A・トインビーに関するイバン・イリイチの博士論文について
イバン・イリイチは、1951 年に„Die philosophischen Grundlagen der Geschichtsschreibung bei Arnold Joseph Toynbee“(アーノルド・ジョセフ・トインビーによる歴史学の哲学的基礎)と題した論文によりザルツブルク大学にて博士号を取得した。
この、ドイツ語で書かれた論文は、しばらくのあいだ行方不明となっていた。
2016年にはヘルムート・ウォル(Helmut Woll)がThe International Journal of Illich StudiesにComments on Ivan Illich’s Thesis on Arnold Joseph Toynbeeという論文を書いており、それにより、内容が明らかになっている(おおもとはドイツ語)。
ただしその博士論文そのものはオンライン上では公開されていない。
ザルツブルク大学図書館に保存されているようである。
ウォルによれば、分量は100ページほどで、豊富な注釈が付されているのが特徴である。
1951年と言えば、トインビーが全10巻の大著である『歴史の研究』(A Study of History)のうち、6巻までしか刊行されていない。
しかし、この時点で、トインビーの歴史研究を支える哲学的な部分については、すでに記述されていたと考えてよいだろう。
イリイチは、トインビーが古代ギリシアの古典(特にトゥキディデス)とイギリスの経験哲学に主に依拠しているととらえた。
トゥキディデスは歴史家であるが、その記述方法として、客観的、中立的な視点をとっていることがトインビーに影響しているとイリイチは考えている。
一方、シュペングラーの『西洋の没落』(Der Untergang des Abendlandes)(1923年)についてしばしば言及されているが、トインビーが、その唯物論的な歴史のとらえ方と、反実証的な記述に対して批判的であったとイリイチはとらえている。
トインビーが、歴史の研究において目指したのは、人間の自由の可能性であった、とイリイチは指摘する。
„Die Zivilisation ist die Konkretisation vorwärtsdrängender, auf freier Entscheidung ruhender Entwicklung des Menschen, Verwirklichung von stets Neuem“(文明とは、自由な決定に基づく人間の前進的な発展の具体化であり、何か新しいものの実現である)(Illich 1951:18)。
このような見方は、ヘーゲルに由来するのかと思いきや、マキアヴェリ、ホッブズ、ロック、ベルクソンの影響を受けていたとイリイチはみなしている。
タイトルの「トインビーによる歴史学の哲学的基礎」からすると、これらの哲学者の影響をイリイチが事細かに検討していることが期待されるが、イリイチはあくまでも方法論の磨き上げに寄与したものとして取り扱っている。
詳細については、また別の機会に述べてみたい。
なお、余談であるが、ドイツ語版ウィキペディアによれば、イリイチは、それまでにはクロアチアのダルマチア地方の港湾都市スプリットの近くに住んでいたが、1932 年から 1942 年までウィーンのペッツラインスドルフ地区に住んでおり、そこでは、しばしばフロイトの家に家族ぐるみで通っていたという。