刺青の人体標本 【改訂版】
※削除された2010年11月28日の記事の改訂版です。
※2012.5.7 加筆・修正しました。
「刺青の標本」をご存知ですか?
刺青を彫った人間の皮膚を剥がして標本にしたモノが日本に存在するんです。
■刺青の人体標本 Tattooed human skin
なんとなく都市伝説っぽい話ですが本当なんです。でも「法治国家でそんなことをしたら違法じゃないの?」って思うでしょ? 実は天下の「東京大学」にあるんですよ。
場所は、本郷の東京大学医学部2号館 (医学部本館)の中にある「東京大学医学部標本室」に収蔵されています。
東京大学医学部2号館(本館) 1936年(昭和11)竣工
ここには刺青の人体標本の他にもエジプトのミイラ、著名人の脳、各種人体標本、ムラージュ(人体の型を取り蝋で複製・彩色したもの)などがあるそうです。 東京大学総合研究博物館デジタルミュージアムと 東大病院だより No.56にその一部を見ることが出来ます。
刺青の標本は、巨大な額に入れられ天井近くの壁の高い位置に並べて飾ってあります。 所蔵する標本は総数57点、その中で10数点のみが展示してあるそうです。
科学大観 第7号 人体特集 1957年(昭和32) - 東大医学部標本室 内部の見通し
科学大観 第7号 人体特集 - 額装された刺青の部分標本
東大医学部標本室は一般公開はしておらず、医学・医療従事者以外の閲覧は出来ません。
しかし、下記の書籍に掲載されている刺青の標本写真で、その一部を垣間見ることができます。
■芸術新潮 1995年11月号 (特集・東京大学のコレクションは凄いぞ !)/著者不明
¥1,200
Amazon.co.jp
■原色日本刺青大鑑 (1973年)/著者不明
¥価格不明
Amazon.co.jp
■TATTOO BURST vol.1 1999年
日本刺青墨録百姿傳 伝統刺青と彫師たち 五
■毎日グラフ1956年(昭和31)5月27日号
ご家庭参上「グロテスクな研究 医学博士 福士政一氏」特集記事あり
■生きてる浮世絵 刺青展
(1973年に小田急デパート新宿店で開催された展覧会図録)
■世界文化社 科学大観 第7号 人体特集(1961年に発行された子供図鑑)
東大医学部標本室遠景と刺青の部分標本の写真掲載
標本は、胸腹の部分から切り開かれ、首から上腕・腿あたりまでの全身の皮膚が剥がされ鞣し革にされています。その形状は動物のなめし革と同様に大文字形に広げてあり、革の表面は保存のために定期的に塗られたオリーブオイルの効果で深い光沢が生まれ、生前よりも色鮮やかに絵柄を確認することができます。
また、墨の色が青みがかっておらず黒々とした墨本来の色をしていることに驚かされますが、これは皮を鞣す過程で表皮、脂肪などを丹念に削り取り刺青の色素が定着している真皮層を革の表面に露出させることで生まれるんだそうです。
※刺青の墨の色が黒色ではなく藍色に見えるのは、真皮層に定着した墨の色を表皮層のフィルターを通して見ているため、表皮の飴色とメラニンの褐色が影響して墨本来の黒色ではなく青味がかって見えるのだそうです。
芸術新潮 1995年11月号 特集:東京大学のコレクションは凄いぞ!
標本(右)拡大 図柄:月岡芳年の浮世絵をモチーフにした美勇水滸伝「大蛇丸」
標本(左)拡大
1946, Tokyo, Japan ~ Tattoos cover the skins of Japanese cadavers that were donated for research and preservation. ~ Image by © Horace Bristol
LE DOCTEUR FUKUSHI PROSPECTE 標本を調べる福士政一博士(1946年)
情報提供:mixiコミュ『ミイラ・ミイラ・ミイラ』 ロロさん
月岡 芳年 美勇水滸伝 大蛇丸
鞣し革にしたものを、さらに縫い合わせて人の形に成形した標本も存在します。
まるで人間の剥製のようで衝撃的です!! 映画「旧作 猿の惑星」や「羊たちの沈黙」を思い出しますね。
芸術新潮 1995年11月号
明治時代に彫られた七分彫りのトルソー型標本
図柄:左 両腕=竜、胸・腹・大腿部=緋ぼたん、背面=若武者
図柄:右 右大腿部=ひげ面の武者
背面=歌川国芳の浮世絵 水滸伝「浪裏白跳張順 水門破り」の絵柄
上のトルソー型標本の別アングルのショット。
2009年にトライバルビレッジ浅草で開催された 「復活!日本刺青資料館展」 に展示された写真です。これは「初代 彫長」さんが刺青を手掛けた故人の標本の写真パネルで 「浅草 二代目 彫長」 さんが所蔵しています。
©Tokyo Dreaming: Asakusa Tattoo Museum Exhibition
TATTOO BURST vol.1 1999年
TATTOO BURST vol.1 1999年
虫食い痕でしょうか? 標本全体に無数の小さな穴が開いているのが確認できます。
東京慈恵会医科大学所蔵 花和尚魯智深の額装標本
「生きてる浮世絵 刺青展」
(1973年に小田急デパート新宿店で開催された展覧会図録)
そこで疑問になるのが、
「誰がどのようにしてこれらの標本を作ったのか?」
「献体者(皮の提供者)はどんな方々だったのか?」
ですが、
これについては、下川耿史著 青弓社「死体の文化史」 の中の"刺青の皮を剥ぐ博士"という章に親子二代に渡って刺青の標本を蒐集する福士親子の話が詳しく書かれています。
■福士政一博士
東京大学医学部標本室の刺青の標本を制作したのは、東大医学部教授から日本医科大学の創設に参加された日本における病理学の最高権威である
「福士政一博士」(1878-1956)です。
蒐集されたのは1907年(明治40)から昭和初期にかけて、きっかけは医学的な関心で始まったようです。体内に入った異物(刺青)を排出しようとする働きの研究(病理学の色素沈着)からですが、次第に刺青の革それ自体の蒐集を目的にするようになっていったようです。
拍車をかけたのが、1872年(明治5年)日本初の 軽 犯 罪 法である
「東京違式註違(いしきかいい)条例」の公布でした。
※条例では「 刺 青 行 為 」「 春 画 等の販売 」「 男 女 混 浴 の風呂営業 」「 肌 脱 ぎ 」「 男 女 相 撲 」「 立 小 便 」などを禁止しています。
この 風 俗 に関する条例で「刺青行為」が禁止(彫るのも彫られるのも)
されたことにより、このままでは衰退していくであろう日本の刺青文化を、標本にして後世に残すことを思い立ったようです。
戦前の読売新聞に福士博士の刺青蒐集に関する記事が掲載されています。
「文身報国」 総身=六ヵ年を費やして…
読売新聞 1932年(昭和7)4月28日 朝刊
義理と勢い肌のシンボルとして徳川期に流行を極めた文身は御法度の今日でもひそかに針先の痛みに耐えながらも真っ白な肌に躍動する芳烈絢爛な線と色とにいい知れぬ魅惑を感ずる若い男女は跡を絶たない 殊に東洋美術として礼賛の声を惜しまぬ人々の群れが相当インテリの中に多いといわれているが東大講師福士政一博士の如きは其の一人である
博士は明治四十年から文身の研究を始めているが 最近 泉州堺でまだ嘗てぶつかった事のない素晴らしい逸品を探し出した(中略)
最近 博士と本人の会見の結果 死後は解剖の上、皮を博士に提供する事を申し出たので博士は鬼の首でもとったように喜んでいる 右につき博士は語る
今日迄取り扱った数は千数百人で其の中 写真にとったのが七百人 皮をはいで保存してあるのが三十枚 此の外死後皮を貰う事に約してあるのが十七人ある(中略)
目下過去二十六年間の研究を纏め英文で執筆中で完成の上 欧米学会で発表するつもりだ
献体者の多くは、刺青を彫った皮膚の提供と引き換えに刺青代金・生活費などを故福士政一博士が援助したうち遺族が献体に同意した方々で、その数120名にも上るのだそうです。(援助を受けたのは500名を超える)
【詳細記事】
刺青の人体標本 「皮の提供者」
続・刺青の人体標本 「皮の提供者」
刺青の人体標本 「八十吉さんの標本」
下川 耿史著 青弓社「死体の文化史」によると『福士家に庭先には一対の 巨大な灯篭 が飾られている。大正末期に関東テキ屋連合から贈られたもので、灯篭の裏には「影になりひなたになって、我々を見守ってくださったことに対する感謝をこめて…」という意味の文字が刻み込まれている』とのことです。
毎日グラフ1956年(昭和31)5月27日号
「グロテスクな研究 医学博士 福士政一氏」より
ちなみに、福士政一博士のコレクション120点のうち57点が「東大医学部標本室」に保存され、残りは福士邸にあり一部は書斎に飾られているそうです。 部分標本(腕や太モモなどにワンポイントで入れられた刺青の標本)は廊下に無造作に積んであるというから凄いですね~
福士邸 応接室に飾られている額装された刺青標本「義経千本櫻」
1973年(昭和48)発行の「原色日本刺青大鑑」にカラー写真が掲載されています。
芳賀書店「原色日本刺青大鑑」 1973年(昭和48) 図柄:「義経千本櫻」
三都警察大博覧会 絵葉書 1933年(昭和8)
文身皮膚(実物)
数年前に死亡シタ深川木場某氏ノ文身ナリ
彫リ終ルニ四年を費シタルモノナリト言フ
医学博士 福士政一氏出品
資料提供:mixiコミュ「ミイラ・ミイラ・ミイラ」げるしぃさん
右から 福士政一氏、隆子夫人、書生さん、女中さん
※日本医大で解剖学を専攻している令息 勝成 氏 逸寿 氏は取材時不在
【訃報】 読売新聞 1956年(昭和31)6月4日 朝刊
■献体者 八十吉さんの標本
新富座の出方をしていた八十吉さんは、日清戦争で台湾に従軍した際、原住民に捕らえられ刺青をされたことがきっかけで体中を刺青で埋めてしまったのだそうです。
【詳細記事】刺青の人体標本 「八十吉さんの標本」
1946年に東大医学部標本室で撮影された「八十吉さんの標本を調べる福士政一博士」 後ろの壁に貼られている標本は、手の指先から・足の甲の部分まで刺青を彫った、いわゆる"総身彫り"の標本です。(ルーペで観察しているのは、腹の部分の標本)
Doctor Examining Tattooed Human Skin, 1946 ©Frank Pictures Gallery.
齋藤磐根著 弘文堂「漱石の脳」の中に『奥の裏口まで行くと、その上にの壁には総身彫りの文身が並んでいる。(中略)生前は頭と顔にも刺青が入っていたというが、さすがにこの部分だけは剥皮しなかったという。』という記述があります。
この標本は、「背/両腕」「腹」「足」の3つに分けて額装され、現在 標本室裏口の壁に掛けられています。
6:35~ 東大医学部標本室内部の映像あり!
左額:背(瀧夜叉姫と相馬太郎)・両腕 右額:腹(東山桜荘子)
手のひらのサイコロの彫り物が面白い
TATTOO BURST vol.1 1999年
下腹部(浮世絵「春 画」絵柄) 局部の剥皮標本
■福士勝成氏
福士政一氏が亡くなった後(1956年6月3日)刺青標本のコレクションと標本制作のノウハウは、ご子息である日本医科大学名誉教授 福士勝成氏(1917-)に引き継がれ、現在までに20体の刺青標本が新たに生み出されたとのことです。
Pranks! RE/Search, No.11 (1987)
福士勝成氏(右)とアメリカの著名なタトゥーアーティストのエド・ハーディ氏(左)
©Dutchman Tattoos Our Trip to Japan - 1986 図柄:坂田怪童丸
彼らの着用している白衣の胸に「N M S」= Nippon Medical School の刺繍があることから、撮影場所は、福士勝成氏の勤務先「日本医科大学」の地下室だと思われます。
刺青を施された複数の原皮がホルマリン液に浸されているのが確認できます。
「死体の文化史」によると、半年間ホルマリン漬けにされた後、凝固して表皮に滲みだした脂肪をメスで削ぎ落とすのだそうです。 真皮だけを残す(露出させる)のに1年、その後、陰干し~ひなた干しの工程を経て1枚の標本が完成するまで早くて2年の歳月を要します。
©Dutchman Tattoos Our Trip to Japan - 1986
■献体者 瀧さんの標本
神田元岩井町(現在の岩本町二丁目)の町鳶の鳶頭をしていた瀧さんは、趣味豊かな人物で納札愛好家「元岩瀧」として知られていたほか、絵を描くのも得意でした。
【詳細記事】刺青の人体標本 「皮の提供者」
1987年刊 「Life and Death Tattoos (Tattootime 4)」に掲載された福士勝成氏による標本制作途中の瀧さんの皮(初代 彫宇之作)
© morti vivos docent by Nicole Qualtieri
世界画報 1955年 第24巻 第10号
7月18日 王子名主の滝でくつろぐ瀧さん
先日、急に思い立って福士勝成教授のご自宅を拝見しに行ってきました。
なんと、ご自宅は旧辻男爵邸で明治初期に建てられた物凄い豪邸なんですよ!!
毎日グラフに載っていた写真が撮影されたのは半世紀以上前の1956年ですが、門構えは当時と全く変わっていませんでした。ただ庭の木々が成長して、まるで屋敷林のように大きく姿を変えていました。
旧辻男爵邸 現福士邸 1872年(明治5) 東京都文京区本郷2-30
大きな地図で見る
いきなり訪問したら標本見せていただけないかなぁ~ と思ったけど無理だよねぇ
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続・刺青の人体標本 「皮の提供者」
19世紀の刺青写真
続・19世紀の刺青写真
刺青写真 「初代 彫宇之」
在りし日の「瀧さん」を髣髴とさせる、紅葉と般若の彫り物が見事な刺青キューピー携帯ストラップ"瀧さんモデル?"を見つけました 凄い完成度!
【参考文献・資料】
■芸術新潮 1995年11月号 (特集・東京大学のコレクションは凄いぞ !)/著者不明
¥1,200
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■違式註違条例の研究-文明開化と庶民生活の相克- 春田 国男
■生きている浮世絵 刺青展
(1973年に小田急デパート新宿店で開催された展覧会図録)
東大医学部標本室の展示物の背景・エピソードを詳しく紹介(トルソー型標本の白黒写真掲載)
■漱石の脳 (叢書死の文化)/斎藤 磐根
\1,529
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福士勝成氏の病理学的見地からの刺青解説(標本写真掲載)
■原色日本刺青大鑑 (1973年)/著者不明
¥価格不明
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刺青標本の献体者「滝さん」の一枚般若の標本写真掲載
■死体の本 (別冊宝島 228)/著者不明
\1,000
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福士勝成氏と原皮状態の刺青標本の写真掲載
■Pranks: Re/Search, No 11 (Re/Search, No. 11)/著者不明
¥2,290
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1936年初版発行の刺青解説書 貴重な戦前の刺青写真を多数掲載
■文身百姿 (1956年)/玉林 晴朗
¥価格不明
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"刺青の皮を剥ぐ博士"親子二代に渡って刺青の標本を蒐集する福士親子の話
■死体の文化史/下川 耿史
\2,100
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※上記「死体の文化史」と同じ内容の装丁違いです
■死体と戦争 (ちくま文庫)/下川 耿史
\819
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刺青標本の献体者「M.T.」氏の刺青の題材『桜姫東文章』や、
福士政一博士を題材に書かれた刺青標本にまつわる小説に
ついて詳しく解説されています。(標本写真掲載)
■いれずみの文化誌/小野 友道
¥1,890
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※2012.5.7 加筆・修正しました。
「刺青の標本」をご存知ですか?
刺青を彫った人間の皮膚を剥がして標本にしたモノが日本に存在するんです。
■刺青の人体標本 Tattooed human skin
なんとなく都市伝説っぽい話ですが本当なんです。でも「法治国家でそんなことをしたら違法じゃないの?」って思うでしょ? 実は天下の「東京大学」にあるんですよ。
場所は、本郷の東京大学医学部2号館 (医学部本館)の中にある「東京大学医学部標本室」に収蔵されています。
東京大学医学部2号館(本館) 1936年(昭和11)竣工
ここには刺青の人体標本の他にもエジプトのミイラ、著名人の脳、各種人体標本、ムラージュ(人体の型を取り蝋で複製・彩色したもの)などがあるそうです。 東京大学総合研究博物館デジタルミュージアムと 東大病院だより No.56にその一部を見ることが出来ます。
刺青の標本は、巨大な額に入れられ天井近くの壁の高い位置に並べて飾ってあります。 所蔵する標本は総数57点、その中で10数点のみが展示してあるそうです。
科学大観 第7号 人体特集 1957年(昭和32) - 東大医学部標本室 内部の見通し
科学大観 第7号 人体特集 - 額装された刺青の部分標本
東大医学部標本室は一般公開はしておらず、医学・医療従事者以外の閲覧は出来ません。
しかし、下記の書籍に掲載されている刺青の標本写真で、その一部を垣間見ることができます。
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日本刺青墨録百姿傳 伝統刺青と彫師たち 五
■毎日グラフ1956年(昭和31)5月27日号
ご家庭参上「グロテスクな研究 医学博士 福士政一氏」特集記事あり
■生きてる浮世絵 刺青展
(1973年に小田急デパート新宿店で開催された展覧会図録)
■世界文化社 科学大観 第7号 人体特集(1961年に発行された子供図鑑)
東大医学部標本室遠景と刺青の部分標本の写真掲載
標本は、胸腹の部分から切り開かれ、首から上腕・腿あたりまでの全身の皮膚が剥がされ鞣し革にされています。その形状は動物のなめし革と同様に大文字形に広げてあり、革の表面は保存のために定期的に塗られたオリーブオイルの効果で深い光沢が生まれ、生前よりも色鮮やかに絵柄を確認することができます。
また、墨の色が青みがかっておらず黒々とした墨本来の色をしていることに驚かされますが、これは皮を鞣す過程で表皮、脂肪などを丹念に削り取り刺青の色素が定着している真皮層を革の表面に露出させることで生まれるんだそうです。
※刺青の墨の色が黒色ではなく藍色に見えるのは、真皮層に定着した墨の色を表皮層のフィルターを通して見ているため、表皮の飴色とメラニンの褐色が影響して墨本来の黒色ではなく青味がかって見えるのだそうです。
芸術新潮 1995年11月号 特集:東京大学のコレクションは凄いぞ!
標本(右)拡大 図柄:月岡芳年の浮世絵をモチーフにした美勇水滸伝「大蛇丸」
標本(左)拡大
1946, Tokyo, Japan ~ Tattoos cover the skins of Japanese cadavers that were donated for research and preservation. ~ Image by © Horace Bristol
LE DOCTEUR FUKUSHI PROSPECTE 標本を調べる福士政一博士(1946年)
情報提供:mixiコミュ『ミイラ・ミイラ・ミイラ』 ロロさん
月岡 芳年 美勇水滸伝 大蛇丸
鞣し革にしたものを、さらに縫い合わせて人の形に成形した標本も存在します。
まるで人間の剥製のようで衝撃的です!! 映画「旧作 猿の惑星」や「羊たちの沈黙」を思い出しますね。
芸術新潮 1995年11月号
明治時代に彫られた七分彫りのトルソー型標本
図柄:左 両腕=竜、胸・腹・大腿部=緋ぼたん、背面=若武者
図柄:右 右大腿部=ひげ面の武者
背面=歌川国芳の浮世絵 水滸伝「浪裏白跳張順 水門破り」の絵柄
上のトルソー型標本の別アングルのショット。
2009年にトライバルビレッジ浅草で開催された 「復活!日本刺青資料館展」 に展示された写真です。これは「初代 彫長」さんが刺青を手掛けた故人の標本の写真パネルで 「浅草 二代目 彫長」 さんが所蔵しています。
©Tokyo Dreaming: Asakusa Tattoo Museum Exhibition
TATTOO BURST vol.1 1999年
TATTOO BURST vol.1 1999年
虫食い痕でしょうか? 標本全体に無数の小さな穴が開いているのが確認できます。
東京慈恵会医科大学所蔵 花和尚魯智深の額装標本
「生きてる浮世絵 刺青展」
(1973年に小田急デパート新宿店で開催された展覧会図録)
そこで疑問になるのが、
「誰がどのようにしてこれらの標本を作ったのか?」
「献体者(皮の提供者)はどんな方々だったのか?」
ですが、
これについては、下川耿史著 青弓社「死体の文化史」 の中の"刺青の皮を剥ぐ博士"という章に親子二代に渡って刺青の標本を蒐集する福士親子の話が詳しく書かれています。
■福士政一博士
東京大学医学部標本室の刺青の標本を制作したのは、東大医学部教授から日本医科大学の創設に参加された日本における病理学の最高権威である
「福士政一博士」(1878-1956)です。
蒐集されたのは1907年(明治40)から昭和初期にかけて、きっかけは医学的な関心で始まったようです。体内に入った異物(刺青)を排出しようとする働きの研究(病理学の色素沈着)からですが、次第に刺青の革それ自体の蒐集を目的にするようになっていったようです。
拍車をかけたのが、1872年(明治5年)日本初の 軽 犯 罪 法である
「東京違式註違(いしきかいい)条例」の公布でした。
※条例では「 刺 青 行 為 」「 春 画 等の販売 」「 男 女 混 浴 の風呂営業 」「 肌 脱 ぎ 」「 男 女 相 撲 」「 立 小 便 」などを禁止しています。
この 風 俗 に関する条例で「刺青行為」が禁止(彫るのも彫られるのも)
されたことにより、このままでは衰退していくであろう日本の刺青文化を、標本にして後世に残すことを思い立ったようです。
戦前の読売新聞に福士博士の刺青蒐集に関する記事が掲載されています。
「文身報国」 総身=六ヵ年を費やして…
読売新聞 1932年(昭和7)4月28日 朝刊
義理と勢い肌のシンボルとして徳川期に流行を極めた文身は御法度の今日でもひそかに針先の痛みに耐えながらも真っ白な肌に躍動する芳烈絢爛な線と色とにいい知れぬ魅惑を感ずる若い男女は跡を絶たない 殊に東洋美術として礼賛の声を惜しまぬ人々の群れが相当インテリの中に多いといわれているが東大講師福士政一博士の如きは其の一人である
博士は明治四十年から文身の研究を始めているが 最近 泉州堺でまだ嘗てぶつかった事のない素晴らしい逸品を探し出した(中略)
最近 博士と本人の会見の結果 死後は解剖の上、皮を博士に提供する事を申し出たので博士は鬼の首でもとったように喜んでいる 右につき博士は語る
今日迄取り扱った数は千数百人で其の中 写真にとったのが七百人 皮をはいで保存してあるのが三十枚 此の外死後皮を貰う事に約してあるのが十七人ある(中略)
目下過去二十六年間の研究を纏め英文で執筆中で完成の上 欧米学会で発表するつもりだ
献体者の多くは、刺青を彫った皮膚の提供と引き換えに刺青代金・生活費などを故福士政一博士が援助したうち遺族が献体に同意した方々で、その数120名にも上るのだそうです。(援助を受けたのは500名を超える)
【詳細記事】
刺青の人体標本 「皮の提供者」
続・刺青の人体標本 「皮の提供者」
刺青の人体標本 「八十吉さんの標本」
下川 耿史著 青弓社「死体の文化史」によると『福士家に庭先には一対の 巨大な灯篭 が飾られている。大正末期に関東テキ屋連合から贈られたもので、灯篭の裏には「影になりひなたになって、我々を見守ってくださったことに対する感謝をこめて…」という意味の文字が刻み込まれている』とのことです。
毎日グラフ1956年(昭和31)5月27日号
「グロテスクな研究 医学博士 福士政一氏」より
ちなみに、福士政一博士のコレクション120点のうち57点が「東大医学部標本室」に保存され、残りは福士邸にあり一部は書斎に飾られているそうです。 部分標本(腕や太モモなどにワンポイントで入れられた刺青の標本)は廊下に無造作に積んであるというから凄いですね~
福士邸 応接室に飾られている額装された刺青標本「義経千本櫻」
1973年(昭和48)発行の「原色日本刺青大鑑」にカラー写真が掲載されています。
クリックで拡大します
芳賀書店「原色日本刺青大鑑」 1973年(昭和48) 図柄:「義経千本櫻」
三都警察大博覧会 絵葉書 1933年(昭和8)
文身皮膚(実物)
数年前に死亡シタ深川木場某氏ノ文身ナリ
彫リ終ルニ四年を費シタルモノナリト言フ
医学博士 福士政一氏出品
資料提供:mixiコミュ「ミイラ・ミイラ・ミイラ」げるしぃさん
右から 福士政一氏、隆子夫人、書生さん、女中さん
※日本医大で解剖学を専攻している令息 勝成 氏 逸寿 氏は取材時不在
【訃報】 読売新聞 1956年(昭和31)6月4日 朝刊
■献体者 八十吉さんの標本
新富座の出方をしていた八十吉さんは、日清戦争で台湾に従軍した際、原住民に捕らえられ刺青をされたことがきっかけで体中を刺青で埋めてしまったのだそうです。
【詳細記事】刺青の人体標本 「八十吉さんの標本」
1946年に東大医学部標本室で撮影された「八十吉さんの標本を調べる福士政一博士」 後ろの壁に貼られている標本は、手の指先から・足の甲の部分まで刺青を彫った、いわゆる"総身彫り"の標本です。(ルーペで観察しているのは、腹の部分の標本)
Doctor Examining Tattooed Human Skin, 1946 ©Frank Pictures Gallery.
齋藤磐根著 弘文堂「漱石の脳」の中に『奥の裏口まで行くと、その上にの壁には総身彫りの文身が並んでいる。(中略)生前は頭と顔にも刺青が入っていたというが、さすがにこの部分だけは剥皮しなかったという。』という記述があります。
この標本は、「背/両腕」「腹」「足」の3つに分けて額装され、現在 標本室裏口の壁に掛けられています。
6:35~ 東大医学部標本室内部の映像あり!
左額:背(瀧夜叉姫と相馬太郎)・両腕 右額:腹(東山桜荘子)
手のひらのサイコロの彫り物が面白い
TATTOO BURST vol.1 1999年
下腹部(浮世絵「春 画」絵柄) 局部の剥皮標本
■福士勝成氏
福士政一氏が亡くなった後(1956年6月3日)刺青標本のコレクションと標本制作のノウハウは、ご子息である日本医科大学名誉教授 福士勝成氏(1917-)に引き継がれ、現在までに20体の刺青標本が新たに生み出されたとのことです。
Pranks! RE/Search, No.11 (1987)
福士勝成氏(右)とアメリカの著名なタトゥーアーティストのエド・ハーディ氏(左)
©Dutchman Tattoos Our Trip to Japan - 1986 図柄:坂田怪童丸
彼らの着用している白衣の胸に「N M S」= Nippon Medical School の刺繍があることから、撮影場所は、福士勝成氏の勤務先「日本医科大学」の地下室だと思われます。
刺青を施された複数の原皮がホルマリン液に浸されているのが確認できます。
「死体の文化史」によると、半年間ホルマリン漬けにされた後、凝固して表皮に滲みだした脂肪をメスで削ぎ落とすのだそうです。 真皮だけを残す(露出させる)のに1年、その後、陰干し~ひなた干しの工程を経て1枚の標本が完成するまで早くて2年の歳月を要します。
©Dutchman Tattoos Our Trip to Japan - 1986
■献体者 瀧さんの標本
神田元岩井町(現在の岩本町二丁目)の町鳶の鳶頭をしていた瀧さんは、趣味豊かな人物で納札愛好家「元岩瀧」として知られていたほか、絵を描くのも得意でした。
【詳細記事】刺青の人体標本 「皮の提供者」
1987年刊 「Life and Death Tattoos (Tattootime 4)」に掲載された福士勝成氏による標本制作途中の瀧さんの皮(初代 彫宇之作)
© morti vivos docent by Nicole Qualtieri
世界画報 1955年 第24巻 第10号
7月18日 王子名主の滝でくつろぐ瀧さん
先日、急に思い立って福士勝成教授のご自宅を拝見しに行ってきました。
なんと、ご自宅は旧辻男爵邸で明治初期に建てられた物凄い豪邸なんですよ!!
毎日グラフに載っていた写真が撮影されたのは半世紀以上前の1956年ですが、門構えは当時と全く変わっていませんでした。ただ庭の木々が成長して、まるで屋敷林のように大きく姿を変えていました。
旧辻男爵邸 現福士邸 1872年(明治5) 東京都文京区本郷2-30
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いきなり訪問したら標本見せていただけないかなぁ~ と思ったけど無理だよねぇ
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