しなくていいとスタッフの方々に言われ、おそるおそる決心をいたしました次第です。

スタッフの方々が仰る通りの、とてもとてもお優しい方でした。
私の素性などは全く気にかけずにいらしたのは、信頼できるスタッフが選んだからという、スタッフさんへの信頼なのだなと感じました。

私が次世代に伝えたいのは
どんなに有名になったとしても決して驕り高ぶること無く、謙虚なお気持ちと感謝の御心を持ち続ける吉永さんのような生き方なのだとあらためて思いました。
身近でそうした空気に触れる機会があったことは、大変にありがたいことだと思う。

しかも今回の仕事の件に関しては、沢山の方々を巻き込んでしまい、まだきちんと御礼もできていない。

色々な方がいてこそ、一つの食卓が出来上がるのだということがこの度の仕事で本当の意味で身にしみてわかった。

私の力などは一つもなく、沢山の方々のご協力のおかげですということは、マネージャーさんを通してお伝えさせていただいております。

そしてもっと映画のロケ中は皆さんピリピリされているのかな、、という素人考えは全くの杞憂で、本当に仲のよろしい、アットホームな雰囲気だけが漂っておりました。

私のようなものにお声がけくださり、様々をご一緒してくださいました東映の方々に深く感謝しております。

映画、とても良かったです。
内容はこちらには書きませんが、これからの日本に必要な全てが詰まっていると感じました。
オープニングで、鳥肌が立ちました。本物の空気感はかくもすごいものかと思いました。

書くか迷いましたが
東映さんは私の名前もエンドロールに載せてくだすっておりました。
エンドロールの名前の件も、私は自分の仕事に自分で納得がいかず御断りさせていただいたのですが、ご配慮いただいたとのこと。なんて温かい方々なのだろうと思います。

今回の試写会もお気遣いくださり、お席をご用意くださいました。

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国際フォーラムは、感動の渦でした。

もし皆様、3月10日土曜日より公開の『北の桜守』、映画を観に行かれましたら私の名前を見つけて、こいつ一生分の運を使いやがったな、と失笑してくださいませ。

映画、足を運ばれてくださいましたら嬉しいです。


土岐山拝
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年明け三日目の朝、皆様いかがお過ごしですか。私はゴロゴロしています(╹◡╹)

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この写真はうちの猫です。
野良を三年ばかりやっていた彼は昨年今頃はギザギザハートかってぐらい、触るものみな傷つけていたんだけれど、今は子守唄いらずで顔の近くでぐーぐーと寝るまでになった。当たり前だよね。私が攻撃しないんだから。

マズローの欲求五段階説に則って考えるに日本は実はまだまだ二段階目の「安全欲求」を満たしているだけの状態であると感ずる。

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うちの猫と同様な状態のことです。
とりあえずは食うに困らない状態。餓死者が毎日出たりしないよね?そして命と身の安全が保障されている状態。武力行使の戦争状態になっていませんよね?(╹◡╹)

ところが、まだ安全までしか手に入れていないのにこのマズローの五段階欲求を全てを手に入れたかのような錯覚というか勘違いがこの国全体を空気として覆ってきたのではなかろうか。バカ言っちゃいけないよ。そんな精神的な欲求を満たしている国民が芸能人の不祥事で盛り上がるもんか。

その勘違いが起こった原因は、マズローの欲求五段階とは全く別の「成績、学歴、肩書きピラミッド」における人間性とはまるでかけ離れたヒエラルキーが日本の教育に鎮座したからだと私は思っている。

このヒエラルキーの存在自体はあってもいい。なぜなら高校や大学の授業で、知識量がある程度同じじゃないと授業の理解度にかなりの差がつくからだ。同好会のバレー部と全国大会を目指すバレー部は一緒に練習できないのと同じ。

しかし、こうした学歴や肩書きは人間性のあり方とは全く別次元の事象だという認識がなされていない人にとっては「劣等感(後から説明するが、必要のない方の劣等感)」という自己実現の形成を阻む恐れのある心の状態を増幅させてしまう恐れがある。

簡単に言えばなんでもかんでも人と比べる癖を時代がつけさせてしまったために、社会全体が精神的成熟がしにくくなっているのが今の世の中なのだ。

もっとわかりやすく言うと、人間性を身長計で測っているようなトンチンカンなこと。
そのトンチンカンなことを今まで誰もが素直に受け入れてきた。
この素直さはまた日本人の素晴らしさでもあるのだが。

身長計は身長を測るためにある。
人間性を測る物差しなど世の中に存在しない。

しかし偏差値という、学力を測る物差しがいつしか人間性を測るものだという勘違いが人をいわれなき劣等感に陥れるに至った。
学力じゃなくても、知名度や一芸に秀でる事象をみて、自分と他人を比べはじめる癖がついてしまっている。
今のSNSでのよくわからないセミナーや素人先生、及びそれの受講者の増え方は、その必要のない方の劣等感を埋めようとしている人が多いということを如実に表していると思う。

星新一が書いた『治療』という題名の作品がある。「劣等感」についてのショートショート。現代の世相を読んでいたかのよう。興味のある方は『宇宙の挨拶』という文庫に載っていますので読まれてみてください。

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その作品の中にもあるが「劣等感」に苛まれている人ほど「劣等感が無い」ということを人に向けて言う傾向にある。劣等感に限らず、お金、幸せ、平和、足りていない人に限って「足りている」ということを発信する。
そのことは私の場合、銀座で学ばせてもらった。聞かれてもいないのにアピールする人ほどまず足りていない。

劣等感に関して言えば「劣等感があると認めることは自分が人より劣っていると認めることだから認めたくない」という心理のようだが、そもそもそれは「劣等感」の捉え方が間違っているからおこる現象だ。

「劣等感」から人は向上する。社会の発展や、個人の心の安定のためには「劣等感」はなくてはならない。劣等感をいけないもののように思って受け入れ拒否をしている人がもしいたらお伝えしたいが「人と比べることで感じる劣等感」はそもそもが幻で、そんなものはこの世に存在しない。
この世に確実に存在し、かつ自分の心に必要な劣等感は「昨日の自分と比べて感じる劣等感」である。そこを混同してはならない。

「人と比べる」という行為自体が、宇宙服を着ないで大気圏外を遊泳することぐらいあり得ないことなのだ。そんなことができるのは江田島平八塾長だけだ。

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そこの真理をわからずに生きているのは宇宙服を着ずに酸素のない場所を歩き回っているようなもので、そりゃあ苦しいことと思う。

私自身は自分の中での「〜ねばならない」はあるが(CoCo壱番屋のスプーンを集めねばならない、ラーメンにはライスをつけねばならない、など)それは世の中が押し付けてきたものではないし、人に強要する気もない。たとえ親でも子どもに何かを強要することは許されない。日本の伝統(箸の持ち方、食事の仕方など)を伝えることは大切だけどね。

これからの時代は、人間の成熟期に入ると思って間違いない。
肩書きという幻影で仕事をしている人には仕事は回ってこなくなる時代がきた。
内側を見つめて虚栄に踊らされないモノづくりの職人さんたちが日本をリードしていく。モノづくりは虚栄ではできない。ごまかしのきかない世界だ。
ハッタリじゃメシ食っていけないのよ。
そうしたことに気づいている人達が警鐘を鳴らし始めている。今年はもっと大きくなる。

自分自身から生まれくる素晴らしき劣等感と、毎日向き合え。
昨日の自分にいだく劣等感無しには精神的向上はあり得ない。

今日の箱根駅伝、青山学院大の9区の走者が「自分自身の中の劣等感と逃げずに向き合うことでタイムを伸ばした」と仰っていた。
なんという、格好良さよ。


土岐山拝
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