刺青 画像 「江戸の奇妙な刺青」
日本の刺青文化は、天保(1830~1844年)に入ると一気に庶民の間で広まりました。
臥煙や鳶などの火消し、駕籠かき、大工などの職人のほか、侠客や博徒など 多くの人々が刺青を入れていたそうです。
江戸時代は、現在のように彫師が下絵の制作と施術を兼務するのではなく、浮世絵のように図案家と彫師は分業だったのだそうです。図案は主に浮世絵師が担当し、歌川国芳や、その門人の芳艶・芳虎などのほか、葛飾北斎なども刺青の下絵を描いていたようです。
ちなみに、歌川国貞の妻女 元芸者であったお鶴は、国貞の下絵になる「狐忠信」の図を彫っていたそうです。
刺青人気の高まりを受けて、刺青品評会も開催されました。
品評会には賞も設けられていたので、入賞を競い合ううちに、次第に技術を競うだけではなく着想の奇抜さを求めて奇想天外な刺青になっていったようです。
今回は、当時描かれた刺青姿の錦絵から、特に斬新なものをご紹介します。
■孫悟空 「分身の術」刺青
体から毛束を引き抜き吹いた毛が、左腕から背中を通り右腕にかけて大勢の小猿に変化していく様子が詳細に彫られています。
「近世水滸伝」より 「猿(ましら)の伝次 中村芝翫」 1862年(文久2)
三代豊国・画(歌川国貞 1786~1864年)
※「近世水滸伝」とは、幕末に三代歌川豊国によって描かれた、水滸伝の登場人物を日本の侠客に見立てた役者絵のシリーズ作
孫悟空の口からエクトプラズムのようなものが…
如意棒を持ったクローン悟空が大勢飛び掛ってます。
■背中一面アザミの刺青
「近世水滸伝」より「炎玉小僧鬼桂助」坂東亀蔵 1862年(文久2)
三代豊国・画(歌川国貞 1786~1864年)
※2014.10.18 タンポポ→アザミに訂正しました。あきさんご指摘有難うございます。
当時、刺青に使用できる色素は、主に墨と朱の赤しか無かったため、仕方なく赤い花になってしまったんでしょうね。
■ 「武松の虎退治」の刺青
「竹門の虎松」市村羽左衛門(十三代目)1863年(文久3)
三代豊国・画(歌川国貞 1786~1864年)
© Museum of Fine Arts, Boston
歌川国芳(1798~1861年)の武者絵「武松の虎退治」を題材にした刺青が大胆に彫られています。 役者自身より、刺青のほうが生き生きとした躍動感に溢れているのが面白いですね。
こちらが元絵
歌川国芳・画 「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 清河縣之産武松」1827~1830年頃
■巨大な虎の刺青
「当世好男子伝」より「行者武松に比す 腕の喜三郎」 初代河原崎権十郎
三代豊国(歌川国貞 1786~1864年)画
※腕の喜三郎: 寛文の頃(1661~1672年)に実在した侠客。
喧嘩で負傷した自分の片腕を、手下にノコギリで切り落とさせたという逸話が有名。
南千住の小塚原回向院には、腕の喜三郎の拳を模った墓石があります。
©国立国会図書館デジタルアーカイブ
右腕一面に巨大な虎が彫られています。
もっとも奇妙なのがこちら!
■手長足長の刺青
手長足長(てながあしなが)とは、異境の国々に住むとされる手や足が異様に長い中国の伝説上の人種。 古代中国の地誌「山海経(せんがいきょう)」には、手長の人が住む国「長臂(ちょうひ)国」、足長の人が住む国「長股(ちょうこ)国」について記されています。
「倶利迦羅金剛傳」より「朝比奈藤兵衛」1863年(文久3)
二代国貞・画(三代歌川国政 1823年~1880年)
※朝比奈藤兵衛: 江戸時代前期に実在した侠客、非常に力が強かったため和田氏の乱の朝比奈義秀にたとえられ朝比奈と呼ばれた。
© Museum of Fine Arts, Boston
左腕から肩にかけて手長足長が彫られています。
腹に彫られている人物は、鎌倉時代に実在した武将「朝比奈(三郎)義秀」
和田合戦に破れ、海路を船で敗走した際に「島渡り伝説」が生まれ、巨人として錦絵に描かれることが多いようです。
1855年(安政2)、人形師・松本喜三郎(1825‐91)製作の「手長足長」などの異境の怪異な人々の姿を模った生人形が、江戸・浅草奥山で展示され好評を博したそうです。
その様子を描いた国芳作の錦絵が残されています。
※生人形とは、幕末~明治に見世物興行用に作られた等身大の精巧な人形
「浅草奥山生人形」1855年(安政2)
歌川国芳・画(1798~1861年)
© 国立国会図書館デジタル化資料 - 浅草奥山生人形
朝比奈(三郎)義秀が、手長足長と相撲をとっている錦絵も描かれています。
朝比奈三郎義秀萬國すまふの圖 (1830年代末~1840年代初期)
歌川国芳・画(1798~1861年)
NHK リトル・チャロ ~東北編~ にも「手長足長」が登場します。
こちらは磐梯山や鳥海山などに現れたという伝説の妖怪なのだそうです。
■お勧め書籍
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臥煙や鳶などの火消し、駕籠かき、大工などの職人のほか、侠客や博徒など 多くの人々が刺青を入れていたそうです。
江戸時代は、現在のように彫師が下絵の制作と施術を兼務するのではなく、浮世絵のように図案家と彫師は分業だったのだそうです。図案は主に浮世絵師が担当し、歌川国芳や、その門人の芳艶・芳虎などのほか、葛飾北斎なども刺青の下絵を描いていたようです。
ちなみに、歌川国貞の妻女 元芸者であったお鶴は、国貞の下絵になる「狐忠信」の図を彫っていたそうです。
刺青人気の高まりを受けて、刺青品評会も開催されました。
品評会には賞も設けられていたので、入賞を競い合ううちに、次第に技術を競うだけではなく着想の奇抜さを求めて奇想天外な刺青になっていったようです。
今回は、当時描かれた刺青姿の錦絵から、特に斬新なものをご紹介します。
■孫悟空 「分身の術」刺青
体から毛束を引き抜き吹いた毛が、左腕から背中を通り右腕にかけて大勢の小猿に変化していく様子が詳細に彫られています。
「近世水滸伝」より 「猿(ましら)の伝次 中村芝翫」 1862年(文久2)
三代豊国・画(歌川国貞 1786~1864年)
※「近世水滸伝」とは、幕末に三代歌川豊国によって描かれた、水滸伝の登場人物を日本の侠客に見立てた役者絵のシリーズ作
孫悟空の口からエクトプラズムのようなものが…
如意棒を持ったクローン悟空が大勢飛び掛ってます。
■背中一面アザミの刺青
「近世水滸伝」より「炎玉小僧鬼桂助」坂東亀蔵 1862年(文久2)
三代豊国・画(歌川国貞 1786~1864年)
※2014.10.18 タンポポ→アザミに訂正しました。あきさんご指摘有難うございます。
当時、刺青に使用できる色素は、主に墨と朱の赤しか無かったため、仕方なく赤い花になってしまったんでしょうね。
■ 「武松の虎退治」の刺青
「竹門の虎松」市村羽左衛門(十三代目)1863年(文久3)
三代豊国・画(歌川国貞 1786~1864年)
© Museum of Fine Arts, Boston
歌川国芳(1798~1861年)の武者絵「武松の虎退治」を題材にした刺青が大胆に彫られています。 役者自身より、刺青のほうが生き生きとした躍動感に溢れているのが面白いですね。
こちらが元絵
歌川国芳・画 「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 清河縣之産武松」1827~1830年頃
■巨大な虎の刺青
「当世好男子伝」より「行者武松に比す 腕の喜三郎」 初代河原崎権十郎
三代豊国(歌川国貞 1786~1864年)画
※腕の喜三郎: 寛文の頃(1661~1672年)に実在した侠客。
喧嘩で負傷した自分の片腕を、手下にノコギリで切り落とさせたという逸話が有名。
南千住の小塚原回向院には、腕の喜三郎の拳を模った墓石があります。
©国立国会図書館デジタルアーカイブ
右腕一面に巨大な虎が彫られています。
もっとも奇妙なのがこちら!
■手長足長の刺青
手長足長(てながあしなが)とは、異境の国々に住むとされる手や足が異様に長い中国の伝説上の人種。 古代中国の地誌「山海経(せんがいきょう)」には、手長の人が住む国「長臂(ちょうひ)国」、足長の人が住む国「長股(ちょうこ)国」について記されています。
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二代国貞・画(三代歌川国政 1823年~1880年)
※朝比奈藤兵衛: 江戸時代前期に実在した侠客、非常に力が強かったため和田氏の乱の朝比奈義秀にたとえられ朝比奈と呼ばれた。
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左腕から肩にかけて手長足長が彫られています。
腹に彫られている人物は、鎌倉時代に実在した武将「朝比奈(三郎)義秀」
和田合戦に破れ、海路を船で敗走した際に「島渡り伝説」が生まれ、巨人として錦絵に描かれることが多いようです。
1855年(安政2)、人形師・松本喜三郎(1825‐91)製作の「手長足長」などの異境の怪異な人々の姿を模った生人形が、江戸・浅草奥山で展示され好評を博したそうです。
その様子を描いた国芳作の錦絵が残されています。
※生人形とは、幕末~明治に見世物興行用に作られた等身大の精巧な人形
「浅草奥山生人形」1855年(安政2)
歌川国芳・画(1798~1861年)
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朝比奈(三郎)義秀が、手長足長と相撲をとっている錦絵も描かれています。
朝比奈三郎義秀萬國すまふの圖 (1830年代末~1840年代初期)
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