*加筆をしました(2015年4月2日)

原子爆弾の文学と人類の進歩としての原子力の乖離 
核の言説史 1945~1949
瀧本 往人

1945年から1950年頃においては、「原子爆弾」のすさまじいエネルギーを目撃した作家たちは、文学的表現でその生々しい実態を描いたが、他方で、学術、評論、産業の分野では、「原子力」は、これからの時代を切り拓く、人類の進歩の象徴とみなされ、その両者は交わることなく併存していた。しかし私たちは、今、この時代の「核」に関する「言説」のありようを理解しようとするならば、原民喜や大田洋子、永井隆らの作品を読むと同時に、仁科芳雄や武谷三男らの評論も読まねばならない。

広島、長崎に落とされた「原子爆弾」は、これまでにない、比類なき圧倒的な破壊力で無数の人々を殺傷した。まだ当時においては「原爆」と略されることもなく、「原子爆弾」として記されたこの兵器は、報道規制やGHQの検閲もあって、新聞や雑誌、書籍では多く語られることはなかった。もちろんテレビやインターネットがない時代であり、現地の様子は、わずかな新聞記事やラジオのニュース程度でしか、一般的には知られていなかった。主に、作家による小説や記録文、随想、詩句、そして絵画といった「文芸作品」が、現地から離れた場所において――自費出版や地下出版も含めて――、この「出来事」を知る手がかりとなったのだった。

また、原子関連の研究、特に物理学は、戦前から断絶することなく、戦後においても継続されていた。1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹は、戦前にはすでに原子核内における中間子の存在を理論的に予想しており、また、1965年にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎も、場の量子論を1940年代後半には完成させていた。こうした、「原子」の内部の科学的、理論的研究は、華々しく世間には伝えられており、とりわけ湯川のノーベル賞の受賞などは、敗北感の強かった戦後の国内の暗い雰囲気を、かなり大きく変える力となったことだろう。

しかしこの、朝永、湯川両氏の「師」の一人にあたる人物である物理学研究者、仁科芳雄については、驚くほどよく知られてはいない。仁科は、戦前より原子核やX線、宇宙線などに関心を抱き、1940年代において秘密裡に、長岡半太郎や武谷三男らとともに、原子爆弾の研究開発を進めており、戦後には、「原子力」に関する研究開発の指導的立場に立った人物である。彼は、はやくも1947年に矢継ぎ早に雑誌などに原子力の平和的利用について積極的に発言しており、彼のこの考えは、その後、末永く継承されてゆくことになるのであった。

つまり、私たちは、もっぱら戦後を「核」の被害者、犠牲者の歴史、としてとらえる傾向にあるが、同時に「核」の研究開発が連綿と続いていたということを、忘れるべきではない。ただ、レトリックとして、原爆を「兵器」として説明し、核の軍事的利用を嫌悪するとともに忌避しながら、平和的利用として、原子力の可能性を探ろうというのが、戦後の「復興」の原動力となってきたのである。

科学者たちならいざ知らず、作家たちや庶民にとって「原子力」とは、そのエネルギーの大きさについてはある程度知りつつあったものの、軍事的利用としての「原爆」には否定的な立場をとりつつも、平和的利用としての「原子力」には肯定的だったのである。ここには、私たちが今葛藤しているような、身体を透過し直接細胞やDNAレベルに負の影響を及ぼすものという理解は、なかったことであろう。原子力は、夢や希望に満ち溢れていたのだ。

以下、1945年までの、概観的な前史を掲げておく。

1895年 X線の発見(レントゲン)
1896年 ウラン鉱石から放射線を発見(ベクレル)
1898年 放射性物質の発見(キュリー夫妻)

1914年 解放された世界 H・G・ウェルズ SF小説 The World Set Free
 核戦争をテーマとした作品。原爆が実際に世界の都市に投下され、新たな世界をつくりだしてゆく。飛行機から原爆を投下する描写は、妙に牧歌的だが、内容は、いろいろと考えさせられる。コメントはこちら

1938年 ウランの核分裂現象の発見(ハーン)
1940年 原子爆弾の理論的研究開始(仁科芳雄)
1942年 マンハッタン計画開始(USA)
1945年 アメリカ合衆国が広島に原爆(ウラニウム) 8月6日
1945年 アメリカ合衆国が長崎に原爆(プルトニウム) 8月9日

以下、主な言説を年代順に列挙し、一部についてはコメントを付す。長くなる場合には「コメントはこちら」と記載し、別のページにリンクを貼った。なお、どういったものを「言説」とみなしとりあげたのかについての説明や注記、参考文献については、こちらを参照。



▼1945年 (詳細版はこちら

昭和20年8月6日午前9時於福島町 福井芳郎 スケッチ画(鉛筆) 1945年8月6日 広島平和記念資料館所蔵

広島県東北東の水分(みくまり)峡より見た原爆きのこ雲 山田精三 写真 8月6日
 午前8時15分頃、「原爆きのこ雲」を偶然に撮影したもの。もちろん撮影者はその際に「原爆きのこ雲」と認識していたわけではない。

(長崎被曝の光景) 山端庸介 1945年8月10日 写真
 陸軍省西部報道部の名を受けて、原爆投下の翌日に、100枚以上の写真を撮影。

原子野スケッチ 山田栄二 1945年8月10日
 
陸軍省西部報道部の名を受けて、原爆投下の翌日に、29枚のスケッチをする。

海底のような光 原子爆弾の空襲に遭って 大田洋子 朝日新聞 随筆 8月30日
  広島での被爆体験を綴ったもの。「死骸と並んで寝ることも怖れぬ忍耐の限度を見た。帯びたたしい人の群れの誰も泣かない。誰も自己の感情を語らない。日本 人は敏捷ではないが、極度につつましく真面目だということを、死んで行く人の多い河原の三日間でまざまざと見た。」「広島市の被害は結果的に深く大きいけ れど、もしその情景が醜悪だったならば、それは相手方の醜悪さである。むしろ犠牲者の美しさで、戦争の終局を飾ったものと思いたい。」

The Atomic Plague, by Wilfred Burchett, in Daily Express, 5 September
 9月2日、原爆投下後に最初に広島で取材を行ったジャーナリストであるウィルフレッド・バーチェットによる記事で英国の「デイリー・エクスプレス」に掲載された。これは、占領軍による検閲のない唯一の「ヒロシマ」の記事となる。その後、記者の広島への立ち入りは禁止される。後に著書、Shadow of Hiroshima, 1987.に収録される。

原子爆弾と原爆症 蜂谷道彦 産業経済新聞 9月11日
 原爆症に関する世界最初の報告と言われている。

原子爆弾(同盟叢書(1)) 武井武夫 同盟通信 論考 9月20日
 GHQの検閲を受けずに出版された(書籍の検閲は9月21日から開始された)。
 8月7日、大本営の発表を受けた大手新聞は原爆を「新型爆弾」としか報道していなかった。しかし同盟通信社川越分室にいた記者である武井武夫と杉山市平は、海外放送を傍受しそれを「原子爆弾」と名付け、当時の外相に伝達していたという。→ 2010年8月9日朝日新聞記事を参照「「広島に原爆」川越から傍受 通信社分室が政府に報告
 → 武井武夫・冨美子・共夫『復刻 原子爆弾 亡き夫に愛をこめて』光陽出版社、1995年
 (ちなみに共夫は、武夫の息子で、オウム真理教被害対策弁護団の一人)

原子爆弾 嵯峨根遼吉 朝日時局新聞 9月
 これは、坂田記念史料室の情報によれば、新聞のはさみこみで、「原子爆弾の正體 一、二」となっている。10月に、書籍として刊行か。
 → 原子爆弾 嵯峨根遼吉 朝日新聞社 10月30日 

所謂「原子爆弾傷」に就て(特に医学の立場からの対策) 都築正男 綜合医学 2(14) 日本医学雑誌 10月
 GHQの検閲を受けた論文
 
原子爆弾と宇宙防衛 海野十三 随筆 光 10月
 敗戦後わずかしかたっていないにもかかわらず、まったく原爆の被害者への関心がなく、そもそもあれは原爆なのかどうかと疑い、もし原爆であれば、むしろ地球を宇宙人から守るために重要な技術だと主張する。

文学に於ける構想力 豊島与志雄 評論 文芸 09/10月合併号
  「原子爆弾は象徴的である。爆弾そのものに対して人道などを持ち出すのは、寝言に等しい。原子爆弾に象徴されるこれからの時代は、想像に余る可能性と驚異 とを含んでいる。そこに踏みこんで文学は、如何に自らを処置せんとするであろうか。」「原子爆弾を象徴とするこれからの時代に、文学は、取り残されないだ けの自己主張をしなければならない。予想されるこれからの時代は、或は人間を精神的狂乱に駆り立てるかも知れない。この精神的狂乱に対抗する有力な強壮剤 の一つたる資格を、文学は過去の名誉ある伝統にかけて獲得しなければならない。」

原子爆弾雑話 中谷宇吉郎 論文 文芸春秋 10月号
 「爆弾の残虐性」という言葉が登場する。GHQの検閲を受ける前に発表されたのか、のちに原文を復刻したのかは不明。
 青空文庫で読むことができる→「原子爆弾雑話」

二十世紀の神話 原子爆弾 石川太刀雄 論文 旬刊 輿論 第4号 輿論社(金沢) 12月21日
 石川は、戦中は731部隊で病理解剖研究を行い、
後に、GHQによる被爆者調査にかかわり、戦後は、金沢大学がん研究所所長をつとめ、鍼灸の普及につとめたことで知られる。
 「輿論」は戦後金沢で創刊された最初の雑誌で、2号からの編集人兼発行人は、石川と同じく石井部隊で結核班を率いていた金沢医大細菌学教授の二木秀雄。 → 高橋新太郎「集書日誌」を参照。

Atomic Did It, Maylon Clark Sextette 米・楽曲(ジャズ・インストルメンタル)
 あるデータによれば、録音または発売が、8月6日の日付になっている。

When The Atom Bomb Fell, Karl and Harty 米・楽曲(カントリー) 

都市の爆発 シケイロス 絵画 1945年
 Explosion en la ciudad, David Alfaro Siqueiros 
 「1935年」「1936年」に書かれたという証言もある。


▼1946年

原子爆弾特集号 中国文化連盟(栗原唯一・貞子) 雑誌 中国文化 創刊号 3月
 「生ましめんかな」などを収録。

原子爆弾の中にあった私信 児玉励造 技術文化 1(1) 天然社 3月
 「全アングロサクソンの牧師たちが原爆の使用に対して米当局を非難した」、といった箇所など、GHQの検閲を受け削除される。

原子爆弾 仁科芳雄 論文 世界 3月号 

原子力の管理 仁科芳雄 改造 4月

原子革命のユートピア 原子が持ち来すであろう社会革命について空想的に述べる 阿部真之助 潮流 1(4) 4月

日本再建と科学 仁科芳雄 自然 5月

物理学入門 振子から原子爆弾迄 関秀夫 科学新興社 5月20日

革命期における思惟の基準 自然科学者の立場から 武谷三男 自然科学 創刊号 6月
 書かれたのは1946年1月9日と記されている。書き出しにおいて原子爆弾について言及されている。「今次の敗戦は、原子爆弾の例を見てもわかるように世界の科学者が一致してこの世界から野蛮を追放したのだともいえる。そしてこの中には日本の科学者も、科学を人類の富として人類の向上のために研究していたかぎりにおいて参加していたといわねばならない。原子爆弾をとくに非人道的なりとする日本人がいたならば、それは己の非人道を誤魔化さんとする意図を示すものである。」

(あの日のこと 美川きよ 女性公論 第2号 7月号)
 GHQにより発禁処分となり未公表。後に発見されて、1982年に朝日ジャーナル8月6日号で発表される。母に宛てた書簡という体裁によって書かれ、「原子爆弾の恐ろしいその破壊力、アメリカの最後の手段、その最後の犠牲になった30万人の中に彼の子もは入ったのです。でもそれが戦争の最終符となり、平和日本の人柱になったのだと思い無理にあきらめようとして居ります。」と結ばれている。

黒い卵 栗原貞子 私家版 8月

原子核エネルギイ(火) 荒正人 評論 新生活 8月
  原爆の被害に対して、「火」から考えようとした。しかも、なぜかアイスランド神話「旧エッダ」の火の神、ロキから書き起こし、そのあとはギリシア神話のプ ロメテウス、インドの火の神、アグニ、そして産業革命における火、さらに、第二の火としての電気について蘊蓄を傾ける。

平和と社会主義 栗原唯一 論文 中国文化 8月
 原爆のすさまじい威力に畏怖し、むしろ世界はこれで平和になると予測。なお『中国文化』は、大陸の中国ではなく中国地方のこと。

HIROSHIMA John Hersey 米 New Yorker 8月31

原子力時代と日本の進路 仁科芳雄、横田喜三郎、岡邦雄、今野武雄 座談会 言論 8・9月号

原子力時代 宮里良保 論考 東京P.U.C 9月
 プランゲ文庫所蔵(メリーランド大学)

年年歳歳 阿川弘之 世界 9月号

ちちははの鐘 20年後の広島 峠三吉 文化連盟 11月

The Bomb that Fell on America Hermann Hagedorn 米 叙事詩 Pacific Coast
 アメリカに落ちた爆弾 ハーマン・ハゲドーン (入江直祐訳、法政大学出版局、1950年、1986年改訳版)

Atomic Cocktail, Slim Gaillard 
米・楽曲(ジャズ) 詞・曲:スリム・ゲイラード 1945年12月録音 アトミック・カクテル スリム・ゲイラード 

Atomic Power, The Buchanan Brothers 米・楽曲(カントリー) 
アトミック・パワー ブキャナン・ブラザーズ 3月

崎陽のあらし 深水経孝 1946年 絵巻(長さ約11メートル、幅約30センチの水彩画) 長崎原爆資料館所蔵
 長崎の原爆投下から3時間後に救援活動のため爆心地に入ったときのことを描き残す。
2015年3月、長崎原爆資料館でデジタル処理化される。
 長崎原爆絵巻 
崎陽のあらし 深水経孝 草の根出版会 2003年


▼1947年

極東委員会の決議で原子核の実験研究が禁止される 1月

原子力問題 仁科芳雄 世界 1月号
 「原子力は平和目的に利用せられてのみ存在の意義がある。それでは原子力には果たしてそんな応用が可能であろうか。そこで誰でも先ず思いつくのが、これを 動力源として用いることである。原子爆弾のエネルギーを徐々に発生させることが出来たとすればどうであろう。その威力は火薬千トン乃至十万トンに相当する のであるから、これを動力源とすれば、産業又は文化上の利益は驚くべきものがある筈である。実際原子力は寧ろ徐々に発生させることの方が、爆発させるより も易しいのであるから、利用の可能性は多分に存在する。問題はそれが経済的に成り立つかということで決まる。」  
 原子爆弾が人類の消滅の危機を招来するので国際管理に置くべきであると主張する一方で、原子力の平和的利用については、積極的に進めるべきだと述べている。特に「原子動力」の安全性については、「原子力を爆弾として用いるには特別の手段を必要とするものであって、爆発させることの方が困難なのであるから、この心配は無用である」一方、「それよりも危険なのは前述の放射線であって、これは発生装置からも、それから取り出す物質からも多量に放射せられ人体に危害を及ぼすものである。これには充分の注意を払わねばならぬが、現在原子爆弾の製造工場ではこの害を防ぐことが知られているから、それと同様の措置を講ずれば好い」と危険性についても理解しつつ、楽観的であった。

放射線・放射能・量子論 物理実験学7 F・コールラウシュ 文部省科学教育局訳 河出書房
2月
 F. Kohlrausch

ハースィーの『広島』 都留重人 世界 2月号
 このルポを掲載した「ニューヨーカー」誌についての蘊蓄と、太田洋子の文章との対比が語られている。

原子物理学の発展とその方法 坂田昌一 自然科学 2月号
 著者は湯川秀樹の共同研究者。書かれた日付は「1946年8月6日」つまりヒロシマからちょうど1年後となっている。エンゲルスの自然弁証法に依拠して原子物理学の展開を説明する。後に「物理学と方法」(白東書館、1948年)に再録。

放射測定 科学測器便覧 第1輯 野中到 科学測器刊行会 5月

夏の花 原民喜 小説 三田文学 6月 
 1945年に、この作家は、千葉から広島に住む兄のもとに疎開したあと、原爆を受け、「このことを書きのこさねばならない」と、「壊滅の序曲」「廃墟か ら」など、いくつかの作品を発表するが、その代表作。「夏の花」は、原爆投下の2日前の、妻の墓参りから書き始められている。コメントはこちら
夏の花 (集英社文庫)/原 民喜

「原子世紀」と文学 細田民樹 中国文化 8月
 ヴァレリーの「若い人」に言及。「この20世紀の後半の世界が、原子戦争によって、まったく人類の廃墟となるか、或いは原子エネルギーを、人類の福祉に利用して、世界文化の華を咲かせるか、それを決定するものは、ひとり人間の心のみである。」

原子・放射能・転換 モーリス・ドウ・ブローイ 村岡敬造訳 大雅堂 9月

原子力時代 武谷三男 日本評論 10月

廃墟から 原民喜 三田文学 11月

原子爆弾 山岡荘八 大衆文芸 11月

物理学と方法 素粒子論の背景 坂田昌一 白東書館 11月
 岩波書店より1951年10月再刊

歌集 さんげ 正田篠枝 私家版・秘密出版 12月

八月六日 阿川弘之 新潮 12月号

広島原子爆弾被害調査報告(気象関係) 報告 広島管区気象台  12月

原子力の将来(正) H・W・ブレークスリー 山屋三郎訳 朝日新聞社 12月 The Atomic Future

原子の話 原子及原子力 村岡敬造 国民科学社 ?月

Golden Gate Quartet, Atom And Evil 米・楽曲(ゴスペル)

Bikini Blues, Dexter Gordon 米・楽曲(ジャズ)


▼1948年

原子核エネルギー 物理学集書10 木村一治 河出書房 1月

原子党宣言 渡辺慧 中央公論 2月号
 マルクスの共産党宣言のパロディ。当時の左翼系の科学者の原子力に対する姿勢がよく現れている。「一個の怪物が全世界を徘徊している。すなわち、原子爆弾の怪物である。しかし、この怪物は世界を救おうとしている。原子爆弾を創ったのはなにか。資本か、工業力か、労働か、否、否、否。それは、人間の独創的知性である。」「われわれの目標は、原子力に裏づけされた世界政府の樹立にある。これは、単なる空想ではない。原子力が、その力で、人間をそこへ追いやっているのだ。」

原子の一般論 荒木源太郎 原子論 近代物理学全書3 共立出版 2月

原子核と同位元素 杉本朝雄 河出書房 3月

原子物理学 高等物理学 6版 菊池正士 河出書房 4月

戦争と平和における科学の役割 平野義太郎 中央公論 4月号 論文
 最初に「原子力の平和利用」を雑誌で主張したものと、一部では理解されている。

牢獄の詩 大田洋子 新日本文学 2巻5号 5月

原子の話 4版 奥田毅 学習社 6月

原子講話 村岡敬造 富書店 6月

原子物理学の発展 松田栄 有宏書房 6月

原子模型の形成 量子力学の形成と論理 第1集 武谷三男 銀座出版社 6月

ロザリオの鎖 永井隆 随筆 ロマンス社 6月 

ひろしま (雑誌創刊) 峠三吉 瀬戸内海文庫 6月

科学物語 原子爆弾(少年名著文庫5) 飯田幸郷 昌平社 6月

乳房あるアマゾン 若杉慧 夫人文庫 1948年7月~1949年6月連載

原子力少年 海野十三 子供の時間 2(8)~3(2) 1948年8月号、9月号、10月号、11月号、12月号、1949年1月号、2・3月号 日本放送協会 1948年7月25日~1949年1月25日
 未完。再録:小松左京・紀田順一郎監修「海野十三全集 別巻2 日記・所感・雑纂」三一書房 1993年1月
 関連ブログ記事はこちら

原子力と平和 仁科芳雄 読売新聞 8月1日

原爆から立ち上がる六人 ジョン・ハーシー“ヒロシマ” 登場人物後日物語 記事 月刊中国 中国新聞社 8月号

原子爆弾についての新事実(要約) リーダーズダイジェスト リーダーズダイジェスト日本支社 8月号

放射能 物理学集書16 杉本朝雄 河出書房 8月

原子 井田三雄、森本弥三八 日本出版社 8月

戦災復旧事務史 広島貯金支局 8月

歌集 朝心抄 山本康夫 真樹社 8月

私はヒロシマにゐた 玉井禮子 特選記録文学』雄鶏通信臨時増刊 第1輯 雄鶏社 8月

戦争論 椎名麟三 近代文学 9月
 「現在に於いて科学が宗教でなければならぬ」という不思議な発言をしている。

原子爆弾で戦争の勝敗は決まるか 日本の科学者はどうあるべきか 仁科芳雄 民論3(4)
民論社 10月

亡びぬものを 林隆吉(永井隆) 随筆 長崎日日新聞社 10月

その日の広島女高師 星野春雄 特選記録文学 雄鶏通信臨時増刊 第2輯 雄鶏社 10月

屍の街 大田洋子 記録 中央公論社 11月
 広島原爆投下前後の状況を淡々と描く随想録。もともと東京で作家活動をしていた著者が、戦争の疎開先として広島の「白島九軒町」に「母と妹と妹の女の赤 ん坊」と四人で住みはじめたとたんに、原爆と遭遇。しかも著者は朝の8時すぎにまだ、「ぐっすりとねむっていた」ため、直接熱線や爆風にはやられずにすん だ。コメントはこちら
屍の街 (平和文庫)/大田 洋子

絶後の記録 広島原子爆弾の手記 小倉豊文 中央社 11月

生命の河 原爆病の話 永井隆 随筆 日比谷出版社11月

原子力の軍事的利用 H・D・スミス 田中愼次郎訳 朝日新聞調査研究室 11月

星と原子力 関口鯉吉 誠文堂新光社 11月
 プランゲ文庫所蔵(メリーランド大学)

世紀の閃光 稲富栄次郎 広島図書 12月

原子力宇宙船 少年少女科学小説 飯田幸郷 東光出版社 12月

No Place to Hide David Bradley 米 Little Brown

原子力時代に於ける基督教 新島講座記念論文集 有賀鉄太郎:編 聖光社
 「原子力時代に於ける基督教」(湯浅八郎)を収録。
 
原子力人造人間 宇野一路  青竜社

原子力の世紀 国際文化協会調査部 国際文化協会

原子核理論の概観(物理学集書11) 渡辺慧 河出書房 

Atom Bomb Baby, Dude Martin and His Roundup Gang 米・楽曲(ポップ)

Fear, War, and the Bomb: Military and Political Consequences of Atomic Energy, P.M.S. Blackett, 1948.
 これからの時代に原子力発電が有効であることを主張。

憑曲 古沢岩美 油彩画 1948年 板橋区立美術館所蔵
 クロスロード作戦のきのこ雲を参考にして描かれたと推測されている。

ヒロシマ(人) 山本敬輔 1948年 油彩画 兵庫県立美術館所蔵
 二科展で発表。


▼1949年

原子力と価値の転換 渡辺慧 表現2(1) 角川書店 1月

長崎の鐘 永井隆 随筆 日比谷出版社 1月30日
 長崎で原爆投下の際に、大学付属病院にいた作者は、自らの怪我も省みずに治療にあたるさまは、鬼気迫る。コメントはこちら
 
長崎の鐘 (アルバ文庫)/永井 隆
壊滅の序曲 原民喜 近代文学 1月

夏の花 小説集 原民喜 能楽書林 2月

原子力のもたらすもの 堤秀夫 誠文堂新光社 2月

ヒロシマの緑の芽 今村得之、大森實 リーダーズダイジェスト日本支社 世界文学社 3月

ヒロシマ ジョン・ハーシー 石川欣一、谷本清訳 法政大学出版局 4月 Hiroshima John Hersey 1946
 増補版ヒロシマ 石川欣一、明田川融、谷本清訳 法政大学出版局 2003年

天よりの大いなる声 広島原爆体験記 未包敏夫、日本基督教青年会同盟:編 東京トリビューン社 4月

原子力の国際管理 田中慎次郎 朝日新聞社 4月
 朝日新聞調査研究室報告社内用

物質 その窮極構造(新文化叢書6) 玉木英彦、田島英三 日本評論社 5月

花咲く丘 永井隆 随筆 日比谷出版社 6月

戦争未亡人 細田民樹 湊書房 6月

原子物理学 上 菊池正士他 共立出版 7月

原子核物理学概説 合衆国原子力委員会編 嵯峨根遼吉他訳 コロナ社 7月

原子核から素粒子へ 藤岡由夫、朝永振一郎編 弘文堂 7月
 近代物理学の特色(藤岡由夫) 原子論から素粒子論へ(朝永振一郎) 原子核の構造と性質(三輪光雄) 原子核物理学とその応用(木村一治) 散乱と原子核の変換(小島昌治) 宇宙線と素粒子との関聯(宮島竜興)

原子力の研究(中等科学叢書20) 飯田幸郷 自由書院 7月
 プランゲ文庫(メリーランド大学所蔵)

自然科学と社会科学の現代的交流――社会科学者に対する現代物理学解説 武谷三男、久保亮五、杉本栄一、高橋善哉、都留重人、理論社 7月(初出は雑誌、季刊理論、であるが、発行年月は不明)
 現代物理学の到達点について社会科学者たちに概説し、かつ、マルクス社会経済論と連接をはかる。後に武谷の発言だけを抜粋し「『自然科学と社会科学の現代的交流』から」として、「科学の思想I 現代日本思想体系25巻」(井上健編 筑摩書房 1964年9月)に抄録。

ひろしま 原子爆弾の体験をめぐりて 衣川舜子 丁子屋書店 7月

手の進歩 手・道具・機械・原子力(新少年文庫6) 宮原将平 大雅堂 7月

長崎の鐘 サトウ・ハチロー:作詞、古関裕而:作曲、藤山一郎、池真理子:唄 楽曲 コロムビアレコード 7月

信心は原子爆弾より強し デヴィッド・E・リリエンソール アメリカ研究 8月号 David E. Lilienthal

原子爆弾 大田洋子 働く婦人 25号 8月1日

鎮魂歌 原民喜 群像 8月号

平和のともしび 原爆第一号患者の手記 吉川清 京都印書館 8月

小さき十字架を負いて 安部和枝 週刊朝日 8月
 記録文学懸賞募集入選作。長崎の三菱兵器工場での被爆体験。少し離れたところまで避難した際に学校の先生たちと出会う。「俄然取囲まれ、矢継早の質問が浴びせられたが、何から説明すべきかただ胸がこみ上げる。何の了解も出来かねるような先生たちの顔を見て私の心は叫んだ。「いくら説明したって、あそこにいtなかった人にはわからない!」」

雅子斃れず 長崎原子爆弾記 石田雅子 表現社 8月

長崎精機原子爆弾記 三菱重工株式会社長崎精機製作所:編 非売品 8月

隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録 デビッド・ブラッドリー 米 佐藤亮一訳 大日本雄弁会講談社 8月

八月六日八時十五分 大田洋子  改造 8月号

原子力文明 読売新聞社科学部:編 高山書院 8月

原子物理学 下 菊池正士他 共立出版 9月

原子の世界と素粒子の世界 物理学の方向 伏見康治 三一書房 9月

星と原子核 近代物理学全書 原子核論 林忠四郎 共立出版 9月

原子核物理学測定装置 近代物理学全書 原子核論 清水栄 共立出版 9月

β線の理論 近代物理学全書 原子核論 金井英三 共立出版 9月

原子核の構造と核反応 近代物理学全書 原子核論 小林稔 共立出版 9月

原子核と核外電子 近代物理学全書 原子核論 鈴木垣 共立出版 9月

長崎 22人の原爆体験記録 長崎文化連盟:編 時事通信社 9月

原子雲の下に生きて 長崎の子供らの手記 永井隆:編 講談社 9月

いとし子よ 永井隆 随筆 大日本雄弁会講談社 9月

広島最後の日 細田民樹 クラブ 9月号 世界社

長崎の鐘 植本一雄:作詞・作曲 藤原義江:唄 楽曲 9月

帯電粒子加速装置 原子核分裂及び超ウラン元素 物理学の進歩 第3集 嵯峨根遼吉他 共立出版 10月

原子物理学概説 中山一郎 同文館 10月

初等原子核理論 : 選定した問題についての短い講議 H・A・ベーテ 宮島竜興訳 フタバ社 10月
  Bethe, Hans Albrecht, 1906-2005

この子を残して 永井隆 随筆 大日本雄弁会講談社 10月
この子を残して (アルバ文庫)/永井 隆


『ヒロシマ』と『アダノの鐘』について 宮本百合子 青年新聞 10月4日

天よりの大いなる声 改訂増補版 日本基督教青年会同盟:編 東京トリビューン社 10月

原子爆弾 和地俊一 モダン日本 別冊 11月号

新しい物理の知識(科学新集) 藤岡由夫、小島昌治、宮島竜興 大日本図書 11月
 原子力(宮島竜興)を含む。

原子力 毎日ライブラリー 武谷三男編 毎日新聞社 11月

談話 デヴィッド・E・リリエンソール ワールド・リポート 12月9日、David E. Lilienthal
 「原子力の発達が、平和の線に沿って進むなら、その成果は人間の健康の改善・延命・食糧の増産などの点で、過去一世紀の進歩にも相当するだろう。」と述べ、原子力の平和的利用を主張。医療や農業における活用、そして、新しい動力としての利用を訴える。

「ヒロシマ」への関心 豊島与志雄 東京新聞 12月15~17日
 小倉豊文『絶後の記録』、体験者の記述を集めた『天よりの大いなる声』に言及。「原爆放射線の照射も地下までは浸透せず、翌年は廃墟の中に、雑草が却って勢いよく萌え出したように、人間性が、自由と平和とを希求する心情が、燃え立ってきたのである。」

広島悲歌 細田民樹 世界社 12月

原子爆弾の話 嵯峨根遼吉 論考 大日本雄弁会講談社 12月

原子力の将来(続) H・W・ブレークスリー 山屋三郎訳 朝日新聞社 12月

戦争 原子爆弾に打ちかつもの 神山茂夫 伊藤書店

原子核物理学解説(2版) 合衆国原子力委員会:編 嵯峨根遼吉他:訳 コロナ社

原子の話 原子と原子力 村岡敬造 国民科学社
 「原子の話 原子及原子力」(1948年)の再販

原子力の謎 松平維石 壮文社

原子論の誕生・追放・復活 田中実 三一書房 1949年


夜曲 増田勉 1949年 広島県教職員組合所蔵
 後に「
母子」と改題。比治山橋付近で被爆。二科展で発表。

廣島原爆八連図 吉田初三郎 HIROSHIMA 広島印刷(後の広島図書) 1949年 鳥瞰図
 「出版社の依頼を受けて、1946年に5カ月間にわたって広島市内で被爆者を取材。


*1945-1960の詳細な研究に、山本昭宏「核エネルギー言説の戦後史 1945-1960」人文書院、2012年6月、がある。
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