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『自炊力は人間力』おだしプロジェクト土岐山協子の〜「自炊はじめよう」ブログ

おだしプロジェクト代表の土岐山協子と申します。
日々の徒然を書いております。『ゼロからはじめる自炊塾』という、大学生以下無料の料理教室をやっております。料理をする人が少しでも増えたら嬉しいなあ、と思っています。


皆さま、こんばんは。


土岐山です。


かなり久しぶりのアメーバブログでございますが


なんでこんなに更新ができていなかったかというと


ログインできなかったから

です。


さっき、このアメーバブログを設定してくださった方から連絡があり


最近なんでFacebookばっかりなのかを聞かれたので


あーそういえばログインできなくなったんですわ。


と言ったら



IDとパスワードわかるよ


実に何年ぶりかで


アメーバブログさんのログインができました。


字もおっきくするわ。

なぜなら老眼が進んだから。


土岐山は相変わらず

おだしプロジェクトの活動を続けており




あ、2020年に

一般社団法人にしました。


そんで、去年

三代目ときやま商店

という店を

うっかり外苑前に出して




鰹節とかお味噌とかお醤油とかおむすびとかお弁当とか売ってます。


目的としては


死ぬ前に一回でもいいから

本当の味噌汁飲んで欲しいから


だね。


もう土岐山も50歳になってだいぶ丸くなり


過去に書いたブログとか恐ろしくて読み返せねえけど


やってることはあんま変わらないです。


あー、あとは

『ゼロからはじめる自炊塾』

という活動を、プラスではじめて








こんな感じでデモンストレーションして



こうやって覚えたことをお母さんの前で作ってもらったり


大学生以下無料でやってます。

自腹でw


まあなんかさ

こんなに世の中、料理作らない人が増えたのは

私も含めて大人のせいだよなー

と思うんですよね。


だから死ぬ前に

なんかサボってきた分

なんかで埋めとかないと


地獄行くじゃん

いや、地獄行きは決定してるけど

できたら軽めの部署に配属されたいじゃん。


だからこうして

せっせと徳を積むようなフリをしつつ


次世代になんか一個でも残したいなー

とか思うわけで。


せっかくまたアメーバブログさんともお繋がりになれたので


またお世話になります。

よろしくお願いいたします。


怖いもの見たさで

過去のブログを読み返してみるかのう、、、。


怖っえ!!!


そうそう

中目黒にcafe coilっていうカフェつくりまして

2階は『学び舎Kanon』という、いろんな学び舎になっとります。


なんか色々してるなあ。


老体に鞭打って


では、土岐山は引き続き


店の売り物食べます。








ではまた次回に。



土岐山拝





「料理が苦手だからレトルトを使う」という人の話をよく聞くと、共通点がある。

まず料理は
「たくさんの名前のつくメニューをレパートリーとして持っていなくてはならない」
ことだと思い込んでいること。

そして
「失敗をしたくない」
と思っていること。

さらに
「家族に手抜きだと思われたくない」
と思っていること。

見た目が美味しそうに見えるけれども実は半分ぐらい食べ物ではない添加物でできている既成の混ぜるだけ調味料を使って名前のついた料理を作るのか

見た目はそうでもないけれども味わうと身体が喜ぶ調味料を使って、世界で一つだけの味を作るのか。

そもそも食べ物がいつも同じ味なんてあり得ない話だ。生きているのだから。

生き方に正解など無いように、料理に正解などありはしない。
一番だしの取り方だって、料亭さんで全て違った。これが正解の味なんてこの世に無いよ。

自分が美味しいと思えるか。
自分がその料理を食べて喜びを感じるか。

料理は素材選びが9割と私は思っている。
美味しい素材は混ぜ合わせたら美味しくしかならない。
料理の腕など関係ない。
納得いくまで自分の好きな味になるまで味見をしたらいいだけだ。

既成の合わせ調味料は家庭の味ではなく「企業の味」だよ。
大切な家族に「企業の味」を覚えさせたいならまあいいさ。

忙しいという理由で食卓をおろそかにする事をしていると、あとで必ずツケを払う羽目になる。



忙しいという人、このお弁当は10分で作れる。私ですら作れるのだから地球上の人が全て作れるはずだ。

料理に一番大切なのはセンスでもなんでもない。
美味しい調味料を選ぶことだけが大切だ。
どうやっても美味しくしかならない。まずくする方が難しい。

前に最高の松坂牛ですき焼きをした友人。本の通りに砂糖と醤油で割り下を作っていたが、醤油は大手メーカーの脱脂加工大豆を使ったもの。
味が決まらないと言い出し、ついにはだしの素を一袋入れ、美味しくなったと満足していた。

醤油としての偽物を使った結果、偽物の旨味調味料に尻拭いをしてもらう結果となった。偽物と本物は調和しない。土台が違うからだ。
人間関係でもこうしたことあるよね。

自分探しとやらをしている人に老婆心ながらアドバイスをさせていただきたい。

自分探しをする前に美味しい調味料を探せ。

美味しい調味料で丁寧に料理を作り、それを味わい、心から食材に感謝をする時、自分探しの必要は、無くなる。

時間と手間暇をかけて丁寧に作られた調味料に頼ることが、美味しい料理を作るコツだと私は思う。

一瞬で飲み干す流行りのワインを一本買う値段で、本物の醤油が二本も買えるしね。

家庭の食卓はファミリーレストランじゃあないんだよ。
自分が今買える食材を手に取り、炒める、煮る、焼く。
名前の無い料理が、家庭の食卓の醍醐味じゃあないのか。

もし家族に「今日のごはん何?」と聞かれたら

「お母さんスペシャル!」と答えよう(╹◡╹)

食卓は世界に一つだけの
お母さんスペシャルだ(╹◡╹)



土岐山拝
うちにマグカップがなかったばかりにお椀でコーヒーを飲む羽目になった我が師匠が沖永良部島に来て料理教室をやってくれました。


















今の世の中、沢山の情報が溢れて何を優先したらいいのかがわからなくなっている人が多いのかもしれない。
私はそんな今こそ、台所に立って料理をしようじゃないかと思うのです。

台所は命を作る場所。自分の髪の毛一本さえも、全て食べたものからできている。
その命が、工業製品から作られるのは、安全とか危険の前に寂しいことのような気がします。

断っておきたいのは、料理を作ること自体を目的とするのとは違うということ。料理を通して「食卓の向こう側」を見ることができる心の豊かさを養うことが私は料理の真の目的と思っている。

だから料理ができるからといって心が豊かかというと、そうではない人もたくさんいる。心に寂しさを抱え続ける人は、自分のことで精一杯で、人のことまで考える余裕がない。別にそれは「悪いこと」ではないが寂しいことではある。

寂しさを抱えている人は「食卓の向こう側」が見えていない。それは蔵見学や畑の見学をしたからといってわかるとも限らない。

自分は複数の誰かからの愛を確実に受けているのだと心の底から気づけたときが自立のスタートだと私は思う。
親から愛をもらえなかったと思い込みいじける気持ちもわからなくはないが親は神ではないし神に近い完璧超人でもない。親から完璧な愛がたっぷりもらえる人など皆無と思う。だって愛を受けるための受け皿が、子ども時代にはまだ完成されていないのだから。私だってわからんかったわ。

何のために生きるのか。
私は愛情を受けるための器を作るために人間は生きていると思っている。
そのために傷つき、修復し、強化し、徐々に大きくし、を死ぬまで続ける。

様々を人のせいにしている人は、まだ器の製作段階にも入っていない。人が作った器では生きられないのに、その器をレンタルしたがる。傷つくたびにレンタル屋さんに丸投げし、新しいのを貸せと要求する。いつまでも大人としては生きられない。その状態はとても生きづらいことと思うし、今の社会は生きづらさを抱えた大人風な人が多くいることが問題なのではないかと思っている。不平不満を少しでも抱える人は、皆そうだと私は思う。

料理はどんな人に教わるかがとても大事だと思う。形だけの料理を作るなら私は食卓などむしろ必要ないと思っている。
かおり先生がいっつも愚痴ばかりこぼし、人の陰口を言い、人を見下すような人なら私は先生として大切な友人や子どもに紹介しない。どんなにいい味でもそこに心の余裕が入っていない料理は私は食べたくない。美味しいと言われないから機嫌を悪くするような心で作られたものは、確実に食べ手の心に反映される。そんな子どもをたくさん見ている。

先日の弁当の日
校長先生がわざわざお礼を伝えにいらしてくださった。
私は全くわからなかったが、実は肉が食べられない子がいたという。そして、手に何かベタベタとつくことを極度に嫌う子もいたという。校長先生が、生肉を揉んだ様子を聞いて、驚いたと仰った。



 


弁当の日の翌日、いつも一緒に校長先生は子どもと草むしりをするのだそう。子どもたちはそれぞれ自ら校長先生に自分の体験を報告したそうだ。肉を食べたよ、やけどもしたけど(未報告)全部自分で弁当を作ったよ、家で卵焼き焼いたよ、など。

ベタベタを嫌う子は、草むしりの時に手が土で真っ黒になることを嫌がらなくなったという。

きっかけは弁当の日かもしれないが、その土台にはいつも空気の様にあたたかく子どもを見守るお父さんお母さん、学校の先生の存在があればこそ。

他人の私なんて、おいしいとこだけさらっていく一日限りのドーピング剤。気楽なもんです。

かおり先生のレッスン、早速子どもと作りましたという嬉しいご報告も。
お母さんお父さん、育ての親の台所姿は、一番の食育と思うのです。


土岐山拝