「文学」とは、一体何だろう。そして、「原爆文学」とは、一体何なのだろう。

この本を読むにあたって、そういった周辺的な問題は、本当は、どうでもよいのかもしれない。

この作品と向かい合ったとき、自分の心性の何かが波打つ、それだけで、よいのかもしれない。

私は今、そういう意味では、とても邪に「文学」に触れている。

とにかく「核」や「原爆」「原子力」「原発」をモチーフとした「作品」に接することにより、私たちがどこまでその「像」を言語や映像に刻んでいるか、どのように受け止めてきたのかを、その一点において、つかまえること、それだけを目的としている。

戦後まもなくに書かれた、原爆被害を受けた作家たちの「文学」的な作品は、「原爆文学」という形でまとめられている。

これは、いあわば、「ヒバク」体験のある作家に与えられた、特別枠のようなもので、言い方が悪いかもしれないが、すでにここにおいては、小説としてのクオリティといった次元で受け止めることのできない、むしろ、人類がはじめて得た希有な「経験」としての「ヒバク」を言語化した「目撃譚」として作品が位置づけられる運命にある。

これは、書き手にもある種の葛藤があったはずだが、同時に、読み手にも、このような作品に対する接し方として、何かがつきつけられている。

大田洋子の「屍の街」や、この、原民喜の「夏の花」を読もうとするとき、抵抗感をもつのは、まず、このことである。

「文学」とは、一体何か。

サルトルは「飢えて死ぬ子どもを前にして、『嘔吐』は無力だ」と述べた。しかし、これは1964年頃の発言なので、すでに、「原爆文学」は発表された後である。

「無力」なのか。

原爆文学は、原爆を受けて被曝した人たち、その事実を知った人びとを前にして、無力なのか。

そして、当の、作家自身にとって、原爆文学というジャンルは、無力なものなのか。

原民喜の「夏の花」は、作品としては、壊れた破片のようなものだ。

一つの、美しく、整然とした、完成された、一貫性のある、「作品」ではない。

傷つき、戸惑い、中断し、文体に迷い、途方にくれた、その「未完成」形が、この「作品」の「価値」ということになる。

もしくは、やはり、こう言うべきであろうか、原爆は、作家さえも、文学から、遠ざけてしまう威力をもち、それに対して、やはり、作家は、無力であった、と。

1945年に、この作家は、千葉から広島に住む兄のもとに疎開したあと、原爆を受け、「このことを書きのこさねばならない」と、「壊滅の序曲」「廃墟から」など、いくつかの作品を発表する。

同時に、彼は、亡き妻を想う作品も、1946年から翌年にかけて、数多くしたためている。

実際にこの「夏の花」もまた、原爆投下の2日前の、妻の墓参りから書き始められている。

亡き妻を想うこと。被災した広島のただならぬ事態がありながらも、そこで生き残ったこの作家は、おそらく、二重に「空虚」であったに違いない。

もしこの作家が、この原爆で妻を亡くしていたのなら、この作品は、こうはならなかったであろうし、存在さえ、しなかったかもしれない。

そう、これは、「抜け殻」のような「作品」なのである。

そして、この作家は、その後、1951年に、西荻と吉祥寺のあいだの線路にて、自殺する。

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