「エヴァ」「進撃に巨人」いずれも傑作ではあるが、両者の間には根本的な違いがある。

碇シンジとエレン・イエーガーの違いである。

二人は、ある意味、母親の死を引き金に、それぞれ、エヴァンゲリオン、進撃の巨人といった、大型の器に組み込まれ、得体の知れない「敵」と戦い続ける。

シンジの父はゲンドウ、母はユイ。

ユイの死を最も悲しんでいるのは、ゲンドウである。

シンジは亡き母への思いよりも、生きている父に自分を認めてもらうことのほうが、関心が高い。

しかしゲンドウはシンジには冷たい。

その結果、シンジは不貞腐れて、エヴァンゲリオンにおける闘いも、なかなか完遂しない。

他方、エレンの母の死は、エレンが引き受けている。

エレンの父は、自らの命(力)を息子に託している。

そのため、エレンは父とある意味同一化しており、父よりも母への思いに執着している。

その結果、シンジは常に内向きであり、他人とのかかわりも下手で、社会において生きてゆく術を持てずにいる。

エレンはその正反対。常に外や他者に関心があり、自分と敵対するものすべてを「駆逐」する覚悟や意志を持っている。

しかし、そうは言っても、シンジも、レイやアスカ、ミサト、ほかの他者と、共に生きる努力を惜しんではいない。

エレンはむしろ、周りの他者(ミカサ、エルミン、クリスタを除いて)には、非情に向き合うこともある。

 

一方、アスカとミカサとの対比も興味深い。

 

アスカはある意味シンジと同じように、親に対する心的葛藤をかかえつつも、シンジとは全く異なって、あくまでも一人で強く生きようと決意をしている。しかし、なぜかシンジに対する固執があり、そこから逃れることができずにいた。

 

ミカサは親(の死)に対する葛藤をあえて避けて、エレンのために強く生きることを決意する。しかし、エレンは彼女に固執(依存)させないように常にふるまうことになる。

 

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全然別の話のようではあるが、突き詰めれば、自己と、自分が守るべき他者と、それからそれ以外の他者もいる世界と、どう向き合うのか、ということがテーマになっている、という意味ではきわめて似たような話であるように思えてくる。

 

しかし、エレンとシンジは表出の仕方は、全く正反対であるものの、こうしてみてみると、妙な共通性のほうが際立っている。