愛情料理研究家 土岐山協子の 『食べることは生きること』を発信するブログ

愛情料理研究家 土岐山協子の 『食べることは生きること』を発信するブログ

愛情料理研究家の土岐山協子と申します。私は元々教職に就ておりました。その時に教育における母親の役割の重要性に気付き、日本の国力を上げかつ愛情に溢れた幸せな日本国を作るためには女性が愛情に溢れ、賢く美しくある必要があるのだという考えに至りました。


テーマ:
「料理が苦手だからレトルトを使う」という人の話をよく聞くと、共通点がある。

まず料理は
「たくさんの名前のつくメニューをレパートリーとして持っていなくてはならない」
ことだと思い込んでいること。

そして
「失敗をしたくない」
と思っていること。

さらに
「家族に手抜きだと思われたくない」
と思っていること。

見た目が美味しそうに見えるけれども実は半分ぐらい食べ物ではない添加物でできている既成の混ぜるだけ調味料を使って名前のついた料理を作るのか

見た目はそうでもないけれども味わうと身体が喜ぶ調味料を使って、世界で一つだけの味を作るのか。

そもそも食べ物がいつも同じ味なんてあり得ない話だ。生きているのだから。

生き方に正解など無いように、料理に正解などありはしない。
一番だしの取り方だって、料亭さんで全て違った。これが正解の味なんてこの世に無いよ。

自分が美味しいと思えるか。
自分がその料理を食べて喜びを感じるか。

料理は素材選びが9割と私は思っている。
美味しい素材は混ぜ合わせたら美味しくしかならない。
料理の腕など関係ない。
納得いくまで自分の好きな味になるまで味見をしたらいいだけだ。

既成の合わせ調味料は家庭の味ではなく「企業の味」だよ。
大切な家族に「企業の味」を覚えさせたいならまあいいさ。

忙しいという理由で食卓をおろそかにする事をしていると、あとで必ずツケを払う羽目になる。



忙しいという人、このお弁当は10分で作れる。私ですら作れるのだから地球上の人が全て作れるはずだ。

料理に一番大切なのはセンスでもなんでもない。
美味しい調味料を選ぶことだけが大切だ。
どうやっても美味しくしかならない。まずくする方が難しい。

前に最高の松坂牛ですき焼きをした友人。本の通りに砂糖と醤油で割り下を作っていたが、醤油は大手メーカーの脱脂加工大豆を使ったもの。
味が決まらないと言い出し、ついにはだしの素を一袋入れ、美味しくなったと満足していた。

醤油としての偽物を使った結果、偽物の旨味調味料に尻拭いをしてもらう結果となった。偽物と本物は調和しない。土台が違うからだ。
人間関係でもこうしたことあるよね。

自分探しとやらをしている人に老婆心ながらアドバイスをさせていただきたい。

自分探しをする前に美味しい調味料を探せ。

美味しい調味料で丁寧に料理を作り、それを味わい、心から食材に感謝をする時、自分探しの必要は、無くなる。

時間と手間暇をかけて丁寧に作られた調味料に頼ることが、美味しい料理を作るコツだと私は思う。

一瞬で飲み干す流行りのワインを一本買う値段で、本物の醤油が二本も買えるしね。

家庭の食卓はファミリーレストランじゃあないんだよ。
自分が今買える食材を手に取り、炒める、煮る、焼く。
名前の無い料理が、家庭の食卓の醍醐味じゃあないのか。

もし家族に「今日のごはん何?」と聞かれたら

「お母さんスペシャル!」と答えよう(╹◡╹)

食卓は世界に一つだけの
お母さんスペシャルだ(╹◡╹)



土岐山拝

テーマ:
うちにマグカップがなかったばかりにお椀でコーヒーを飲む羽目になった我が師匠が沖永良部島に来て料理教室をやってくれました。


















今の世の中、沢山の情報が溢れて何を優先したらいいのかがわからなくなっている人が多いのかもしれない。
私はそんな今こそ、台所に立って料理をしようじゃないかと思うのです。

台所は命を作る場所。自分の髪の毛一本さえも、全て食べたものからできている。
その命が、工業製品から作られるのは、安全とか危険の前に寂しいことのような気がします。

断っておきたいのは、料理を作ること自体を目的とするのとは違うということ。料理を通して「食卓の向こう側」を見ることができる心の豊かさを養うことが私は料理の真の目的と思っている。

だから料理ができるからといって心が豊かかというと、そうではない人もたくさんいる。心に寂しさを抱え続ける人は、自分のことで精一杯で、人のことまで考える余裕がない。別にそれは「悪いこと」ではないが寂しいことではある。

寂しさを抱えている人は「食卓の向こう側」が見えていない。それは蔵見学や畑の見学をしたからといってわかるとも限らない。

自分は複数の誰かからの愛を確実に受けているのだと心の底から気づけたときが自立のスタートだと私は思う。
親から愛をもらえなかったと思い込みいじける気持ちもわからなくはないが親は神ではないし神に近い完璧超人でもない。親から完璧な愛がたっぷりもらえる人など皆無と思う。だって愛を受けるための受け皿が、子ども時代にはまだ完成されていないのだから。私だってわからんかったわ。

何のために生きるのか。
私は愛情を受けるための器を作るために人間は生きていると思っている。
そのために傷つき、修復し、強化し、徐々に大きくし、を死ぬまで続ける。

様々を人のせいにしている人は、まだ器の製作段階にも入っていない。人が作った器では生きられないのに、その器をレンタルしたがる。傷つくたびにレンタル屋さんに丸投げし、新しいのを貸せと要求する。いつまでも大人としては生きられない。その状態はとても生きづらいことと思うし、今の社会は生きづらさを抱えた大人風な人が多くいることが問題なのではないかと思っている。不平不満を少しでも抱える人は、皆そうだと私は思う。

料理はどんな人に教わるかがとても大事だと思う。形だけの料理を作るなら私は食卓などむしろ必要ないと思っている。
かおり先生がいっつも愚痴ばかりこぼし、人の陰口を言い、人を見下すような人なら私は先生として大切な友人や子どもに紹介しない。どんなにいい味でもそこに心の余裕が入っていない料理は私は食べたくない。美味しいと言われないから機嫌を悪くするような心で作られたものは、確実に食べ手の心に反映される。そんな子どもをたくさん見ている。

先日の弁当の日
校長先生がわざわざお礼を伝えにいらしてくださった。
私は全くわからなかったが、実は肉が食べられない子がいたという。そして、手に何かベタベタとつくことを極度に嫌う子もいたという。校長先生が、生肉を揉んだ様子を聞いて、驚いたと仰った。



 


弁当の日の翌日、いつも一緒に校長先生は子どもと草むしりをするのだそう。子どもたちはそれぞれ自ら校長先生に自分の体験を報告したそうだ。肉を食べたよ、やけどもしたけど(未報告)全部自分で弁当を作ったよ、家で卵焼き焼いたよ、など。

ベタベタを嫌う子は、草むしりの時に手が土で真っ黒になることを嫌がらなくなったという。

きっかけは弁当の日かもしれないが、その土台にはいつも空気の様にあたたかく子どもを見守るお父さんお母さん、学校の先生の存在があればこそ。

他人の私なんて、おいしいとこだけさらっていく一日限りのドーピング剤。気楽なもんです。

かおり先生のレッスン、早速子どもと作りましたという嬉しいご報告も。
お母さんお父さん、育ての親の台所姿は、一番の食育と思うのです。


土岐山拝

テーマ:
皆さんこんにちは。
土岐山です。

なんだか自分のブログに全くログインできなくなり
まあいいかとそのまま放置をしておりましたところ

アメーバブログのアカウント等を作成してくださいましたおじさんが、もしかしてパスワードわかんないの、と昨日メールをくれまして。
パスワードを入力したらログインができましたため

久方ぶりに記事を書こうと思った次第です。

昨日久しぶりに付き添いで病院に行き、待合室で料理がたくさん載っている主婦の方向きの雑誌を手にしました。

私が社会人になりたてぐらいのころの記事とあんまり変わらない、節約術や、料理のレシピ。そして大手食品企業の広告。

雑誌の内容自体は変わらないままでも、今この時代を取り巻く環境は著しく違う。

まずはSNSが一般的になり身近な人々と情報の共有がより簡単に出来るようになったこと。

全く知らない人の流す情報しかなかった昔と

実際に会って信頼できる人の情報をいつでも手に入れられる今

ご存知の通り、雑誌の広告にはスポンサーがいて
スポンサー会社の商品が売れるように内容を練らなくてはならないわけです。

それはもう今更言うことでもないのですが

確実に時代は変わってきている
ということだけは言えるわけで

例えば土岐山は昭和47年生まれで46歳
土岐山の時代は第二次ベビーブームで
とても人数が多い上に
偏差値重視教育の全盛期だったもので

成績の高いものは勝ち
低いものは残念

のようなわかりやすいヒエラルキーがあり

その熾烈な争いについていけないでドロップアウトする人達が盗んだバイクで走り出したり校舎の窓を割り続けたりと行き場のない気持ちをわかりやすくアウトプットしていた時代でありました。

あれから30年ぐらいが過ぎ

時代は明らかに変わってきています。

一つは偏差値重視教育の見直し
まあ、色々ろくなことが起きてない上に
実は高校までしか行ってない人達がわりと今若手社長さんとなって時代を引っ張っているケースが多いことから

あれ、大学卒業の肩書きって、就職に必要なくね?
みたいな気づきが都内を中心に起きています。

現に、土岐山の友人達には若いベンチャー企業の社長が多くおりますが
会社のエントリーシートには、学歴の欄がありません。

今、何ができるかだけが重要なのだとか。
あとは面接時に感じる生命力。

これ、半ばプー太郎の土岐山が、どんなに若いお母さんに口頭で言っても伝わらないので
もう、そうした社長さんとの対談を載せた本を出した方が早いのかなとも思う。

未だに、大学ぐらい出していないとよい就職にありつけないと本気で思っている土岐山と同じ年代のお父さんお母さんはいて

それは、自分が過ごしてきた時代しか知らないからなのではないかなと思うのです。

もう一つは、食卓の見直し

この偏差値重視教育に連動して
子どもを塾に行かせるお金を捻出するためにパートやフルタイムで働いては疲れたと言ってごはんを作らない家庭が増え、塾が終わるとコンビニエンスストアで買い食いをする習慣がついて
結果身体の免疫力が下がり、今土岐山の年齢ぐらいの人は、ものすごく病気が多い。

ちなみに土岐山は塾に通ったことがない。
ごはんは家族揃って毎日食卓を囲んだよ(╹◡╹)そのおかげかわからんけど、未だに病気知らずやん(╹◡╹)軽く風邪かなと思っても生姜湯飲んだら翌日には治る(╹◡╹)

食卓って、人生をつくるステージと言っても過言ではないほど
重要と思う

今大活躍の大谷翔平さん
その料理雑誌にて特集されており


こんなに素晴らしい人間をどうやって育てたのかというインタビューを大谷翔平さんの親御さんにされた結果が

一番が「食卓の時間を楽しく」ということだったんだよね。

食卓の時間を楽しくすることが人間形成において何より優先すべき重要なことだと、大谷翔平さんのお父さんお母さんはおわかりだったのですね。

もう、若い世代はわりと気づいていて
大学に行ったところで、安定して生きることができる保証なんてどこにもないんじゃないの?って。

だったらこれからどんなことがあっても踏ん張りがきくように、丈夫な身体を作ることが親ができる最大限のことなんじゃないの?って。

化学調味料の時代は実は終わろうとしていて
なぜならそれは一昔前の調理法だから。

これからの時代は健康な身体を作るために

農薬の使われていない野菜を選び
遺伝子組み換えの餌を食べさせていない食肉を選び
なんでもかんでも化学調味料で味を均一にしようとしない、自然の調味料のシンプルな味付けで
みんなで美味しく楽しく食卓を囲む

そんな食事が当たり前な時代になるでしょう。

土岐山は、
えっ、今時塾に行ってないの?!
遅れてる!!
と、同級生に驚かれたクチですが

今思えば時代をかなり先取りしていたのだと思います(笑)

母親の作る料理は
魚を焼いて大根おろしとか
肉を焼いて塩こしょうとか
庭の畑から取れた野菜のおひたしとか
いわゆる、料理雑誌に載っているような名前のついたおかずは全くなかったけど

何をつくるかではなく
何を使うか

という観点で食卓を作っていたように思う

丸大豆の醤油や
手作りの味噌
新鮮で安心な食材を使うこと

食卓って
これだけでいーのだという気がする

一日たりとて、同じ味がなくていい
だって食材は人間が一人一人違うのと同じように
同じものは二度とできないのだから

家庭の味は、工業製品ではない
素材の味を引き出してこそ、家庭料理なんじゃないかな。

家庭料理って毎日違う味が醍醐味なんじゃないの?(╹◡╹)
人生と一緒でさ(╹◡╹)
毎日違うことが起きるから楽しいんじゃないか(╹◡╹)

教育もさ
親が世間の尺度で色々と手をかけたら
子どもが他と同じ規格品になる

料理も教育も最後に規格化された化学調味料で均一の味にするんじゃなくて
それぞれが持つ素材の味を最大限に出すことが素材への謝辞じゃないのかな、と思う。


ところで土岐山が小さい時代から
キャラ弁の走りのようなものは存在していて
ひよことか、パンダとか
様々な工夫で同級生のお弁当箱がファンタジックになっている中

土岐山のお弁当はごはんの上に、卵焼き、煮物、味噌漬け、梅干し
と、ほぼ毎日同じ絵面で

思い切って母親に
ちょっとでいいから華やかにしてもらえないかを打診したところ、わりとあっさりオーケーしてくれて

次の日めっちゃ楽しみにお弁当開けたら
サランラップにくるまれたたのきんトリオのプロマイドがごはんの上に乗ってたよね、、。


プロマイドの下はごはんしか無かったよ(╹◡╹)
でもほんのりついてる塩味に
母の愛を感じたね(╹◡╹)

いい思い出を、ありがとう、お母さん、、、(╹◡╹)

まだ生きてるけど(╹◡╹)


沖永良部島は台風一過でよいお天気です。

よい一日、今日もよい食卓を。


土岐山拝


Ameba人気のブログ